第6話

 強引に床についたとはいえ眠れるはずもなく、輾転反側していたが、明け方近くになって多少まどろんだらしい。

 ふと気づくと床の周囲はすっかり明るくなっていた。それにつれて室温も上昇しているらしく、布団が汗ばんでいる。

 枕元に置いた腕時計を見ると、六時四十分。

 頭の中に靄がかかっているかのように、意識がぼんやりしている。言うまでもなく昨夜の体験が原因だろう。

(思いつきで尾行なんかするんじゃなかった)

 今さら悔やんでも遅いのだが、さりとて何も知らないままで良かったのかというと、そうとも言えない。事の内容が重大過ぎて、どのみち隠し通せるものではないだろうという危惧を抱いている。

 夜更けに忽然と外出する結依。彼女と瓜二つの女性。月明かりにぼんやりと照らし出される御堂。死体(?)の運搬と投棄。そして……そう、最後に見た不可解な現象──。

 それは、半ば放心状態でつづら折りを下っている途中のことだった。

 神社に下りる最後の曲折の手前で、ふと斜め上に目を向けると、木々の間に仄かな灯りが揺れていた。位置的には、ちょうどあの御堂のあたりになるはずだ。半ば虚脱した頭の中でそう考えた瞬間、脳裏によみがえった一つの記憶が俺の足を止めた。

(御堂の灯りは、さっき結依が消したはずだぞ!?)

 急いで先刻の光景を呼び起こす。

 結依たちが二人がかりで御堂から"人"を運び出した後、結依だけが中に引き返して、ほどなく御堂の灯りが消えたではないか。

 じゃ、どうして今、御堂に再び灯りが点いている? 結依たちは、もうとっくに山を降りてしまった。彼女たちの他に誰かいたのか? こんな夜更けの、人気のない山の中に……?

 その時、昼間のバスの中で耳にした怪異譚が、頭をかすめた。

 この村には“何か”がいる。常識では説明のできない怪奇現象を起こす、“誰か”ではなく“何か”が……。

 俺はとてつもない恐怖に襲われて身を震わせ、もはや後を振り返ることもなく、夢中で山を駆け下りたのだった。


 布団の上に仰向けに寝転がったまま目を閉じ、まぶたの上で両手の指を組む。いろいろな疑問が頭の中で渦を巻いている。

 結依と瓜二つのあの女性はいったい……。

 いや、誰なのかはわかる。俺の幻覚でなければ、結依の双子の姉に違いない。でも、その姉は家出中で行方がわからないのではなかったのか。少なくとも結依はそう語っていた。

 それじゃ、結依は嘘をついたことになる。何のために?

 加えて、彼女たちが崖から投げ落としたのは、いったい“何”だったのか? 意識を失くした人間? それとも死体?

 死体であれば、結依たちの行為は死体遺棄だ。また、意識のない状態だったか、あるいは──考えるのもおぞましい限りだが──死体だったとしても、それを作り出したのが彼女たちだとしたら……二人の行為は、れっきとした殺人ということになる。

(結依が人殺しとか……そんなバカな!)

 この春に知り合ってから、まだ三ヶ月しか経っていないとはいえ、結依の人となりは、それなりにわかっているつもりだ……ったのだが……。

(他人を完全に理解するのは不可能だってことはわかる。でも、結依に限って……そんなのあり得ない)

 頭の中で悶々とした堂々めぐりがくり返される。

 それを振り払うように、俺は上半身を起こして頭をゆっくりと左右に振った。

「おっ、早いな。起きてたのか」

 隣の布団で寝息を立てていた翔吾が、いつの間にか目を覚まして、こっちを見ている。

「うん。あんまり寝られなかった」

 俺はそのままの姿勢で答えた。

「なんだか元気ねえな。せっかく結依に会えたってのに」

 そりゃ会えてうれしいのはやまやまだが、その後は思いもかけず忌々しいできごとの連続である。手放しで喜んでいられるわけがない。

「もっとも、後継者問題がな……何とかいい方向に転ばんことには……な」

 それがわかっているなら「元気ねえな」もないもんだが、彼は昨夜の出来事を知らない。家出中のお姉さんが戻ってきて跡を継げば、当のお姉さんや結依をはじめ関係者いろいろ思うところはあるにせよ、表面上は丸く収まるとしか考えてはいないだろう。

「で、どうする? 俺たちのできる範囲で、双子のお姉さん捜しに協力するか?」

 その必要はないんじゃないか、と危うく口に出しかけて、押し止める。

(捜すも何も、昨夜、結依と一緒にいたのが、おそらくお姉さんだよな)

 問題は、なぜ結依がそれを隠しているのか、だ。これは、結依に直接確かめるしかない。

 ただ、その前に翔吾と梨夏にも俺の目撃談を打ち明けなければならないだろうが、気が進まないこと甚だしい。

 その時、出入口のドアが軽くノックされた。

 ドアの半分から上の部分には、障子を模した磨りガラスが使われている。そこに映っている人影から判断して、おそらく梨夏だろう。

 案の定、ひと呼吸おいて

「入るわよー」

と、当人の声。ほぼ同時にドアが開き、声の主が顔を覗かせた。

「起きてるー? ねえ、散歩行かない? せっかくだから村を見てみたいのよ」

 俺とは対照的に、よく眠れたらしく血色の良い顔には、ほとんど化粧っ気がない。とはいえ、身支度は小ざっぱり整えられていて、今すぐにでも外出可能な装いだ。

 翔吾が時刻を確かめながら、おもむろに反応する。

「そうだな。なんか目が醒めちまったし……行ってみるか。大樹は?」

 俺は、おまえらと違って寝不足で気分も良くないけど、二度寝で解消できるものでもなさそうだし、むしろ軽く身体を動かしたほうがいいかもな。

 一人ここに残って、結依と二人きりで顔を突き合わせ、昨夜のことを確かめたいという思いも、ふと頭をかすめたが……。その結依はどうしているんだろう?

 それとなく梨夏に聞いてみると

「まだ起きてないのかしらね。今朝は会ってないわ」

 という返事。朝早くから母屋に乗り込んで、結依の部屋を訪ねるのも不躾だよな。そもそも彼女の部屋、教えてもらってないし……と、そこまで考えて、俺も翔吾と梨夏に同行することにした。


 簡単に身なりを整えて、参集殿を後にする。

 今朝も早くから晴天の兆しが窺える空模様だ。日が高くなるにつれ、気温の上昇もはっきりと肌で感じ取れるようになってきた。しかし、夜から早朝にかけての冷気のなごりは、まだそこかしこに残っている。

 拝殿の扉はすでに開いていたが、神社の境内には人気はなかった。もしかすると、結依が朝の掃除でもしているかと思ったのだが……。

「都会と違って、空気が澄んでて気持ちがいいよね。美容にも良さそう」

 女性ならではのコメントに、翔吾が相槌を打つ。

「美容はともかく、肉体と精神のリフレッシュには適してるよな。これでスマホの電波が確実に届けば、最高だ」

「それは言えてる」

 二の鳥居をくぐったところに手水舎がある。梨夏が駆け寄り、ひしゃくで水をすくって手にかけた。

「わっ、冷たい」

 ハンカチで手を拭きながら、梨夏が残念そうに

「顔を洗うのは、辛いわね」

 と、罰当たりな感想を漏らす。俺は苦笑した。

「手水舎の水は手洗いと口濯ぎ用だからな。洗顔なんかに使ったら、美容どころか天罰が下るぜ」

 石畳の参道は、左カーブを描きながら緩やかに下っていく。

 一の鳥居の手前、カーブを曲がり切ったあたりから、参道の右側は丈の低い雑草が茂った緩やかな傾斜地になっている。その斜面を下りきったところを幅三メートルほどの小川が流れており、そのほとりに村人と思われる六人の男女が屯していた。

「あれ、結依じゃない?」

 梨夏が目ざとく指摘する。目を凝らすと、集団の中ほどにたたずむセミロングの黒髪女性を認めることができた。確かに結依の後ろ姿だ。その隣には、例の社務所の「おじ様」らしき人が、寄り添うように立っている。

 近づくにつれ、何やら不穏な雰囲気が伝わってきた。

 六人の村人がひとつところに集まっているのに、異様に静かなのだ。大声で会話を交わすわけでもなく、凍りついたような空気がわだかまっている。そして、全員の視線が小川の中に注がれているらしい。

 斜面の上まで歩を進め、彼らの背後からその視線の先を追って……俺たちは立ち尽くしてしまった。

「おい、あれって……」

 翔吾が掠れたような声を発し、梨夏が息を呑む気配が伝わった。

 小川の中に“人”が横たわっている。

 半ば無意識的に、俺は雑草を踏みしだいて緩やかな斜面を駆け下り、村人たちの群れの中に飛び込んだ。

 水流に洗われながら虚しく横たわる“人”を、改めて観察する。まぎれもない人間の死体だった。

 葬儀場や斎場で、棺に整然と収められた遺体を見たことは何度かあるが、日常生活にごく近いありふれた場所で、無造作にうち捨てられた死体を目の当たりにした経験はない。

 しかも一般人には縁遠い巫女装束。だが、その衣装には、あちこち擦れたような傷や土汚れ、そしてところどころ血に染まったような痕が認められる。身体は微動だにしないのに、水に浸かった白い袖が、流れの中でひらひらと揺れているのが、何だか幻想的だ。

 そして肝心の頭部だが、仰向けになっているうえ、顔面にあまり損傷がないため、人相をはっきり確めることができた。頭部にべっとりとまとわりつく白髪からも、高齢女性であることは一目瞭然だが、生前の人柄が何となく想像できるほど、とげとげしい面立ちの老婆である。それとも、穏やかでない最期を遂げたゆえの険しさか。

 頭の中で、目の前の遺体と昨夜の出来事が結びついた。

 結依たちが御堂近くの崖から投げ落としたのは、この遺体──あの時点で本当に死んでいたのかどうかはわからないが──ではないのか。

 遺体を凝視しているのが辛くなり、顔を上げて周囲に視線を巡らせた。

 結依は、俺のすぐ右隣で茫然と立ち尽くし、亡骸に目を向けている。だが、その瞳に映ったものをはたして認識できているのか、怪しまれるほど虚ろな表情だ。

 そこから少し離れたところで、翔吾は眉をひそめながら遺体を見つめ、逆に梨夏は蒼白になって目を背けている。

 俺は心持ち結依に面を向け、できるだけ刺激を与えないように、低く小さな声で問うた。

「これ……誰?」

 視線を動かすことなく、結依は少しの間をおいて、

「婆様……」

 と、つぶやくように答え、そのまま力なくしゃがみ込んでしまった。俺も急いで身をかがめ、結依が崩折れてしまわないように両手でその肩を支える。

 やはりそうだったのか。昨夜、二人に抱えられた巫女装束の遺体(?)を目にしながら、俺は無意識のうちにその身元を脳裏に思い描いていたのかもしれない。予想外の展開ではなかった。

 ただ、そうなると結依は、自分たちが投げ落としたお祖母さんの遺体を、あくまで表面上は無関係を装いながら、今こうして目の当たりにしていることになる。彼女の胸中では、いったいどんな思いが渦巻いているというのか。

 結依の両肩から伝わってくる体温を掌で感じながら、俺は、社務所の「おじ様」に背中をさすってもらっている結依の姿を、複雑な思いで見つめていた。


 ややあって、村人の誰かが通報したのだろう、駐在所のお巡りさんが息せき切って駆けつけてきた。まだ二十代後半と見える若い警察官だ。

「おお、原塚さん。こっちじゃ!」

 村人の一人が手招きしながら、高齢者に特有な必要以上の大声で呼ぶ。もうそこまで来ているんだから、そんな大声出さなくてもわかるって。この村の人って、概して声が大きいな。

 原塚と呼ばれた警官は、遺体を前にして律儀にもまず脱帽して手を合わせ、それから検分に取りかかった。若いから経験は少ないのかもしれないが、実直さを感じさせる機敏な動きだ。

 ひと通りの検分が終わると、原塚巡査は持参したグレーのシートを広げて遺体に被せ、水で流されないようにありあわせの小石を重しにしてシートを固定した。

 それから振り返ると、

「すみません、神社の方……」

 と声をかけながら、社務所の「おじ様」と結依を前にして、赤菜町の本署に通報するため神社の電話を拝借したいこと、その間の現場保存──ただ見守っているだけ──をお願いしたいこと、の二つを告げ、承諾を得るや、参道を小走りに駆け上っていった。携帯電話が使えないと、こういう非常時に不便極まりない。

 ふと気づくと、翔吾と梨夏は斜面を上がって参道の脇に腰を下ろし、離れたところからぼんやりとこちらの動きを眺めていた。

 次第に日が高く昇ってきて、周りの空気が熱を帯びてきている。ただ、遺体の周囲だけ、隔絶された空間のように、冷たく忌まわしい邪気がわだかまっているような気がした。

 俺もひとまず斜面を上り、翔吾の隣に座った。それを待っていたかのように、翔吾が口を開く。

「とんでもないことになっちまったな」

「おまえの言うとおりだったのかもしれん。ここに来ても事態が好転するとは限らない、って。好転どころか悪化してるわ」

 翔吾は戸惑いの色を浮かべて

「まさか、こんなことがな……さすがに俺も思ってもいなかったぜ」

 梨夏は無言でぼんやりとあらぬ方を眺めているが、蒼白だった顔には徐々に赤みが戻ってきている。

「これからどうする?」

 唐突な俺の問いに、翔吾は苦い表情で

「この状況じゃ、さすがに長居はできないよな。午後の早い時間にでも、お暇したほうがいいかも……」

 もはや反論の余地も材料も元気もない。

 結依が抱えている問題については、何の収穫も成果も見通しも得られないまま、手を空しくして、この地を去らなければならないのか。まさに失意のどん底という表現以外にあり得ないような心境で、茫然と事の推移を眺めることしかできない状態だった。

 しばらくして、原塚巡査が、神社に向かった時と同じように小走りで戻ってきた。額に汗がにじんでいる。

「一時間ほどで本署から署員が来るそうです」

 誰にともなく告げ、それから彼は、結依を含む村人に対して、遺体発見時のいきさつについて事情聴取を始めた。

 俺たち三人は、そもそも部外者で、しかも遺体発見に関わっていないということで、聴取の対象外。邪魔にならないように集団から少し離れ、参道の脇に腰を下ろして、聴取の様子を眺めていた。

 その後、明らかになった遺体発見前後の経緯をまとめると、以下のようになる。

 第一発見者は、緋劔神社に朝の参拝にやって来た村の老人。例の「原塚さん。こっちじゃ!」の老爺だそうだ。時刻は六時三十分頃。

 神社からの帰途、ぶらぶらと参道を下っている途中で、右斜め下方の小川に流れ着いている遺体が目に入ったという。往路では、土手に生えた雑草の茂みがちょうど遺体を遮る形になるため、視野に入らなかったと思われる。

 かなりの高齢とはいえ、目も足も(ついでに声も)達者なので、彼は参道脇の斜面を難なく下って小川のへりまで行き、遺体の顔を覗き込んで身元を確認したという。

 それから、彼は周囲を見回して、土濃川対岸の畑で早朝から農作業を始めていた村人二人を大声で呼び寄せた。彼らが押っ取り刀で駆けつけてくると、老人は賢明にも自分が現場の見張り役を買って出たうえで、呼び寄せた二人を、それぞれ神社と駐在所への伝令に遣わしたのである。

 急を聞いた神社からは、結依と社務所の「おじ様」が駆けつけて、再度、遺体の身元確認を行った。

 ちょうどそこに俺たちが通りがかったというわけだ。

 ひととおりの事情聴取が終わって赤菜署からの係官を待つ間、俺は、以上のことを結依の重い口から聞き出した。ちなみに、遺体となった結依のお祖母さんは「紫乃」、お母さんは「美津」、社務所の「おじ様」は「成隆」という名であることを、この時ついでに教えてもらった。

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