安息の地を求めて 6

「取り敢えず、入ってみるのが一番なのよ」

 天然の温泉(仮)を前に、エリカがアグレッシブな発言をする。

「まぁ……たしかにそうだけど。別にエリカが実験台にならなくても良いだろ?」

「あたしが入りたいのよ。だから……」

「だから?」

「背中を向けてくれると嬉しいんだけど?」

「わ、分かったよ」

 宿のお風呂ではあんなに恥ずかしそうにしていたクセに、エリカは俺の見ている前でブラウスのボタンを外し始めた。胸がちらりと見えるのとほぼ同時、俺は慌てて背中を向ける。

 それから、わずかに衣擦れの音が聞こえて、なにやらバシャバシャと水音が響く。


「……なにをやってるんだ?」

 振り返ると絶対に怒られるので、背を向けたまま問いかけた。

「なにって、お湯に浸かる前にかけ湯をして身体を清めてるの。……常識よ?」

「……そうなのか」

 湖や川に飛び込むのと同じだと思うんだが、なにやら独自のルールがあるらしい。


「そう言うのって、エリカが前にいた世界のルールなのか?」

「まぁ……そうね。でも、お湯はみんなで使うじゃない。だから、出来るだけ汚れを落としてから入らないと、お湯がどんどん汚れちゃうでしょ?」

「けど、そうすると、すぐお湯がなくなると思うんだが……」

「ここはいくらでも湧いてくるから大丈夫よ」

「なるほど……」

 お湯が豊富な環境ならではの発想なんだな。


「ふわぁ……気持ち良い」

 背後から、そこはかとなく色っぽい声が聞こえてくる。

「もしかして、温泉に浸かったのか? ……大丈夫か?」

「ええ、凄く良いお湯よ。あとでアベルも入ってみたら?」

「まぁ……興味はあるな」

 俺にお湯に浸かるという習慣はなかったんだけど、エリカがいつもお風呂に入るので、俺も最近はときどきお湯に浸かるようになった。

 温泉って言うのも、ちょっとは興味ある。

 それに、いまは気候が良いから平気だけど、冬なんかは水で身体を拭くのは辛い。温かいお湯で汚れを落とせるのなら、それに越したことはないだろう。


「ねぇ、アベル。ここって、近くにダンジョンがあるのよね?」

「ああ、新しいダンジョンがあるぞ。そんなに難易度は高くなさそうだけど、この町を活性化させるには十分な魔石が取れそうだった」

「へぇ。それじゃ、この町はこれから、ダンジョンを擁する町として栄えるのね」

「だろうな」

 地理的に危険な場所にない限り、ダンジョンが近くにある町はどこも栄えている。ダンジョンの質にもよるが、田舎町としては十二分に恩恵があるだろう。


「はぁ……ダンジョンと温泉かぁ~」

 背後からなんとも言えないため息が聞こえてきた。

「なんだよ、なにかあるのか?」

「別になんでもないわ。ただ、もしあたしにこの町の内政に関わる権力があったら、ダンジョンのある温泉街として発展させられるのになぁって思っただけよ」

「……内政に関わる権力?」

 俺、この町を管理する権限を持ってるよ……? って言いたいけど、それを言うと、シャルロットとのあれこれまで話すことに。

 いや、逆に考えれば、いまこそ話すチャンス、なのか?

 いやいや、落ち着け。

 温泉街とやらの計画内容によっては、シャルロットとの溝を深める結果になりかけないし、上手く話す順番を考えないと、成り行きで誓いのキスについてまで話すことになりかねない。

 もうちょっと、エリカから温泉街とやらの計画を聞いてから考えよう。



「温泉街って、どんな街なんだ?」

「文字通り、温泉を売りにした街よ」

「宿場町とは違うんだよな?」

「どこかへ行く途中に立ち寄るんじゃなくて、温泉に入るために人が集まるのよ」

「……温泉に入るために、人が集まってきたりするのか? せっかく温泉で綺麗に汚れを落としても、帰りにまた汚れるんじゃないか?」

「そ、そう言われると返答に困るわね」

 いきなり困ってるし、全然ダメじゃないか……


「あっ、でも、温泉が身体に良いのは本当よ? 新陳代謝も上がるし、副交感神経の活性化や、内臓の負担の軽減なんかの効果があるから」

「……もう少し分かりやすく」

「ストレスや、怪我、体調不良にも効果があるってこと」

「おぉ、なるほど」

 身体が資本の冒険者にとってはありがたい効能だ。

 しかも、療養に来ているあいだも近くのダンジョンで日銭を稼ぐことが出来る。たしかに売りになりそうな気がする。

 ……エリカに、シャルロットのことを話してみようかな? もちろん誓いのキスやらのことは内緒にしなきゃだから、話し方を考えないとダメだけど。

 ……うん。夜にでも、エリカのツンデレが発動しなくなったら話してみよう――と、その前に一つ確認しておかないとな。


「なぁ、エリカはシャルロットのこと、どう思ってるんだ?」

「シャルロット? 貴族令嬢なのに気取ってないし、あたしがアベルを罵ったときも、アベルのフォローしてくれてたし、優しい子だと思うわ」

「嫌ってはないんだよな?」

「もちろん。あぁ……でも、アベルの件で怒らせたっきりでしょ? だから、シャルロットは、あたしを嫌ってると思う」

「ふむ……」

 たしかに、シャルロットもそんなことを言ってたな。でも、その件は誤解だから、ちゃんと誤解を解けばなんとかなる、かな?

 なんて考えていると、背後からパシャリと水音が聞こえてきた。


「ふぅ~、良いお湯だったわ」

「もう上がるのか?」

「ええ。さすがに、アベルにずっと見張らせるのは悪いしね。それに、周囲に人がいないとはいえ、このままだとツンデレが発動しちゃいそうだし」

「ははは……」

 出来るだけ考えないようにしてたんだけど、エリカの方も意識してたみたいだな。


「ホント、ごめんね。これからもアベルのこと罵っちゃったりするかもしれないけど……」

「気にしなくて良いって言っただろ?」

「でも……」

 背を向けていて表情は見れないけど、エリカは悲しそうな顔をしてるんだと思った。

 だから「大丈夫だ」と、大きめの声で言い放つ。


「俺はエリカのバッドステータスを知った上で、一緒に田舎でスローライフを送っても良いって思ったんだ。だから、気にする必要なんてなにもないよ」

 ……というか、その程度のことで怒ってたら、誓いのキスをブッキングした俺はどうなるんだって話である。


「……エリカ?」

 なんか返事がないなと思って呼びかける。が、やっぱり返事がない。

「おい、エリカ、大丈夫か? 返事がないなら振り返るぞ?」

 一呼吸おいて、やっぱり返事がないので振り返る――寸前、エリカの声が聞こえた。


「……えっと、なんて言ったんだ?」

「うるさいわねっ、恥ずかしいこと言わないでって言ったのよ、このバカっ! 時と場所くらい考えなさいよね!」

 いきなりツンツンしている。


「……もしかして、さっきの俺のセリフで照れたのか?」

「そんな訳ないじゃない。もう、見張りは良いから先に帰りなさいよっ!」

「はいはい。分かったよ。じゃあ俺は、ちょっとあれこれ見てから帰るよ」

 このままだとツンデレが加速しそうだったので、先に退散することにした。

 その後、エリカとシャルロットのこと、それにエリカの提案した温泉街についてあれこれ考えを巡らせながら街を見て回る。

 そうして夕方になった頃、宿の部屋に戻ると――


「お帰りなさい、ご主人様!」

 なぜかティアがパタパタとシッポを振っていた。

 

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