安息の地を求めて 5

 ブルーレイクにある宿屋の一室。

 俺は窓辺から差し込む朝の光を浴びて、うーんと伸びをした。

 先にブルーレイクの町に行って待ってるとシャルロットに告げたあの日。俺はシャルロットを屋敷に送り届けてから、エリカが待つ宿へと帰還した。

 そして、翌朝の早朝に街を出発して、昨日の夜にこの町に到着したというわけだ。


 エリカも同行しているが、当然ながら部屋は別々だ。たとえどんな理由があったとしても、このあいだみたいなギリギリのピンチを迎えるのはごめんである。

 もっとも、俺はまがりなりにも成功した冒険者なので、蓄えは十分にある。部屋が満室なんて問題に直面しない限り、俺とエリカが二人部屋を選ぶ必要はない。

 という訳で、一人部屋で目を覚ました俺は、顔を洗ったりしてからエリカを迎えに行った。


「エリカ、起きてるか?」

 控えめにノックをすると、中から入って良いわよと返事が聞こえてくる。俺は一呼吸おいてから扉を開き、エリカの部屋に足を踏み入れた。

 エリカはベッドの上にぺたんと座って、ツインテールを結い上げているところだった。口に髪を結ぶためのヒモを咥えている姿が、なんとなく艶めかしい。


「おはよう、アベル」

 咥えていたリボンで髪を結びながら微笑む。なんと言うか……凄く女の子っぽい仕草で愛らしい。散々と罵ってくるときのエリカと同一人物には見えないな。


「……アベル? そんなにあたしをじっと見てどうしたのよ? って言うか、そんな風にみられると恥ずかしいんだけど。あたしの許可なくジロジロ見ないでよね!」

 なんか、三段活用っぽい感じでツンツンしてきた。俺がずっと見てたから、意識しちゃったんだな。ちょっと可愛いぞ。


「ちょっと、いいかげんにしなさいよ」

「あぁ、悪い悪い。外で待ってるから、朝食でも食べに行こう」

「はぁ? どうしてあたしが、アベルと一緒に朝食を食べなきゃいけないのよ!」

 酷いことを言われているが、俺は気にせず外に出た。

 バッドステータスのツンデレは、テンパればテンパるほど意識してツンが強くなるっぽいので、退散できる場合はこうやって時間を空けるのが一番なのだ。



「……はぁ。あたし、どうしてツンデレなんてバッドステータスを習得したのかしら?」

 食堂に片隅にあるテーブル席。

 向かいの席で朝食を食べているエリカがぽつりと呟いた。

「聖女の称号を手に入れるために必要だったんだろ?」

「そうなんだけど……もう少し、他に選択肢があったと思うんだよね」

「まあ……気持ちは分かるけどな」

 バッドステータスは生まれ持ってモノが大半で、後は生活環境なんかで習得することもあるが……どのみち、本人の意思とは関係のないことが多い。

 だけど、エリカは自分の意思で習得したバッドステータスに苦しめられている。自分の選択を後悔する気持ちは分からなくもない。


 でも、ツンツンしてるエリカも慣れれば可愛いから、後悔する必要なんてないと思う。

 なーんて、人の多い食堂でそれを言うと、ツンデレが大変なことになりそうなので、俺は答えずに卵焼きを口に放り込んだ。

 焼きたての卵の味が口の中に広がり、思わず幸せな気持ちになる。


「ところで、スローライフって、アベルはなにをするつもりなの?」

「とくにこれって言うのは決めてないんだけど、この田舎町に暮らして、楽しそうなことを見つけて、それをやってみようかなって思ってる」

「楽しそうなこと? じゃあ、ダンジョンにはもう潜らないの?」

「いや、必要があれば潜るよ。ただ、積極的には潜らないかな」

 ダンジョンに嫌気がさしたとか、人助けが嫌になったとかじゃない。

 だから、困ってる人がいたら人助けをするし、必要なときはダンジョンにも潜る。ただ、いままでのように、必死に頑張るのは止めようと思ったのだ。


「ちなみに、エリカはなにか、こういうことをしたいとか言うのはあるのか?」

「あたしはお風呂の魔導具を取り寄せたいわ」

「あぁ、宿にはなかったよな」

 普通は水浴びや、桶に張った水で身体を清めるのがせいぜい。魔導具を使ったお風呂はかなりの贅沢だから、一般にはあまり出回ってない。

 シャルロットに頼めば入手出来るはずだし、そもそもシャルロットがいれば魔術でお湯を出すことも出来るんだけど……いま言うと話がややこしくなるから黙ってる。


「あぁ……お湯といえば、山の裾野に発生したダンジョン側に、お湯が沸いてるんだよな」

「――えっ!?」

 なぜかエリカの目の色が変わった。


「それって……温泉じゃない?」

「残念だけど、あれはそんな良い物じゃないぞ」

「どうしてそう思うのよ?」

「湧き出るお湯から、卵が腐ったみたいなニオイがするんだ」

「思いっきり温泉じゃない!」

 エリカがバンッとテーブルに手をついて身を乗り出してくる……けど、なにを言ってるのか良く分からない。


「温泉ってたしか、自然から湧き出てくる、身体に良いお湯だろ? この近くで沸いてるのは、腐った卵みたいなニオイのするお湯だぞ?」

「だから、それが温泉なんだってば」

「………………はい?」

 やっぱりなにを言われてるのか良く分からなかった。


「あんな、腐った卵みたいなニオイのするお湯が、身体に良いって言うのか?」

「成分によってはあれだけど、たぶん大丈夫だと思うわ。食事が終わったら、その温泉が湧いてる場所に行くわよっ、あたしを連れて行きなさい!」

「まぁ……エリカが行きたいのなら」

 エリカが元気になったからまあ良いかな――と、そんなことを考えながら朝食を終えた。



 そんなこんなで、エリカと一緒に山の裾野へと向かっていると、例によって例のごとくに卵の腐ったような臭いが漂ってきた。

 どう考えても臭いんだけど、エリカは「温泉よ、温泉のニオイよ!」とはしゃいでいる。こんなに臭いのに、なにが嬉しいんだか良く分からない。


「なぁ、エリカの鼻ってどうなってるんだ?」

「あたしの鼻は正常よ」

「でも……このニオイを臭く感じないんだよな?」

「いえ、たしかに臭いわよ」

「あぁ、そうなんだ」

 ちょっと安心した。


「でも、この臭さが温泉の醍醐味なのよ。あと、卵の腐ったような臭いは硫黄のニオイだと思われがちだけど、水に溶け込まなかった硫化水素のニオイなのよ!」

「お、おう……」

 ごめん、やっぱり良く分からない。けど、ここで聞き返すと、なんか永遠に良く分からない説明をされそうな気がしたので受け流す。

 そうして、俺は早足になったエリカの後を追い掛けた。


「うわぁ凄い、エメラルドグリーンの温泉よ。きっと硫化水素イオンの濃度が高いのね!」

「ああ、ホントだな~」

 分からないので取り敢えず同意する。


「ちょっと、アベル。分からないから適当に同意してるでしょ!」

「……バレたか」

「まったく、いいかげんにしなさいよね」

 そう言いながらも、エリカの顔は笑顔のままだ。温泉が見つかってよっぽど嬉しいみたいだな。これは嬉しい誤算だ。


「それじゃ、アベル。ちょっと周囲を見張っててもらっても良いかしら?」

「ん? 別にかまわないけど……なにをするんだ?」

「なにって、温泉に入ってみるのよ」

「はぁ!? 待て待て、まだ安全確認だって終わってないだろ? さっき、成分によっては危ないって言ってたじゃないか」

「もし肌が爛れたりするようなら、治癒魔術を遣うから大丈夫よ!」

 この聖女様、アグレッシブすぎる……

 

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