僕たちが叶えたい極上の夢

#16 宴の始まり

　ある日の、もう陽もすっかり暮れた時間。武流（たける）は某駅の改札の前にいた。繁華街（はんかがい）が近いので、駅前も人通りが多くて騒々しい。

　立ち並ぶビルの派手なネオンも眩しく、武流は眼を細めた。

　スマートフォンでちらりと時間を見ると、約束の時間まであと５分。

「武流さーん！　お待たせしました！」

　そう言って笑顔で駆けて来たのは向日葵（ひまわり）だった。初めて見る私服は新鮮に見えた。トップスは淡いピンクのシャツだが、活動的なパンツスタイルである。そしてその後ろには。

「向日葵、待ちなさい。パパ向日葵みたいに体力無いんだから。……ああ、柚木（ゆのき）さん」

　こちらもカジュアルな私服の、向日葵の父親だった。髪もラフで、スーツの時よりずっと若く見える。父親は武流を見て相貌（そうぼう）を崩す。

「こんばんは」

「親父さん、こんばんは。今日はありがとうございます」

「こちらこそ、向日葵の我が儘（まま）にお付き合いいただいてすいません。あの、本当に大丈夫なんでしょうか？」

「大丈夫ですよ。蛍馬（けいま）も喜びます」

　そんな挨拶を交わす大人ふたりの傍らで、向日葵はじっとしていられないと言う様に手足をばたつかせる。

「早く行きましょう！　もう私、本当に楽しみで楽しみで、楽しみで！！」

　そう言って紅潮した顔で捲（まく）し立てる。武流と父親は顔を見合わせて苦笑した。

「へぇへぇ、じゃあ行きますかね」

　武流が言って足を動かすと、父親が「あの」と呼び止める。

「もうおひとり、来られるって聞いているんですが」

「ああ、その人は現地集合なんで大丈夫ですよ」

「ああ、そうなんですか」

　そうして、３人は目的地に向かう。向日葵が先頭で、スキップでもしそうな足取りで鼻歌交じりで歩き、武流と父親はその背中を見守る様に、ぽつりぽつりと会話を交わす。

　途中、先頭でありながら道を知らない向日葵が振り返り、武流が道を指示しつつ。

　そうして辿り着いたのは。

　蛍馬がアルバイトをしている女装バー「バラライカ」だった。

「いらっしゃぁ〜い」

　赤いドレスを纏（まと）った女装の店員に出迎えられ、武流たちは店内に入る。その店員がなかなかの筋肉質だったからか、向日葵は一瞬怯（ひる）む。そしておずおずと武流たちに続いた。

　武流が店員に名前を告げると、店員は「まぁっ」と嬉しそうに胸元で手を合わす。

「お待ちしていたわぁ。こちらにどうぞぉ。ケイちゃんはすぐにそちらに向かわすからねぇ」

　そうして通されたのは、店の１番奥のテーブル席だった。店内に流れているのは静かな音楽で耳触りが良いのだが、端まで来ると大分ボリュームが抑えられて、まるで個室の様だった。

「凄い、これが女装バーかぁ……」

　向日葵は熱に浮かされた様な表情で店内を見渡す。父親もこういう店は慣れていないだろうに、娘と一緒だからか流石の落ち着きである。冷静な表情でソファに身を沈めていた。

　席に着くとすぐに黒服がおしぼりを持って来た。

「ようこそいらっしゃいませ」

　丁寧（ていねい）な接客の黒服。ひとりひとりに優雅な動作でおしぼりを渡してくれる。

「ご注文は如何（いかが）いたしましょう。まだお決まりで無いのでしたら、後でお伺いいたしますが」

「そうだなぁ」

　武流が言いながらメニューを捲る。

「親父さん、ウイスキーの水割りはいけますか？」

「はい、大丈夫です」

「じゃあハーパーのゴールドをボトルで。水割りのセットください。フードはナッツとチーズで」

「畏（かしこ）まりました」

「それと向日葵には、おい向日葵、お前何飲む？」

「え？　あ、そうか、私お酒飲めないんだっけ」

　向日葵はそこで初めて気付いた様に口を開き、武流は呆れた様に言う。

「頼むから飲むなよ、未成年」

「飲みませんよぅ。ジュースありますか？」

「ほらよ、ここ」

　武流はメニューのソフトドリンクのページを開いて見せてやった。

「ええと、じゃあジンジャーエールください」

「はい、畏まりました」

　そうして黒服が去るのと入れ違いに、チャコールグレーのスーツをきっちりと着込んだ腰月（こしつき）が現れた。

「やぁ、待たせてしまって済まないね。武流くんこんばんは。向日葵ちゃんとはこうして会うのは初めてだね。腰月です。お父さま、この度は大変でしたね。ですが解決して良かったです」

　腰月はほぼ一息で言うと、演技掛かった様な一礼をした。

「何やってんですか、腰月さん」

　武流が呆れた様に言うと、腰月は「ははっ」と屈託（くったく）の無い笑みを浮かべた。

「いや、お父さまも向日葵ちゃんも、この件では大変だったと思うんだよ。私に出来た事は本当に少ないけど、こうして皆無事で寄り会える事が素晴らしいと思ってね」

　腰月が言って頭を軽く掻（か）くと、父親が腰を浮かせた。

「いいえ、とんでもありません。本当に向日葵の件ではお世話になったと聞いています。本当にありがとうございます」

「いやいや、私は本当に何も」

「いえいえ、本当に」

　そんな応酬の父親と腰月に、武流は「あーはいはい」と間に入る。

「良いじゃ無いですか。持ちつ持たれずってやつって事で。ほら、腰月さんも座ってください。すぐに蛍馬も来るだろうから。ハーパーのボトル頼みましたけど、ビール頼みます？」

　腰月はビール好きなのだ。

「いや、皆と同じで大丈夫だよ。うん、そうだね。お互い様って事にしておくのが良いかも知れないね。じゃあ久木野さん、今日は楽しみましょう」

「はい」

　腰月と父親は微笑み合い、その場にほのぼのとした空気が流れた。

　そこに介入して来たのが、派手な衣装の蛍馬であった。

　金髪のロングウェーブのウイッグに、鮮やかな青色のフレアワンピースには、レースがふんだんにあしらわれている。その胸元には赤やオレンジ、黄色などのガーベラの造花が飾られていた。ひらひらのヘッドドレスはワンピースと揃いの青である。

「お待たせしました〜」

　そう言って、笑顔の蛍馬は胸元で両手を振る。その姿に父親は呆気に取られ、向日葵と腰月は大いに喜んだ。

「凄い凄い！　蛍馬さん綺麗！　可愛い！　可愛い！！」

「良いねケイちゃん！　今日も可愛いね！」

　げんなりとした武流は、少し咎める様な口調になってしまう。

「いつもより派手じゃ無ぇか？」

「だってお目出たい席なんだもん。あ、お父さんが吃驚（びっくり）されてる。ごめんなさい、普段はもう少し控えめなんですよ。今日は向日葵ちゃんの快復（かいふく）祝いと、一連の解決祝いと、お父さんと向日葵ちゃんが来られるので、張り切っちゃいました」

　蛍馬が少し照れた様に言うと、父親は「あ、ああ」と我に返った様に声を漏らした。

「驚きましたが、大丈夫です。これが柚木さんのお仕事なんですね」

　父親が呆けた様に言う。

「ねぇパパ、蛍馬さんの事も武流さんの事も柚木さんって呼ぶからややこしいよ」

「ああ、確かにそうだね。じゃあ、蛍馬くん、武流くんって呼ばせていただいて良いですか？」

「はい、勿論です」

「はい」

　蛍馬はにっこりと笑い、武流は小さく頷いた。

　その時、黒服がドリンクとフードをワゴンに乗せて運んで来た。早速蛍馬が人数分の水割りを慣れた手付きで作り、それぞれの前に置く。向日葵の前には黒服が置いたジンジャーエールが、氷でキンと冷やされていた。

「ハーパー頼んだの武流？」

「ああ」

「もっと高いの頼んでも良かったのに。今日はスポンサーがいるんだから」

「幾ら何でもそんな訳に行くか。そもそもそのスポンサーがまだ来てねぇってのに始めようとしてんな」

「待ってる方が気を使うって。ジンジャーエールも薄くなっちゃうし、氷も溶けちゃう。さ、乾杯しましょう！　音頭は、えーっと、向日葵ちゃんかな？」

「え、わ、私ですか？」

　向日葵が焦った様に皆を見渡す。

「そうだな。向日葵頑張ったもんな」

　蛍馬に賛成し、武流もグラスを手にした。

「じゃ、じゃあ頑張ります！」

　そう拳（こぶし）を握った向日葵に、隣の父親は苦笑する。

「向日葵、そんな力まなくても良いから」

「だって慣れて無いんだもん。え、えーっと、か、乾杯！」

　前触れ無しに勢い良く行われた乾杯に、皆慌ててグラスを持ち「乾杯！」と重ね合わせる。何とも締まらない乾杯になってしまった。

「ご、ごめんなさい〜」

　恥ずかしげに顔を覆（おお）う向日葵に、皆がほっこりと微笑む。

「大丈夫大丈夫。さ、始めましょう！　皆さん、存分に楽しんでくださいね！」

　蛍馬がにこやかにそう言った時、スポンサーである所の兄の篤巳（あつみ）が滑り込んで来た。

「もう始まってるね。遅れて申し訳無い。蛍馬と武流の兄の柚木篤巳です」

　そう言いながら名刺入れを出すと、初対面の父親が弾かれた様に立ち上がる。

「初めまして。この度はお世話になりました。向日葵の父の久木野です。名刺は今日は持ち合わせが無くて申し訳ありません」

「いえいえ、結局僕は何も。ささ、どうぞ座ってください」

　篤巳は父親に名刺を渡し、掛ける様に促した。

「じゃああらためて乾杯しましょうか。今度の音頭はスポンサーの兄さんお願いね！」

　挨拶の間に作った水割りを篤巳に渡し、蛍馬が言うと、篤巳は「こほん」とわざとらしく咳払いをした。

「では、向日葵ちゃん退院おめでとう。事件解決もおめでとう。乾杯！」

「かんぱーい！」

　そうして面々は、あらためてグラスを合わせたのだった。