#15 とどめを刺した瞬間

 薫子が警察に逮捕されて数日後。昼下がり、部屋で幽霊の訪れを待っていた蛍馬けいまのスマートフォンに着信があった。タッチスクリーンに表示された080で始まる番号は見知らぬもの。


「はい?」


「あ、蛍馬さんですか? 向日葵ひまわりです!」


 やや警戒して出ると、耳に届いたのは、確かに向日葵の元気で可愛らしい声だった。


「あれ、向日葵ちゃん。こんにちは。退院出来たの?」


「こんにちは。はい! 本当にありがとうございました!」


「本当に良かった。退院おめでとう。よく僕の電話番号分かったね」


「パパに渡してくれた名刺を見せて貰いました」


「あ、そっか。お渡ししたよね確かに。じゃあこっちに通知されてた番号は、向日葵ちゃんの携帯?」


「はい。あの、良かったら登録してくれたら嬉しいです。私も蛍馬さんの携帯番号、登録しても良いですか?」


「勿論だよ。僕も登録するね。今日は何かあったの?」


「あ、はい、実はパパ、薫子さんの面会に行ったんです」


「え?」


 向日葵の声がやや沈む。蛍馬は流石にいささか驚いた。


「どうして。会いたいなんて思って無かったと思ってた」


「どうしても誤解を解いておきたいからって。あのですね……」




 薫子に反省の素振りはまるで無いらしく、悪びれず話す内容は速やかに起訴きそされて然るべきだったそうだ。


 薫子は今、留置所に入れられている。裁判を待つ身の上である。


 父親が面会、接見の為に向かったのは、その留置所である。窓口で手続きをし、接見室に通される。


 良く刑事ドラマなどで見る様な部屋に良く似ていた。椅子だけが置かれた空間に、大きなアクリル板で区切られた「こちら側」と「向こう側」。父親はこちら側の椅子に掛けた。


 やがて向こう側のドアが静かに開かれ、婦人警察官に連れられた薫子が現れた。


久木野くぎのさぁん!」


 こんな場所でも無駄に着飾っている薫子は嬉しそうに破顔し、腰に結わえられたロープが外されるのももどかしいという様に足をばたつかせ、解放されると一目散に父親の正面、アクリル板越しの椅子に掛けた。


「絶対に来てくれるって信じてましたぁ。こんなところもうすぐ出られますからぁ、そしたら私また頑張りますねぇ」


「何を頑張るんだ」


 父親の声は冷静を通り越して冷酷なものだった。抑揚無く感情もほとんど無く口を動かす。


「勿論娘の事ですよぅ。もう知ってるんでしょう? 私が久木野さんの為にした事。今度こそ上手にやってみせますからぁ」


 常識の埒外らちがい。そう蛍馬が形容した台詞を、その時父親はしみじみと感じたと言う。


「今度同じ事をしてみろ。私は君を憎んで許さない。いや、もう既に私は君を許していない」


「どうしてそんな事を言うんですかぁ? 久木野さんが私を憎む訳無いでしょう?」


 薫子が不思議そうな顔をして、首を傾げた。


「そもそも私は君に何の感情も抱いていない。まとわり付いて来て鬱陶うっとうしいとは感じていたが、所長の手前我慢していた。君と私は全くの無関係だ。一緒になる事など一生掛かっても有り得ないし、出来る事ならもう2度と顔も見たく無い。今日も来たくは無かった。だが君のその思い込みから生まれた誤解だけは解いておきたくてね」


「思い込みだなんてそんなぁ。私と久木野さんは、運命なんですからぁ」


「運命だと言うのなら、それは生涯絶対に交わらない運命だ」


 そこで、薫子の顔から笑みが消えた。


「え、交わってるじゃ無いですかぁ。私と久木野さんは」


「ただの職場の同僚だった。それ以上でもそれ以下でも無い」


「でも」


「勝手に君が思い込んだだけだ」


「だって」


「君には出来る事なら死ぬまで刑務所に入っていて貰いたい。所長や奥さまには申し訳無いと思うが、偶然街で会うとか、そういう可能性も潰しておきたいんだ」


「どうして」


「さっきも言っただろう。もう2度と顔も見たく無い」


「何でそんな事言うんですかぁ。私と久木野さんは運命なんですよぉ?」


 薫子は泣きそうになりながら訴える。しかし父親はそれを拒絶する様に、息を吐いて首を振った。


「これ以上話をしても堂々巡りだ。私は帰るよ。反省する気も無いらしいから、どうかそのままでいてくれ。そうしたら刑期が伸びて、娘も私も少しは安心出来る」


 父親はそう言って席を立つ。薫子の後ろで静かに控えていた婦人警官に「終わりました。ありがとうございました」と声を掛け、薫子の「待って!」と言う悲痛な叫びに振り返る事もせず、接見室を後にした。




「と言う訳なんです」


 向日葵は薫子が逮捕されても思い込みを続けていた事、父親が直々にとどめを刺した事を簡潔に蛍馬に伝えた。蛍馬は通話をスピーカーにしていたので、武流たけるも聞いている。


「今度こそは薫子さんも思うところが出来たかも知れません。それでも罪は罪なんですけど」


「でもやっぱり反省する様なタイプじゃ無いだろうからねぇ。本当にお父さんの言う様に、無期懲役とかになって欲しいよ」


「未遂だから難しいかも知れねぇけどな、俺もそう願うぜ。けど、親父さんに直接言われて、確かに思うところはあったのかもな」


「はい。で、あのですね、それをお伝えしたかったのもあるんですけど、実はおふたりにお願いがあって」


「ん?」


「何だ?」


 蛍馬と武流は、また向日葵の言葉に耳を傾けた。

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