#13 追い込んだ先に
スーツの内ポケットに警察手帳が納められている事も確認して。
「行こうか。屋上まで階段となると、かなりの運動になるね」
「身体の
「はは、警察官は体力勝負でもあるからね」
腰月は小さく笑うと、1度屈伸をする。
さて、一同は病院の裏に回り、コンクリートでしっかりと
「ところで
腰月が小声で聞いて来たので、蛍馬も小声で応える。屋上まではまだまだ距離があるが、薫子に気取られてしまわない様にする。
「ちょっとした事情がありまして」
説明すると、腰月は「成る程ね」と頷いた。
「いつものふわふわした衣装も可愛いけど、そういう大人しめなのも良いね。
「ありがとうございま〜す」
蛍馬はつい店用の受け答えをしてしまう。
「で、私には見えないけど、ここには向日葵ちゃんとハシビロコウ先輩がおられるんだね?」
「はい。僕たちのペースに合わせて、一緒に上がってくれてます」
「そうか。向日葵ちゃん、ハシビロコウ先輩、よろしくね」
すると腰月には見えないが、向日葵は「よろしくお願いします」と深く頭を下げ、ハシビロコウ先輩は「うむ」と
3階分も上がると、流石に息が切れて来る。蛍馬たちの会話は少なくなり、ふうふうと大きく呼吸しながら、1段1段をしっかりとした足取りで登って行く。
この病院は9階建てである。屋上まではまだまだ。一同は時折休憩を挟み、息を整えながら進んで行った。
さて、
非常階段から屋上に続くドアは開け放たれていた。ドアノブに鍵穴はあったが、元より鍵など掛けられておらず、誰でも自由に出入り出来る様になっているのだろう。
非常事態にいつでも使える様にとの事なのだろうが、セキュリティとしてはどうかと思わないでも無い。だが今回は好都合だ。
しかし薫子も、開いているかどうかも判らない屋上に、良く上がって来ようと思ったものだ。開いていなくても格子状のドアは乗り越えられる高さではあったが、そんな事も上がってみなければ判らないだろうに。
蛍馬たちは足音を殺しながら、そっと屋上へと足を踏み入れる。
「薫子は屋上の端、病院内からの出入り口となっている建物の壁に
やがて暗さに眼が慣れて来て、その影が薫子だと確認出来ると、蛍馬はわざと足音を立てた。
薫子はその音に気付いたか、びくっと小さく肩を震わせた。そして涙でぐちゃぐちゃに濡れた眼を蛍馬に注ぐ。
「誰、あんた」
その低く無愛想な声は、
蛍馬と武流、薫子は1度向日葵の病室で顔を合わせている筈である。興味が無いから覚えていないのか、暗いので見えていないのか。まぁどちらでも良いのだが。
「
蛍馬が声を作って言うと、薫子は一瞬ぽかんとし、だがすぐに怒鳴り付けて来た。
「そんな訳無いじゃない! 久木野さんには私以外に女はいないわよ!」
「そう、嘘ですよぉ。でもあなたも久木野さんとは職場以外では無関係でしょう?」
「私は久木野さんと結ばれる運命なの! あの邪魔な娘さえいなければ!」
「うわ、
武流が呆れた様にそう呟くと、薫子は「何ですって!」と更に逆上する。
「だから久木野さんの為に娘を何とかしようとしたんじゃない! 娘さえいなければ、久木野さんは堂々と私と一緒になれるんだから!」
金切り声と言うのはこういうものを言うのだろう。正直耳障りで仕方が無い。内容も薄っぺらくてとても聞いていられるものでは無い。
蛍馬も武流も薫子に寄り添おうなんて気は
「久木野さんみたいな素敵な男性が、貴方みたいな自分勝手で浅はかな女を相手にする訳無いじゃないですかぁ」
蛍馬が笑いを含ませながら言うと、薫子は「何よ、それ」と忌々しげに唇を噛み締めた。
「言葉の通りですよぉ。馬鹿だから解んないんですかぁ?」
「あんた一体さっきから何なのよ! 何? あんたも久木野さんが好きなの?」
「ひとりの立派な大人の男性としては好きですよねぇ。恋愛感情は無いですけどぉ」
「ふん、暗くて良く見えて無かったけど、声からしても、あんた男じゃ無い。いくらあんたが好きでも、久木野さんは私みたいは綺麗な女性の方が好きに決まってるんだから」
「やだぁ、自分で自分の事綺麗って言っちゃうんですかぁ? だからぁ、私は久木野さんに恋愛感情は無いって言ってるじゃ無いですかぁ。日本語通じてますぅ?」
「
薫子はそう叫び、全てを振り払う様に頭を抱えて首を振り続けた。
「邪魔だなんてそんなぁ。私たちは向日葵ちゃんが怪我をして眼を覚まさない事で消沈している久木野さんに、少しでも元気になっていただきたいだけなんですよぉ」
「だ、か、ら! 娘が死ねば全て解決でしょう!? ああもう腹立つ! 何で今までみたいに思い通りにならないのよぉ!」
話がまるで通じず、
蛍馬たちが来るまでは薫子の傍にいた鞠右衛門も、こちら側でハシビロコウ先輩と並んで事の成り行きを見つめている。
武流が緊張している様子の向日葵をちらりと見ると、眼が合った。何か言いたそうな表情。
「言いたい事があるのか?」
武流が訊くと、向日葵は「は、はい!」と弾かれた様に応えた。
「なぁ、今ここに向日葵の生霊がいるんだけどさ」
武流のその言葉に、薫子は動きを止め、「はぁ?」と化粧が派手に崩れた顔を上げた。
「生霊? あんた何言ってんの。頭おかしいんじゃ無いの?」
「俺らからしてみたら、言葉が通じないあんたの方がよっぽど頭がおかしいけどな。ま、言いたい事があるらしいからさ」
言うと、武流はバンダナと犬耳を一気に頭から外した。すると向日葵の霊体がするりと吸い込まれて行く。
その様子を見ていた蛍馬が眼を見開いた。
「武流! 生霊入れるなんて、そんなの」
そう、初めての事なのである。死霊であれば何の影響も無い武流の身体だが、魂がこの世にあるものの受け入れは初めてで、正直どうなるのか未知数だ。
しかし向日葵の為、父親の為、
「大丈夫だ」
痩せ我慢では無い。本当に平気なのだ。覚悟していたとは言え、武流は安堵する。
「ほら、向日葵、言いたい事言ってやれ」
「え、武流さん、これどういう事なんですか?」
武流の口からそう滑り出て来た声は、作ったものでは無い、正真正銘少女の、向日葵のものだった。
「何、その三文芝居。どうせ作った声でしょ。そこの女装男よりは上手だけど」
薫子が「馬鹿馬鹿しい」と言う様に鼻を鳴らす。
「ああ、向日葵には言って無かったな。俺は酷い霊媒体質でな、バンダナの下に野洲さんに貰った犬耳付けて、それで霊避けしてんだよ。今外したから、俺から一番近い霊体の向日葵が入ったって事だ」
「そうだったんですか? 凄い!」
「そうでも無いぜ。面倒なだけだ」
武流ひとりの口から繰り出される男声と女声の
「おやまぁ、喜太郎さまからお伺いしてはおりましたが」
「うむ、ここまでとは思わなかったであるな」
薫子と言えば「何よ、それ」と表情を強張らせる。
「何もそれも、こういう事だ。今俺の中には向日葵の生霊が入ってんだよ」
「そんなの信じられる訳無いでしょうが」
「信じようが信じまいが、事実なんだから仕方が無ぇだろ。向日葵が聞きたい事があるってよ。ほら」
武流が
「あの、薫子さん、薫子さんが私を木の棒で殴ったんですよね?」
「……だったら何よ」
薫子は怪訝そうな表情ながらも応える。
「それは、パパと一緒になる為に、私が邪魔だったんですよね」
「そうよ。娘は結婚にも新婚生活にも邪魔じゃ無い。絶対久木野さんもそう思っていたわよ」
「もう1度確認します。薫子さん、
「あーあー、そうよ。はいはい、私が娘を殺そうとして殴りました」
薫子は呆れた様に、そして面倒そうに応える。
「でも、そんな事をしても、パパは貴方とは結婚しませんよ?」
「何言ってるのよ。私たちは運命なんだから、自然とそうなるに決まってるじゃない」
「いいえ。私が殺されていたら、犯人の貴方を一生恨むかも知れないけど、結婚は絶対にしません。警察に捕まった貴方に面会とか絶対にしませんし、服役? を終えて出て来ても、貴方に会う事すら嫌がると思います」
「何で私が警察に捕まるのよ」
「人を殺そうとしたら、警察に捕まるでしょう?」
「私は邪魔なものを無くそうとしただけだもの。捕まらないわよ」
「じゃあ何で泣いてたんですか?」
「また失敗して悔しかったからよ。包丁で心臓刺したら終わりでしょ。でも何よ、何か凄い光ったし、椅子は勝手に動くしで、気味が悪いったら。でも次は失敗しないわよ」
見事だ。どうしてここまで言い切る事が出来るのか。世間の常識とは別の世界で生きているのか。これこそ気味が悪い。
向日葵が言葉に
「もう良いでしょう。
「はぁ? 何よおっさん」
腰月はまだそう
「おっさんは流石に傷付くなぁ。ま、それはともかく。私は警察です」
そう言って、警察手帳を出し、開いて見せる。
「ふぅん? で、警察が何の用よ」
「貴方を逮捕します」
「どうしてよ」
「貴方が警察に捕まる様な事をしたからです」
「はぁ? 何言ってるのよ」
薫子がこれまでの台詞を本心から言っているのであれば、本当に薫子は常識とは
腰月はスマートフォンを取り出し、どこかに通話する。その数分後、建物のドアが大きな音を立てて開いた。
そこから溢れ出て来たのは、スーツ姿の人たち。老若男女が入り乱れていた。
「腰月警視、お疲れさまです」
一様に腰月に頭を下げ、そして上げると。
「容疑者は」
「そこに座り込んでる女性です。久木野向日葵さん殺害未遂を自白しました。逮捕をお願いします」
「了解しました」
女声警察官が薫子の元に屈み、容赦無くその細腕に手錠を掛けた。
「は? 何よこれ」
「逮捕します」
「はぁ? 私は何もしていないわよ。ちょっと、離してよ!」
女性警察官に腕を掴まれ、薫子は暴れ出す。そこに他の女性警察官が加勢に入った。
そうして嫌がる薫子が無理矢理に連れて行かれ、姿が見えなくなったその時。
「あ、あれ?」
武流の戸惑いの声が響いた。
「武流、どうしたの?」
「向日葵の気配が消えた」
「え?」
蛍馬が地面や空を隈無く見渡す。だが確かに向日葵の霊体は確認出来なかった。
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