#09 斜め上の展開
日曜日は、幸いにも何事も無く過ぎた。
話に混じる事が出来ない篤巳が寂しがったのは、また別の話。
月曜日、昼になる前に、向日葵が慌てて飛び込んで来た。
「た、大変な事になったかも知れません!」
話を聞くと、確かに面倒な事になったかも知れないと、蛍馬も武流も眉を
平日になり、いつもの様に事務所に出社する向日葵の父親。
その前には向日葵の病室を訪れている。そっと頬を撫で、起きてくれる事を願う。それは既に父親の習慣となっていた。
職場をともにする面々と挨拶を交わし、席に着いたその時。
事務所のドアが派手な音を立てて開けられた。
全員が驚きその方を見ると、怒りで顔を歪めた薫子が、前のめりの早足でつかつかと父親の元に歩いて来た。
力任せに大きな音を立てて机を叩き、怒鳴り付けた。
「どうして昨日来てくれなかったんですか! 私待ってたのに! 15分も待ったのに!」
昨日。ああ、そう言えば一昨日、薫子は病室で言っていた。「明日駅前で待ってます」と。
向日葵はその瞬間「15分で別に普通に待てる時間だよね?」と思ったが、本質はそこでは無い。
薫子の剣幕に父親は怯むが、
「確かに君は土曜日にそんな事を言っていたね。だが私は行かないとはっきり言った筈だ」
「そんなの知らないわよ! 何で? 何で何で何で何で何で!!」
薫子はそう怒鳴りながら、幾度も机を叩く。父親を始め、事務所の職員全員が呆然とその有様を見ていたが、「薫子!」と叫ぶ様な所長の声で我に返った。
「薫子、止めなさい!」
所長が声を荒げ、父親と薫子の間に入って来る。だが薫子が落ち着く事は無かった。
「何でよ! 何でよぉーーーーーーーーーー!!」
薫子は絶叫し、父親を睨み付けると、走って事務所を出て行った。
正に嵐の様なこの一連の出来事に、従業員は唖然とするしか無い。一体何事か。父親と薫子の間に何があったのか、それは皆には判らない。父親ですら、薫子がどうしてあそこまで逆上したのか判らなかった。
確かに、薫子にとっては昨日の事は「確実な約束」だったのかも知れない。だが父親は行かないとはっきり言っていた。なら待つ事は薫子の勝手だ。
だが薫子はそうと捉えなかった。それは薫子の性格からして当たり前の事なのだが、それは父親の責任では無い。そもそも行く事を拒否していたのだから。
「久木野くん、何がありましたか?」
所長が聞いて来るが、父親は戸惑った表情で「判りません」と言うしか無かった。
「ですが、昨日お嬢さんが、私の娘が入院している病院に来まして、一方的に食事の約束をして行きました。私は行かないと言ったんですが、どうやらお嬢さんは待っていた様ですね。でも私が行かなかったので」
「あそこまで怒った、と」
所長は「はぁ〜」と困った様に大きく溜め息を吐いた。
「本当にどうしてあそこまで我が
「いえ、私ももう少し接し方を考えるべきでした」
「明日から薫子には休みを取らせます。業務に影響は無いだろうし、あんな調子を繰り返されては、君には勿論、他の皆にも申し訳が無い。妻とも話して、どうにかしてみます」
「申し訳ありません」
「いや、君が謝る事ではありません。迷惑を掛けているのはこちらです。済みませんね」
そして、皆は通常業務に戻って行った。
「はー、それはまた、凄い感情的なんだねぇ、薫子って」
蛍馬が半ば感心した様に言う。
「感心してる場合じゃ無ぇだろ。そこまで逆上しちまったら、何するか判らないぜ」
「そうだね。これは保険を掛けた方が良いかも知れない。薫子は向日葵ちゃんの家知ってるよね」
「はい」
「じゃあ、お父さんと、向日葵ちゃんの病室だね。ねぇ鞠右衛門さん、
「それでしたら、このわたくしめが出来る事でござりまするカピ」
「じゃあ鞠右衛門さん、お願いします。あとひとり……」
「おい蛍馬、お前、薫子が親父さんのところとか向日葵のところに行って、何かやらかすって思ってるか?」
「思ってるよ。だって
「それは良いとして、あとひとりは?」
「ああ、それでしたら、
鞠右衛門がそう言い残して姿を消した。喜太郎の元に戻ったのだろう。
数分後、鞠右衛門が戻って来た。1体のハシビロコウの霊体を伴って。
「「は、ハシビロコウ!?」」
武流と向日葵の驚きの声が重なる。蛍馬は「わぁ、凄い」と
青味掛かった灰色の羽根に身を包むハシビロコウは、澄ます様に首を伸ばし、そこに堂々と立っていた。
「そう、我輩はハシビロコウ。名を、ハシビロコウ先輩と言う。何卒よろしく頼む」
「お、おう?」
「は、はい……」
その迫力とも言える雰囲気を
「よろしくお願いします、ハシビロコウ先輩。僕は柚木蛍馬と言います。そちらが弟の武流、横が依頼者の久木野向日葵ちゃんです。ハシビロコウ先輩、良い名前ですね」
「うむ。喜太郎さまがな、我輩を見て「先輩らしいから」と名付けてくれたのだ。我輩も気に入っておる」
先輩と言うより、その口調は伯爵や公爵、まるで貴族のそれなのでは無いかと武流は思ったが、口にはすまい。
「うむ。大まかな話は、この鞠右衛門から聞いておる。ならこの我輩が役に立てるであろう。喜太郎さまに免じて、何でもしてやろう。感謝するが良い」
「本当に助かります。では……」
蛍馬が計画を話す頃には、武流も向日葵も落ち着きを取り戻していた。
さて夕方になり、蛍馬と武流は仕事へ向かい、鞠右衛門は向日葵の病室、ハシビロコウ先輩は父親に付く。
向日葵は鞠右衛門とハシビロコウ先輩の間を何度か往復し、その夜を過ごした。霊体は眠る必要が無いので、こういう仕事には適任なのである。
朝になり、仕事を終えて家に帰り着いた蛍馬たちは、いつもならシャワーを浴びて眠るのだが、そんな気にはなれなかった。
鞠右衛門もハシビロコウ先輩も、勿論向日葵も戻って来ない。鞠右衛門とハシビロコウ先輩は同じ霊能者の眷属同士、離れていても会話が出来るとの事なので、どちらかに何かがあれば、もう片方が柚木家に来る事になっていた。
仕事を休めれば良かったのだが、流石に急には難しかった。職場に迷惑が掛かる。向日葵と
鞠右衛門たちに任せきりになってしまうのは心苦しくもあるのだが、今回は甘えてしまう事にしたのだった。
シャワーを浴びた後、リビングで早朝ニュースを映し出すテレビを前に、
「眠れないの?」
「こんな状況で寝る気になれるかよ」
「ま、それもそうだよね。僕もそうだし。うん、僕も珈琲飲もうかな。武流もお代わりいる?」
「ああ」
珈琲は珈琲メーカーで煎れていたので、ウォーマーにまだ数杯分が残っていた。蛍馬はそれと自分のマグカップを手にソファに掛ける。
「はい」
「サンキュー」
武流の残り少なくなっているカップに珈琲を注いでやる。武流はまだ熱いままのそれをひとくち、ふたくちと口に含むと、「ん……」と怠そうな声を漏らした。
「何か眠くなって来た……」
「寝なよ。何かあったら起こすからさ」
「いや、そんな訳には」
そう言いながらも、武流は眠そうな眼を擦る。そうして頑張っていたが、数分後にはその身体はソファに沈んでいた。
「良し良し」
蛍馬は言うと、だらりと力の抜けた武流の身体を担ぎ上げた。
その時、兄の篤巳が起きて来た。
「あれ、おはよう。まだ寝てなかったのか? 武流はどうした」
「うん。僕ももう寝るよ。あ、兄さん、そこの珈琲、睡眠薬入ってるから飲まないでね」
蛍馬はそう言って、顎でテーブルに置かれたままのウォーマーを差した。
「ああ、武流を眠らせたのか。ふたりとも無理するなよ」
「うん。お休みなさい」
「おやすみ」
蛍馬は武流を部屋に運び、ベッドに横たわらせた。自分もベッドに入る。
鞠右衛門たちが戻って来て、何か動きがあった時に動けないなんて事になっては話にならない。気にはなるが、少しでも休んでおかなくては。
横になるだけのつもりが、蛍馬も疲れていたのか、いつの間にか眠りに落ちていた。
ハシビロコウ先輩が戻って来たのは、午前9時半頃だった様だ。蛍馬たちが良く眠っていたので、起こさないでいてくれた。それは即ち、向日葵の身体にも父親にも何も無かったと言う事。
「良かった〜」
蛍馬が安堵の息を吐く。
「取り越し苦労だったな。そこまで馬鹿じゃ無かったって事だろ」
「そっか〜、僕の読みも当てにならないのかなぁ。勘は良い方だと思ってたんだけどなぁ」
「こんな勘は外れた方が良いんだよ。鞠右衛門と向日葵は?」
「鞠右衛門は念の為病室をもう少し張るとの事だ。向日葵殿は我輩と入れ替わりで父親の元へと向かった」
「そっか。職場にいるんなら、お父さんは安全だ。薫子は休ませるって所長さんが言ってたらしいし、あんな事した後じゃ、普通の神経なら出社出来ないよね」
「薫子が普通とはあんまり思えねぇけどな」
その時、大慌ての向日葵が部屋に飛び込んで来た。そして開口一番。その台詞には、武流とハシビロコウ先輩は勿論、蛍馬も驚いた。
「か、薫子さんが自殺未遂しました!」
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