#07 そのシーンに立ち会えば

「薫子さん、パパのところに行くみたいな事を言ってました」


 向日葵ひまわりが言うと、武流たけるは車のエンジンを入れる。


「行くってどこだ。家か? 病院か? 場所知ってんのか?」


「病院は事務所の人全員が知っているみたいです。家は……どうでしょう」


 向日葵が首を捻った時、スキップでもしそうな上機嫌の薫子が、車の横を通り過ぎて行った。


「わ、私、後を追ってみます」


「うん。僕たちはそうだな……向日葵ちゃんの家知らないし、病院に向かうよ。駐車場にいるから、また知らせて」


「解りました。行って来ます!」


 向日葵は言って、また天井から出て行った。


「さて、これで一応わたくしはお役御免なのでござりましょうが、向日葵さまの事は勿論、事の結末も気になりまするカピ。喜太郎きたろうさまにお伺いし、ご許可を頂ける様でござりましたら、戻って参りたいと思っておるのですが、よろしいでしょうかカピ」


 鞠右衛門まりえもんの台詞に、蛍馬けいまは「勿論だよ」と頷いた。


「鞠右衛門さんがいてくれたら、心強いしね。ええと、スマホで聞いてみる?」


「いえいえ、その様なお手間は取らせませぬカピ。わたくしは喜太郎さまの眷属けんぞくゆえ、距離が「無い」のでござりまするカピ。では早速行って参りまするカピ。しばしお待ちくださいカピ」


 そう言い残し、鞠右衛門は文字通り後部座席から姿を消した。確かに喜太郎との電話の後、鞠右衛門は間を置かずして現れた。成る程、距離が「無い」とはそういう事か。


 ほんの数分後、同じ場所に鞠右衛門が再登場。仔カピバラであるのに表情豊かな顔は、嬉しそうにその眼が細められていた。


「喜太郎さまのご了承を得られましたカピ。最後までご一緒いたしまするカピ。あらためまして、どうぞよろしくお願いいたしまするカピ」


「こちらこそどうぞよろしく」


「頼むな。よし、じゃあ病院に向かうか」


 武流はサイドブレーキを解除し、アクセルを踏んだ。




 病院の駐車場に車を止めて、向日葵を待つ。その間に小腹が空いたので、蛍馬がコンビニエンスストアで買い込んだお握りなどを適当に摘む。


 病院の売店が1番近い訳だが、もし向日葵の父親と鉢合わせしては、言い訳に困る。病院を辞した筈の時間から、それなりの時が経っているのだ。もう陽も落ちようとしていた。


 蛍馬が鮭握り、武流が唐揚げを頬張っていると、向日葵が戻って来た。


「ただいまです」


「お帰り。どうだった?」


「薫子さん、まずうちに来ました。でもパパはいないので、「じゃあ病院ねぇ〜」って言って、こっちに向かってます。私は先回りして来ました。もう着くと思います」


「家知られてたかぁ」


「はい。吃驚びっくりしました」


 薫子の事だ、帰宅中の父親の跡を付けるぐらいの事は遣りかねない危うさがある。


「じゃあそうだな、忘れ物をしたかも知れないとか言って、間に入るのが良いかな」


「ややこしくならねぇか?」


「なるかもだけど、そうしたら堂々とお父さんに薫子の事聞けるからね」


「何か考えがあるのか?」


「まだ不明瞭ふめいりょうだけどね。何と無く組み立てているものはあるよ」


「じゃあ任せる。下手打つなよ。おい向日葵、悪いが薫子が来たら知らせてくれ」


「解りました。行って来ます!」


 向日葵がまた天井から出て行くと、武流は残りの唐揚げを口に放り込んだ。蛍馬も鮭握りを食べ終える。


「コンビニのお握りって本当に美味しくなったよね。さてと」


 蛍馬はバッグに付けていた、オレンジの花形のチャームを取り外した。


「これを失くしたって事にしよう。武流、適当なところでベッドの下にでも落としてくれる?」


「おう」


 武流がチャームを受け取ったところで、向日葵が戻って来た。


「薫子さんが来ました!」


「よし、行こうか。鞠右衛門さんはどうします?」


「よろしければご一緒させて頂けましたら嬉しゅうござりまするカピ」


「うん。じゃ、追い掛けよう」


 そう言って蛍馬と武流はドアを開け、鞠右衛門はドアをすり抜けた。




「あ、薫子さん、あの人です。白いフレアスカートの」


 まるでスキップでもしそうな軽い足取りで、スカートをふわふわさせながら歩く女性。


 淡いベージュのピンヒールがカツンカツンと、病院には不似合いな音を立てていた。


 蛍馬たちは程々の距離を取りながら後ろを歩く。


 薫子はまず受付に行き、事務員と2言3言会話をする。


「久木野向日葵さんのお父様とお付き合いさせていただいている者なんですけどぉ、娘さんの病室はどちらですかぁ?」


「ええとですね……」


 事務員はパソコンを弄りながら応える。


「ありがとうございまぁす」


 薫子は歌う様に言うと、事務員に聞いた病室へと向かうのか、病棟行きのエレベータに向かう。


「ちょ、パパと薫子さんがお付き合いだなんて、そんな」


 向日葵がショックを受けた様な表情で呟く。


「多分本人の思い込みだよ。お父さん、迷惑していたんでしょう?」


「わ、私にはそう見えました」


「じゃあその通りなんだよ。大丈夫、正直あのお父さんが選ぶ様なタイプの女性とは思えない」


「だな。あの親父さんのタイプじゃ無いだろ」


「だ、だと良いんですけど」


 蛍馬たちは薫子が乗り込んだエレベータを距離を置いて見送り、上昇した事を確認してからボタンを押した。


 病室のある5階に到着し、部屋へと向かう。向日葵の病室は廊下の突き当たり。


 ドアの前に立つと、中から「行かないと言っているだろう」と、父親の怒声とも言える声が漏れて来た。


 どうやら薫子と悶着もんちゃくを起こしている模様。蛍馬と武流は顔を見合わせ、ドアをノックした。


「はい!」


 父親の切羽詰まった様な返事。開けると、そこには出来る限り薫子と距離を取ろうとしている父親と、すがる様に腕を伸ばす薫子の姿があった。


「あ、柚木さん」


 父親は客人の姿に、安堵した様に息を漏らす。蛍馬はぺこりと頭を下げ、笑みを浮かべた。


「すいません、バッグに付けていたチャームを失くしてしまったみたいで。こちらで落としたかもと思ってお訪ねしました。何度もすいません」


「いえ、構いませんよ。私には心当たりはありませんが、良かったら探してみてください」


「はい、ありがとうございます。あの、お取り込み中でしたか?」


「いえ、何でもありません」


 父親が苦笑を浮かべて首を振ると、薫子が「ええ〜?」とねた声を上げる。


「フレンチ行きましょうよぅ。娘さん寝てるだけなんですからぁ、放って置いて良いじゃ無いですかぁ」


「だからさっきから行かないと言っている。向日葵を見舞う気が無いのなら、帰ってくれないか」


「お見舞いする気が無い訳じゃ無いんですよぉ。でもここにいても退屈じゃ無いですかぁ。だから美味しいフレンチを食べてぇ、ワイン飲んでぇ、お話しましょうよぅ」


「そもそも君と食事に行く理由も義理も無い」


「それをこれから作るんですよぅ。もっと私の事を知って貰いたいしぃ、私も久木野さんの事知りたいしぃ」


「私はその必要性を感じない。一体何がしたいんだ、君は」


「そんなのぉ」


 薫子は「ふふ」と笑って、身体をくねらせた。


「女の子の口から言わせるんですかぁ? もう、意地悪なんだからぁ」


 蛍馬も武流も、この茶番劇に飽き飽きすると同時に、父親が気の毒でならなかった。


 薫子が明らかな殺意を持って向日葵を殴り、こうして昏睡こんすいしている間、向日葵が死ぬ事を祈り、父親に粉を掛ける。


 行動は支離滅裂だが、全て自分の為なのだと言う事だけは判る。自分の願いを叶える為には何でも、それこそ犯罪行為も平気で犯す、そういう女性なのだ。


 やはり、父親を手に入れる工程で、向日葵が邪魔だと考えたのだ。それが薫子の言動でありありと解る。


 あまりにも短絡的で、浅慮せんりょな行動である。だが薫子は今までもこうして欲しいものを手に入れて来たのだろう。


 その身勝手さに顔が歪みそうになる。しかし蛍馬たちは堪えた。


 薫子の猛攻に、父親は大きな溜め息を吐いた。


「いい加減にしてくれないか。病院で騒がれては困るし、君と食事に行く気も無いし、ここを離れる気も無い。帰ってくれ」


 心底迷惑している、そう言う口調で父親は言い放つ。すると薫子は「どうしてよぅ」と唇をとがらせた。


 父親はもう何も言わない。薫子の顔を見ようともしない。


 先程蛍馬たちと話していた時の父親は、冷静で穏やかで、とても気の良い紳士だった。だが今、薫子に対する態度は、冷酷そのもの。


 ここまではっきりと突っねられたら、普通なら尻込みのひとつもするだろう。しかし薫子はまるで意に介していない。まるで空気を読んでいない。恐らく故意だ。


「分かりましたぁ」


 薫子は諦めたのか、小さく息を吐いた。


「でも、明日は絶対ですよぅ。夕方の5時、駅前で待ってまぁす。絶対に来てくださいね!」


「行かないよ」


 父親は短く吐き捨てるが、薫子は「じゃあまた明日ぁ〜」と言いながら、病室を出て行った。


 父親は蛍馬たちと眼が合うと、気不味そうに苦笑した。


「どうも、お恥ずかしいところをお見せしてしまって申し訳無い。無くし物は見つかりましたか?」


「あ、ええ。はい。ありました」


 蛍馬は、武流が空きベッドの下に滑り込ませた後に、拾ったチャームを見せた。


「ああ、良かったです」


 そう言って小さな笑みを浮かべる父親には、穏やかな人柄が滲み出ていた。薫子に対するものとは全然違う。


「あの、さっきの女性は? どうかされたんですか?」


「ああ、いえ、本当に何でも無いんです」


「でもとてもお困りの様でした。宜しかったら、お話されませんか? 私たちの様な若造相手ですが、こう見えて実は顔が広いんです。お役に立てる事があるかも知れません」


「ほぼ初対面で信用とか出来ないかも知れませんが、これでも向日葵……さんには信用して貰えてるんで。それに免じて貰えませんか」


 戸惑っていた父親だが、蛍馬たちの言葉で、意を決した様に「では、有り難く」と頷いた。

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