#05 怨念の辿り方

 蛍馬の言葉に父親は戸惑いを見せたまま、それでも口を開く。


「いえ、心当たりはありません。私の気付かない内に、となると把握出来ませんが」


 一般的な答えである。蛍馬は頷いて引き下がった。


「そうですよね。本当に失礼な事を訊いてしまってすいません」


「いえ。向日葵ひまわりで無ければ親の私だと思われても仕方がありません」


「警察はその事は」


「さぁ、どうでしょう。あれから私のところには来ていませんから」


「そうですか……。あの、やっぱりとても気になってしまうので、進展があれば教えていただいて良いですか? またお見舞いにお伺いしても良いですか?」


 すると父親は小さな笑みをこぼして頷いた。


「ええ、勿論。向日葵も喜びます」


「ありがとうございます。では私たちはそろそろ。長居をしてしまってすいませんでした」


「いえ、向日葵の話が出来て嬉しかったです。また来てください」


 蛍馬が立ち上がると、武流は父親に一礼してドアに向かう。蛍馬もその後を追う様に、病室を後にする。


 向日葵は父親と蛍馬たちを見比べて逡巡しゅんじゅんした様だが、蛍馬たちに付いて来た。




 帰りの車の中、武流はハンドルを握りながら蛍馬に訊いた。


「あんま突っ込んだ話しなかったな。あれで良かったのか?」


 武流は病室ではすっかりと聞き役に徹していて、全てを蛍馬に任せていた。話の内容に矛盾が出てしまっては困るからだ。


 何せ向日葵との出会いからして嘘なのだから、迂闊うかつな事は言えなかった。


「うん。お父さんに薫子の事かん付かれちゃったら、危ない事になるかも知れない。お父さんは税理士だし、今日話していて思ったんだけど、とても冷静で頭の良い人だと思う。でもいざ向日葵ちゃんの、娘さんの事になると、親ってどうなるか解らないからね。薫子に詰め寄ったりでもしたら、それこそ危険。だからあれで良いんだよ」


「確かに親ってもんは、子どもの為なら大概の事はやっちまうもんだろうからな」


「あの、私月曜日から薫子さんの行動を見てみます。本当は今日からしたいところなんですけど、お家知らないし」


 往路と同様、後部座席に掛ける向日葵が言うと、蛍馬も武流も頷いた。


「そうだね。凶器とかも見付かるかも知れない。ん? 警察って凶器見付けたのかな。でも向日葵ちゃんを殴った後、そのまま持って行ったんだよね?」


「そうです。しっかり握ったまま行っちゃいました。追い掛けなかったので、どこまで持っていたのかは判りませんが」


「なら手元にあるか、どっかに捨てたか……木の棒だっけ。近くに捨てたんだったら、警察が近辺を徹底的に探してるだろうから、見逃す事は無いだろうし」


「バットとかならともかく、木の棒だろ? その辺で拾ったかホームセンターで買ったとかそんなんだろ。買ったとしても高いもんじゃ無ぇし、持ったままの方がリスク高いんじゃ無ぇか? 燃やしちまってるって可能性だってあるぜ」


「昨今、そんな棒を燃やすなんて目立つ行為だよ。規制で焚き火とかも出来ない事多いしね。庭のあるお家とかならともかく。庭で燃やすにしても、家族や隣近所の眼があるしね。あ、でも薫子、現場までの足は何だったんだろう。凶器持ったまま電車には乗れないよね」


「徒歩って事も無いだろ。家がたまたま近くでしたー、なんて都合の良い事も無ぇだろうし。車か?」


「だとしたら、離れたところで捨てた可能性もあるね。そういうの辿る方法って流石に無いか。僕たち幽霊さんが見えるだけの普通の人間だもんね」


 蛍馬が言って諦め気味に溜め息を吐くと、武流は「いや」と何かに気付いた様に口を開く。


野洲やすさんなら何とか出来るかもな。おい向日葵、薫子はお前を殴った時、凄げぇ顔してたって言ってたな」


「はい。恨むとか、呪うとか? そういうのってああいう事なんだなって思いました。恐かったです」


「なら、その場にまだ怨念が残ってるかも知れねぇ。前に野洲さんから聞いた事があるんだ。事件の現場には、そういったもんが色濃く残って、筋が伸びたりしている事が多いって。それから辿れねぇか?」


「そうなんだ。じゃあ野洲さんに訊いてみるね」


 蛍馬は膝の上に置いてあったブランドもののベージュのバッグからスマートフォンを取り出し、喜太郎に電話をする。説明をし、幾つか会話をし、通話を切った。


「野洲さんは忙しくて動けないから、眷属けんぞくを寄越してくれるって。凄く鼻の利く眷属だって言ってたよ」


 眷属とは霊能者と契約し、仕事をしてくれる霊体の事である。


「鼻が効くって、動物じゃあるまいし、て、うわぁ!」


「きゃあ!」


 武流と向日葵の悲鳴が重なった。


「え、何? どうしたの? あ」


 蛍馬はふたりの声に驚いて、武流を見て次に後部座席を振り返る。そして運転席の後ろ、向日葵の横に行儀良く座っていたものの姿を見て、声を上げた。


 そこにいたのは仔カピバラだった。毛艶は良く、そしてキリッとした表情は凛々しく、しかし可愛らしい仔カピバラ、の霊体。


 急にその場に現れた仔カピバラを、武流はバックミラー越しに、向日葵は直接見たのだった。


「蛍馬さま、武流さま、そして向日葵さま、初めまして。わたくしは喜太郎さまの眷属で、鞠右衛門まりえもんと申しまするカピ。どうぞよろしくお願い申し上げまするカピ」


 開いた口から流暢りゅうちょうに流れる、時代を感じさせるやや古めかしい日本語と語尾の「カピ」に、武流と向日葵はまた驚き、蛍馬は平然と「初めまして」と返した。


「僕が蛍馬です。訳あって女装しているので、こんな格好で失礼します。運転しているのが武流、あなたの横の女の子が向日葵ちゃんです。よろしくお願いします。人の言葉が話せるんですね」


「いえいえ、とんでもござりませぬカピ。とても良くお似合いでござりまするカピ。はい、喜太郎さまに話せる様にしていただきましたカピ。人間さまと会話が出来ると言うのは、とても良いものでござりまするカピね。生前では考えられぬ事でござりましたカピ」


 そう言って感慨かんがい深げに眼を細める鞠右衛門。武流と向日葵もようやく落ち着き、ふぅと息を吐いた。


「確かに動物なら鼻は効くだろうが、これってそういうもんなんか? ん? カピバラって鼻が良いのか?」


「わたくしは動物でございまする故に、そういった感度と申しましょうか、人間さまより高いのでござりまするカピ。その場に怨念が残されておりました場合には、お役に立てるかと思われまするカピ」


「ま、期待してるよ」


 武流が言うと、鞠右衛門は「はい、お任せくださカピ」と胸を張った。




 車は向日葵が殴られた現場へと向かう。そこは向日葵の家の近所だが、近付くにつれ、向日葵の顔が強張こわばる。


「向日葵さま、お顔の色が悪うござりまするカピ。ご無理をなさらない方が宜しいのではありませぬかカピ」


 鞠右衛門の気遣いに、蛍馬が「向日葵ちゃん?」と後部座席を振り返る。


「ああ、本当だ。抜けて良いんだよ。現場に行くのは辛いでしょう」


 蛍馬が労わると、向日葵はぎこちないながらも小さな笑みを浮かべた。


「いえ、行きます。自分の事なんですから」


「でも」


 蛍馬が尚も言おうとすると、武流が車を走らせたまま「蛍馬」とたしなめた。


「向日葵の好きにさせてやれ。それでどうしても駄目だったらその時抜けたら良いんだよ。それに、解決すりゃあ平気にもなるだろ」


「……はい」


 武流の言葉に、向日葵はあらためて決意した様に頷いた。


 さて、車は現場のある通りに入る。駅前、向日葵宅の最寄り駅を通り過ぎ、住宅街に向かうと道は狭まる為、武流は注意深く徐行しながら進む。すると。


「あ、ここです」


「ここでござりまするカピね」


 向日葵と鞠右衛門の声が重なった。ふたりは顔を見合わせると、大きく頷き合う。


「はっきりと怨念が残されておりまするカピ。そうして筋もはっきりと伸びておりまするカピ。これは容易に追えるかと思いまするカピ」


「良し、追うぞ。鞠右衛門、どっちだ」


「駅の方に向かってくださいませカピ」


「て事はUターンだな。ここじゃ無理だから一旦過ぎて戻って来るか」


 そうして武流はそのまま車を走らせた。

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