#04 病院にて
武流の運転する車はスムーズに進む。助手席に掛ける蛍馬は気持ち良さそうに「ふふ〜ん」と息とも鼻歌ともつかない様な声を漏らしている。
女装をしているので、それに合わせて足を広げたりはしない。お行儀良くきちんと揃え、すっと伸ばしている。
後部座席には、向日葵が好きな色だと言うピンクを基調とした可愛らしい花束と、花瓶が入った紙袋。
その右横には
今も気を抜けば、向日葵の身体はこの場に取り残されてしまうだろう。
「おい向日葵、無理に車に乗って無くて良いんだぜ。飛んだ方が楽だろ」
武流が言うと、向日葵は「いいえ」と首を振った。
「一緒に行きたいんです。これからきっと、武流さんと蛍馬さんにはお世話になるんですから、な、何て言ったら良いのかな、いつでもこう、あの、感謝と言うか、ありがとうの気持ちを、えぇと」
向日葵が自分の気持ちに最適な言葉を探していると、助手席で蛍馬が「ふふ」と笑った。
「うん、嬉しいよ。ありがとう。でも気にしなくて良いからね」
「気にしますよぉ。だって、これからのパパと私の人生を左右するんですよ?」
「ああ、確かにそうかも。うん、じゃあ僕たちも気合を入れなきゃね!」
蛍馬はふんと鼻を鳴らし、
確かにこれは、向日葵たちのこれからを大きく左右する問題だ。薫子が逮捕されなければ恐らく向日葵は身体に戻れないのだろうし、そうなると父親の幸せも壊れてしまう。
そう考えると、途端に重く感じでしまう。自分たちに出来るだろうか。しかし考え込んでしまうと事は巧く運ばない。
そしてそんな思いを向日葵に気取られてはいけない。蛍馬は気付かれない様に小さく息を吐き、前を向いた。
すると武流が「あ」と声を上げた。
「おい蛍馬、うっかりしてた。俺らと向日葵の繋がりの設定、あれだったら向日葵が怪我させられて入院してって情報、俺らに入って来なく無ぇか?」
「あ、本当だ!」
迂闊な事に蛍馬もそこで初めて気付いた様で、続けて「う〜ん」と唸る。すると向日葵の声が後ろから控えめに響いた。
「あ、あの、こういうのはどうですか? 実は私、今日部活で練習試合だったんです。バスケ部なんですけど。蛍馬さんと武流さんはそれを見に来てくれて、でもレギュラーな筈の私がその場にもいないから、チームメイトに聞いたら怪我で入院したって聞いて、お見舞いに駆け付けてくれたって言う」
「あ、それ良いね」
「だな」
蛍馬がぱん、と手を鳴らし、武流もハンドルを握ったまま頷く。
「良かったぁ」
向日葵がほっとした様に息を漏らした。
さて、もうすぐ病院に到着である。
向日葵が入院する
5階のナースステーションで受付をして、蛍馬と武流、向日葵は病室へと向かう。
やがて「久木野向日葵様」と書かれたプレートが掲げられた病室に着くと、蛍馬が大きな白いドアをコンコンとノックした。
中から「どうぞ」とぼそぼそとした声の返事が聞こえる。重厚そうな引き戸は、見た目と異なり
白を基調とした清潔なふたり部屋だった。ふたつのベッドの合間は充分に取られていて、せせこましさは感じない。
そして同室の患者はおらず、実質向日葵のひとり部屋となっていた。
パイプ椅子に掛けてこちらを振り向いた男性が向日葵の父親だ。蛍馬たちの後ろにいる向日葵が「パパ……」と沈痛な声で呟いた。その声は勿論父親には聞こえない。
父親はすっかりと
黒々とした髪も普段なら綺麗に整えているのだろうが、ちらほらと乱れが目立つ。
女子高生の父親なのだから40〜50歳台なのだろうが、すっかりと老け込んで見えた。
父親は蛍馬と武流を見て、「あの……?」と戸惑った様な声を漏らし、ふらりと立ち上がった。見た事も無い人間の訪れに困惑している様だ。しかも向日葵の同級生や先輩後輩にも見えないのだから無理も無い。
蛍馬がゆったりと頭を下げ、穏やかに笑みを浮かべて口を開いた。
「向日葵ちゃんのお父さんですか? 私たち、向日葵ちゃんのお友だちで、柚木蛍馬と申します」
アルバイト先の様なねっとりとした口調では無く、高い声を意識しているのでハスキーではあるが、普通の喋り方である。
「柚木武流です」
横で武流もぺこりと頭を下げる。
「あ、あの、失礼ですけど、だ、男性、ですか?」
おずおずと訊いて来る父親に、蛍馬は「はい」と口角を上げた。
「私は俗に言うオネエなんです。最近お化粧に興味が出て来た向日葵ちゃんとお化粧品売り場で知り合って、それからお友だちに。まだ短いお付き合いなんですよ」
「お、お付き合い?」
父親が驚いて眼を
父親と言うものは、やはり「娘の彼氏」と言うものに過敏になるのだろう。
「あ、ああ、お付き合いと言っても、男女のお付き合いだとか、そういうのでは無いですよ」
誤解されそうになってしまい、蛍馬は少し慌てる。
「向日葵ちゃんにとっても私にとっても、互いに良いお友だちです。私の方が歳上なので、ひとりっ子の向日葵ちゃんにとってはお姉さんみたいなものでしょうか」
「ああ、成る程、そうですか」
父親はあからさまに安堵した様な表情を浮かべる。しかし武流を見て。
「あの、あなたは」
明らかな男性だからか、少し警戒する様な眼になってしまう。
「俺は蛍馬の弟です。俺も付き合いとかそんなんは無いんで安心してください。俺は単に荷物持ちだとかそんなんで、蛍馬に便利に使われてるだけですから」
ややぶっきらぼうに、だが不快にはさせない様に穏やかを心掛けた口調で言うと、父親はまたほっと表情を綻ばせた。
「そ、そうですか。あ、ご挨拶が遅れてすいません。向日葵の父です。今日は向日葵のお見舞いに?」
「はい。お怪我もですが、意識不明だと聞いて。如何ですか?」
蛍馬が訊くと、父親は「はい……」と項垂れた。
「変わりません。ずっと眼を覚ましません。病院でも原因が判らないとかで、どうにも出来ないのだそうです」
「そうですか……。あ、これ、遅くなってしまって」
蛍馬は悲しそうに眼を伏せた後、手にしていた花束を軽く
「よろしければ、向日葵ちゃんの枕元に飾っても構いませんか? 花瓶も持って来ましたので」
「ああ、ありがとうございます。そうですね、そうしてやれば、向日葵も嬉しがると思います。私はどうも気が利かないもので」
父親は花束を見て頬を
「良かったです。じゃあ武流、花瓶に
「おう」
花瓶の紙袋は武流が持っている。武流は蛍馬から花束を受け取ると病室を出て行った。
病室に残された蛍馬と父親。父親は立ち尽くしている蛍馬を見て、あ、と慌てて椅子を用意してくれる。同室の患者がいないので、もうひとつのベッド脇に置かれていたパイプ椅子を借りた。
「すいません、本当に気付かずに……どうぞお掛けください」
「こんな時なんですから当たり前ですよ。本当にお気遣い無く。でもありがとうございます。お借りしますね」
蛍馬は言うと、ふわりとパイプ椅子に掛けた。父親は立ったまま、意識の抜けている向日葵の顔を見つめる。まるでそうしたら向日葵が目覚める、そう信じているかの様に。
もうひとつの椅子、これまで自分が座っていたパイプ椅子は、武流に勧めてくれるつもりなのだろう。武流の事だから辞退するだろうが。
武流が花瓶に花束を活けて戻って来た。ベッドの枕元のワゴンに置いてやると、途端にその場が華やかになった。
ピンクとオレンジのガーベラをメインに、柔らかな紫のスイートピーでアクセント。控えめにかすみ草をあしらい、マルバルスカスで緑を添えている。
「ああ、綺麗ですね。本当にありがとうございます」
父親は心が少し
「いいえ、こんな事ぐらいしか出来なくて……あの、ご面倒でしょうけどお水は毎日取り替えてやってください。少しでも長持ちさせる様に、武流、やってくれたんだよね?」
「ああ。流水の中で茎切って、余分な葉も
「勿論です。向日葵はこんな名前なのに、向日葵の黄色では無くかわいいピンク色が好きなんだそうです。この花束はとても向日葵が好きそうです。向日葵の好みをご存知で? ああ、柚木さん、どうぞ椅子を使ってください」
最後は立ったままの武流への台詞だ。だがやはり武流は「いえ、親父さん座ってください」と言った。父親は再度勧めるが武流が首を振ったので、「では」と座ってくれた。
「向日葵ちゃんの好みは勿論。お化粧が縁で知り合ったので、色の好みは教えて貰っているんですよ。お父さんのお話も。オムライスが美味しいって聞きました」
向日葵の話が出来る事が嬉しいのか、父親は小さな笑みを絶やさない。
「ええ、向日葵は確かにオムライスが好きで。今時のお
「優しい子ですね、向日葵ちゃん」
「はい、そうなんです」
父親は嬉しそうに眼を細めた。その向こうでは向日葵の霊体が照れた様にもじもじと身体を動かしていた。
そうして向日葵の話を幾つか交わし、父親の心が
「向日葵ちゃん、殴られたんだと聞きました。それで警察も動いていると。私たちは向日葵ちゃんが誰かに恨まれたりする様な子じゃないと思っています」
すると父親の顔が
「それは勿論、私もそうです。勉強は好きじゃ無いけど部活は楽しいって、毎日楽しそうに学校に通っていました」
「
「私、ですか?」
その質問に、父親は戸惑った様な表情を見せた。
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