#05 ユキ姐さん、最後の心残り

 翌朝、目覚めた武流たけるの気分は最悪だった。完全に宿ふつか酔いである。


「うあ〜……、気持ち悪ぃ……」


 第1声はそれだった。


 到底とうてい起き上がる気にはなれず、ベッドに突っ伏す。頭を触ると、犬耳はしっかりと装着されていた。と言う事は、武流の中には何もいない。


 服もパジャマに着替えていて、化粧ももちろん綺麗に取られている。


「おはよう武流。水飲む?」


「おう……くれ……」


 蛍馬けいまの問いに、武流は呻く様に言う。


 蛍馬がミネラルウォータをペットボトルごと持って来てくれたので、直接口を付けて、一気に喉に流し込む。


「ふあっ! だいぶマシになった!」


「それは良かった」


 先程までの死んだ様な眼に、生気が戻りつつあった。


「しかし何でだぁ? 昨日はワインぐれぇしか飲んで無ぇのに、何でこんなになってんだ」


 柚木の兄弟は酒に強いのである。接待などの付き合いのある篤巳、仕事で飲む事の多い蛍馬、そしてただ単に好きで飲んでいるだけの武流。多少の事では宿酔いはおろか泥酔でいすいもしない。


 昨日飲んだ量は、3人でシャンパン1本とワインを2本程。都合1人ワイン1本の計算になるが、その程度の量は武流も勿論余裕で開けられる。


 だと言うのに。


 顔をしかめる武流に、蛍馬は「ふふ」と笑みを寄越した。


「ユキさんがあまり強く無かったみたいでね。つられちゃったんじゃ無い?」


「あー……そういやんな事言ってたかもな。ああ、でもそうなんだったら大丈夫か。すぐに治るな」


「きっとね。落ち着いたらご飯にしよう。今回は僕が作るよ」


「お、珍しいじゃねーか」


 蛍馬は普段料理をしないだけで、出来ない訳では無いのだ。ただ武流の方が巧いので、そういう家事分担になった。洗濯は蛍馬、掃除はふたりで。この家の家事は全てふたりで行っていた。


「具合悪い武流にそこまでして貰えないよ。代わりに洗濯物たたむの手伝ってね」


「おう」


 言うと蛍馬は立ち上がり、部屋を出て行く。武流はまたペットボトルを傾けた。




 さて昼食もいただき、蛍馬が自室の窓を開けると、待ってましたとばかりにユキが室内に入って来てポーズを取った。


「こんにちはぁ! 絶賛勢いが下がらないユキが来たわよぉ!」


「うん、そんな感じだね。こんにちは」


 蛍馬が笑みを浮かべて言い、武流は呆れた様に溜め息を吐いた。


「で? 昨日はすっかりお楽しみだったじゃ無ぇか。なのにまだやりてー事があるって?」


 すっかりと宿酔いから復活し、ベッドにもたれた武流が怠そうに言う。


 ある程度の意識はユキに渡していたものの、起こった事、ユキがした事の全てを武流は把握している。


 ユキは武流が出る必要も無いまま、控えめに、しかし嬉しそうにはしゃぎ、楽しそうに大笑いして。


 それを武流は許容した。これでユキの心残りが癒されるのなら、と。


 するとユキは武流の正面に来て、深く頭を下げた。


「あ、え?」


 武流は狼狽うろたえる。しかしユキは微動だにしない。


「昨日は本当にありがとう! ワタシ、本当にお陰で夢の様な時間を過ごせました!」


 そう叫ぶ様に言われて、武流は呆気に取られる。


「お、おお? いや、あれ? いや、別に俺に悪影響が無かったら別に」


 武流は慌てて言う。ユキからまさかこんなに誠実な礼があるとは。


「ワタシね、本当に嬉しかったの。実は今までもああいう店は覗いてみた。でも混ざれないじゃない? だから、昨日は本当に嬉しかったの! 本当にありがとう!」


 そう言いながら頭を上げようとしないユキに、武流は呆気に取られ、しかしふっと口角を上げる。


「本当に良いって。うん、ユキがそう思ってくれたらそれで良いさ。だから顔上げてくれ。でないとこっちがしんどい」


 武流がぶっきらぼうに言うと、ユキは恐る恐ると言った様子で顔を上げた。だが武流の顔を見て、安堵あんどした様に小さく息を吐いた。


「よ、良かったーぁ。そう言ってもらえて本当に嬉しい……!」


 ユキが感極まった様子で、両手で口を押さえた。眸がかすかに潤んでいる。


「これで心残りは無いわぁ! これで安心して上がれる!」


「え、もしかしてユキの心残りって、オレへの礼だったのかよ! マジか!」


 武流が驚いて声を荒げると、ユキは大袈裟に首を縦に振る。


「当たり前じゃ無ぁい。だって、ワタシの為に身体を張ってくれたのは武流クンだものぉ。本当にありがとうね! ワタシ、祈るわ。これからアナタに過剰な程の幸があらんことを!」


 ユキは言うと、徐々に消えて行った。蛍馬は見送りながら手を振る。そしてやがて、ユキの姿は完全に消えた。


 その空間を見詰めながら、蛍馬と武流は息を吐いた。


「今回はこれで終わりか?」


「終わりだね。武流、頑張ってくれてありがとう。今夜はそうだな、武流が好きなお肉を焼こうか。ホットプレートで焼き肉とかする? それか焼肉屋さんとか行く?」


「いや、ホットプレートは後の片付けが面倒だから、フライパンでステーキ焼く。焼肉は贅沢だ」


 武流が言うと、蛍馬は「ははっ」と楽しそうに笑う。


「確かにそうかも。うん、今日は武流の好きなもので固めようか!」


「作るの俺だろーが」


 蛍馬の台詞に、武流は苦笑した。

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