#04 贅沢な一夜に乾杯

 少しずつ人通りが増えて来た通りを歩き、篤巳あつみ蛍馬けいま武流たける、ユキを案内して到着したのは、高級中華料理店だった。


 赤を貴重にした門構え。派手であるのに下品さを感じさせないバランス。


「兄さん、ここは流石さすが贅沢ぜいたく過ぎない?」


 蛍馬がごくりと喉を鳴らす。代金は夕飯とオネエバー合わせて、蛍馬と武流で割り勘にしようと言う事で話が着いている。大体の予算も頭にある。恐らくこの店だけで軽くオーバーだ。


「大丈夫だよ、僕が出すんだから。今夜は僕の事はスポンサーだと思ってよ。ふたりの女装が見られたんだから、それぐらいしなきゃバチが当たるってもんだよ」


 篤巳にとって蛍馬と武流の女装とは、どれ程の価値があるのだろうか。想像すると少し怖い。武流は軽く青ざめた。


「ご馳走ちそうしてくれるのは有難いけど、なら尚更こんな高級店、悪いよ」


「そうだな」


 蛍馬も武流もアルバイトをしているので、小遣いに不自由は無いが、生活に関しては、全額では無いが篤巳のすねかじっている身だ。


 ふたりとも必要以上に篤巳にたかる気は無い。


「蛍馬も武流も奥ゆかしいなぁ。僕がしたいって言ってるんだからさ。それに武流に関しては犬耳付きの女装だよ? 凄く無い?」


 篤巳の声が僅かな興奮を帯びる。


「あ、そう言えばそうだったね。武流、良かったの?」


「何かもうどうでも良い」


 今まで忘れてたと言う様子で蛍馬が訊くと、武流は何かを悟った様な無表情で応えた。眼がすっかりと死んでいる。


「ここなら個室もあるし、味は勿論美味しいから、ユキさんにも満足して貰えるんじゃ無いかな。さ、入ろう入ろう」


 篤巳はそう言うと、さっさと店内に入ってしまった。


「あ、兄貴」


 武流が止めようとするが、篤巳の姿は自動ドアの向こうに消えてしまった。蛍馬と武流は顔を見合わせ、頷き合うと後を追った。




 高級中華料理は大変に美味しかった。


 篤巳が「北京ダック頼もうか! 鱶鰭ふかひれとかつばめの巣とかどう? あわびもあるよ?」と言い出した時は蛍馬と武流ふたり掛かりで止めたが、水餃子も麻婆豆腐も、海老のオーロラソースも青菜炒めも、鶏のカシューナッツ炒めも翡翠ひすい炒飯チャーハンも、どれも美味だった。


「本当に美味しかったわぁ〜。武流クンありがとう!」


「おう」


 個室に入りテーブルに着いてから、武流は犬耳を外し、ユキを憑依ひょういさせていた。料理を味わって欲しいと言う思いがあったからだ。


 意識のほとんどは武流だった。なのでユキの「美味し〜い」と言ううっとりした言葉が時折脳内に響いた。


「篤巳クンご馳走さま〜。ありがとう!」


「いえいえ、どういたしまして」


 武流に憑依したままなので、篤巳とも話が出来るのである。


「でも本当にどれも美味しかった。兄さんありがとう」


「ありがとうな」


 蛍馬と武流の礼に、篤巳も満足そうだ。


「久しぶりに吸えた煙草たばこも美味しかったわぁ〜」


 ユキが武流に憑依する前の食前、そして食後に武流の身体を出て、1本ずつ吸った煙草。


 それは大変に懐かしい味で、当時の辛かった事も思い出してしまった様で、目尻を潤ませながら紫煙しえんくゆらせていた。


 ちなみに煙草の火はユキ本人が点けた。思念でどうにでもなるらしい。蛍馬たちには良く判らない霊的システムである。


「この後オネエバーに行くんだろ? どの店にするか決めてるの?」


「うん、観光バーにしようと思って。ユキさんはともかく僕はノーマルだし、本格的なお店に言って失礼があったら駄目だしね。ユキさんには物足りないかも知れないけど」


「ワタシは全然構わないわよぉ〜。そういうお店で飲めるだけでも夢の様だもの〜」


「僕もそれが良いと思う。じゃ、行こうか。僕が接待に使うお店があるけど、そこなら安心だよ」


「じゃあそうしようかな。僕もそう言ったお店初めてなんだよね」


 少し楽しみかも知れない。蛍馬は篤巳たちと並んで店に向かった。




 ※以降、ユキの行動は全て女装した武流の姿で行われます。これは武流の意思ではありません。ありませんよ。




 蛍馬とユキが憑依した武流は、篤巳の案内で1軒の観光オネエバーに入る。


「あらぁっ! 可愛い子! え? 柚木社長の弟さんたち? まぁ〜! どうぞどうぞ〜」


 化粧の濃い女装のオネエが笑顔で手招きしてくれる。店内は程良く混んでいて、奥に空いていたテーブルに案内された。


 ユキは眸を輝かせて店内を見渡している。着替えの時に女装バーの内装を見たが、経営形態が違うし、勿論内装も違う。こちらの方が華やかだ。照明は薄暗いのだが。


「弟さんたちは初めてなのね。ワタシ、店長のアイビーでっす。アイビーの花言葉は「永遠の愛」「友情」「不滅」「結婚」「誠実」よっ! よろしくね〜」


 にこやかに言いながら、アイビー姐さんが温かなおしぼりを手渡ししてくれる。それを受け取りながら、蛍馬はにっこりと笑みを浮かべ、ユキはただただ顔を輝かせている。


「嬉しいわぁ〜。ワタシ、こういうお店初めてで〜。ずっと来てみたかったんだけど〜。だから、今回この子たちに」


 言いながら、両手で蛍馬と篤巳の背中を軽く叩く。


「お願いして連れて来てもらっちゃった〜。よろしくね〜」


「あらぁ、そうなのぉ〜。ご利用嬉しいわぁ〜! さてと、双子の可愛い子ちゃんたち、ご注文は何が良いかしらぁ? 社長、ボトルどうします〜?」


「あれは会社のボトルだから置いておいて。今日は僕のポケットマネーだからね! どうしようか、お祝いにシャンパンとか開けようか。ヴ◯ヴ・クリコある? イエローで行こうか。アイビー姐さんもどうぞ」


「まぁっ! シャンパンとか憧れるわぁ〜!」


 ユキが破顔するが、蛍馬は篤巳の服を引っ張り、こそっと耳打ちする。


「ちょっと兄さん、あんまり贅沢は」


 そう少したしなめる様に言うと、篤巳はにっこりと微笑んで声を落とした。


「さっき北京ダックも鱶鰭も燕の巣も鮑も止められちゃったからね。大丈夫、そんな馬鹿高いシャンパンじゃ無いんだよ。ここ、そもそもリーズナブルなお店だしね。ユキさんに喜んで貰えるなら良いじゃない」


「……兄さんがそう言ってくれるなら」


 やはり申し訳無いとは思うが、あまり頑なに固辞するのも篤巳の厚意に悪い。蛍馬たちと篤巳はれっきとした兄弟であるが、社長業とアルバイト、やはり少しばかり金銭感覚が違うのだろうか。


 黒服が横長のとうかごに入れられたシャンパンとグラスを持って来た。


「こちらになります」


 オーダした篤巳にラベルが良く見える様に見せ、篤巳が頷くと、黒服は手慣れた手付きで栓を開ける。ポンっと景気の良い音がした。


 それがアイビー姐さんに手渡される。


 グラスに静かに傾けると、しゅわしゅわと細かな泡を立てて、淡い黄金色のシャンパンが注がれる。


「はぁい、お・待・た・せ!」


 全員の前にサーブされ、揃ってグラスを手にした。上品に足の部分を摘まむ様に。


「じゃ、乾杯!」


 篤巳の音頭でグラスを掲げる。シャンパングラスは繊細なので、ジョッキなどの様にグラスを重ね合せる事はしない。


 蛍馬はそっと口を付け、静かに喉に流し込む。良く冷えていて、キリッとして爽やかなやや辛口、だがなめらかでするりと喉を通って行く。


「美味し〜い!」


 ユキの歓声。確かに美味しい。蛍馬もほう、と息を吐いた。


「つまみはチーズの盛り合わせで行こうか」


 篤巳の追加オーダに、アイビー姐さんが黒服を呼ぶ。


「嬉しいわぁ〜。美味しいお食事をいただけて、こんな素敵なお店で、こんなに美味しいお酒まで。もう思い残す事は無いわぁ〜」


 ユキが嬉しそうに言うと、蛍馬は篤巳を巻き込んだ事は良かったのでは無いかと思い始める。


 蛍馬と武流だけでは、ここまでの持て成しは出来なかった。高級中華料理は勿論、このシャンパンも。


 それでも多分、ユキは喜んでくれただろう。だが……


「あらぁ、ユキちゃんってばお肌すべすべ〜。羨ましいわぁ〜」


「だろ? 僕の弟たちは本当に可愛いからね!」


「あらぁ嬉しいわぁ〜。アイビー姐さんもとってもお綺麗よぉ〜」


「あら嬉しい! 化粧水とか使ってるのかしらぁ〜?」


 ユキたちが満面の笑みで楽しげにそんな会話を繰り広げているのを見ていると、素直に良かったなと思う。


 蛍馬もここは割り切って、一緒に楽しむ事にしよう。そしてユキにもっと喜んで貰おう。ここはアルバイトで培った話術の出番だろうか。


 蛍馬は景気付けの為に、グラスに半分程入っていたシャンパンをぐいと飲み干した。

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