#02 女装っ子たち

「はぁ〜い!」


 翌日の昼過ぎ、またユキが元気に姿を表した。


「ユキさんこんにちは、いらっしゃい」


 蛍馬けいまが愛想良く返事をする。武流たけるは睡眠不足気味でやや寝ぼけまなこである。


「今日こそは私の願いを聞いてもらうわよ!」


 ユキが言い、蛍馬に詰め寄る。


「僕たちが出来る事に限りますが」


 蛍馬はにこにこと笑ったまま動じない。


「ワタシね、死んでから50年この格好で好きにやって来たけど、やっぱり現実の姿でお洒落したいの。どうにかならないかしらぁ〜」


「現実の姿……」


 蛍馬の視線が武流に移る。武流はソファにもたれて大きな欠伸あくびを上げている。そんなやる気無さげな武流を見てかどうかは定かでは無いが、蛍馬がにっこりと笑みを浮かべた。


「出来ますよ」


 武流はそんな蛍馬に眉をひそめる。


「おい蛍馬、あんま安請け合いしてんじゃねーぞ」


「安請け合いじゃ無いよ。武流がいるから出来るでしょ?」


「は?」


 あっけらかんと言う蛍馬に、武流は嫌な予感を覚え、顔をしかめた。


「武流が女装して、ユキさんが憑依すればいいじゃん。ね」


「ね、じゃねぇーーー!」


 武流が怒号を上げる。ユキはびくりと肩を震わしたが、恐怖と言うよりは、その表情からは吃驚びっくりしたという様子。蛍馬は全く動じず、笑顔を絶やさない。


「大丈夫。完全にユキさんに意識明け渡しちゃえば、羞恥心しゅうちしんも無いよ」


「何されるか判んねーから、絶対に嫌だ」


 武流は憮然ぶぜんと顔を逸らす。


「じゃあいつも通りでいいじゃん。大丈夫、武流、僕と同じ顔なんだから、女装似合うって〜」


「そういう問題じゃねぇ、て、おい! 蛍馬!」


 言う間に、蛍馬が武流に襲い掛かっていた。容姿は似通っていても、力仕事の武流の方が喧嘩は優勢。しかし蛍馬は脇や脇腹など、武流の弱点を的確に狙って行く。


「ちょ、やめ、けいま、やめ、わは、わはははは!」


 耐え切れず笑い声が引き出されてしまえば、武流の負けである。さんざっぱらこそばされ、笑わされ、息も絶え絶えに降参するしか無かった。


「わ、わかった、わかったから! みみはとるな!」


 呂律ろれつの回らない口調で叫ぶとようやく解放され、武流は息を荒くしながら訴える。


「そ、その代わり、意識は完全には手放さねぇ。化粧も、いわゆるドラァグクイーンみたいなのは勘弁してくれ。服もウイッグも化粧も出来る限り地味なやつ。で無ければ家出してでも拒否する」


「家出してどこ行く気なの」


 蛍馬が呆れた様子で聞くと、武流は口ごももりながらぼそぼそと言う。


「ゆ、夢助ゆめすけさん家」


 劇団を経営している佐倉さくら夢助は独身のひとり暮らしである。


「あはは、すぐ見付けられるじゃん」


 蛍馬は可笑しそうに笑い声を上げた。


「で、ユキさんはその格好で何かしたい事とかあったりするんですか?」


 訊いてみると、ユキは考え込む様に首を傾げる。


「う〜ん、ただ街を歩いてみたいな、とも思うし、ほら、今ってオネエの街もあったりするじゃ無ぁい? そういうところに行ってみたいかなぁって思ったりもするしぃ」


「どっちもすぐに叶えられますよ。武流も今夜バイト休みだよね?」


「そうだけどよ」


「じゃあさっそく準備しましょー!」


 蛍馬が明るく言うと、ユキはそれに乗って「おー!」と声を上げ、武流はぐったりと項垂うなだれた。




 さて、女装と言っても、家にその用意は無い。なので蛍馬のアルバイト先を頼る事になる。


 まだ営業開始時間までかなり間があるので、店には誰もいないだろう。蛍馬はオーナーの携帯電話にコールする。毎日昼まで寝ているとの事だが、もう14時も回っているので、起きていると思うのだが。


 出てくれたオーナーの声は、普段蛍馬が聞いているトーンのものだった。蛍馬は安堵あんどする。


「ケイです。時間外にすいません」


「おう、どうした?」


 オーナーは身も心もれっきとした男性である。営業中は黒服を着て、キャストの采配さいはいなどを行う。


「実は訳あって、弟を女装させたいんです。でもうちには道具が無くて。これからお店で僕が着ている服とかお借りして良いですか? クリーニング代は勿論こちらで出しますから」


「構わないぜ。クリーニング代も気にすんな」


 オーナーはあっさりと了承して、しかも男気ある事を言ってくれる。本当に有難い。しかし。


「いえいえ、それは絶対に出させてください。本当にありがとうございます」


 蛍馬は電話の向こうのオーナーに向かって頭を下げた。見えてやしないのに、日本人独特の癖らしい。


「オーナーがオッケーくれたよ。じゃあ早速行こうか!」


 電話を切り、蛍馬が早速立ち上がる。ユキは嬉しそうに飛び回り、武流は「マジか……」と、もう今日何度目かも判らないこうべを垂れた。




 女装バーの鍵は持っている。ある程度の年月を勤めると預けて貰えるのだ。蛍馬は古株と言う程では無いものの、その年月は真面目に働いた。勿論今も。


 誰もいない静まり返った店内に入って電気を点けると、真っ直ぐキャスト用のバックヤードに向かう。武流は初めて来たので、つい物珍しげに店内を見渡して、蛍馬に少し遅れてしまう。


 女装バーと言うからどんな内装かと思っていたら、何と言う事は無い、シンプルな普通のバーと変わらなかった。ただ接客があるからか、ボックス席が多いか。


 バックヤードに入ると、奥には壁一面のドレッサー。沢山のメイクボックスと、ウイッグが乗せられたスタンドが並べられている。


 服は別の壁際に、まとめてラックに掛けられている。蛍馬は早速そこに手を入れた。


「僕が借りている服だからロリータになっちゃうけど、良いよね?」


 聞かれている様で、武流に拒否権は無い。応えない武流に構わず、蛍馬は幾つかの服を出してはしまってはをして行く。


「あ、ユキさんの好みもあるよね。どんなのが良いかな。ユキさん?」


 返事が無いので手を止めてバックヤードを見渡してみると、ユキの姿は無かった。


「あれ? ユキさんいない? 武流、見える?」


「蛍馬に見えないのに、俺には余計に見えないだろ」


「それもそうか」


「しょうが無ぇなぁ」


 武流は小さく息を吐くと、フロアに出る。


「おい、ユキ」


 呼ぶと、武流からは半透明に見えるユキは、興奮した様子でフロアを飛び回っていた。


「あらっ、ごめんなさ〜い。女装バーなんて初めてだったから嬉しくて〜」


「あちこち行ってたんだろ? 女装バーは行かなかったのか?」


「女装バーって、ワタシは詳しく無いんだけど、女装したい男性が行くお店なんでしょ? ワタシはこの通り既に女性の格好だし、性的嗜好しこうが違うかしらぁと思って、行かなかったわぁ〜」


「ああ」


 ユキは心が女性なのである。このバーで女装をするお客さまは、全員が全員そうでは無いのだ。


「それより、服選びとか手伝えよ」


「あ、そうね! 楽しみだわ〜」


 ユキは嬉しそうに言うと、バックヤードに入って行く。武流も続いた。




 淡いブラウンのロングウェービーヘアのウイッグ、それを飾るのは黒いレースのヘッドドレス。


 華やかなフリルのハイネックに、肩に作られたギャザーから、手首もフリルで彩られた袖、胸元から腰に掛けて大振りなフリルで飾られたブラウスはホワイト。


 ハイウエストのスカートはペチコート付き。膝下丈で、すそまでふわりと大きく広がる。色はブラック。


 足はベージュのストッキング。その為にムダ毛を剃った。


 ベースメイクは薄めではあるものの、眼元と口元は相応にいじる。いつも蛍馬が女装バーでしている程度に。ほぼ同じ顔なのだから、それで問題無い筈だ。


「ユキさん、ベーシックなメイクだけど、許してくださいね」


「全然構わないわぁ〜。とても可愛くなってるじゃな〜い」


 蛍馬におとなしくメイクをされる武流を見て、ユキは嬉しそうに空中を舞う。武流はじっとしているものの、羞恥しゅうちに時折口角が引きりそうになる。


「ほら武流、顔動かさない!」


 ほぼ自然現象みたいなものなのだが、武流はどうにか顔の筋肉をおとなしくさせようと頑張った。


 やがて出来上がった姿を姿見で見た武流はうんざりと肩を落とすが、蛍馬とユキは歓喜した。


「やった! 可愛く出来た!」


「嬉しい〜! ワタシこの姿で外を歩けるのねぇ〜!」


 そんなふたりの姿を見て、武流は大きく溜め息を吐いた。仕上げとして、犬耳を外すだけである。


「もう観念した。けど、無茶だけはすんなよ。俺意識は完全には渡さねぇからな。いざとなれば全力て止めるからな」


「解ってるわよ〜う」


 ユキがにこやかに言うと、武流は下を向いて、呟く様に言った。


「……勿論、ユキの願いを叶えてやりてぇとは思ってるよ。けど、一応俺にだって尊厳つーかプライドみたいなもんもあってさ」


「解ってるわよ」


 ユキが穏やかな笑みを浮かべた。


「絶対に武流クンに迷惑は掛けない様にするから。約束するわ。本当に感謝しているの。ありがとうね」


「……なら、良い」


 不貞腐ふてくされた様に言う武流。


「じゃあ、武流、ユキさん、行こうか。まずはお散歩かな?」


 自分もすっかりと準備を終えた蛍馬が明るく言う。


 ブラウンのボブカットのウイッグ、ブラックのカチューシャ、全身ブラックのふんわりとしたバルーンワンピース。


 足はムダ毛を剃ったつるりとした肌に、黒の細かい目の網タイツ。


 武流を変に目立てさせない様にする為に、服のカラーを合わせた。


 最後に蛍馬が出した2足の靴は、両方ともブラックのチャンキーヒール。


「うわ、ヒール高ぇ」


 武流が顔を引きらせて言うが、その横で蛍馬が慣れた調子で足を通す。


「5センチって実はそんなに高く無いんだよ。それにチャンキーヒールだからそんな疲れないと思う。頑張って、武流!」


 蛍馬は笑顔で言うが、これまでヒールのある靴を履いた事が無い武流は恐々と足を入れる。


 違和感を感じながら履いて立ち上がってみると、確かにヒールが太いのでそれなりに安定はしている。


 しかし重心がつま先に掛かってしまい、前につんのめりそうになる。


「大丈夫? 背筋伸ばして歩いてね。ヒール履くとね、不思議と良い姿勢になるよ」


「そんなもんか?」


 武流は言われた通りに背筋を伸ばしてみる。すると確かにぐっと歩きやすくなった気がする。


 ふと蛍馬を見ると、武流より高いヒールを履いていた。眼線が少しだけ上だ。


「蛍馬の靴凄ぇな」


「7センチね。僕いつもお店ではこの高さ。慣れたら何てこと無いよ。と言っても、僕もチャンキーヒールばっかりで、ピンヒールは履けそうに無いけどね」


 連なってフロアを通り抜け、蛍馬がバーのドアを開ける。


「武流、覚悟は決まった?」


「だ、誰もいねーだろーな」


 に及んで、まだ武流は尻込みしてしまう。


「大丈夫だよ。この界隈かいわい、この時間は開いてる店ほとんど無いから人通り少ないもん。さ、行くよ。ユキさんも良いよね?」


「ええ、もちろんよ! 楽しみだわ〜!」


 そこで武流が観念して、犬耳を外した。途端にユキが憑依する。


 ただ、武流はまだ意識を保ったまま。


 犬耳をブラックのショルダーバッグに入れ、踏ん切りを付ける様に息を吐いて拳を握った。


「ユキ、これから意識の半分ぐらいをお前に渡す。俺は基本出ない。本当に頼むぞ」


「ええ、勿論よ。信じて!」


 ユキの力強い声。今はそれを信じるしか無い。武流は意識を明け渡した。


「……うふ、本当に可愛いわね〜」


 ドア近くにある姿見で武流の女装を見て、ユキは嬉しそうに笑う。


「じゃ、行こうか、ユキさん」


「ええ!」


 蛍馬に手を引かれ、武流に憑依したユキは、1歩を踏み出した。

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