第3章 ユキ姐さんのプチプチ漫遊記
#01 華やかなる珍客
「は〜あ〜〜い」
その日の夕方、明るい声とともに
「ここに、幽霊の話を聞いてくれて、願いを叶えてくれる人がいるって聞いてきたんだけど〜」
女性の言葉に蛍馬はにっこりと笑って応える。
「願いは内容次第なんですけど、お話は聞きますよ。お姉さん、良ければ是非話して行ってください」
「あらっ」
蛍馬の台詞に、女性は嬉しそうに眼を輝かせ、頬にしなやかに手を添えた。
「お姉さんだなんて嬉しいわ〜。ワタシ、死んでから女になったの〜。なったのと言うよりは、なれた、のかしら?」
何と。この女性、実はオネエか。身体は男性、中身は女性。だから声がハスキーなのか。
昨今はテレビに出ているタレントでもそういう人はいるので、今更驚きはしない。
そもそも蛍馬が女装バーなんてところに勤めているのだから。キャストの中には本物のオネエも多くいるのだ。
「それは、ご生存中は大変でしたね。亡くなられてから、やっと本来のご自分になられたとか?」
蛍馬のこれは、丁寧に思えてかなり
「そうなの〜。ねぇ聞いて聞いて! ワタシのお家、父親が時代錯誤で本当に厳しくて〜。あ、忘れていたわね。ワタシの事はユキとでも呼んでちょうだい」
ユキはあっけらかんと言うと、また口を開いた。
「だから生きていた時は本当にしんどかったの〜。死んでから50年、すっかりオネエ生活を
「ご、そうなんですか。それは何よりです」
50年!? と驚きの反応をしそうになってしまったところを蛍馬は飲み込む。
父親が試行錯誤だと言っていたが、それは単純にそういう時代だったのでは無いだろうか。口にはしないが。
だが、その時代に自覚してしまったのなら、確かに辛かっただろう。今でもカミングアウトはかなりの勇気がいると思う。理解が得られるとも限らない。
それが50年も前なのだ。今よりも人の考え方も硬かっただろうし、男というものは、女というものは、という時代でもあった。
なので、身体と中身の性が違う、性対象が同姓となると、それこそ人間扱いすらされたかどうか。時代に関わらず、確実に一定数は存在しただろうに。
「ところで、聞いて良いかしら〜」
ユキが言いながら、視線を武流に向ける。
「犬耳可愛いわねぇ〜。いつも付けてるの〜?」
その瞬間武流の顔が引き
これまでもこうして聞いて来た幽霊はいた。だがそれらは生前から無神経だったと思われる人間性の幽霊だった。ユキがそういう性質には思えなかったので、驚いた。
しかし、それと蛍馬の笑いどころは別である。
「ちょ、だよね、ぶふっ、気になるよね、やっぱりね、あはははは!」
「蛍馬! 笑うな!」
武流の怒鳴り声が響く。
「え、あら? もしかしたら触れちゃダメだった? だって堂々と付けてるから、趣味なのかと思って」
ユキがおろおろと慌ててしまう。両手を震わせて蛍馬と武流を交互に見遣った。
「だ、大丈夫ですよユキさん。武流の犬耳は、純然たる趣味です!」
「適当言うなー!」
また武流が叫んだ。
武流は息を荒くしながら、最後に大きな溜め息をひとつ。
「これはな」
言うと、雑に犬耳を外す。すると。
「あ、あら? あら?」
ものの見事に、ユキの霊体が流れる様に武流に吸い寄せられた。
「あらー!」
ユキの嬉しそうな声が響いた。
「やだ!
しかしそれもほんの数秒の事。武流はすぐに犬耳を戻した。するとユキの霊体はあっと言う間に武流から弾き出される。
「ああん」
「変な声出すんじゃねーよ」
しなを作るユキに、武流は言い捨てる。
「この犬耳は、好きで着けてんじゃねーよ。俺は霊媒体質だから、放っとくとガンガン霊が入ってきちまうんだよ。これ着けてっと、入ってこれねーんだ」
「そうなんだ〜。それは大変ね〜」
口調は軽いが、ユキは本当に心配してくれている様で、じんわりと
蛍馬が時計を見て、あ、と声を上げる。
「ごめんユキさん。僕たち、これから仕事なんだ。もし良かったら、また明日、お昼とかに来てもらっても良いかな」
「あら、そうなの〜? じゃあ明日また来るわね〜。お仕事頑張ってね〜」
ユキは素直に部屋を出て行った。
「じゃ、まずは晩ご飯。武流、よろしくね〜」
「おう」
蛍馬は
武流の職場は、夜逃げ専門の引越し業者である。
なかなかデリケートな内容が多く、この世には沢山の人の様々な人生があるのだと、考えさせられる。
今日の依頼内容は、夫からのDVを受けている妻からのものだった。その夜、夫は一泊の出張でおらず、行くならその日だと妻から切羽詰まった声で電話があったとの事。
DV許すまじ! と従業員は燃え上がったとかいないとか。そういった状況は何度も見ているのに、慣れるものでは無い。ともあれお仕事である。
武流を始め従業員は皆ネイビーの長袖シャツに同じ色の手袋、ボトムにスニーカー。靴下も勿論ネイビー。
ネイビーのキャップに黒のマスクまでする重装備で、またネイビーの小型トラックと同色のセダンを転がして、依頼者の自宅へ向かう。
今回運び出す荷物は、依頼者の女性、
とは言え、今朝まで夫は家におり、段ボール箱を用意する余裕も無かった筈である。荷造りからする事になるかと思われる。
到着し、キャップとマスクを外しつつ家に上がらせてもらうと、夫人は既に持ち出す物を
寝室のベッドの上には、シングルの寝具に、衣類やバッグ、小物など。
そしてダイニングのテーブルには食器類、リビングのテーブルには本やCD、DVDソフトやブルーレイソフト、ノートパソコンなどが置かれていた。
「あ、あの、来ていただくのが待ち遠しくて、持ち出したいものを
夫人が
「大丈夫です!
「おいっす!」
武流たちは元気良く返事をすると、早速段ボールを組み立てる。そして手際良く荷を詰めて行く。
そして数十分後には、全てがトラックに積み終わった。
「では、行きます。本当に良いんですね?」
夜だし、出来る限り周囲に知られたく無いので、小声で夫人に尋ねる。すると夫人は躊躇い無く頷いた。
「はい。よろしくお願いします」
その強い言葉を聞いて、武流たちはまた素早く動き始める。
「では、こちらの車に乗ってください」
夫人をセダンの後部座席に案内する。
運転席には熟練者。運転技術は勿論だが、依頼人が静かにしていたいならそれに、喋りたいならそれに、それぞれ合わせる事が出来る、空気の読める話し上手の社員である。
武流は無愛想なので、トラックの助手席に放り込まれる。
そしてトラックとセダンは連なって出発し、渋滞なども無く順調に2時間程掛けて走って、辿り着いた先は1軒のアパートだった。
昼であっても
夫は暴力こそあったが、鈴山夫人のパソコンや携帯電話のチェックなどはしていなかった様だ。
夫婦の家から、主の実家は勿論、鈴山夫人の実家へも違う方向。それはそれで探されそうではあるが、夫には仕事もあるし、とりあえず昼間の日常生活で
武流たちはトラックやセダンからそっと降りる。鈴山夫人にも濃い色の服を着て貰う様にお願いしていていたので、目立たない筈だ。
ちなみに鈴山夫人のファッションは、カーキのトップスにネイビーのジーンズだった。
鈴山夫人が契約した部屋は2階にあった。他の部屋の住民の迷惑にならない様に、出来る限り静かに階段を上下する。大きな家具などが無い事が幸いした。黙々とダンボールや寝具を運ぶ。
全てを中に運び入れ、そこで武流たちの仕事は終了である。
「申し訳ありませんが、こちらではアフターケアまでは出来ません」
武流たちのリーダーが言い頭を下げる。
「はい、解っています。ここまでしていただけたら充分です。まずは家を出る事が意思表示です。後は自分でどうにかします」
鈴山夫人はこんな状況なのに、笑みすら浮かべた。
そうして武流たちは部屋を辞する。またトラックとセダンにそれぞれ乗り込み、アパートを後にする。
これまでも、色々な人たちの夜逃げをサポートした。それが全て成功したかどうかは、武流たちが関与する所では無い。
しかし武流はこの夫人がやや気になっていた。女性として意識したとかでは無い。ただ、DVと言う理不尽に
過去にも同じ理由で夜逃げを依頼して来た女性が大勢いたが、皆表情が疲れ切っていた。実際の年齢よりも老け込んでしまっていたり。鈴山夫人はそのイメージとはどうにも合わない。
しかし、詮索は出来ない。深入りしようとも思わない。鈴山夫人が大丈夫だと言うのだから、それで良いのだ。
事務所に戻る頃には、始発電車も動き出している。武流は疲れた身体を抱え、朝帰りの人たちに混じり、電車で帰途に着く。
家に辿り着くと、同じく夜の仕事の蛍馬は既に帰っていて、床に就いていた。
武流は大きく息をひとつ吐くと、風呂に入るべく準備を始めた。
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