#04 僕の喜びはたったひとつ

 未だ決心の付かない様子の足照たりてるに案内して貰い、電車を1回乗り換えて、駅からそこそこ歩き、到着した家は立派なものだった。


 蛍馬けいまたちの身長よりも高い白い壁に覆われてはいるが、日本家屋の2階建、見える2階部分の大きさだけで、家の規模が想像出来る。


 門柱に掲げられた表札も、グレイの大理石で造られていた。


 足照の話によると、代名本よなもと家は旧家だ。長らくこの地に居を構えて来たのだろう。


 表から見る限りでは、庭の有無はうかがえないが、家の裏にボール遊びなどが余裕で出来る広さの庭があってもおかしく無い。


「でっけー家だな」


「そうだね。足照くんやっぱりお坊っちゃまだったんだね〜」


「そそ、そんな事は。あ、あの、跡取り云々うんぬんは、あの、ち、父親に散々言われて、あの、い、いましたけど、たた多分考え方がふるくて、あの」


 足照が慌てて謙遜けんそんするが、この家を前にしてはあまり説得力は無い。


「いやぁ、このお家は立派だよ。お手伝いさんとかいた?」


「い、いえ、そ、そういう人は、い、いませんでした。か、家事とかは全部母が」


「そりゃあ大変そうだな、こんなでかい家。さてと、親父さんは流石にいねぇかな。平日の昼間だもんな」


「は、はい。ち、父は会社に行っている筈で」


「でも武流たける、足照くん、その方が好都合だと思うよ。勘当を言い渡した程なんだから、怒りは落ち着いているとしても、意地とかさ、そういうのはあると思う。足照くんのレシピで作ったものだって言って、食べて貰えるかどうか判らないよ」


「じゃあどうするんだよ」


「足照くん、お母さんとは連絡取ってた?」


「は、はい。と、時々でしたけど、で、電話とかで」


 そう聞くと、蛍馬がニヤリと笑った。


「じゃあ大丈夫。多分簡単簡単〜。ちょっと駅前に戻ろうか。仕込みするよ〜」


 蛍馬は楽しそうに歌う様に言うと、きびすを返した。




 母と話をした蛍馬と武流は、足照が作ったホワイトシチューが入ったタッパを置いて帰って行った。


 夜になり父が帰って来る。その時間に合わせて、食卓には母が作ったきのこのオムレツとカルパッチョに並んで、温められたホワイトシチューが用意されていた。


「……今日は洋食か」


 父は少し不満げである。如何いかにも前時代的な男という父は、やはり和食が好きなので、足照が実家にいる時も和食が多かった。


 しかし子どもと言うのは、やはり茶色いご飯よりは色鮮やかな洋食が好きなもので、母はシチューやハンバーグ、オムライスなどを時々は作ってくれていたが、そんな時にも父には和食を出していた。


 別々に作ると言うのは母には大変だっただろうが、父はそれを当然だと思っていた様だ。礼などの台詞は聞いた事が無かった。


「急にとてもシチューが食べたくなりましてね。たまにはあなたもお付き合いくださいな。とっても美味しく出来たんですよ」


 母が穏やかにそう言うと、父は「うむ……」と渋々ながらも納得した。


 流石さすが何十年もの付き合いからか、母は父の扱いを熟知している。亭主関白とは、実際は夫が妻のてのひらで転がされている事が多いのだ。


 弟たちも部屋から降りて来て、静かな食事が始まる。


 その光景を足照は、ダイニングの片隅から眺めていた。


 ああ、懐かしい。はしや食器などが軽くぶつかり合う小さな音しか響かない食卓。食事中は私語厳禁だったのだ。テレビなどもっての外。


 内気で吃音癖きつおんぐせのある足照は、小学校から高校とあまり多くの友人に恵まれず、それでもコミニュケーションを取りながらの食事の楽しさは、学校で知った。


 大学では料理サークルに入った事や、アルバイトを始めた事もあって、そうした食事の機会も増えた。


 それらは足照にとっては、とても嬉しい事だったのだ。


 料理への興味のきっかけは料理番組だったが、美味しく食事をしながら、お喋りを楽しんで貰えたらと、料理人としてつくづく思ったものだ。


 さて、父がホワイトシチューの器を手にした。スプーンですくい、口へ。


 足照は緊張しながらそれを見守る。肉体があれば、心音が周囲に気付かれるのでは無いかと思うほどの鼓動。


 しかし父は、美味しいともまずいとも言わない。何を食べても無表情なのもいつもの事。母は料理上手だと思うが、父が母の料理を誉める様な台詞も聞いた事が無い。


 だから足照も、張り詰めながらも期待はしていなかった。それでも少しは落胆らくたんしてしまう。


 美味しいと言ってくれたら勿論嬉しい。だがこの昔から変わらない食卓を見ていて、あらためて思う。食べて貰えただけでも恩の字なのだと。


 それを思うと、蛍馬と武流、そして母にも本当に感謝だ。




 蛍馬と武流は「足照の友人だ」と専業主婦の母を訪ねた。


「葬儀の時はろくにご挨拶も出来ずに申し訳ありませんでした」と、参列していない葬式に出ていた様に印象付ける事も忘れない。


 そして、足照がのこしたレシピでホワイトシチューを再現した、足照は没交渉になっていた父に食べて貰いたがっていた、と伝えた。


 最初は半信半疑な母だったし、例え息子の友人を名乗られても、知らない人間に持ち込まれた食べ物を食べる気にはならないだろう。


 そこで蛍馬が案じた一計いっけいが出る。


「これ、足照くんがお父さんに出そうとして書いた手紙です。でも出す勇気が出ないと言うので、僕たちが預かってました」


 蛍馬がバッグから出してリビングのテーブルに滑らせたのは、淡い緑色の封筒。宛名が書かれ、切手も貼られている。当然父宛である。


「どうしてご友人のあなた方が?」


 それはもっともな疑問である。その答えも蛍馬は用意していた。


「勇気が出たら僕たちが出すねって。例えばお酒でも入って、少しでも気が大きくなれば、出す勇気も出るかも知れないと思って。そしたらその隙に出してやろうと。素面しらふだと出す勇気が出ないけど、手紙を出さなくても後悔しそうな感じでしたから」


「あら、あの子はお酒をたしなんだんですか?」


 母はくすりと、少し可笑おかしそうに小さく笑った。


「はい。少しでしたけど」


 事実である。成人して酒の味を覚えたものの、強くも無いので、飲み会に参加しても、甘くて軽い酒を1杯2杯程度で心地良く。足照が蛍馬たちに聞かれて応えた事だ。


「そのタイミングをうかがっていた時に、足照くんが交通事故にってしまって。手紙をどうしようと思っていたんですが、大切な遺品ですし、お渡しした方が良いだろうと。で、思い出したんですよ。足照くんが作ったホワイトシチューをご馳走ちそうになった時に、お父さんとお母さんにも食べて欲しいなって言ってた事を」


「あら……」


 大分軟化なんかしている様子。もう少しだろうか。


「でも、どうしてホワイトシチューなのかしら。私、主人が和食以外はあまり認めない偏屈へんくつなものですから、息子たちにも洋食を食べさせてあげた事が少なくて」


 母が不思議そうに首を傾げると、蛍馬が笑顔で言った。


「ホワイトシチューは、足照くんが生まれて初めて作った料理なんだそうです。その時はシチューの素を使ったそうなんですが、練習してホワイトソースから作れる様になったって。レシピのメモも貰ったんですよ。これなんですが」


 言って、蛍馬はバッグから1枚の白い便箋びんせんを出し、母に渡した。


「ああ……やっぱりこの字、少しくせのある……間違い無く足照の字ね」


 封筒の宛名の文字も見ていた母の唇がかすかに震え、眸がうるむ。ゆるやかに上がる口角が、懐かしさ、悲しさ、そして嬉しさを物語っている。


 手紙もレシピも、足照が武流の身体を借りて書いたものである。


 駅前の雑貨店でレターセットと便箋を足照の好みで選び、次にコンビニエンスストアで切手を買う。


 すぐに手近なカフェに入り、手洗いで犬耳を外した武流の身体に入り、手紙とレシピを書いて、また手洗いで離れる。


 武流の身体であるものの、正真正銘しょうしんしょうめい足照の手に寄るものだった。


「レシピは良かったら、お母さんが持っていてください。手紙をお父さんにお渡しするかどうかは、お母さんにお任せします。お持ちしたホワイトシチューは武流が、弟が再現したもので、ご家族でいただくには少し少ないかも知れないですが、良かったら今日の夕飯にでもしてくれたら嬉しいです」


「ええ、ええ、そうね。足りない分は何か作って……ふふ、久しぶりに洋食を作る大義名分たいぎめいぶんが出来たわね。柚木ゆのきくん、本当にありがとう」


 母は嬉しそうにそう言い、そっと頭を下げた。




 そうしている内に、食べるのが早い父が、いち早く食事を終える。


「ご馳走さま」


 作法にも厳しい父が手を合わせ、席を立つ。その父に、母が声を掛けた。


「お父さん、ホワイトシチューはどうでした? 言いましたでしょ? 自信作ですって」


 母にそう微笑まれ、父はそれでも憮然ぶぜんとした表情で短く言う。


「……ああ」


 そうしてとっとと書斎に行ってしまう。この家には当然リビングがあるが、父はほとんどそこにはおらず、書斎にこもっている事が常だった。何をしているのかは足照は知らない。


 その父の返事は全く答えになっていない。美味しかったのか、そうでは無かったのか。


 足照には判らずおろおろしてしまうが、まだ食事を続けている母を見ると、嬉しそうにまなじりを下げている。


 母には父の真意が伝わっているのだろう。その母があの表情だと言う事は。


 少しでも美味しいと思って貰えたのでは無いだろうか。


 あくまでも希望的観測である。それでも足照は嬉しさの余り、両手で顔を覆った。

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