#03 隠し味は料理の味を左右する

 代名本よなもとくんの話をじっくりと聞いていた武流たけるが立ち上がる。


「よし代名本……言い辛ぇな。足照たりてるで良いか?」


「あ、はは、はい、も、勿論です」


 足照のどもりながらの返事も武流は気にしていない様子。先程までは若干ながら苛ついていたと言うのに。


「親父さんに作った飯食ってもらいてーんなら、俺の身体貸してやるから、まずは作ってみろ」


「え、ええ!? そそそんな、申し訳が、がが、な、無いです」


 足照は首を何度も振って遠慮する。が、武流も譲らない。


 こうなった武流は止められない。


 武流は蛍馬けいまよりも情に厚い。相手にも寄るが、今回は思うところがあったのだろう。


 柚木ゆのき家の両親は健在だ。だが以前は共働きで、今は母親は仕事を辞めている。


 とは言え、その理由は父親の海外転勤。ふたりは今は遥か海外の地で仲睦まじく暮らしている筈だ。


 その分、柚木家の子供たちは親と触れ合う時間が長かったとは言えない。愛情は充分に掛けられたと思うし、寂しいと思う事は無かったが、親に少しでも認めて欲しいと言う思いは解る。


「良いんだよ。ほら、下に行くぞ」


 武流は言うと、ドアを開けて行ってしまう。蛍馬はおろおろと慌てる足照を促して、後に続いた。




 キッチンに入り、冷蔵庫を開ける。中はきちんと整理されていて、何が入っているのか判り易くなっていた。それをしているのは武流である。


「足照、お前親父さんに何を食わせてやりてぇんだ?」


「ほ、ホワイトシチューを。ぼ、僕が初めて作った料理で、あ、あの、最初はシチューのもとを使ったんですが、あ、あの、今は使わなくても作れる様になったので、そ、それを」


「って事はホワイトソースから手作りか。えーっと、バターあるな。小麦粉も大丈夫だし、牛乳と、流石にコンソメ取る時間は無ぇからコンソメキューブか。具はっと」


 続けて野菜室を開ける。


「シチューに使えそうなもんってーと、玉葱たまねぎは絶対要るよな、こっちにはそんくらいか。後は」


 冷凍庫を開ける。


「鶏ももとしめじとマッシュルーム、ほうれん草かな。グリンピースもあるな」


 鶏もも肉としめじは、特売日に多めに買って冷凍保存しておいたもの。マッシュルームとほうれん草とグリンピースは冷凍食材である。ストックしておくと、何かと便利なのである。


 食材の買い物も基本は武流がしているが、あまり冷蔵庫にものを溜めない主義である。その日の特売品や価格変動の少ない冷凍食材を、巧く使い回している。その手腕しゅわんはすっかりと主婦のそれである。


「足照、じゃがいもと人参っつーベーシックな野菜が無ぇけど、これで良いか?」


「はは、はい、じゅ、充分です。ああ、ありがとうございます」


「冷蔵庫に入ってるもんと、調味料はこの棚な、好きに使ってくれたら良いからよ。じゃ、早速作ってみてくれ」


 武流が言い犬耳を外すと、足照の霊体はあっと言う間に武流の身体に吸い込まれて行った。


「え、ええ? ええっ!?」


 武流の口から、慌てた様子の足照の台詞がれ出て来る。


「武流はすんごい霊媒体質だからね。普段は犬耳型の予防装置って言うのかな? それでけてるんだ。本人が良いって言ってるんだから、遠慮無く使ってくれて大丈夫だから。僕も楽しみだな〜足照さんのホワイトシチュー」


 蛍馬がにっこり笑いながら言うと、それでもまだ動揺している様子の足照は、あわあわと武流の身体を震わす。


 だが足がしっかりと地面を踏み締めている事、そして眼の前にある冷蔵庫に触れられた事で、少しずつ落ち着きを取り戻して行った。


「あ、ありがとうございます。じゃ、じゃあ、つ、作りますね」


「うん。僕リビングにいるから、用があったら声を掛けてね。武流、よろしく〜」


 蛍馬が言うと、武流が「おう」と短く返事をする。ひとつの身体からふたりの声。流石にそれにはまだ慣れないのか、足照の意識が武流の身体をびくっと震わせた。


「足照、俺は手も口も出さねーからな。お前に任すからよ」


「は、はい。あ、ありがとうございます」


 そうして蛍馬はリビングに向かい、足照は武流の身体であらためて冷蔵庫を開けた。




「でで、出来ました!」


 キッチンから足照の台詞が聞こえて来たので、テレビを見ていた蛍馬は立ち上がる。


 足照の意識が入っているとは言え、声帯は武流のもの。その筈なのだが、霊体が声を出すと、その本人のものが発せられる。


 不思議なものだとは思うが、そういうものなのだろうと蛍馬も武流も割り切っている。そうするしか無いのだ。


 何せ、恐らく解明の難しい世界だ。以前、世話になっている霊能者の野洲やす喜太郎きたろうに聞いた事があったが、「そんなもんなんじゃ無い?」と軽く言われただけだった。適当だな! 武流はそう突っ込んだものだ。


 それはともかく。


 蛍馬がキッチンに入り、コンロの上の鋳物いものホウロウ鍋を見ると、ほかほかと湯気が上がるホワイトシチューが完成していた。


「おお、お鍋がとても良いものなので、お、美味しく出来たと思います」


 足照は言うと、少し照れた様に眼を伏せた。


「うんうん、美味しそうだよ。武流、そろそろ出て来ても良いんじゃない?」


「あ、出来たか? じゃあ」


 すっかりと大人しくしていた武流の意識が出て来て、腰に吊るしていた犬耳を付ける。すると身体から足照の霊体が弾き出された。


 身体を取り戻した武流は、身体をほぐす様に首を左右に傾ける。そして鋳物ホウロウ鍋を覗き込んだ。


 具は玉葱、鶏もも肉、マッシュルーム、グリンピース。


「へぇ、ちゃんと出来てるじゃ無ぇか。蛍馬、早速食ってみるか」


「そうだね」


 武流は食器棚を開け、深皿を2枚出して、シチューを注ぐ。スプーンを添えて、ダイニングへ。テーブルに着き、手を合わせた。


「いただきます」

「いただきます」


 そしてすくって、口に運ぶ。ふたり同時にじっくり味わい……やや怪訝けげんな表情で首を傾げた。


「んん?」


「ん〜?」


 その様子に、足照はえ? え? え? と焦り出す。


「な、なな、何かおかしいところが、ああ、ありましたか?」


「足照、オメーこれ、隠し味に白味噌と酢入れたか?」


「あ、はは、はい。そそそうすれば味が締まってコクが出るので。ああ、あの、僕隠し味に凝っていて」


「入れ過ぎ」


「え、ええっ!?」


 武流の端的で直接的な指摘に、足照は驚いて声を上げた。


「そうだね。ちょっと酸っぱいし、クリームより白味噌の味が勝っちゃってるかなぁ」


「いい、いつも通りの量を入れたんですけど、いい、いつもはちゃんと、お、美味しく出来るんですけど」


「じゃあオメーも食ってみろ」


 武流は言うと耳を取り、足照を憑依ひょういさせた。


 足照はシチューに入ったままのスプーンを取り、掬ってひと口。そして頬を綻ばす。


「はは、はい、ちゃ、ちゃんと美味しく出来ていると、お、思います」


 こいつもしかして味音痴おんちか? 蛍馬と武流は同時に思う。


 武流はまた犬耳を付け足照を出すと、言った。


「足照、作り直すぞ。このシチューリカバリするから少し待ってろ。芋入ってねーから冷凍出来るだろ」


 武流は食べ掛けのシチューを両方とも持つとキッチンへ。皿の中身を鍋に戻して火を付けると、冷蔵庫を開けた。




 リカバリされたホワイトシチューは、いくつかのタッパーに入れられ、ダイニングテーブルの上に並べられている。粗熱あらねつを取ってから冷凍するのだ。


「よっしゃ足照、また身体を貸すから、隠し味を入れる手前まで作れ。良いか、絶対に隠し味入れるなよ。絶対だぞ。解ったな?」


「わわ、解りました!」


 犬耳を外した武流に憑依した足照は、調理に取り掛かる。


 スライスした玉葱に塩を振ってオリーブオイルで炒め、しんなりしたらレンジで解凍してひと口大に切った鶏もも肉を加える。


 色が変わったらひたひたに水を入れて、沸いたら灰汁あくと余分な脂を取りながら煮込んで行く。


 コンソメキューブを加えて、溶けたらしめじを冷凍のまま入れる。マッシュルームはリカバリで使い切ってしまった。


 煮込んでいる間に、隣のコンロでホワイトソース作り。フライパンを弱火に掛け、バターを溶かす。


 そこに小麦粉を入れて粉っけが無くなるまでしっかりと炒め、牛乳を少量ずつ入れて伸ばして行く。


 とろりと艶やかなホワイトソースの出来上がり。


 それを煮込んでいる鍋に入れて、しっかりと混ぜて、更に煮込んで行く。


 洗い物などをしつつ。


 煮詰まりつつあるシチューに、ほうれん草を冷凍のまま入れる。これは鍋の中で解凍されたら大丈夫。グリンピースもリカバリで無くなっていた。


 さて、後は隠し味だが。


「たた、武流さん、で、出来ました」


「おう、隠し味は入れてねーな?」


「は、はい」


「よし。じゃあ酢と白味噌とティスプーンを出せ」


「はは、はい」


 言われた通りに動く足照。


「酢と白味噌を、そのスプーン半分だけ入れるんだ」


「え、え? す、少な過ぎませんか?」


 足照が不安げな声を出す。


「隠し味だぜ? つか、今までどんだけ入れてたんだ」


「お、お玉4分の1ぐらいを」


「多いわ! そりゃあ酢と白味噌が勝つぜ。良いか、親父さんに旨いって言って欲しいんなら、言った以上の量は入れんなよ」


「わわ、解りました」


 足照はまずティスプーンで白味噌を掬い、溶かしながら鍋へ。続けて同量の酢を入れた。


 酢の余分な酸っぱさを飛ばす為に、もう少し煮込んで、完成である。


「よし足照、味見してみろ」


「は、はい」


 足照はシチューをお玉で少量掬い、小皿に移して、ふうふうと熱さを冷まし、そっと口を付けた。


「……お、美味しい、ですね!」


 足照が驚いた様に眼を見開いた。


「かか、隠し味は料理を美味しくする為のもので、ふ、普通に味付けをする感覚で入れるのが良いのかと、お、思ってました」


「「隠し味」なんだから、表に出てきたら駄目だろうが」


「そ、そうですよね。そ、そうか、そうですよね」


 足照は感心した様に頷いた。


「よし、じゃあ身体を返して貰うぜ」


 犬耳を付けると、足照の霊体が離れた。


 武流も味見をして、うん、と頷いた。大丈夫、ちゃんと美味しく出来ている。


「さて、と、成功したこれを親父さんのところに持って行くとして、と。蛍馬、行けるか?」


「うん、行けるよ〜」


 ダイニングで雑誌を広げながら待っていた蛍馬が応える。


「もうシチューの粗熱も取れてるだろうし、冷凍庫に放り込んじゃうね〜」


 雑誌を閉じ、言いながらタッパのふたを閉めて行く。


 足照は焦った様に両手を振った。


「こ、こんなすぐにですか? ここ、こ、心の準備が」


「こういうのは早い方が良いんだよ」


 言うや否や、武流は完成したばかりのホワイトシチューを大きめのタッパに移して行った。

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