#02 足照くんのお料理遍歴
長男だった足照は、幼い頃から相応の教育を受けて育てられて来たのだが、生まれついての内気な性格と
父親に課せられた勉強をしながら、足照が毎日感じていたのは手応えでは無く虚脱感だった。
これからも自分は親の言う事に逆らえず、死ぬまで言う通りに過ごして行くのか、と。
しかし足照に
大学時代のある日、勉強をさぼってこっそりと見ていたネットテレビで、とある料理番組を見た。
その料理は足照も何度も食べた事があった。だが材料、そして作り方を見ているうちに、心の中に沸いて来るものがあった。
──面白そう。
それは、足照が久々に心の底から感じる思いだった。
肉類や野菜、様々な調味料が合わさってひとつの料理が出来上がる。その行程がとても愉快なものに思えたのだ。
「男子厨房に入らず」という父親の方針もあって、まともにキッチンに入らせて貰った事も無く、包丁もろくに握った事が無かった。
中学、高校の家庭科の授業で料理に携わった事はあったが、包丁は慣れていた同級生がやってくれたので、足照は野菜を洗ったりサラダのレタスを千切るぐらいしかしたことが無かった。
それも一応料理の行程には違い無かったが、その時はこんな気持ちにはならなかった。
家庭科の教科書にあった完成品の写真はあまり美味しそうでは無く、出来上がった料理も、人任せにしておいて言えた義理では無いが、特別美味しいものでは無かった。
翌日大学で、足照は小規模な料理サークルに所属しているクラスメイトに声を掛けた。
普段あまり喋る事は無かったが、内気な足照でも臆せず話し掛ける事が出来る、人当たりの良い男子生徒だった。
足照は、放課後の活動中に、調理室の隅を使わせて貰えないか頼み込んだ。
「部長に聞いてみるよ。ちょっと待ってね」
言うと、クラスメイトはスマートフォンを取り出してタッチスクリーンを操作。数秒後、顔を上げた。
「良いって。こっちの邪魔にならなかったら大丈夫だって。調理器具とかは調理室にあるの使ってくれて良いってさ」
「ああ、ありがとう! じゃ、じゃああの、ざ、材料買ってから行くね」
足照は嬉しくなり、笑顔を浮かべた。
放課後になり、足照は学校からいちばん近いスーパーまで走る。
スマートフォンのメモを見ながら、そこに書かれている材料を買い物カゴに放り込んで行く。
足照は物心ついてからスーパーに来たのは恐らく初めてだった。
幼い頃は母親に連れて来てもらった事もあったかも知れないが、ひとりで行動出来る様になってからは記憶に無かった。
高校の家庭科の授業以来、まともに見る調理前の野菜など。そんな
ものの善し悪しなど判らないので、手前のものから取って行った。
買い物袋をがさがささせながら、また走って学校に戻る。途中で何人もの学生と擦れ違い、
調理室に到着。足照はドアの前で一度立ち止まり、自らを落ち着かせ、ゆっくりとドアを開けた。
「こここ、こんにちは」
「あ、来た来た」
包丁で何やら切っていたクラスメイトが顔を上げた。周りにいる料理部の面々も一斉に足照を見る。
全員で10人にも満たなかったが、内気な足照はつい臆して
「きょ、今日は、あの、あ、ありがとうございます」
「いいよー、場所はいくらでもあるから」
足照の礼に応えてくれた女子学生が部長だろうか。その朗らかな対応に安堵する。
「ここ使って。包丁とか鍋とかも、そこにあるの使ってくれて良いからね」
部長らしき女子学生が示した台は、皆が使っている隣の台だった。上にはまな板や包丁、足照があまり見覚えの無い器具なども揃えて置かれている。鍋やフライパンも幾つかのサイズがあった。
「ああ、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げると、女子学生は小さく笑みを浮かべ、部員の輪の中に戻って行った。
足照は材料を台の上に置くと、早速中身を出していく。
料理番組を見てから、足照はネットでいくつかのレシピを渡り歩いた。
だが、何せ料理は初心者中の初心者。初心者向けのレシピなどをいろいろと見ていて、やはりルーで作れるシチューが良いだろうと思い至る。
作り方はルーの箱の裏に全て書いてあると言うので、それを見る事にした。
包丁の使い方などは、何度も動画を見た。見ただけでどうにかなるとは思えなかったが、一応家庭科の授業で教えては貰っていたので、それも思い出しながら何とかしようと思っていた。
足照は野菜類を洗う。これは授業で経験があるので少しは慣れている。料理の流れは、高校の授業でクラスメイトがしていたものを思い出しながら。
鶏肉も一口大に。皮の部分が切り辛く、力を入れて前後に押し引きする。
素材の用意が出来たので、後はレシピに従って作って行く。
玉葱を炒め、しんなりしたら鶏肉を入れ、色が変わったら人参とじゃがいもを加える。水を入れて煮込んで行き、素を溶かして、ミルクを入れる。
そうして出来上がる。足照が初めて作った料理、クリームシチュー。
やや深めの皿に盛り、台に置いてみると、ほかほかと湯気を上げたそれは、とても美味しそうに見えた。
楽しい。嬉しい。足照はつい頬を緩めてしまう。
「代名本、出来たのか?」
この場所を借りる渡りを付けてくれたクラスメイトが、後ろから覗き込んで来た。
「う、うん。はは、初めてちゃんと料理してみたから、お、美味しいかどうか、わわ、判らないんだけど」
「ちゃんと旨そうに出来てるよ。良い匂いするし。冷めない内に食べようよ。俺も少し貰って良い?」
「う、うん」
足照は緊張しながらクラスメイトの分を皿に盛る。皿を前に並んで台に着き、手を合わせた。
ドキドキしながらスプーンで口に運ぶ。
美味しい。足照は素直にそう思った。確かに少しだけ水っぽいかも知れないし、野菜の大きさもバラバラなので、大きくなってしまったものは少し固いかな。
だが足照にとっては、今まで食べたどんな贅沢な料理よりも、美味しいと感じたのだ。
隣ではクラスメイトも食べながらうんうんと頷いている。
「初めてまともに料理したって言ってたよね。巧く出来てると思うよ。うん、旨い。これ、シチューの素の箱の裏見て作った?」
「う、うん」
「そこに書かれてる水と牛乳の割合、牛乳をもっと多くしたら、もっと旨く出来ると思うよ。そういうのは慣れて来たら判って来る様になるよ」
「そ、そうなんだ」
参考になる。足照は感心して何度も頷いた。
「後ね、鶏肉から灰汁が出るから、それ取ったら完璧。今度やってみなよ」
「う、うん。そ、そうする」
「で、料理初めてしてみてどうだった?」
訊かれ、足照は破顔した。
「た、楽しかった。お、面白かった。おお、美味しいって言ってくれて、う、嬉しかった」
「そっか。料理好きとして、そう言ってくれたら嬉しいな」
クラスメイトもそう言って笑った。
そうして足照は、料理サークルに入部する事を決めた。
父親は許してくれないだろうが、活動がある日は、図書館や自習室で勉強すると言えば
それから料理サークルでの活動は、足照の生き甲斐となった。
就職活動が始まる頃、足照は父親に
それまでに
跡継ぎ云々については、弟がふたりいた事も大きかった。そのふたりも父親に厳格に育てられ、父親に従順だった。
父親は激怒し、家を継がないのであれば勘当だと怒鳴った。
足照は父親と縁を切りたい訳では無かった。出来る事なら解って欲しかった。だがそれは叶えられなかった。
そうして足照は家を出る為に居酒屋の裏方のアルバイトを始め、資金を貯め、大学卒業とほぼ同時に家を出た。
就職先はチェーンの洋風居酒屋の厨房。料理人としてはやや物足りないかも知れないが、料理そのものに携われる事が足照には幸せだった。
そして、交通事故でその生命を落としてしまうまでの数年間、足照は精一杯勤めた。
そんな足照の心残りは、実家、特に父親の事だった。
家を出てから、母親とは時折連絡を取っていたが、父親とは没交渉だった。結局認められないままだった。
認められなくても良い。ただ、自分が作った料理を食べて、ほんの少しでも美味しいと思って貰えたら。
そんな時、足照は蛍馬と武流の噂を耳にした。
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