#03 へのへのもへじの正体は

「ケイさん、ご指名です」


「はーい」


 控え室でコーラをすすっているところにフロアから声が掛かり、ケイと呼ばれた蛍馬けいまは元気良く返事をした。


 グラスをテーブルに置き、威勢良く立ち上がった蛍馬は、フロアへと向かう。


 控え室とフロアを繋ぐ、虹色のクリスタルの暖簾のれんくぐりフロアに出ると、黒服の男性が蛍馬に耳打ちする。


「3番に腰月こしつきさまです」


「ありがと」


 黒服に合わせて小声で礼を言うと、蛍馬はふわりと漂う様にフロアを歩く。3番テーブルはすぐそこだ。


 黒い革張りのソファにゆったりと掛けていた腰月登乃也とのやは、若い蛍馬から見るとおじさんと言って良い歳の頃の男性だった。


 テーブルに置かれているのは瓶ビール。決して大口客では無いが、腰月自身はそこそこに裕福なのだと見て取れる。


 着こなしているスーツは上物だし、足を包む革靴もいつも綺麗に磨かれている。


「私はね、お酒の中ではビールが特に好きなんだよ」


 腰月は初来店の時にそう言っていた。


「腰月さ〜ん、いらっしゃ〜い」


 蛍馬は商売用の笑顔と高めの声を引っ提げ、小さく頭を傾けた。腰月は満足気に頷くと、蛍馬に自分の隣に掛ける様にうながした。


「お邪魔しま〜す」


 蛍馬は腰月の隣にちょこんと掛ける。グラスが空いていたので、早速ビールを注いだ。


「ありがとう。ケイちゃんも好きなものを飲みなさい」


「ありがとうごさいま〜す」


 蛍馬は嬉しそうに言うと、近くにいた黒服を捕まえ、瓶ビールの追加とグラスを頼んだ。余程よほど苦手なもので無い限り、お客さまと同じものを頂くのがルールである。


 すぐにテーブルに新しい瓶ビールとグラスが置かれる。腰月が注いでくれるそれを有り難く頂戴ちょうだいし、ふたりはグラスを重ねた。


「今日もケイちゃんは可愛いね」


「ありがとうございま〜す」


 腰月にさらりと誉められ、蛍馬は指を頬に添えてその賛辞をつつしんで受け入れた。


 明るいブラウンのウエーブ掛かったウイッグを被り、身を飾るのはピンクをベースにしたロリータ調のワンピース。足には白いチャンキーヒール。


 歩けばヘアがふわりと漂い、ワンピースの裾がはらりとひるがえる。蛍馬はロリータファッションを定番としていた。


 ここは女装バーである。蛍馬は週に3日ほどここでアルバイトをしている。腰月はいつも蛍馬、源氏名ケイを指名してくれる、有り難いお客さまだ。


 使ってくれる金額はともかく、腰月はとても紳士的で、蛍馬にとっては上客だと言えた。


 さて、蛍馬と腰月は早速親密そうに顔を寄せた。途端に騒がしい周りの笑い声などが少し遠くに聞こえる様になる。


「……電話ありがとう蛍馬くん。お陰で立件されたよ」


「お役に立てた様で何よりです」


 蛍馬は商売用の笑顔を引っ込め、自然な笑顔を浮かべた。


「まさか自殺になっていた件が殺人だったなんてねぇ。蛍馬くんが連絡をくれなかったら、殺人犯が野放しになっていたところだったよ」


「恐ろしい話ですね」


 腰月は警察のお偉いさんなのである。知り合ったのはこの女装バー。


 その時既に蛍馬は武流たけると幽霊の話を聞く事を始めていたので、そこで明らかになった事実を、腰月に「信じられないかも知れませんが」の前置きで連絡してみたところ、柔軟な腰月は話を聞いてくれ、以降こうして店以外でも連絡を取り合う事になった。


「結局5回飛び降りる事になって、武流はもう顔真っ青でしたけど」


 その時の様子を思い出したのか、蛍馬は苦笑を浮かべた。




「思い出した! あの男! 隣の! あいつめ〜!」


 思い出したその瞬間、怒りのパワーからか武流の身体から自力で抜け出たミーコは、般若はんにゃの様な形相で怒鳴ると、青い顔をした武流が止める間も無く隣家へと飛んで行った。


 咄嗟とっさにベルトに引っ掛けていた犬耳を付け、追い掛けようとしたが、隣人と会って武流はどうしたら良いのか。そもそも平日昼間に在宅しているのか?


 いたとしても、「あなた、梶浦かじうらミーコを殺しましたか?」なんて聞く訳には行かない。逆上でもされてしまえば、丸腰の武流の身に危険が及び兼ねない。


 ミーコの部屋のベランダからその様子を見ていた蛍馬が、慌てて降りて来た。


 武流が蛍馬に事情を話し、ふたりでどうしたものかと思っていると、ミーコはすぐに戻って来た。膨れっ面だ。


「いなかった。だから部屋で帰りを待つ」


「で、どうすんだ?」


 武流が訊くと、ミーコは固い決意を示す様に、両のこぶしを強く握り、鼻息も荒く。


「少しくらい呪っても良いよね! 大丈夫、本当に少しだけだから。明日話しに行くから〜また明日ね!」


 ミーコは最上級の笑顔でそう言い残し、また隣家へと飛んで行ってしまった。


「……ま、少しくらいなら良いか」


「良いのかよ!」


 蛍馬の軽い、しかし不穏な台詞に武流が突っ込むが、こうなってしまえばもうここで出来る事は無い。夢助ゆめすけともども撤収した訳なのだが。


 呪い云々は別として、殺人犯を放置しておく訳には行かないだろう。蛍馬は早速腰月に連絡を取った。




「そうか。まさかね、特に付き合いも無かった隣人の仕業だったなんてね」


 都会のワンルームマンションの特性か、ミーコのマンションも例に漏れず、ご近所付き合いなどはあまり発生していなかった。


 ミーコにも当然隣人がいたが、廊下などでれ違う事があれば挨拶する程度だった。


 それでも犯人は、隣にひとりで住んでいるのが女性だと知り、つい壁越しに意識してしまっていた。運悪く、このマンションに女性入居者は少なかった。


 犯行当日、何を思ったかミーコの部屋のドアノブを回してみたところ、難なく開いてしまったので、つい入ってしまった。


 ベランダにいるミーコを見つけ、眼が合い、大声を出されると思った犯人はとっさにミーコの身体を持ち上げ、そして──


「ミーコさんは何も悪く無かったですよ。いや、鍵を閉め忘れたのはうっかりだったかも知れないですけど、殺されるいわわれは無かったですよね。本当に、腹が立ちます」


「本当にね。けど、せめて犯人が捕まって良かった。ミーコさんの気も済んでくれたかな? だと良いんだけど」


「そうですね」


 蛍馬と腰月はあらためてグラスを重ねた。




 翌日、昼過ぎに起き出した蛍馬は、重い身体を引きずる様にベッドから抜け出した。


「うあ〜〜〜」


 怠い身体をどうにか起こし、室内を見渡してみると、部屋を共有している武流の姿は無かった。


 重い目を擦りながら部屋を出、リビングに入ると、ソファでお昼のバラエティテレビを見ていた武流が顔を向けた。


「おはよ〜武流ぅ」


「おう、おはよ。メシ食うか?」


「ううん、まずはお水……」


 そう言いながら、よろよろとキッチンに向かう蛍馬を追う様に、武流が口を開いた。


「腰月さんから電話あった。ミーコを殺した犯人、早速検察に送られたって。自供してるから十中八九起訴きそされるだろってさ」


「そっか〜良かった〜」


 蛍馬は小さく安堵の息を吐くと、食器棚からグラスを出し、浄水器を通した水を注ぎ、一気に喉に流し込んだ。ぼやけた頭が次第にクリアになって行く。


「あ〜ご飯の前に、ミーコさん待たなきゃかな? 僕、部屋に戻るよ」


「あ、そっか。じゃあ俺も行くかな」


 武流がリモコンでテレビを消し、ふたりは揃って部屋へと戻る。すると閉めていた窓の向こうにミーコの姿があった。蛍馬が慌てて窓を開ける。


「ミーコさん、こんにちは」


「こんにちは! ふたりとも、昨日は本当にありがとうね!」


「犯人は逮捕されたって聞きました」


「そうなの! ちょうど私が呪い終わった時に警察が来たの。ナイスタイミング! も〜おかしかった〜犯人たらあたふたしちゃって、自分に起こった事をしどろもどろで警察の人に訴えようとしてたんだけど、全然言葉にならなくて〜」


 心底可笑しそうにミーコは言う。


「一体何したんだよ」


 眉をひそめた武流の問いに、ミーコはしれっと応える。


「大した事はしてないのよ。犯人にとり憑いて、油性マジックで犯人の顔に太眉と睫毛と動物の髭と鼻毛と、ほっぺの空いてた場所にへのへのもへじ書いただけ〜」


「うわ……」


 犯人のその仕上がりを想像し、武流はうめく様に呟く。きっと酷いものだっただろう。


 書いたものはともかくとして、犯人にしてみれば、勝手に身体が動いたのだ。それは相当な恐怖だっただろう。


 殺人犯なので同情はしない。そんな悪戯いたずら、殺される事に比べれば。否、そもそも比べられるものでは無い。


 だと言うのに、あっけらかんとも言えるミーコの強靭きょうじんさには感嘆かんたんする。


「お陰でスカッとした! 警察に言ってくれたの蛍馬くんたち?」


「はい。知り合いがいるので、話が早かったです」


「そうなんだ〜本当にありがとうね! これで心置きなく成仏出来るよ」


「それは良かったです」


「おう」


 蛍馬が微笑み、武流が小さく頷くと、ミーコは「へへ」と少し照れた様な笑みを浮かべた。


「じゃあ、またね、じゃ無いか。うん、ありがとうね!」


 ミーコは晴れやかに言うと、ふわりと浮いて窓の外へ。するとその姿は蛍馬から見ても薄くなって行き、すうっと消えた。成仏出来たのだ。


「今回も、無事完了、だね」


「だな」


 蛍馬が安心した様な笑顔を浮かべると、武流もそれに応える様に口角を上げた。


「もうあんな怖えーのは勘弁だぜ、全くよ」


「それは来る人次第だからね〜」


 蛍馬は、ふふん、と笑うと、ん〜と伸びをして身体を伸ばした。


「さ、ご飯食べて、また待とうかな。武流、ご飯お願いね」


「おう」


 蛍馬は窓を閉め、先に部屋を出た武流を追う様に、ドアを潜った。

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