#02 アトラクションじゃありませんよ

「……マジか」


「マジマジ〜」


「マジかよ! 軽いな!」


 蛍馬けいま武流たける、そしてミーコは、ミーコが住んでいたワンルームマンションのベランダにいた。


 部屋は4階で、柵越しに下を覗き込むと、その高さに足がすくみこそはしないが、これからやろうとしている事を思えば腰も引ける。


 部屋はまだ荷物などが引き上げられておらず、ミーコが亡くなってから間も無い事がうかがえた。


 綺麗に片付いていて、可愛いものが好きだったのか、メジャーなキャラクターのぬいぐるみなどが一角にまとめて置かれていた。


 家具はベージュの木製のものがほとんどで、カーテンは白いレースのものとピンク色の遮光タイプとの二重。シンプルながらも可愛らしい女性の部屋だった。


 ちなみに蛍馬たちはこの部屋に入る為に、知り合いの不動産会社員の伝手つてを使った。持つべきものは友である。


 そして今、蛍馬と武流が立っている場所こそが、ミーコ曰く犯行現場なのだった。


 それを思うと武流の背筋に軽い悪寒が走る。対して蛍馬はいつもと変わらずにこにこと笑っていた。鈍感なのか無神経なのか、何も考えていないのか。


「よし、じゃあ早速やってみようか。武流、耳を外してあげてよ」


 蛍馬があっけらかんと言う。が、武流の手はなかなか頭に伸びなかった。つい躊躇ためらってしまう。


「ほーらー、武流〜」


 蛍馬が更に急かす様に言う。そしてやっと渋々と言った様子で、武流は頭に着けている犬耳を外した。


 すると、ふたりの周りをふわふわと漂っていたミーコの身体が、まるで吸い寄せられる様に武流に重なった。


「わ、わ、」


 ミーコが驚いて声を上げる。そうしている内に、ミーコは武流の身体に憑依ひょういした。


「え、何これ、何これ〜!」


 武流の口と声を借りて、心底驚いたとミーコが大声を上げた。その横で蛍馬は得意気に胸を反らした。


「凄いでしょ! 武流はね、すっごい霊媒れいばい体質なんだよ! もう幽霊ホイホイ。放っておいたらすぐに憑依されちゃうんだ」


「凄い凄い! わ、わ、ジャンプ出来る! 出来る〜!」


 武流の身体のミーコが、嬉しそうにピョンピョンとその場で跳ねた。


「おいこらミーコ! 人の身体で遊んでんじゃねーよ!」


 すると今度は武流の口から、正真正銘武流の言葉が滑り出て来た。憑依されても意識までは乗っ取られる訳では無いのだ。こうして喋る事だって出来る。


「武流はね、ほら、犬耳着けてたでしょ。普段はあれで霊媒体質を抑え込んでるんだ。あれが無かったらこの通り、周りの霊が吸い寄せられちゃうんだよ。同時に2体以上に憑かれないのが救いかな」


「あーだから犬耳なんだ! 触れちゃ駄目かなーと思って言わなかったんだけど、そっか〜そういう効果があったんだ〜」


 大の男が日常で犬耳なんて不自然極まり無い。ミーコだって一目見てそう思っただろうに、何も言わなかったのは、ミーコなりの気遣いだったのだ。


「そんな理由でも無けりゃ、誰があんな耳なんか着けるかよ! 何で犬耳なんだよ! 何かもっと他にあるだろうがよ! 野洲やすさんくそー!」


「野洲さんは悪く無いでしょ」


「いや悪いだろ!」


 吠える武流を蛍馬はなだめようとするが、火に油を注ぐだけだった。


 野洲喜太郎きたろうは、ふたりがお世話になっている霊能者である。


 常に霊にわずらわされ、日常生活を送ることすらままならず、辛い日々を送っていた武流に犬耳を与えてくれた、いわば恩人である。


 それは効果てきめんだった。しかしよりにもよって犬耳……犬耳! 武流は別の意味で日常生活が困難になった。


「そんな事より武流」


「そんな事って何だよ!」


「それより!」


 それまで穏やかだった蛍馬の口調が、一瞬武流のそれより荒げられた。その途端武流は口を開いたまま、言葉を飲み込む。


「……やる事やっちゃおうね」


「お、おう」


 またにっこりと笑顔を浮かべた蛍馬に、武流は狼狽うろたえながら返事をした。


 怒った蛍馬は怖い。それは武流が一番良く知っている。


 さて、今やる事と言えば。武流はまた柵越しに下を見下ろし、生唾を飲んだ。そう高くは無い。いや、やはり高い。


「も〜煮えきらないなぁ。ほら、行くよ〜!」


 武流の口から発せられたミーコの台詞。その途端武流の身体が引っ張られる。柵に添えていただけの右手に力が込められ、左手も勝手に動いて柵を掴んだ。


「ちょ、ま、」


 武流が呻き抵抗するが、ミーコの方が強かった。


 両腕が武流の全身を持ち上げ、両足が地面から離れると、あれよあれよと武流の身体は柵の上に立っていた。


「うわ……」


 武流の意識では、その表情は強張っている事だろう。しかし表立っているのは楽しそうなミーコのもの。まるで遊園地でアトラクションに挑戦する時の様な。


「行っきまーす!」


 武流、いや、ミーコが右手を高々と挙げ、躊躇ちゅうちょもせず飛ぶ。武流の身体は無防備に宙に放り出された。


「うわああああああああああああ!」

「きゃああああああああああああ!」


 武流の恐怖の叫びとミーコの歓喜の叫びが交互に響く。


 武流の身体はあっと言う間に4階分を落下し、高さ1メートル程ある分厚いマットに受け止められた。


「よっしゃ、ナイスキャッチ」


 クッションの脇で控えていた男がニヤリと口角を上げた。


「はぁあああああ〜……」

「あはははは! 楽しい〜!」


 武流が気の抜けた溜め息を付き、ミーコは嬉しそうに笑い声を上げた。


「はー……、で、ミーコ、思い出せたかよ?」


「あ、忘れてた」


「おい!」


 忘れてしまった時と同じ状況を作れば、記憶が戻るかも知れない。そう言ったのはミーコだ。


 だから怖い思いをしながらもこうして決死の覚悟で協力していると言うのに、忘れていたとは何事か。


 武流は腰のベルトに引っ掛けていた犬耳を取ると、素早く頭に着けた。その途端にミーコの霊体は武流の身体から弾き出された。


「あ、酷〜い」


「酷いのはどっちだっての!」


「どうよ武流、失敗か?」


 クッションの脇にいた男から声が掛かる。


夢助ゆめすけさん……失敗だそうっす」


 作倉さくら夢助はアクション劇団の団長である。今回の計画が立案された時、正に今武流が身を預けているクッションを用意して貰う事になった。劇団の備品だ。


 蛍馬が「まぁまぁ」と言いながらスマートフォンで電話をしていた相手である。


「おいミーコ、俺はもうヤだからな!」


「お願い! もう1回! 次は絶対だから〜」


「ヤだね!」


 犬耳を着けた武流の耳は、霊体の声ははっきり聞き取るのだが、目は霊体の姿を半分しか映さない。


 半透明のミーコは深く深く、それこそ地面に着きそうな程に頭を下げて、合わせた両の手を頭上にかかげた。


「え? ミーコちゃんだっけ? 何て言ってんの?」


 夢助は霊感など全く無く、当然ミーコの姿も見えていなければ、声も聞こえていない。


 事情は話してあるので、武流の話し相手がミーコだと言う事は理解している。そうで無ければ、端から見た武流は大声で独り言を言うただの変な人だ。


「もう1回やってくれって……冗談じゃ無いっすよ」


 うんざりした表情の武流が頭を掻くと、夢助はしたり顔で首を振った。


「駄目だ、それは駄目だよ武流くん。女の子のお願いはつつしんで聞いてあげないと」


 何が武流くんだ芝居掛かりやがって。


 実際のところ、もう嫌なのは本心だ。だが武流は薄情では無い。むしろ情には厚い方だ。


 ミーコが困っているのは解っている。復讐などと不穏ふおんな事をぬかしているものの、自分たちで出来る範囲で出来る事はしてやりたいと思っている。


 しかしこうして分厚いマットがあるとは言え、4階から飛び降りると言う行為は、その範疇はんちゅうなのだろうか。


 ああ本当に、せめて高所恐怖症とかで無くて本当に良かった。


 武流の眼前を漂うミーコを見ると、胸元で手を合わせて、お願い、お願い、ごめんね、本当にごめんね、と泣きそうな表情で懇願こんがんしている。今度こそは思い出すから、と。


 女性を泣かすのは趣味じゃ無い。武流は溜め息を吐くと、不安定なクッションの上に立ち上がる。


 バランスを取りながら慎重に歩き、小さくジャンプして地面に着地。そこでまた大きく溜め息を吐いた。


「わーったよ! もう1回やってやる。そこで思い出さなかったら、もしくはやる気見せなかったら、もう知らねぇからな!」


 武流が半ばやけくそでそう言うと、ミーコは嬉しそうにぱあっと表情を輝かせた。


「ありがとう! 本当にありがとう!」


「じゃ、部屋に戻んぞ」


「うん!」


「お、武流、再チャレンジ? 流石さすが! 漢だね!」


 夢助のおだてを後目に、武流とミーコはマンションに戻って行った。

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