第13話 誕生 その6

 春の陽光で暖かった外気も、陽が傾くにつれ気温が下がり、時折吹く風が冬の寒さを思い出させる。


 街の中心部から離れた第三区画に佇む質素だが品のある住宅の玄関先に二つの長い人影が出来ていた。


 シルクハットを被った恰幅の良い中年男性と、扉のすぐ前には、腹の大きな妊婦がいる。

 風が吹き、彼女は乱れる髪を片手で抑えた。

 長い髪先が夕暮れのオレンジの光に照らされ、美しく輝く。

「そんな、わざわざ、ありがとうございます」

 彼女の愛想笑いは、可愛らしいが、どこか艶やかで色気を感じさせる。

 男の方は、少し頬を赤くし、何か一生懸命に話を続ける。

 彼女は、相槌を打ち、笑顔を絶やすことは無かった。


 玄関先の声を聞きながら、応接間でファーガス老の息子リックは苛立っていた。

 側にいた小柄な若いメイドを睨みつけ、

「そろそろ、お引き取り頂け」

 と命じ、玄関の方をあごで指した。

「それなら、旦那様が御自分でお願いします。相手は商会の有力者ですよ」

 声は裏返り、心底嫌そうな表情で、栗毛のメイドは強い口調で返事した。

 リックは彼女を睨みつけると、メイドは負けじとあごを引き、キッとより強い視線を送る。


 にらみ合いに勝ったのはメイドの方だった。

「ちっ、旦那様の命令は絶対じゃないのか……。僕は、あの手の人間は苦手なんだが、仕方ないか……」

 リックの動きは当然のように鈍い。

 その動きは、足で重しを引きずり歩く囚人のようだった。


「流石は旦那様、男らしいですわ」

 反対にメイドの方は、生気に満ち溢れ、目をキラキラさせ、尊い者に祈りを捧げるような仕草を見せた。

 リックは、彼女の横を通り過ぎる時、わざとらしく独り言を呟いた。

「また、我が家の前で大立ち回りを演じると思うと気が重い……、が、これも家長の務めか……」

 彼は、チラッとメイドの方を覗き見る。


 目が合った彼女は、先日の一件を思い出し、まるで出会い頭に人と出会った野猫のように、ギョッと固まり慌てはじめた。


 リックは、先日、来客の応対をした際、玄関先で大声の怒鳴り合いをしたのだ。


 メイドにとって、それは、大した問題ではない。

 彼女の母親がリックの実家でメイドをしていた関係で、彼女は幼い頃からリックを知っている。

 リックが誰と喧嘩しようが、さらには、その事で、評判が落ちようが、彼女にとっては、些細な事だった。


 幼い頃のリックは、真っ直ぐで喧嘩っ早い、要領の悪い男の子だった。

 それでも、彼より年下だった彼女にとって、良い遊び相手であり、さらには、リックは面倒見が良いので、兄のように慕っていた時期もあったぐらいだ。

 だが、残念なことに、それは、恋愛感情に発展する事は無く、いつしか、出来の悪い、弟のように思うようになっていた。


 彼は、いつまで経っても少年のように、子供っぽいのだ。


 大抵の騎士は、見習いの時期を終える頃、冷静沈着な大人の男性になるのに、

 リックは、全く、いや、少しは落ち着いたが、それは、ふざけた悪戯をしなくなったというだけで、大抵は変わっていない……。


 兎にも角にも、彼女にとってリックは、やはり出来の悪い弟であり、尊敬とは程遠い存在。


 彼女が青ざめた理由は、リックが大立ち回りを演じる事では無く、それが彼の実家に、いや、彼女の母親の耳に入る事だ。

 栗毛のメイドは目に涙を溜め、前回は尻をこっ酷く叩かれ、二、三日は、椅子に座ると、酷く痛かった事を思い出す。

 さらに、耳からは、母親の声が幻聴となって聞こえる始末。

「あなたが付いていながら、情けない!」


 あまりにも理不尽!


 メイドは身震いをし、リックの肩を掴んだ。

「いえ、旦那様は、ここにいて下さい」

 殺意すら感じさせる声色に、

「いや、これは、家長たる僕の仕事だ」

 とリックの表情は輝き、少年のような悪戯な笑顔を振りまいた。

 シャアリーという名の栗毛で小柄なメイドは、ムッとした表情になると、腰の入った力強い一撃を、リックのみぞおちに、本気でドスッと入れる。


 リックの身体がくの字に曲がった。


「シャアリー、女の子がそんな乱暴な事したら駄目だぞ」

 リックの輝きを失った引きつった笑顔に、さらに、先程の一撃を超える拳を、同じ場所に叩き込む。

 部屋が衝撃で振動し、窓ガラスが悲鳴を上げたが、かろうじて耐えた。


 今度は、くの字に曲がるだけではなく、リックは宙に浮くと膝から床に崩れていく。

「シャアリーは、筋が良い」

 という言葉を最後に、リックは床にうずくまった。


「旦那様は、そこで、じっとしていた下さい」

 床のリックを蔑むように見下し、シャアリーは玄関の方へと歩いていった。


 バタンと玄関の扉が閉まる音と共に現れたメイドは、

「そろそろ、お引き取り願います」

 と不躾にのたまう。


「メイド風情が……」

「ね、願います! さっ、奥様」

 シャアリーは、さぁ早く早くと急かすように、リックの妻、ジェシカの手を引いた。


「あら、それじゃ、失礼します」

 と言い残し、ジェシカは家へと戻った。


「あっ」

 残された中年男性は、扉を叩く……、のは躊躇い、諦めた。

 この家の主人を思い出し、流石に厄介ごとになりそうだと思ったからだ。


 陽はかなり傾き、夜は直ぐそばまで来ていた。

 突風に煽られたシルクハットを手で押さえ、男性は屋敷を去っていった。


 ソファでぐったりとしているリックの横に、ジェシカはゆっくりと腰を下ろし、自らの腹を優しく撫でる。

 リックが目を開けると、視界に入ったシャアリーがツンとして部屋を出ていった。


「シャアリーちゃん、怒ってたわよ、なんで、あんな簡単な事が出来ないんだって」

 ジェシカは、リックの頭を膝の上へと引き寄せた。


「ああいうのは苦手なんだ」

 リックは、彼女の腹に耳を澄ます、何か音が聞こえたような気がした。


「聖都から祝いの使者が来るそうよ」

「知ってる……、そして、それが最後だ」

「うん?」

 ジェシカは、彼の頬に手を置いた。冷んやりとした手に、彼は無意識に手をかぶせ温めた。


「聖都は、アレンの転生は否定するからさ」


 部屋に戻ったシャアリーはメイドらしく、丁寧な手つきで、テーブルにカップを並べ、暖かな茶をゆっくりと注いでいく。


 腰を起こしたリックは、その茶に手を付けた。

「そんな事はどうでも良い、この子が、僕らにとって特別なのは、永遠に変わらないのだから」

「そうね」

 彼女は彼に肩に身体を預け、彼は、彼女を引き寄せた。


 それから数日後、アレンは、セントシールで産声を上げた。

 リックの予想通り、聖都は勇者の転生を否定した。

 誰もが、ここまでは、想定の範囲内だった。


 セントシールの民が驚いた事が二つある。

 一つめは、アレンに聖都の市民権が与えられた事。

 二つめは、アレンに見るべき才が一つも無く、その魔力も人より少し劣っていたことだ。


 その事に、世間は、騒いだが、それもアレンが乳ばなれする頃には収まり、忘れ去られた。


 こうしてアレンは、聖都で執行官の職を得るまでの間、セントシールで育ち、成人した。

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