第11話 誕生 その4
セシルはベッドでうだうだとするのをやめて、起きる決心をした。
寝室の小窓からレース越しに陽の光が差し込んでいる。
その柔らかな光は、薄暗い部屋を優しく照らし、寝起きで乱れた着衣から、肢体のラインを妖艶に浮かび上がらせた。
起きる決心をしたものの、やっぱりダメと、彼女はベッドに腰掛け、一息つく。
直ぐに訪れたウトウトとした浅い眠り。
ワンピースの肩紐がずれ、豊かな胸が服を懸命に支えるのに必死の様子、それでも、しっとりとした肌は惜しげもなくさらされ、更には、はだけた胸元の谷間からは、柔らかな体温が立ちのぼるかのように見えた。
コクッと力が抜け、ふと目を覚ます、うーんと鼻を鳴らしながら、小さな口で大きく息を吸い込み、長いため息をつき、肩を落とす。
いっそうずれた肩紐が胸の膨らみを覆う服を引っ張り、あわやという場面も、それを掴み、位置を直し整え防ぐ。
そして、部屋の鏡に映る、寝癖の女に気づき、うつむき、長い、長いため息をついた。
「ほんと、面倒くさい……」
独り言を言い、今度はしっかりと立ち上がり、着衣を脱ぎ捨てながら、浴室へと向かった。
騎士聖堂が建つ、岩山の中腹に議会堂がある。
煉瓦造りの立派な建物、ここでは、今日も、夏至会が開催されていた。
ファーガス総団長から朗報が入り、意気揚々と始まった議会だが、数時間が経ち、昼も近くなると、議場の空気はすこぶる悪くなっていた。
「ふん、いつまで待たせる」
立派な椅子に座る、法衣を着た男は、苛立ちを隠さない。朝早くから、彼の、この発言に聞き飽きた出席者の代議員達は、ただ黙って無視をするが、鋭い視線は、一点に集中させていた。
苛立つ男と、テーブルを挟んだ向かい側、議会の上座にファーガス総団長は座っていた。
両脇を固めるスーツ姿の議長と商会長も、代議員達同様、総団長を非難の目で見ている。
その視線に臆する事なく、ファーガス総団長は、法衣を着た聖都の使者と、その後ろに控える従者をジッと見ていた。
「ふん、セントシールとの付き合い方も考えねばならん! あまりにも無礼! 納税の義務を課すこともあると知れ!」
法衣の男、聖都の使者、ガストン司祭は、ますます顔を赤くして、さらには唾をガンガン飛ばしながら大声で吠えた。
「それは、セントシールと戦争をするという事ですかな」
対照的に、ファーガス総団長は静かな声で応じ、司祭の向こう、彼の従者をジッと見る。
二人いる従者、一人は聖騎士、もう一人は、法衣を纏った背の高い美男子で、長い金髪を後ろで一つに束ねていた。
聖騎士は中々に強そうだとファーガスは感じながらも興味は、もう一人の方、ただならぬ魔力を持った金髪の方に興味はあった。
「セリエンティウム教皇の慈悲がいつまでも続くとは思うなよ」
「随分と強気ですな、やはり、後ろの従者は、聖剣の契約者とその【剣の
ファーガスの獰猛な笑みに、聖都の使者、ガストン司祭はたじろいだ。
【剣の
その上、偉大な鍛治士、グラント・ウィルの作った聖剣なら、第八から九位階、いや、彼の最初の作品、そして最高傑作、聖都の剣聖が代々契約し、伝説の勇者アレンが邪神と戦う時に振るったと詠われる聖剣、断罪の聖剣【ルクス】なら、第十位階の大精霊すら足元に及ばない力を持つという。
だからこそ、剣の化身を、畏怖の念を込め、人はソードフィアと呼んでいた。
しかし、ファーガスは、従者がきっと聖剣の契約者に違いないと思いながらも、そのソードフィアの力がどれほどなのかという、単純な興味を持ち、一度、戦ってみたいとさえ思っていた。
「もし、戦えば、貴様の名は、愚かな反逆者として後世まで語り継がれるだろう」
ガストン司祭は、わなわなと身体を震わせている。
それが怒りなのか、恐れなのか、分からないぐらいには、上手く感情は隠せていた。
「反逆者とは結構な呼び名だ。それでは、儂が勝てば、その名は、化物の支配から教国を救った英雄になるな」
「ファーガス総団長、言葉が過ぎますぞ!」
隣に座る年配の議長が、ファーガスを諌める。
ドンと机を叩き、長髭を生やした商会長も不快を示し、代議員達は非難の言を次々とファーガスへと投げ始めた。当然だ。
「小さな街一つ、纏められない男に何が出来る」
ガストン司祭は、化物発言にはあえて言及せず、その様子を喜び、ねっとりとした笑みをこぼす。
化物とは、この場合、セリエンティウム教皇の事を指している。
教国は、およそ千年前、勇者アレンが邪神と戦い勝利した時に建国されたとされていた。
その時の教皇の名がセリエンティウム、当代の教皇も同じ名を継いでいる。
ここまでは、よくある話だが、問題は、当代は三代目であり年齢も、二百を超え、三百が間近に迫っているという事だ。
その為、代々の教皇を、人々は影で、聖都の化物とよく囁いていた。
騒ぐ出席者達に、
「静まれ!」
とファーガスは一喝した。
空気がピンと張り詰める。
続けざまに、
「なら、化物を化物と言った事は謝罪しよう、それに、聖都が攻めて来ない限り、我らは約定に従うまでだ、ただ……」
と言い、スッと立ち上がる。
「忘れるな、教国は小国の寄せ集め、我らが立てば、教国は、二つに割れると知れ!」
ファーガスはゆっくりと席に腰を下ろした。
その迫力に、議場はゴクリと生唾を飲み込んだ。
議場に嵐が吹き狂う頃、セシルは騎士聖堂の最上階、そのテラスで涼んでいた。
別荘が建つ崖からの都市全体を見下ろす眺めより、不思議と都市が大きく見える。
テラスからは、連なる巨大な壁に阻まれ、先が見えない。
視野は、高い崖の方が優っているが……、見えない、それが想像力をかき立て、彼女に世界を広く見せていた。
彼女の目に、岩山のふもとで大勢の人々が行き交う姿が映る。急いで歩く、またその逆、肩落としている者、楽しそうに談笑し合うもの、様々な姿が、そこにはあった。
彼女には、その姿どれもが限りある命を懸命に生きる人の姿、その一端に見えた。
「奈落の女神、言い得て妙だな……。彼女は望んで堕ちたのだから、それでも……」
彼女は呟く、そして時の流れに思いを巡らせる。
千年は短い……、限られた命を生きる人間には理解出来ないだろうが、千年はあっという間だ。
それなのに、大切な思いを忘れそうな自分を、セシルは恐れた。
「さて、そろそろ……」
テラスから戻ったセシルは、部屋を見渡した。
テーブルの上には、ティーカップが二つ、その内、一つは倒れ中身が溢れ出している。昨晩、ファーガスが勢い良く立ち上がった時に溢れたものに違いない。
更に、彼女は思い出した。
脱ぎ散らかした寝室を……。
うーんと唸る。
ダメ元で、メイドを呼ぶベルを鳴らしてみる。
もう一度、鳴らす。
誰も来ない……。というか来ることは不可能。
だって、
「誰よ、ここをこんなに頑丈にしたの!」
セシルは天井を見上げ叫ぶ!
セシルの張った結界は、超一流だ。並みの、いや、大魔導士でもそうそう破れない品物だ。
だって、女の子一人暮らし、何が起こるか分からないから、
大事じゃん、セキュリティ!
という訳で、入り口の扉を開ける事は不可能だ。彼女が内側から開けない限り……。
なら、内側から開け、メイドを呼べば良いのに、彼女は、ヨシッと気合いを入れ、
「まあ、片付ける時間ぐらい大丈夫よね」
と片付け始めた。
その頃、議場では……。
「我らに、納税の義務を課せば、周辺都市の不満は、爆発するぞ」
と意気揚々とファーガスが、ガストン司祭を煽っていた。
「戯言を申すな!」
とガストン司祭は、相変わらず唾を飛ばすが、
「我らは、周辺都市に多額の援助をしておる。確かに、聖都に納税するとなれば……、自ずと、援助は出来なくなりますな」
とファーガスに批判的だった商会長が口を挟んできた。
それに乗じて、したり顔で、ファーガスはガストン司祭を見た。
「貴様ら! 後悔するなよ! 帰るぞ!」
もう我慢ならんと、ガストン司祭が従者を連れ扉を出ようとした時、
「それは、困りますな、それでは、我が主人の命に背くことになる」
ファーガスはゆっくりと扉の方へ歩みよる。
彼の目は黄金に輝き、敵意をむき出しだ。
代議員達は、慌てて、彼から離れようとした。
「ひっ……」
ガストン司祭の呻き声、聖騎士がファーガスとの間に割ってはいる。もう一人の美男子は、剣を抜き、彼の方へと向かって行く。
ファーガスの手に光が収束し、大剣をかたどる。
「さあ、やり合うぜ!」
満面の笑みだ。
ファーガスと美男子がぶつかり合う寸前、閃光と共に、
「きゃっ」
という可愛らしいしわがれ声。
二人は、その声に弾き飛ばされた。
「いったい、どういう状況なのか、説明してほしいな、坊や」
老婆の姿で現れたセシルは、ファーガスを睨みつけた。
「遅すぎるぜ、婆さん」
彼の一言に、わなわなとキッと鋭い眼光になったのは、セシルだ。
しかし、剣を抜いたまま、立ち上がった美男子に気づき、
「作り物の分際で我に刃向かうか、
と距離を詰める。
彼女は、テネビスの喉元に人差し指を当て、そこから彼の顎を持ち上げた。
聖騎士が剣を抜こうとするが、
「やめておけ、抜かせぬよ」
「くっ」
と異様な魔力を感じ途中で諦めた。
「ぶぶ、無礼者のエルフが、今更来ても、もう遅いわ!」
ガストン司祭は扉に背を当てながらわめいた。
「言葉を慎め、聖都の野蛮人! だが、今日は、許してやる!」
セシルは、テネビスを押し、ガストン司祭の方へ突き飛ばす。司祭にぶつかる前に、聖騎士が受け止めた。
「相変わらず無表情でつまらん奴だ」
テネビスの人形のような表情を見下し、セシルは議員達の方へ振り返る。次に、パンパンと手を叩きながら、
「さあ、皆、席に着け、続きを始めるぞ」
と周り者たちを急かし、自らは、ファーガスの席に腰を下ろす。
「貴様は、立っておれ」
とファーガスに命じて、落ち着いたが、
「野蛮人が座る席など、この場にないわ」
ガストンが動いたのを見て、また騒ぎ出した。
しばらくして、場は静かになったが、誰もが口を閉ざし、牽制し合う、異様な時間がおとずれた。
ガストン司祭でさえ、立ったまま大人しくしている。
沈黙を破ったのは、セシルではなく、ファーガスだった。
「皆に、儂から発表がある。心して聞け!」
その発言に、後ろを振り返り、キッと睨んだのはセシルだ。
「坊やは、黙っ……」
「ここに居られる、セシル・ハーン・ラメッツァは、今日から、名実共に、セントシールの盟主にならなる決心をされた」
「なっ、なっっ」
言葉を重ねられた上に、不意をつき、とんでもない事を言い出したファーガスに、老婆の姿で幼児のようにセシルは慌て出した。
「ですよね、セシル
「おい! ファーガス殿、それは、あまりにも……」
席を立ち詰め寄ろうとした商会長は、身の危険を感じ、途中で言葉を飲み込んだ。
商会長は、ファーガス総団長の目に、彼の武勇を思い出した。敵味方問わず、鬼神と恐れられた武勇。
彼が、敗走しようとした自軍の兵を、躊躇無く切り捨てたという話は、今でも、真しやかに語られている。
セントシールの騎士は、戦場では容赦無い。
そのように、育てられいるからだ。
ただ、彼は、その中でも群を抜いている。
だからこその総団長、彼は、きっと自らの言葉を実行するだろう。
商会長はおずおずと引き下がる。
「さて、お話をどうぞ、セシル
ファーガスは、勝ち誇り満面の笑みでセシルの肩に手を置いた。ワナワナと震える彼女の肩の振動が彼には心地よい。
呼び方も改めろと彼は要求しているのだろうと彼女は理解したが、その話は後でゆっくりするとして……、その時、彼にその余裕があればだが……、と考えながら口を開いた。
「この場に参加したのは、伝えたい事があるからじゃ」
セシルは、話しを始めた。
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