第9話 誕生 その2

 夜の暗がりの中、城門の衛士が緊張した面持ちでランプを手に馬車へと近づく。


 闇に浮かび上がった四頭の白馬、それらは、灯りを嫌い、大きな息で鼻を鳴らす。馬具が揺れ、豪華な装飾が音を奏でる。


 衛士はびくっとするも、白馬がつながれた馬車の方へとランプを動かす。

 照らし出された馬車に、衛士は白銀の紋章を見つけ固まった。


 月桂冠で飾った乙女の横顔を彫り込まれた白銀の紋章。


 セントシールの旗にも描かれている月桂冠の乙女だが、白銀に彫り込まれた紋章は、ある人物しか使用が許されていない。

 その人物とは、都市の創始者であるセシル・ハーン・ラメッツァである。伝説になりつつある彼女だが、今も健在だという事実は一般にも広く知られていた。

 さらに、今年の夏至会にセシル・ハーン・ラメッツァが参加する意向を示しているという噂は、衛士達に広く伝わっており、だからこそ、普段、往来が殆ど無い時間帯に現れた豪華な馬車に、よもやとの思いを、この衛士は頭によぎらせもする。

 それを、白銀に飾られた月桂冠の乙女は、確信に変えた。


 衛士は、ランプを持つ手をガタガタと震るわせた。


 ランプの落ち着きの無い光を浴びている馬車の御者は、しびれを切らし、胸元から洋紙皮を取り出すと、衛兵に見せつけた。

 そこには、中央区への立ち入りの許可を示す文言とファーガス総団長のサインがある。

 慌てて衛兵が敬礼をすると、それが合図となり、急いで門が開かれた。


 御者が手綱を大きく動かすと馬がブルっと震え走り出す。馬車は門をくぐり、夜のとばりが降りた岩山へと続く道の中へと消えていく。


 こうして、セシル達を乗せた立派な馬車はセントシールの城壁をいくつもくぐり、最後に騎士聖堂がある中央区に入って行ったのだった。


 都市の西、普段、彼女が住んでいる山深い屋敷は、セントシールでは、別荘とされており、本来の居所は騎士聖堂と古くから定められていた。

 しかし、実際は、彼女が、騎士聖堂に居たのは、最初の数百年で、それ以降、都市が発展するにつれ、次第に、騎士聖堂から、あの屋敷へと住まいを移していた。


 一行を乗せた馬車は、騎士聖堂の建っている岩山を登る。その道は、急な曲がりが多く、舗装も、お世辞にも良いとは言えないので、馬車は上下左右に激しく揺れた。


 寝ていた老婆が眼を覚ます。


「ガタガタと落ち着かん、もっとまともな道は作れんのか」

 老婆のセシルは、向かい合って座っているファーガス老を、目をくわっとして罵った。

「婆さんの屋敷へと通じる山道の方が険しいだろ」

 動じずファーガス老は言い返す。

「ふん、道が曲がるのは仕方ない、ここの舗装の仕上げの雑さを言っておる」

 彼女は、道に敷かれた煉瓦に段差が多いと指摘している。

 確かに、山深い屋敷へと続く道も、大きく左右に曲がるが、真っ平らに敷かれた煉瓦は見事で、上下にはほとんど揺れない。


 それでも、

「おいおい、山を降りてからは、ずっと舗装はこんなもんだぜ」

 とファーガス老も負けていない。

 詰まる所、左右に大きく揺さぶられたことが、不快の原因ではないかと彼は主張した。


「相変わらず鈍感な男だ。良いか、よく聞くのだぞ、儂は、騎士聖堂に行くのは嫌だと言っておる! 察しろ、馬鹿者! あそこでの、大勢での出迎いなど面倒の極み! 寝床なら、ふもとの坊やの貧相な家で充分だ!」

 セシル婆さんは、杖を何処からか取り出すと彼の頭ポンポンと叩き、仏頂面でふんと荒い鼻息を吐き出し腕を組み、馬車の座席に深く腰を下ろした。その後は、ジッとファーガス老の目を睨んでいる。

 彼は慌てて馬車の外へと目をそらし、この先の事を思い居心地の悪そうな様子を見せた。


 馬車はゴトゴトと音を立てて、山道を登っていく。


 夜も深くなり、日付けも変わる真夜中だというのに、騎士聖堂の正門前広場には、大勢の騎士達が、セシル・ハーン・ラメッツァとファーガス総団長の到着を、今か今かと待ちわびていた。

 数十年振りとなる、都市の創始者にして、物語では絶世の美女と称されているセシル・ハーン・ラメッツァの来訪は、若い騎士達の妄想を膨らませ、また、彼女の今を少なからずも知っている年長の上役達を緊張させもする。


 そして、ついに、その瞬間がやってきた。


 装飾が施された豪華な馬車が正門をくぐり抜け、広場の中央にある噴水を避けるように曲がり、騎士聖堂の入り口から真っ直ぐに敷かれた長い真紅の絨毯の端で止まった。

 ラッパ隊は、その様子に、大きく息を呑み込み、手を震わせながら楽器を構え、絨毯の両脇に並んだ騎士達は、直立不動の姿勢を維持することに集中し、身体を強張らせる。

 歓迎のラッパの音と共に、燕尾服を着た男性達が馬車の方へと小走りで向かう。到着すると二人が優雅な手つきで馬車の両開きの扉を外から開き、同時に、残りの者達が、階段を馬車に素早く掛けた。


 開かれた扉からファーガス総団長が、セシル・ハーン・ラメッツァを優しくエスコートしながら階段から降りてきた。彼女が絨毯の端に着いた所で、総団長は、一歩引き頭を下げる。

 彼女が場を見渡すと、両脇の騎士達は、抜刀し、剣先を天に掲げる。その見事なまでに揃った動作は、誰が見ても感嘆するであろう域に達していた。

 それを、セシル・ハーン・ラメッツァは、興味なさげに一瞥いちべつをくべる。

 騎士達は構う事なく完全に同調したまま剣を腰の鞘に納め、そのまま、流れるような動作で一斉に片膝をつき、こうべを垂れた。

 うむと頷いた彼女は、脇に控えたファーガス総団長に、エスコートを求め、彼は、それに応じ、彼女と共に、絨毯を歩いて行く。

 ファーガス総団長は、騎士聖堂の入り口まで、セシル・ハーン・ラメッツァを導くと、彼女から離れ、出迎えの人物たちに加わり、恭しく頭を下げて、総団長らしい、戦場でも遠くまでよく通る威勢の良い張りのある声でこう述べた。


「お帰りをお待ちしておりました、偉大なる創始者、セシル


 彼女は、彼の言葉に少し笑みをこぼしそうになる。


 彼女の名前の内、ハーンは王族を意味し、ラメッツァは国名だ。

 エルフの流儀だが、これを、人に理解出来るように訳せば、ラメッツァ国のセシル女王といった所だろう。


 笑みがこぼれそうになったのは、ファーガス老が、昼の些細な一件を覚えていて、彼女に気を遣い、エルフ流の敬称を付けなかった事に対してだった。


 しかし、セシルは、セントシールの創始者であり、形式上、この都市の頂点に君臨する権力者となっている。

 その者に対して、公の場で敬称を略するということは、いくら親しい間柄ということが周知されていても許されない行いで、さらには、その者の器が疑われるのは必然だ。

 それを証明するかのように、ファーガス総団長のよく通る声で、今しがたのセシル・ハーン・ラメッツァに対する言動が聞こえた者達の空気がざわつき、重くなる。


 だからこそ、セシルは、その馬鹿な行為が可笑しくもあり、嬉しく思う。


 目の前にいる男は、組織での自分の立場よりも、セシルの気持ちを優先したということだ。

 しかし、彼女とて、セシル・ハーン・ラメッツァとしての立場を守らなければならない理由があった。


 彼女は、真顔で持っている杖をゆっくりと持ち上げ、一気にファーガス総団長の額へと振り下ろす。

 その際の衝撃は、大気を震撼させ、足元に敷かれた煉瓦の一部は砕け砂塵を上げる。

「馬鹿者!」

 セシル・ハーン・ラメッツァの大声が広場に響く。

 その場にいた者達は、ファーガス総団長以外、恐れで目を瞑ってしまう。


 砂塵が収まり、何人かが、恐る恐る開いた目を、入り口の方へ向ける。そこには、額から血を流す総団長の姿があった。

「申し訳ありません」

 彼は、ただただ謝罪をする。

「親しいとはいえ、公の場で、礼儀を欠くのは、あまり感心せんぞ」

 とセシルは述べ、さらに小声で、

「昼の事は気にせず、こういう場では、私の名前を略さず呼びなさい」

 と耳打ちをした。

 ファーガス総団長は、こうべを垂れたまま動かないので、後ろに控えている者達に声を掛ける。

「セントシール、第一の団、守護と創生を司る【ローレル】の団長と、第五の団、北の守護者、氷壁の【アイゼン】を率いる団長が出迎えか、たった二人とは、セントシールは相変わらず忙しいと見える」

 と嫌味を言い、

「道を開けろ、案内せい」

 と総団長を顎で呼び寄せ、騎士聖堂の中へ、ファーガス総団長と共に消えて行った。

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