第6話 酒場

「ねぇ、見てよ、焼きたてのパンよ! アレン!」

 長い黒髪が印象的な女性が、まるで少女のようにはしゃいでいる。

 彼女は、白くてしなやかな指先で、目の前に配膳されたパンを突き、弾力を確かめると、手に取り、愛らしい鼻先に持っていく。

 子リスのように、匂いを嗅ぐ姿は、可愛らしいが、せっかくの美人が台無しだ。


「リズ、はしゃぐな! ほら、肉とスープがきたぞ」

 旅装束に身を包んだ小柄な青年が、呆れ顔で、取り皿を向かい側のリズに渡そうとする。

 彼女は、丁度、パンを割った所で、両手が塞がっており、途方に暮れていると、

 食事を配り終えた給仕の女性が、アレンから皿を受け取り、リズの方へと置いた。


「ありがとう」

 リズが、礼を述べる。


 給仕の女性は、頭を下げ、

「どういたしまして、では、ごゆっくり」

 と立ち去ろうとした。


「あっ」

 リズは何か言いかけ、両手にパンを握ったまま、アレンに懇願した。

 給仕は立ち止まり、楽しそうに成り行きを見守っている。


「まだ、何か、頼むのか?」

 アレンの一言に、リズはコクコクと大きく頷く。


「駄目だ」

 言葉とは裏腹に、アレンは、懐から皮袋を取り出した。

 その様子に、リズは笑顔で、

「あの人と同じお酒を頂戴!」

 と給仕に注文した。


「よろしいので?」

 給仕は、アレンに確認した。


「いくらだ?」

 アレンは、リズの指差す方向を見た。

 そこでは、大きなジョッキで酒を飲む傭兵達の一団がいる。


 給仕は、手のひらを広げ、アレンに見せた。

「銅貨五枚か……、俺とこいつの分で、二杯、頼む」


「流石、アレン、我が主人様」

「リズ、とにかくパンを食うか、置くかしろ! みっともない」

 給仕の手に代金を握らせるが、注文を受け、立ち去る気配がない。


「ここ最近、客が多くて大変なんですよ、最近は、野宿の人も多いみたいですよ」

 給仕の女性は、辺りを見渡し、受け取った金を自らが持つ盆の上に乗せると、手の平をアレンに差し出した。

 まだ日が高いというのに、酒場には、客が溢れ、賑やかだ。


「今日も、野宿なんて、絶対いやよ」

 リズがテーブルを叩くと、取り皿が宙に浮き悲鳴をあげた。


 アレンは、白い毛が混じる黒髪を掻き、

「大丈夫なんだろうな?」

 皮袋から銀貨を一枚取り出し、給仕へ渡す。


「大丈夫よ。私なら、ねっ」

 彼女は、ウインクしながら銀貨を前掛けのポッケに入れた。


「私の名前は、エリーよ。リズさん、アレンさん、よろしくね」

 給仕は、店の奥へと消えていく。


「リズ、早く握ってるパンを食え、スープと肉が冷めるぞ」

 アレンは、鍋から取り皿にスープを移し、口へ運び、食事をはじめた。


「女連れとは、出世したな、アレン」

 聞き覚えのある若者の声が聞こえると、その声の主は、リズの隣に腰かけた。

 リズは、慌てて肉を自分の方へと引き寄せ、目を細め青年を睨んでいる。


「呼びつけておいて遅いな、ブラントン、騎士学校以来だから……、十年振りか……」

「俺の分を頼んでないとは、気が利かない奴だな。あと、俺も、出世したんだぜ、アレン」

 青年は、鎧の肩に刺繍された紋章をアレンに見せつけた。


「ドクロと剣の印か、相変わらず物騒な印だな……、剣が二本……、お前、隊長になったのか」

「そうだぜ、アレン、今から、俺の事は、隊長殿と呼ぶんだな」

 リズは、冷めた目でブラントン隊長を見ていると、彼の周囲に、小さな妖精が飛んでいるのを見つけた。

 人の拳程度の大きさの可愛らしい妖精は、しばらく飛ぶと、彼の肩に止まり、羽を休めている。


「妖精と契約したのね」

 リズは、フォークで肉の塊を突き刺すと、一気に口に放り込み、頬をパンパンに膨らませた。


「相変わらずの残念さんだな、リズ」

 ブラントン隊長は、側にきた給仕のエリーに酒を注文した。

「残念ってなによっ!」

「せっかくの美人が台無しって事だ。新妻に食事の作法を教えるのは、お前の役目だぞ、アレン」

 ブラントン隊長は、給仕のエリーから酒を受け取り、ジョッキをアレンの方へ差し出した。

 大口を開き、パンを頬張っていたリズが、うつむいて食事をしだした。


「おい、なんだ、その笑えない設定は?」

 アレンも、ジョッキを差し出し、彼のにコツンとぶつけた。

 リズの肩がビクッと動く。


「フガッ」

 リズは、妙な声を出すと、遅れてジョッキを持ち上げる。アレンとブラントン隊長は苦笑しながらそこに、柔らかくぶつけて挨拶をした。


「アレンの剣は、相変わらずだな、ほら、お前は、大人しく、この指輪をはめろ」

 ブラントンは、指輪をアレンに差し出した。


 彼がなかなか受け取らないので、

「照れるな受け取れ、アレン」

 ブラントン隊長は、アレンの鼻先に指輪を突き出し、酒を一気に飲み、いつのまにか側で、興味深げに成り行きを熱く見守る給士のエリーに、空ジョッキを差し出し、おかわりを要求した。


 中々、テーブルを離れない給士をブラントン隊長は睨んで、催促をする。


 給士が、慌てて離れた所で、

「いちいち、手前らの素性を説明するのは、面倒なんだよ、俺が雇った新婚の傭兵って事にしとけ、それに、リズちゃんの左手には、既に指輪がはまってるんだぜ」


 熱弁を振るうブラントンの言う通り、特に理由は聞いた事は無いが、アレンも気付いてはいた。


 渋々、指輪を受け取り左手の薬指にはめる。

 リズの様子をアレンが伺うと、酒の影響か、頬を赤らめ、彼女はツンと横を向いた。


「おい、新婚の傭兵の方が目立たないか?」

「気にするな、その方が、絶対、面白いぞ!」

「おい!」

 アレンが指輪を外そうとすると、給士がブラントン隊長の酒のおかわりを持ってきた。


「こいつ、新婚の癖に、指輪をはめないから、説教してたんですよ、お姉さんからも、叱ってやって下さい」

「ダメですよ、アレンさん、リズさんが可哀想です」

 給士のエリーの一言にアレンは観念し、ブラントン隊長に目で抗議をした。


「話は変わるが、森を探るのなら、俺に挨拶してからにしろ」

 ブラントンは、周囲を気にしながら声を潜める。


「知ってたのか?」

「セントシールの騎士を舐めるな、二日前から把握してたさ」

「残念だなブラントン、到着したのは五日前だ」

「ほう、二日も泳がせてやったんだ感謝しろ、あと、あまり、俺たちセントシールの騎士を避けるな」

「気にするな、避けてるわけじゃない、面倒なだけだ……」

 アレンは、顔を背けた。リズと目が合う、彼女は、会話には興味が無い様子だが、ニッコリと微笑んだ。

 彼は、その笑顔に見覚えがあるような気がして不思議に思う。

 何にせよ、素晴らしい笑顔だった。


「賊の襲撃の予告日まで、あと三日だったな」

 アレンは話題を変えた、活気に満ちた町の様子に、戦いが迫っている悲壮感は無かった。


「そうだ、行商人の連中は、明日あたりから町を離れるらしい」

 ブラントンの返事は、彼の思惑とは違う。


「行商人?」

「人が増えれば物資が必要だからな、行商人が、そんな商機を見逃すと思うか? さらに、戦が始まる前に町から離れるに決まってるだろ」


「くそっ、じゃあ、宿の空きが多少でるのか」

 アレンの叫びに、ブラントンからリズの肩へと移動した妖精がビックリして身体を震わす。


「そうなるな、なんかあったのか」

「給仕にチップを渡したんだよ、銀貨一枚、宿の紹介料込みで」

「ほう、それは残念だったな……、思慮の足りない自分を恨め、アレン」

「くっ」

 ブラントンは、アレンの肩を叩き、新しい酒を彼に渡す。鼻をつく、強烈なアルコールの香りが漂う。


「聖都から派遣されたのは、お前らだけか?」

「俺、一人だけだ」

「二人よ!」

 リズが口を挟む。


天秤リーブラの騎士が二人か……」

 ブラントンがリズを気遣う。


「俺の配属先を知ってたのか?」

「だから、セントシールの騎士を舐めるな、と言っている。しかし、聖都からは、騎士が二人か……、辺境の町は、見捨てるのか?」

「そうでもないぞ、セントシールからは十人、派遣されてるのだろ?」

「そう、十人だ。隊にしては、少ないだろ?」

「隊長、改め、班長と呼んでやるよ」

「俺は、隊長に出世したんだ」

「それに、セントシールの騎士、十人なら、賊なら何百人でも余裕だろ?」

「新兵にそれを求めるのは、酷というものだ」

「それは、残念だな、なら、その為に集められた傭兵達だ。上手く使え、お前の指揮次第という事だ」

「まあな、ギルドが躍起になって集めてるからな、傭兵は日が経つ毎に増えやがる。今日で六百程になった」

「なら余裕だ」

「そうでもないさ……、聖都の考えを聞きたい」

「厳しいな……」

 アレンは、新しい酒を飲む、濃いめの味だが、嫌いでは無いと思った。


「だから隊長なんだよ、強いだけでは務まらないのさ」

「聖都は、賊は馬鹿か、若しくは……」

「何かしらの力を得ていると」

「そう、聖都が、今、一番、恐れているのは、十八年前に封印が解かれた【名も無き汚れ】さ」

「十八年? 十年前じゃ無いのか?」

「十年前の奈落は、ほぼ空だった。実際に、解かれたのは十八年前……」

「もし、【名も無き汚れ】が相手なら、戦力が心許ないな」

「心配するな、本体ではない、断片の可能性だ」

「それでもだ、勝てるのか? いや、守る気はあるのか?」

 ブラントン隊長は、怒った口調で言い放つ。


 アレンは、教国の主義を代弁する羽目になり、少し嫌気がさした。


「教国は、人種や種族の違いで差別をしないし、信仰の自由だって認める。何を、信じようが些細な事だ。

 全ては、我らが創造神が創りたもうたもの、命あるものは、全て愛すべき兄弟だからな……。


 だが、牙を向けるものには、容赦しない。


 だからこそ、三大国の一つに数えられる国になった。そして、この町は、教国の辺境とはいえ、庇護下にある」


「なら、なぜ、聖都は、剣聖を派遣しない! セントシールは、ちゃんとした騎士団を派遣しない!」

 ブラントン隊長の怒鳴り声に、酒場の喧騒が、一瞬止んだ。


「酒癖が悪いぞ! ブラントン!」

 アレンは、わざと大声で、ブラントンをたしなめる。


「賊如きの対処は、この戦力で十分だという事だ。他国の目もある」

「多少の犠牲は、仕様がないという事か……」

「そういう事、全ては、その先にある大勢を守る為だ」

 アレンが言い終えると、ブラントンは、酒を飲み、ツマミを頬張る。

 リズと妖精は、相性が良いようで、仲良く食事をしている。中々に、目の保養になる光景。


 気のせいか、リズの機嫌は良さそうに、アレンには見えた。

 その後は、他愛もない話をしながら、時を過ごし、日が沈む頃、アレン達は、酒場を後にした。

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