第6話 家族愛

「……随分遅かったのだな。人間というのは風呂にこれほど時間をかける種族なのか?」


 風呂上りの湿った髪を不機嫌そうにかきあげるヴァレリア。グランさんとの話に夢中になってしまったとは言え悪いことをした。


「待たせてごめん。グランさんとあれこれ話してたら遅くなった」


「あのバカ親父が! それならそうと伝えてくれればいい物を。まあいい、寝室に案内するからついて来い」


 よほど怒っているのか彼女の足取りは速い。遅れないよう早足でついていく。


「なあヴァレリア、バカ親父って事はグランさんはヴァレリアの父親なの?」


「ああそうだ! 認めたくはないが親は選べんからな。よりにもよってあんな男が父親なのだ」


「でもグランさんって、とてもいい人だったけどな」


「もういい! やつの話は聞きたくない。あんな恥知らず、我が親と思うだけで虫唾が走る」


 これ以上の追及は身の安全に関わると判断した俺は、無言で彼女の後をついていく。


 コロニーの中を奥へ奥へと進み、幾つもの角を曲がる。まるで巨大な迷路だ。今ここに置いていかれたら確実に遭難する。途中、一際大きな扉をくぐり、さらに奥へと進む。突き当りにある豪華な扉の前に着いた。


「ここが私たちの暮らすことになる部屋だ。遠慮せずにくつろいでくれ」


 案内された部屋は天井が高く、広さも十分な豪華な部屋だ。小さいとは言え、ガラスの入った窓も切られていて外を眺めることもできた。調度品として大きな鏡のついたドレッサーと一組のソファーとテーブル。クローゼットには俺が来ていたコートとブーツが置いてあり、棚の上には剣と銃、それにゴーグルが丁寧に置いてあった。そしてベッドはキングサイズはありそうな大きなもので清潔なシーツが掛けられている。

 部屋の隅には水を汲んだ桶と洗面台もあり、一流ホテルの豪華な客室を思わせる。この部屋は窓があるためかヒカリゴケによる照明ではなく、ロウソクの入ったランプが灯されていた。


「こんないい部屋使っていいの?」


「ああ、自由に使ってくれ。ここは元々プリンセスの為に作られた部屋なのだが、もう巣別れした。今、このコロニーにプリンセスはいないからな」


「いやぁ、でも気が引けるなぁ。こんな広い部屋を一人で使うなんて」


 俺はしつらえられた一人がけのソファーに座り、深々と腰を下ろす。テーブルには先ほどの風呂上がりにくつろいだ部屋とと同じく葉巻とライター、灰皿が用意されていた。


「葉巻まで置いてあるなんて至れりつくせりだよね」


「お前も私も葉巻を嗜むからな。あらかじめ準備させておいた」


 ヴァレリアは戸棚からグラスを2つ取ってテーブルに並べると液体の入ったボトルから琥珀色の液体を注いでその一つを俺に勧めると、対面にあるソファーに腰を下ろした。


「これはハチミツ酒だ。酒は飲めるのだろう?」


「ああ、ありがとう」


「ではゼフィロスの歓迎とこの部屋での私たちの新しい生活に乾杯だ」


 カチンとグラスが打ち合わされ、中の液体に口を付ける。ハチミツ酒というだけあって甘く、口当たりがいい。アルコール度数もそれほど高くないようだ。


「初めて飲んだけど美味しいね、コレ」


「だろう? この辺はミツバチも多いんだ。このあたりの花は蜜がいいらしく、ハチミツも美味しいからな」


「ミツバチもやっぱり蜂族なの?」


「いや、彼らは昆虫のままさ。昔よりは多少大きくなったらしいがお前の知っているものと大差あるまい」


「そうなんだ」


「私たちは同じ蜂であればある程度、意思疎通ができるからな。彼らが困らない程度に分けてもらっている。私たちの祖先であるスズメバチのように彼らの巣を襲ったりはしないさ」


「ちょっとホッとした」


「あはは、いくらスズメバチの遺伝子が強く働いているとは言え、私たちもヒトだからな。話の通じる相手をむやみに殴ったりはしないさ」


 俺はテーブルの葉巻に手を伸ばし一服つける。空いたグラスにはヴァレリアが2杯目を注いでくれた。


「しかしアレだね。ここにあるものはみんなワーカーの人たちが作ってるんだろ? どれもこれも見事なものだよね」


「流石に全てではないがな。足りないものはほかの種族との交易で賄っているさ。ガラスや鉄などは蟻族が作っていて、私たちの作る木工品やハチミツなどと交換しているんだ」


「へぇ~色々交流もあるんだね」


「まあ、積もる話は明日にして、今日はそろそろ寝ることにしようか。明日はお前が目を覚ました施設とやらに行かなくてはならないからな」


「あ、そうだったね。ヴァレリア、今日は色々ありがとう。君に出会えて本当によかったよ」


「気にするな。お前が来てくれたことでお母様も嬉しそうだ。だったら何も問題はないからな。ほら、早くベッドに入れ」


 俺は押し込まれるようにベッドに寝かされた。広く柔らかいベッドを一人で使う。ものすごく贅沢な気分だ。ヴァレリアがランプのロウソクを吹き消すと部屋は闇に包まれ、窓から漏れる月明かりがうっすらと頬を照らした。


「しかしまるで別世界だな。ここが本当に地球だなんて信じがたい気分だよ」


 一人になった開放感からか、つい思いが口から溢れる。


「しかし事実だからな」


「えっ?」


 気がつけば俺の横にもごもご動くものがいる。えっ? なんで?


「どうした。何を驚いている? ん。トイレなら部屋をでて左だ」


 身を起こしたヴァレリアが俺の顔を覗き込む。金色の瞳が月明かりを反射して輝いて、いやいや今はそれどころじゃない。


「いやいやいや、ヴァレリア。なんでいるの?」


「なんでとはどう言う意味だ?」


「いや、だってここ俺の部屋なんでしょ?」


「ああそうだ。お前と私の部屋だ」


「……ん? って事はここで一緒に暮らすの?」


「お前は何を聞いていたのだ。乾杯するときに言ったではないか。『私たちの新しい生活に乾杯』と」


「ちょっと確認しようか。俺は男でしかも独身。君は女だよね?」


「私が男にでも見えるのか?」


「いや、そうじゃなくてさ。そんな男女がベッドを共にするとかおかしいでしょ?」


「なぜだ? 私は弟や妹たちとこのように寝ていたが何か問題があるのか?」


「問題だらけです。俺は弟じゃないし。ちょっと女王様に確認してくる」


「バカ! それはやめろ」


「なんで?」


「お母様は睦言むつごとの時間を邪魔されることが何より嫌いなのだ」


「いやでもさ、このままだとここで睦言が始まっちゃうかもしれないから」


「お前は何を言っているのだ? 睦言とは女王とその婿である男の間で執り行われる神聖なものだぞ? お前は男かもしれんが私は女王ではない。そんな私たちの間でどうやって睦言が行われるというのだ?」


 あ、ダメだこの人。これがグランさんの言ってたことか。


「そんなつまらないこと言ってないでさっさと寝ろ。眠れないのなら私が抱いてやってもいいぞ?」


 きっと彼女の言う抱いてやると俺の望む抱くの間にはその意味において地上と月位の距離があるのだろう。無論、根性無しの俺は、その言葉に従えるはずもなく、ましてやグランさんに与えられたミッション、『おっぱいを触る』も遂行できず、高鳴る鼓動と興奮を抑えることに苦労しながら眠りについた。


 翌朝、ヴァレリアが用意してくれた朝食を部屋で摂る。非常に美味しかったので材料がなんであるのかは考えないことにした。そのあと身支度を始めたのだが彼女が俺の事を気にせず、着替え始めたのには閉口した。その腰のあたりには尻尾のような小さな蜂の腹。それがピコピコと可愛く動くのが目を引いた。


 それ以上見てしまうと欲求にさいなまされ自分が苦しくなるのは解っているので、後ろを向いてやり過ごす。

 成熟した体に性知識皆無の無垢な心。ああ、人類はなんていう者に進化してしまったのだろうか。今の俺はお預けを食らってハァハァと舌を出してる犬以下だ。


 なにより心に刺さるのは彼女が俺の事を異性として、全く意識していないことだ。そのくせアレコレ世話を焼いてくれる。まるでダメな弟に優しく接する姉のように。それが判るだけに彼女に邪な気持ちを抱くことにとんでもない罪悪感を感じる。子供の頃、地獄には様々な種類があると聞いていたが『おあずけ地獄』なるものが存在するなんて知らなかった。


 ダメだダメだと頭を振り、ネガティブな思考を追い出した。今の俺は完全な異邦人。まずは生きる為にどうするかしっかり考えなければ。まずは生活の基盤を手に入れる必要があるだろう。ここの女王様とていつまでも甘い顔をしてくれるという保障はないのだから。

 それに妹のことも気にかかる。グランさんの話ではここ数百年、人間という種族は存在していなかったらしい。恐らくアイリスもそれ以前に目を覚まし、エルフに進化するなりなんなりしたはず。もしかしたら何か痕跡があるかもしれない。それを探すのも血を分けた兄としての務めだろう。


 それに俺たち兄妹にメイドと仕えてくれていたアンドロイドのカエデもどこかにいるかもしれない。インプリンティングしたオーナーは俺。コ・オーナーはアイリスだったから俺が生きている限り土に還ったりはしないはずだ。無事ならば。


 よし、とりあえずの目的として生活手段の確保。そしてアイリスの痕跡とカエデの捜索をする。生きる上での目的はこれで決まりだ。

 そう決めると先程までの鬱々とした気分はどこかに吹き飛び、生きる気力が湧いてきた。せっかくの新世界なのだ、存分に生きてやろうと。


「なあ、ヴァレリア。蜂族ってのは乗り物とか持ってないの? いい加減歩き疲れたんだけど」


「ふっ、そのような下品な物、私たちには必要ないのだ。この立派な羽がある限りはな。そもそもだ、飛んでいけばあっという間に到着するものを、お前が嫌がるから私まで歩く羽目になっているのだぞ?」


 そうなのだ。ヴァレリアは部屋を出るときいきなり俺を抱え、窓から飛び立ったのだ。俺を抱えたのはお腹のあたりにあるベルトのように組まれていた中肢。ここだけは蜂のままだった。何よりすごいのはその速度だ。時速100kmはあろうかという猛スピード。今考えただけでも身震いするほど恐ろしい体験だった。なにしろ徐々に加速するならまだしも、初速からトップスピードだからね。

 ちなみに俺達の寝ていた部屋は木の中に作られていた。コロニーの入口は地下につながっているが一部は地上に生えている直径20mはあろうかという大木の中につながっていて、その中にあの豪華な部屋は作られていた。


 今のところゴーグルにヴァレリア以外の生体反応は出ていない。このままいけば野生動物との接触はなさそうだ。最も有効半径は500mほどしかないから完全に安心はできないが。


 途中でヴァレリアの用意してくれた弁当を食べ、約半日ほど歩くと目的の崖が見えてきた。ゴーグルの情報によればコロニーからここまで約15km。我ながらよく歩いたものだ。

 崖の頂上までは中肢で俺を抱えたヴァレリアが羽を広げて飛行した。背中に当たるおっぱいはものすごく気になるが今はそれどころではない。くれぐれもゆっくり飛んでくれるようお願いしたのは言うまでもないだろう。


 施設の内部は俺が出たときそのままに、薄暗い明かりがともされている。埃の積もった床に俺がつけた足跡以外は見当たらない。まあ、昨日の今日だし当たり前か。

 コールドスリープのカプセルは正常に機能していたものの残念なことに中にいた人々は皆、亡くなっていた。心は痛むが見知った顔がいる訳でもなし、俺は彼らの死を自分でも驚く程、冷静に受け入れた。


「どうやら生存者はいないようだね」


「ああ、お前には辛い思いをさせてしまって済まない」


「いや、顔見知りはいないし、自分でもあきれるほど冷静さ。ヴァレリアが気にするような事じゃない」


「――そうか、ならばいいのだが。ゼフィロス、これだけは認識しろ。おそらくお前はこの世界におけるただ一人の『トゥルーブラッド』になったということだけはな」


「ああ、なんとなくそうじゃないかなって思ってた。まあ、そうなったらそうなったでなんとか生きていくさ」


「そうか、お前は強いのだな」


「強くなんかない。ただ、泣き喚いたってどうしようもないだろ。だったら前向きに生きていかなきゃってね」


「まあ、生きる事は難しくない。何しろ私たちがいる。お前が何者であれ私たちは家族として迎え入れたのだ。生きることに不自由はさせないさ」


「すまない。見ず知らずの俺にそこまで言ってくれることは正直嬉しく思う」


 やはり少なからずショックを受けていたのだろうか。俺は自分の意思に反して流れる涙を止めることが出来なかった。そんな俺の手を取って、ヴァレリアは優しく見守ってくれていた。


「で、どうするの? 生存者なしと言うことでいいのか?」


「いや、ここを破壊する」


「えっ? 何のために」


「お母様の言いつけだ。『生存者がいない場合、施設を破壊しろ』と。ここには私たちが知るべきではない知識が眠っている。先程のカプセルといったか? ああ言ったモノはこの世界にあってはいけないものなのだ」


「そうか。まあそれはいいとして破壊するにしても俺たちだけじゃできないだろう?」


「こういった施設には自壊装置が付いているらしい。お前に聞けばそれがわかるとお母様は言っていた」


「なるほど、確かにありそうな話だ。ただ、その前に使えそうなものが残っていないか確認してくるよ」


「ああ、そのへんの判断はお前に任せる。私はここに居るから納得いくまで探すといい」


 ……大した物が残っていないのはわかってる。目覚めたときに一通り見たのだから。それでも、2度と手に入らないとなれば話は別だ。この世界は外敵も多いようだし武器のスペアは必須だろう。この便利なゴーグルも万一に備えてスペアが欲しいところだ。医療分野はどの程度技術が引き継がれているかわからない。眠りにつく前に存在していた病気に対してはワクチンを接種しているが、新たな病気が発生していないとも限らない。それにヴァレリア達の使う医薬品が俺に効くとも限らないのだ。できるだけ持っていくべきだろう。


 残念ながら医薬品の類はすべて持ち出された後だった。サイボーグ手術に使うパーツも一つとして残っていない。持っていけそうなものは武器のみ。しかし銃器の類は数も少なく、何より弾が無い。結局、使えそうなのは剣を模して作られた単分子カッターが2本だけ。しかも俺が今使っているような可動ギミックはなく、インプリンティングすら必要ない単純なものだ。まあ、予備としては十分だろう。いくら超硬質セラミックで作られているとは言え絶対に折れないと言う保証はないのだから。

 それ以上の捜索を諦めた俺は、近くにあった薄いビニールシートで2本の剣を薦包こもづつみにして肩から斜めに背負う。


「もう済んだか?」


「ああ、あとはここを破壊するだけだ」


 端末の前に座り、自爆プログラムを検索する。やはりあった。何のためにこのような装置があるのかはわからない。しかし、ヴァレリアの言うとおり、ここに残された技術や知識は曲がりながらも復興を果たしたこの世界の均衡を崩す。俺は亡くなった同胞たちの冥福を祈ると、意を決して自爆プログラムを起動させた。

 プログラムを読み込んだ端末から自爆装置の作動が正常に果たされた事が表示され、施設に警報音が響き渡る。


『自爆まであと120秒』


 無機質な音声で死のカウントダウンが始まった。幾つかの小さな地震はこの施設の動力が暴走を始めたことを示している。俺はヴァレリアと共に、施設の出口へと走っていった。


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