第8話〈発酵した再会〜桃の風味広がる微炭酸を添えて〜〉

 眼が覚めると、いかにもといった様な、「ザ・お城の部屋」のようなお城の部屋が視界に広がった。


「なんだ。ザ・お城の部屋か」


 以前までの僕ならば、この様な不可解な状況に直面した時、その場で顔を伏せ、脳がショートするまで熟考に熟考を重ねていただろう。だが、この世界に来て、未知との遭遇を幾度いくどとなく重ねてきたお陰で、この不可解な状況も冷静に飲み込み、対処する事が出来た。(格好つけているが、ただ単にどんなに考えたって理解する事が出来ないという事を学んだだけである。いたって普通の、シンプルな、思考放棄、現実逃避である)


「いや、ここどこだよ」


 お得意の独り言を呟きながら、綿飴の様なベッドから這い出て、ペタペタと裸足で大理石の上を歩き、眩く輝く黄金の扉に手を掛けて、扉を開ける。思わず叫びそうになった。すぐ目の前に、険しい表情をした女性が待ち構えていたからだ。


「滝川光様。お待ちしておりました。私は、ここ、サントベルク城の使用人のアリアと申します。この度、滝川様の専属召使いとなりましたので、今後ともよろしくお願い申し上げます」


 今にも口づけが交わされそうな、超至近距離で彼女が喋る。


「えっ、あっ、よ、よろしくお願いします」


 高速でギアを上げだした心臓を無理矢理ねじ伏せて、なんとか挨拶と取れる挨拶を返した。


「滝川様。王室にて、アラームド王が貴方の事をお待ちです。ご案内しますので、こちらに付いて来て下さい」


 そう言って彼女は、扉の脇に備えてあった立派なスリッパを僕の足元に静かに置き、長く透き通った純白の髪をひるがえし、凛とした姿勢で真紅の絨毯じゅうたんが敷き詰められた廊下を歩き出した。


「ほあ……」


 その一連の動作に、僕の魂は引き抜かれてしまっていた。別に、彼女がそれに値するような事を行なっている訳では決してない。舞を踊っている訳でもない。妖艶ようえんな誘惑を仕掛けられている訳でも断じてない。ただただ、その洗練された動作に、たたずまいに、雰囲気に、魅せられていた。


「こちらです。付いて来てください」


 口はあんぐりと、今にもよだれが垂れそうな程に大きく開き、目は放心状態の阿呆面あほづらで構えている男を、彼女は哀れみか、はたまた一切の感情を排除した、ただの事務の一環としてか。そのどちらとも取れるような、冷たい言葉で僕に呼びかけた。


「は、はいっ。了解承りました」


 緊張し過ぎて変な言葉遣いになった。これじゃあ、どっちが目上なんだかわかりゃしない。


「いてて……」


 何故か青アザが出来ている首裏をさすりながら、言われた通り彼女のぴったり後ろを歩く。フカフカのスリッパが足をくすぐり心地が良い。


 ジー


 しかし、それにしても遠い。もう百メートル程は歩いたのではないか。沈黙も気まずかったので、勇気を出して話しかけてみた。


「すいません。あとどれくらいで王室に着くのでしょうか」


「えっ。あ、もうすぐですよ。ここが三階で、王室が四階なので、あそこに見える階段を登れば到着です」


「あ、そうだったんですね」


 へー、この人も口ごもったりするんだな、とか思いながら、必要最低限の情報で返答され、話題が広がらなかったことに気づいた。


 ジー


 まだその階段までは距離があるので、もう一度勇気を振り絞ろうとした、その時。僕は、彼女の顔がトマトのように赤く、赤く、赤く染まっていることに気がついた。


「ど、どどうなされたんでございますか」


 緊急の事態に陥ると、壊滅的な言葉遣いでしか喋れない自分に気づき、やっぱり生徒会選挙の演説なんてしなくて良かったな、なんてことを僕が呑気に考えると同時に、彼女の凛々しい足並みが徐々にたどたどしくなり、やがて止まり、静かに僕の方に体を向けた。


「あの……」


「はっ、はいっ」


 彼女は、その見た目とは相反して傷だらけの手を、本物のトマトと同じくらい小さな顔に当てて、羽衣からほつれた糸のような声で、か細く、訴えた。


「そんなに……、見つめないでもらえますか……」


 桃色の蒼天から落ちた雷が、僕の体を貫いた。


「わかりました!!!」


「……へ?」


 なるほど。あの傷だらけの手は好印象だな。まさに、仕事をしている人、といった感じのボロボロの手だな。うん。それにしても、あの純白の頭髪は地毛だろうか? だとしたら、一体どこの国の血があああなんだあれ可愛すぎないかどうなってんだあれちょまてよおい反則だろなんだその上目遣いからの見つめないでもらえますかてやばすぎだろちょっとねえやばいってさすがにそれはやばいってもうほんとにや


「あの……、大丈夫ですか?」


「えっ」


 我に、帰った。


「その、何か付いてましたか? あまりに私のことを凝視なさるので、ちょっと、恥ずかしくなってしまって……。申し訳ありません」


 いちじるしく語彙力が低下していくのを生々しく感じながら、尚も追い打ちを仕掛けてくる彼女に対して軽い殺意を覚えつつも、まあ可愛いからいいよ、といった付き合いたて二ヶ月近いバカップルのような惚気のろけっぷりを全開に発動して(甚だしい勘違い)、なんとか落ち着きを取り戻した。


「あ、えと、こっちこそすみません。その、なんと言いますか……、あんまり可愛かったもので、見惚れてしまっていて……」


「えっ」


 またしても彼女は、トマトになる。


「そ、そうですか。ありがとうございます……?」


 なんだか、今にもヒューヒューといった下品な野次の一つや二つでも聞こえてきそうな、気まずくもそれがまた痺れるくらい心地の良い空間のまま(重ねて言うが甚だしい勘違い)、例の階段を登り、一目でそれと分かるほど豪華絢爛ごうかけんらんに装飾された扉に、ようやく辿り着いた。


「それでは、王室に入室します。いくら滝川様と言えども、王の御前ですので、くれぐれも失礼のないように。よろしくお願いします」


 信頼度ゼロだな。まあしょうがないか。そんなことをまたしても呑気に考えながら、うるさいくらいに輝く扉を潜り、僕は王室に入った。


「おお! 其方が聖者ヒカルか! よくぞ来たな。我々は其方のことを心から」


 申し訳ないが、僕の記憶に残っている王の言葉はここまでだった。に気づいてからというもの、眩しい宝石や黄金も、王様の太い声も、周りにいる兵士達の尊敬の眼差しも、何も頭に入って来なかった。


 驚いた、と言えば嘘になるかもしれない。


 正直に言おう。薄々は勘付いていた。


 おそらく命を亡くして、この摩訶不思議な世界に来た時から。


 そしてその世界には、勇者と聖者の二つの救いの光が、同時に現れると聞いた時から。


 そして、他でもない自分が、その聖者であると知った時から。


 自分が、「永遠の二番手」とも取れる力を持ち、反対に、「定められた一番」とも取れる力を持つ者が、存在すると知った時から。


 分かってはいた。分かってはいた、けれども……。


 なあ。なんでだよ。



 ──大橋。なんでお前がここに居るんだよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

異世界転生しても脇役の僕 ゆう作 @mano3569

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ