第10話『大地に花が満ちるよに』②/著:秋田みやび

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 夜を歌う虫の大合唱の音色の中に、ぱちぱちと火の爆ぜる音が混じっている。


 少しばかり湿気た地面だが、薪の置きかたにコツがあるのだろうか、リーニルーナは器用に焚火を熾してくれた。メリアが火を扱うというのは何だか不思議な気がして、まじまじと焚火と彼女を見比べていると呆れたような表情をされてしまった。


「なあに? メリアだって普通に火を使うけど?」


「あ、すまない。その、メリアという種は木や花が由来だというし……火を禁忌にしているという俗説があるから、つい」


「うん。それよく言われる。でも、エレシアだって火に触ったら火傷するでしょ? 死んだら火に浄化してもらうこともあるでしょ? エレシアにとって火は禁忌なの? あ、もしかして、ご両親はドワーフ?」


「……いや、そうじゃない。けど……考えてみれば、確かに触れば火傷をするというのは同じか」


「乾いた風の吹く日には、もちろん扱いは気を付けるけれど……」


 言いながら、エレシアは焚火で炙って少し柔らかくした干し肉にチーズと香草を巻いて齧りついた。


「ん! 少なくとも、料理に火を使わないなんて考えられない!」


「それには同意」


 満面の笑みのメリアに頷き返しながら、私は乾いたパンに同じものを載せて齧りついた。


 もっとも花の化身のような乙女が、大口開けて肉を齧っている様子というのも何だか違和感を感じるのだが、これも多分偏見だ。よく考えたら、植物だって死んだ動物を養分にするのだし。


「そういえば、モイズーの集落は森に入って半日といったところのはずだが、ここはそんなに離れているのか?」


 思い出したように、私は食欲旺盛なメリアに問いかけた。たしかにアンデッドから逃げる際、けっこう長く走ったが……。


「そうね。ドライコープスは、すごく足が速いから……一度見つかると、撒くのも結構大変なの。子供や老人の足だと、まず逃げ切れない。だから、集落のないほうにできるだけ走ったの」


「それは賢明な判断だ。確かに、長く追跡されたしな」


 おかげで元の道筋を完全に見失ったわけだが。


 一人だったら、ひどく心許なく不安で押しつぶされてしまったかもしれない。自分の出自など気にせず、仲間を募ればよかったと後悔に涙した可能性も……まあ、ある、かもしれない。いや、そんな弱々しい女のつもりはないが。


「しかし、よくあれがドライコープスというアンデッドだと知っていたな、意外と博識なんだな」


「え? ああ、あいつ、干からびた木みたいに見えるでしょ? 枯れ木の間とか、木の間に潜んでたら見逃しちゃうこともあるから、森に生きるものにとってはすごく怖いの。うっかり気付かず近づいたら、逃げ切れないことも多いし」 


 なるほど。


 それで、リーニルーナも森に紛れたドライコープスにうっかりと近づいてしまい、逃げ切れなかったということだろうか。


 一人で納得して頷いていると、彼女は額を飾る赤い宝石を指で触れて、表情を曇らせている。その深くて艶やかな赤い飾りは、素朴な草木染めを纏うメリアの少女に、不自然なほど高価そうに見えた。


「まちがってたらすまない。キミは、もしかして妖精使いだろうか?」


 宝石から妖精を呼び出すことによって様々な魔法を使う者は、大抵宝石飾りを身に着けているものだ。もしかして、彼女が言っていたドライコープスが手におえなかった場合の集落の守り人というのは……。


「うんそうよ。もっとも、守り人になるほど際立った腕前なわけじゃないけど」


 半分当たり、半分は間違いだったらしい。


「ああ、そうだ。これ、当てておくといいわ」


 思い出したように、リーニルーナは自分の服の隠し袋を探り、中からしなびたような草の束を取り出した。ほっそりとした白い手が握りこんでいるのは薬草だ。街で見かけるものとはやや配合が違うのだろうか、私の知らない種類の草も編みこまれている。


「あたしを助けてくれた時に、すこし手傷を負ったでしょ?」


 言われて、逃げる直前に脇腹を少しだけ怪我したことを思いだした。もっとも大した怪我じゃない。それで、彼女の私物を拝借するのは気が咎めるくらいだが。


「これくらい、一晩寝れば治る」


「一晩ゆっくりと寝れると思うの? エレシアって意外と楽天的ね」


 リーニルーナは意外そうに、そしてややからかうように片目を閉じた。


「え?」


「ドライコープスって、夜の森をものともしないのよ。そして、あたしたちは火を焚いて野営してる。すっごく遠くからでも、よく見えるんじゃないかなあ」


「……つまり、撒いたアンデッドが、こちらに一直線という可能性が高い?」


「こないかもしれない、でも、来るかもしれない」


 リーニルーナが表情を曇らせていたのは、そういうことか!


「なら、寝ずの野営になるか?」


「ううん。エレシアは寝て? あたしは眠る必要はないから、でも、途中で叩き起こすかもしれない」


 メリアは睡眠を必要としないという。趣味として眠る個体はいるかもしれないが、確かにこんな場合は徹夜をすれば一気に心身の疲労が圧し掛かってくる私よりも、メリアに任せた方が間違いがあるまい。


「わかった」


 私は素直に彼女の申し出を受けることにした。


 背負い袋から毛布を取り出し、中にくるんでいた届け物の箱を、そっと背負い袋に戻す。箱は小さく揺れると、中でことことと何かが転がるような軽い音が聞こえた。


 中を詮索するつもりはない、嗜好品でも骨董でも、森の中の集落が必要とするものなのだろう。禁制の品でなければ問題ないし、冒険者ギルドが請け負った仕事なのだからそういった危険はないだろう。


 毛布に肩から包まるようにして、身を横たえた。武器と盾の位置だけを確認しておく。


「ねえ。ナイトメアって、寿命がとてつもなく長いのよね? もしかしてエレシアも、子供がいるの?」


 思いがけない無邪気な問いかけが飛んできた。


「何なんだ、いきなり。いない! 結婚なんて私には縁のないことだ。もちろん、子供も考えたことがない。もしいたら、冒険者などやれるか」


「あ。そっか。でも、ちょっといいなあ」


「なにが」


 火の方向を向いて目を閉じながら、無愛想に答えた。


「たくさん、恋ができるね。長い恋も、短い恋も」


「無用だ」


 なんだか、ざっくりと心が斬りつけられたように痛んで、私は逆方向に寝返りを打った。背中に薪の弾ける音と、リーニルーナの無遠慮な声が触れるが、そちらはわざと見ないようにして却下した。


 ふわふわとした地に足のつかない女性の考えつきそうな夢物語だ。心浮き立ち、好いた男と幸せになれることに疑いを持たない。


 確かに、リーニルーナのように可憐な少女なら、秋波のひとつも飛ばせば好きな男がふらふらと引き寄せられるだろうとも。


 しばしの重い沈黙の中で、不意に「あ」と小さな声が焚火の向こうから洩れた。


「……もしかして、エレシアって……失恋して衛士をやめて、冒険者に」


「ちがぁあああああう! 下手な察しをするなぁああ!!」


 いや、今のは察したというよりも詮索なのだろう。うざったい予想を、私は思い切りはねつけた。




 リーニルーナは、一晩中楽しそうに小さな声で歌っていた。


 地面に薪の破片で絵を描いたり、星の形をつなげて勝手な星座を作ったり、そのあたりに生えている草をつんで輪っかを作ったり──もしかして、花冠ならぬ草冠だったのかもしれないが。焚火に近づいてくる虫を捕まえようとぴょこぴょこと跳ねたり。そのたびにふわふわと雪のように白い花弁が舞う。


 なんだか絵になる光景に悔しいような意地悪な気持ちが湧き上がり「フケ……飛んでる」と寝ぼけ眼で呟いたら、聞き咎めていたらしく、「ちがう!」と何かを投げつけられた気がした。皮脂ではなくても、身体からの剥離物なら、似たようなものじゃないだろうか。


 ──夜のないメリアは、本人なりに夜を満喫しているようだ。


 リーニルーナが楽しみを見つけるたびに、私は気配で起こされる。そのたびに夢の中にまどろむようにメリアの囁くような歌にあやされて、また夢の中に戻っていく。


 誰もが死んだように眠る時間を、生を謳歌している──その気配が、不意に尖った。


 まどろみながら、なぜか、そのことを哀しく思う。


 もっと、楽しげに歌っててほしい。日々の何気ない営みを守るのは、私の役目だ。


 夢うつつに、衛士としての職に誇りを持っていた頃の気持ちを思い出した。


 もっとも、どんなに私が護っても……守りたかったあの人は、穢れた私など、見ないのだけれど。彼が自分を見ないなら、隣にいられないなら自分だって……。


「……き、……──よっ!」


 見えるのは、甘え上手でほっそりとして護りたくなるような、家庭的な可愛い女性。


「……てよ! 失恋でやけになった元衛士!」


「誰がだあぁ!」


 不名誉な称号で呼ばれて、私は反射的に身体を跳ね起こした。


 私はどうやら、ふわふわとした夢や希望よりも怒りのほうに突き動かされるタイプらしい。


 そして、私を揺さぶっているのは、ふわふわとした花嫁さんの白いベールのような細かい白い花を無数に咲かせたメリアの少女だ。硬かったその表情が、安心したように綻んだ。


「起きた! ……ねえ、来た。何か近づいてくる」


 頭の中を霞ませていた眠気の霧は、一瞬にして晴れた。剣と盾をとって、纏っていた毛布を剥ぐ。


 オレンジ色の焚火に切り取られた限定的な空間以外は、濃紺の闇に閉ざされていた。


 ただ、時折聞こえていた虫の音が消えている。


 反射的に、リーニルーナを背中に庇い私は懸命に闇へと目を凝らした。


「明るくなる魔法とかないか?」


「ごめん、光の妖精と契約してないの。でも、それで光の妖精を呼んで周囲を照らしても、戦いになったら一気に消えちゃうからね? おびき寄せる役にしか立たないと思うよ?」


「それは役に立たないな!」


「ドライコープスは夜でもこっちを見通してくるしねえ。それでも、ないよりはましかと思ったけど……契約し直そうかなって思ってた時に、来ちゃった」


「暢気に歌ってる間にしておけ!」


 互いに声を潜めながら囁き交わした。その間に、ざわざわと草を掻き分ける音が近づいてくる。


 何かが歩いてくる。


 旅人だろうか? 焚火に惹かれて近づいてくる者もいるかもしれない。


 そんな可能性という気持ちのごまかしは、木々の間から現れる姿に、呆気なく現実を突き付けられた。


 痛いほどの静寂を掻き分けて、きしきしと小さな音がするのは、気のせいだろうか。いや、枯れて乾いた木のように硬くなった身体が、動くたびに軋んでいるのだ。


 思ったよりも、小柄な枯れ木のようなアンデッド──ドライコープス。


 ぽっかりと穴を空けるように、黒々と落ちくぼんだ眼窩。


 私たちを映す眼球などないのに、その穴はこちらを確実にとらえていた。


「最初に言っておく。お前は戦うものじゃないだろう、私が戦っているうちに逃げても構わない」


 枯れ木の死人から目をそらさないまま、私は後ろの少女へと囁いた。


「バカじゃないの? こんな時に一人で大丈夫とかいわないでよね」


 心底呆れたような声が返ってきた。私は当然のことを言ったはずなのに、その子供の意地っ張りを諭すような声音は、なぜかひどく安心をもたらす。


「……じゃあ。魔法で援護できるだろうか?」


 私は背後を見なくても、後ろへと押し遣ったリーニルーナが頷くのを感じることができた。そして、その一瞬の隙を突くかのように、まるで枯れ木のように痩せて乾いた人の形が、こちらへと襲い掛かってきた。


 慌てて一歩踏み出すようにして、盾でその振り上げられた爪を受け止めようとした。ギィン!と硬い金属質な音がして、ある程度攻撃を受け流したものの肘の辺りに痛みが走った。


「くっそ!」


 こちらの番だ、と剣を振るおうとして、ぎょっと目を見開いた。思いがけない素早さでドライコープスは再び爪を振り上げて、私の眼前へと振り下ろそうとしていた。


「ぐ……っ、が!」


 自分の攻撃へと気をとられた一瞬が隙になったのかもしれない。それとも、弱い部分を見通していたのか、ただの偶然か。金属鎧の肩口の部分をひどく抉られて、血が迸る。生暖かい感触の飛沫を頬に感じたけれど、そんな物にはかまっていられない。


「エレシア!」


 背後で、リーニルーナが叫んでいた。そんな悲鳴を上げてくれるなら、さっさと光の妖精と契約してくれればよかったのに。


『──……土の妖精よ』


 リーニルーナが何かを虚空に訴えた、私には理解のできない言語でだ。その瞬間、枯れ木のようなアンデッドの足元、土くれがわずかに盛り上がる。一瞬、ドライコープスはよろめいたようだが、さすがに木のような……というべきか、根を張ったかのように踏みとどまった。


「ごめん!」


 魔法が通じなかったということだろう。


 もともとリーニルーナは集落の守り人にはなれていない程度の使い手だと言っていたのだから、気にすることはない。


 とにかく、背後のメリアの少女の元へと攻撃が及ばないようにと、私は盾を持って立ちはだかりドライコープスを押し返そうとする。


 ドライコープスは驚くほどに素早い。私は衛士時代の俸給で購入した金属鎧で身を守っているが、避けるには少々重いせいもあって、やつの鋭い爪をまともに食らうことも多い。


 痛みに歯を食いしばるしかない。


『火の妖精!』


 やはり背後から高い声が響き、その瞬間肩越しに現れた炎の矢がドライコープスに突き刺さり弾けた。


「ガッ!」


 悲鳴のような声が、耳ざわりに鼓膜を震わせる。


「やるじゃないか! その調子でイケるか?」


「後、二回くらいはね。でも、あいつしぶとい……火が、弱点なのは知ってるけれど、あたしあいつのどこに当てれば効果的なのか、わからないの!」


 リーニルーナは悔しそうに叫んだ。


「私が止めるから、背後から撃ち続けろ!」


「うん!」


 こちらも隙あらばバスタードソードで斬りつけるのだが、片手ではなかなか威力が出ない。ドライコープスは、どうやら私にとって少々相性の悪い相手のようだ。繰り返される攻撃が、地味に鎧を通してダメージを与えてくる。


 そして、このドライコープスは思ったよりも頑丈だ。


 歯を食いしばり、盾で振るわれる爪をいなそうとした瞬間、互いの身体がぶつかり合った。


 黒い眼窩と真正面から睨みあう。


 枯れた肌の老木のようなアンデッド──やや小柄で、花の群生地を通ってきたんだろうか、枯れた多弁の花が肩口に落ちている。


 いや、ちがう。


 これはメリアのアンデッドだ。


 今更ながら、そのことに気付いた。


 密着すると大ぶりの枯れた花は、くしゃっと乾いた音を立てて盾に潰された。


 一瞬だけ、肩越しに背後を振り返ると、悔しそうに歯を食いしばった少女が、握りしめた宝石で妖精へと語りかけている。彼女の髪を彩る、ふわふわと豊かな白い花房の群生が、力を失ったように垂れ下がっている。まるで雨に打たれているかのようだ。


「こっ、の……!」


 リーニルーナは集落の守り手じゃない、なら戦いそのものがあまり好ましいものじゃないはずだ。早く終わらせないといけない。あんなしょげたような顔は見たくない。元気に見当違いの詮索をして、大口開けて干し肉にかぶりついているほうが似合いなのだ。守るべき、街の人たちと同じだ。


 戦いは、私の役目。


 そんな一瞬の物想いの隙を突くかのように、振るわれた爪がまともに私の脇腹を抉った。痛くて、熱い。片手ではまどろっこしい。


 懸命に握りしめていた盾を放り出した。そして、両手でバスタードソードを支える。その切っ先の向こうに枯れたようなドライコープスが見える。


「エレシア!」


 悲鳴のような声とともに、小柄な姿が私の隣に躍り出てきた。その瞬間、一瞬姿が沈んで、そして身体全部が隠れそうな大盾を両手で支えて並んだ。私の盾を拾い上げたのだ。リーニルーナが、私と並び立つ。


「ルーナ! 後ろにいろ! くるな!」


「知らないの? あたし結構頑丈なんだから! エレシアは、自分だけで守るなんて思わないで!」


 前線での戦いの術を知らない小柄なメリアは、その瞬間盾で身を隠すことに間に合わず、まともにドライコープスの爪を食らった。赤い、血ではないのに、それに酷似した飛沫が散った。


「ほら! 平気! 隣でも、平気! あたしだって守れる!」


 爪の二撃をまともに食らったはずのリーニルーナは、得意げに歯を剥くようにして笑った。その瞬間は、私に攻撃が来ない。まだ、やれる。


「やっちゃえ、エレシア!」


「……わかった!」


 今から、彼女を後方に下がらせることも難しい。そう判断した私は、長年の相棒である剣を両手で構え、渾身の力を込め、枯れ果てたメリアへと振り下ろした──。

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