第8話『コカトリスの丸焼き』④/著:ベーテ・有理・黒崎
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「ファルク!」
絶望がアタシの脳裏を駆け巡る。
「走れ! 逃げろ! 俺はもうダメだ」
叱咤するようにファルクが吼える。その間にも、みるみるうちに全身が石化していく。
「ファルク……!」
涙に視界が歪む。逃げなければいけないのに。だけど、ファルクを、相棒を、放って逃げるなんて――
「行け! リュク――」
言葉を終える前に、ファルクの顔が石へと変じていく。
「GrrrrrAAAAAAAAA!!」
顔を瞬時にヤマネコのそれに変じながら、アタシは咆哮した。獣の慟哭。
筋肉が張り詰め、全身に力が満ちる。
逃げなければ――
「GRrraaAAA!」
アタシは、石化したファルクを抱え上げると、脱兎の如く逃げ出した。少し離れた位置で呆けたように立っていたグンナーに対して吼える。
もっとも、普通に話しかけたところで、この頭だと向こうは吼えられたように感じただろうが……
グンナーは弾かれたように走り出す。
『全力で走れ!』
理解されないのを承知しながらリカント語で叫ぶ。
だが、グンナーも察したのだろう。もしくは、単に恐怖からか。ドワーフにしては珍しい素早さを見せながら、彼は全速力で転がるように走っていた。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
息が上がる。ファルクが重い。
だが、絶対に置いていかない。
「ぜえ……ぜえ……」
隣にグンナー。すでに息が上がってきている。
そして、背後には――
ケェェェェェェ!!
コカトリスの怪鳥音。翼を打つ音。
恐怖がせり上がってくる。
一瞬。
ほんの一瞬でファルクは石となった。
ダメだ。
アレはダメだ。
今の自分たちではどうしようもない……!
どうにも、できない……
絶望の中、立ち止まろうとしたその時――
「リュクス!」
荒い息の合間に、グンナーが声を張り上げる。
「アレを!」
指差す方向を見ると、特に方角を決めて逃げていたわけではないのに、落とし穴のすぐ近くまで来ていた。
「導きじゃ!」
グンナーが叫ぶ。
意味のない導き。価値のない奇跡。
コカトリスは飛ぶ。飛んでいる。
落とし穴に意味などないのだ。
「リュクス!」
グンナーが叫ぶ。叫びながらアタシを……否、ファルクを指差す。
「投げろ! 落とせ!」
一瞬、なにを言っているのかわからなかった。
理解した瞬間逡巡した。
グンナーの目を見る。『本気か?』通じぬ言葉で聞く。
「今だ! リュクス、やれ!」
アタシは、くるりと振り返り、悠々と迫りくるコカトリスの目を見据えた。
コカトリスは威嚇するかのように翼を広げ、天を仰ぐ。
「AAAAAAAAAAAAAA!!」
――許せ、ファルク。
アタシは、落とし穴の上で一瞬だけ動きを止めたコカトリスに、石化したファルクを飛び上がった上で思いっきりぶん投げてやった。
ファルクは小さい男じゃない。人間の中では長身な部類だ。それが、石になっているのだ。重い。それが、重く、強大な衝撃として、落とし穴の上で動きを止めたコカトリスに叩き込まれた――!!
・・・
「まったく、酷い目にあったもんだぜ」
リンゴの皮を剥きながら、ファルクはたらたらと文句を繰り返していた。
「はいはい」
実際酷い目にあったのだから、否定することはできない。
でも、流石にちょっとは黙ってくれてもいいんじゃないだろうか。
「おぬしを投げろと言ったのはワシじゃ。発起人もワシ故、文句があるならワシに言うとええ。聞くだけは聞いてやろう。だが、手は休めるな!」
びくり、とアタシとファルクは揃って首をすくめる。そして、リンゴと栗を細かく切っていく作業に戻った。
結論から言おう。
コカトリスは殺した。
ファルクが変じた石像が、落とし穴の上でホバリング中(鶏なのに!)のコカトリスの翼の付け根に命中。バランスを失い、落とし穴の中へと落ちてしまい、無数にしかけられた棘によって串刺しになって死んだ。
石像と化していたファルクは、奇跡的にどこも壊れることなく、無事だった(小さな欠片などが取れてしまったのかそこかしこに小さな傷があるが、それらも全てグンナーの魔法で治せる範囲内だった)。
現在は、コカトリスの丸焼きの調理作業中だ。
まずはグンナーが大ナタを振るい、頭を一気に落とした。そのまま二人がかりで木に吊るし、血抜きをする。じゅうぶんに血抜きをしたら、気道と舌を抜き、ぐらぐらと沸かした熱湯をかけ、羽毛を抜いていく。脚や尻尾の鱗は、グンナーが包丁を駆使してはがしていった。
とにかく大きな鳥だけに、羽毛を抜ききるのも一苦労だった。アタシがその作業をしている間、グンナーはファルクの石化を解き、魔法で癒やしてくれた。
次は最初に胸、続いて腹、肛門とグンナーが包丁を入れていき、内臓を綺麗に抜いていく。この辺りは流石の手際だった。
「本当は内臓も料理できればいいんじゃが」
と、グンナーは実に惜しそうに言っていた。
「石化の力を持つ鳥じゃ。内臓にどんな毒があるかわからん。全部集めて燃やしてしまうのが一番じゃろうな」
それは、復帰したばかりのファルクの仕事となった。
「詰め物は栗、ナッツ類、リンゴ、そしてマルメロを使おう。ハーブの類は、コカトリス・ルーをメインに調合していく感じかのう」
グンナー曰く、米やパンを利用した詰め物は詰め物料理としては美味いが、肉の汁を吸ってしまうため、肉が乾きやすい。それを果物や栗などを使うことで、肉汁と果実の汁が混ざり合い、内から肉に味をつけていく、とのことらしい。
更に、外から塗布していくタレも、隠し味にコカトリス・ルーを少量混ぜ込んでみたらしい。火はヒッコリーにバラして砕いたブランデー樽の破片を加えた木材を熾火になるまで燃やしておく。
ルーの匂いは、単体で食べた時はきつすぎると思ったが、こうして隠し味として使われると、案外美味そうな匂いになるから不思議なものだ。
アタシとファルクの二人がかりでコカトリスに鉄杭を通し、直接火に触れない位置に設置する。あとは、グンナーがひたすらスピットを回すだけだ。
肉の焼ける匂いが辺りに充満する。
鶏と豚が混じった、前の匂いじゃない。
鶏に似ているが、どこかが決定的に違う、そんな違和感のある匂い。
だが、その違和感も含め、美味そうな匂いだった。
腹の虫が盛大に抗議の声をあげてきた。
ファルクが笑う。
今は怪我人だから、蹴るのは勘弁してやろう。
「そろそろええじゃろ」
数時間スピットを回し続けたグンナーが、額の汗を拭いながら宣言した。
彼は肉を休ませ、充分に休ませた後は分厚い肉を切り出し、木皿に載せて提供してくれた。
たまらず、肉の塊にかぶりつく。
見れば、他の二人も同じ状態だった。
しばらく咀嚼し、飲み込む。
最初に口に出したのは、アタシだった。
「あんま美味くないね、これ」
「だな」
「残念じゃのう……元の肉があまり美味くないんじゃな……」
三人で、顔を見合わせる。
徐々に、三人の顔に笑みが浮かんでくる。
最後には、草原に響き渡らんばかりの大声で、アタシ達は笑い転げていた。
〈了〉
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