Call23 重い約束、ヒトとの違い




 暗闇。


 真っ暗な視界……生きているのか、死んでいるのか、一瞬だけ分からなくなる。



 口が閉ざされる瞬間……思わず目を閉じてしまったのだと気付くと、私は恐る恐る目を開いた。



「ひっ……」



 そして思わず、ひきつった悲鳴をあげる。

 眼前に、人面犬の顔があった。

 顔の大きさこそ戻っていたが、私を射竦めるその眼が、私の瞳を覗きこんでいた。

 夕焼けに染まる多目的室に、ドスのきいた低い声が響く。



「理解しろよ、俺達がなんなのか」

「な、……なに? なに、を?」

「あいつがお前を誘った以上、仲良しこよしやんのはとめねーが……」



 首筋に、人面犬の口が近付く。

 噛まれたら、人面犬になる……。

 そのことに恐怖するけれど……目の前の驚異に怯えた身体は、まるで動いてくれなかった。

 カチ……と、私の首の近くで、歯が打ち鳴らされた。

 


「俺達は人間じゃねぇ、最初の夜を忘れんな」

「さ、最初……?」



 最初の夜……メリーさんと会った、あの夜?



「怯えきってただろうが……。人間はそれでいいんだよ、あんま踏み込むな」

「……」

「返事はどうした? おい、人間」



 私を脅す人面犬の声が……耳に響く。



「約束しろよ、あんま俺らに踏み込むな」 


「それは……」 


 人面犬が怖くて……続く言葉はでなかった。

 涙が少し出そうになるけど、それを堪える。

 泣くな、泣くな。

 頷けばいいのかもしれないけれど……踏み込むなという言葉を、理由も分からず受け入れたくはない。

 だけど反論するのも怖くて、ふる……と小さく顔を横に振る。



「ちっ……」


 

 人面犬の小さな舌打ち。

 私はびくっと身体を震わせるけれど……程なくして、私の首の近くから顔が離れる。



「……だからガキはやなんだよ。おい嬢ちゃん、その涙拭いたら落ち着いて話そうや。別に喰いやしねーから」


「っ……泣いて、ない。な、なんなの、急に……急に怖いことして」



 ぐすっと、制服の袖で目元を拭う。

 人面犬が離れて安心したけど、理解が出来ない。

 急に怖がらせて、訳の分からないこと言って。



「死ぬかと思った……こ、怖かったんだから」



「だからそれだよ。……お前今日、あいつと約束したんだろ?」



「あ、あいつ?」



 呼吸を乱した私が聞き返すと、はぁ……と人面犬がため息をついた。 



「メリーさんだよ」

「……し、したけど、なに?」

「二度とすんな……メリーさんだけじゃねぇ、他の奴ともだ」

「な、なんで?」

「……」



 そこでギロっと睨まれて、私は少し怯えてしまう。



「……ひとりぼっちのやつに関してはあいつがお前を守ってっからいいけどよ。あいつや他のやつとの約束は別だ……お前、人間と約束すんのと訳がちげーんだぞ?」

「わ、わかってる……」

「分かってねーからいってんだよ」



 低い声に、私は身体を竦ませる。



「いいか? あいつを捨てんなって約束だけで、普通の人間には手いっぱいなんだよ」

「そんなことない……」

「あるんだっての。……なぁお前、卒業してから四六時中、あいつが近くにいるって思えんのか?」

「それは……」

「どっかの男だのとベタベタしたり、ガキ作って面倒みたり、勉強だの受験だの仕事だのでいっぱいいっぱいになってる時……あいつを忘れないでいられんのか?」

「……」


 卒業してからも、メリーさんがずっと近くにいてくれてると思う。

 そう約束はしたけど、四六時中忘れない……なんてなるとさすがに自信がない。



「四六時中は……自信ないけど」

「じゃあお前は死ぬな」

「え? な、なんで?」

「なんでって、約束守れねーじゃねーか」

「え……そ、そんな、別にそれは……」



 もし少し忘れたとしても、ずっと忘れたりはしない。

 約束を守るとは決めてるし、ちゃんとずっと……メリーさんがいてくれてると信じるつもりだ。



「だから分かってねーんだよ。お前が少しあいつがいることを忘れただけでも、あいつが裏切られたと感じたら……それでお前、あいつに電話されて人生終わりだぞ?」 

「え、そ、そんなの……めちゃくちゃじゃん。別に、ずっと忘れたりとかしないのに」


 ほんの少し忘れても死ぬの?

 さすがに、メリーさんでもそれはしないと思いたい。

 そんな私に、「めちゃくちゃなんだよ」……と、人面犬は口にした。



「あいつも俺も、花子もひとりぼっちも……七不思議も都市伝説の連中も……人間じゃねーの、わけのわかんねーてめぇの理屈で人間なんざ殺せんだ」


 人面犬は、今度は私を諭すように話を続ける。


「手を差しのべる相手は考えろよ、お前は人間だろうが。俺らみてーなバケモン連中と関わってる場合か? そんな奴らと縁を繋ぎまくって、お前は生きてられんのかよ?」



 そう人面犬は言葉を繋いで……。


「で、でも……人面犬さんだって花子さんと仲良くしろって言ったじゃん」


 涙目の私が唇を尖らせて言うと、人面犬はふぅ、と息をつく。


「ああ言った。花子もあれで寂しがってっからな、つい言っちまったよ。……けど、あれももう忘れろ。どんなに仲良しこよしやって、上っ面で笑おうが……俺らは人間からすりゃバケモンなんだよ。さっきみてーな事は幾らでも出来るし、お前のことも好きに殺せる……そのことを胸に刻んどけ」


「…………」


 上っ面で……それは、なんだか嫌だ。

 私はお母さんのために仲良くなると決めたけど……メリーさんを蔑ろにしたいわけじゃないし、関わるなら仲良くはなりたい……泣いていたら、助けてあげたい。


「それとな、お前はガキだからわかんねぇだろうが、上っ面でうまくやんのも友情ってもんだ。大人だろうとガキだろうと、誰にでも踏み込まれたくねぇ場所はある、踏み込んじゃいけねぇとこもある……上っ面とかいってっけど、気遣いっても言うんだよ、そういうのは」

 話を終えると、窓の外から射し込む夕陽を、人面犬は少しだけ眺めた。

 なにかを懐かしむように、僅かに目を細めると……また私に視線を向ける。


「いちいち手を引っ張ったり引っ張られたりしたら急がし過ぎんだろ……踏み込まねえでも、自然に隣にいるくらいでいいんだよ。お前の友情は重すぎだ、救おうだのなんだの考えて、妙な約束すんじゃねぇ」

「…………」


 私は、なにかを言おうとして……口を閉ざした。

 納得したかと言えばそうじゃないけれど……人面犬の言葉を否定する言葉も、今の私には持てなかったから。


 私は間違ってる……?

 メリーさんや和美に手を差しのべようというのは、いけないこと?

 私は人間だから、命が危なくなるから……踏み込まない方がいいの?



 疑問はつらつらとわいて来たけれど……どれも、時間をかけて考えるべきものにも思えた。

 すぐに答えは出せそうにない……素直に納得して頷いてしまっていいのかも分からない。



 だから今は一つだけ、人面犬に……いや、ジョンさんに伝えておくことがあった。


「ん……いろいろ考えないと、なにも言えないけど……」


 私はごし、とまた目元を拭ってから……窓から射し込む夕陽に照らされるジョンさんに、小さな笑顔を向ける。

 悔しさとか、悩みも沸き上がるけど……今伝えたい言葉は、笑顔で言うべき言葉だから。



「……ありがと、キツいこと言ってくれて。ちゃんと考えてみるよ、私の人生に関わることだもんね」


「礼なんざいらねーっての……考えろよ、ちゃんと」



 そんな私にジョンさんは、素っ気なくそう答えた。



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