Call19 消せない約束、消したくない誓い




 水の流れる音が、嫌なくらい耳に響いた。

 跳ねた心臓が、鼓動を早める。



「わ、私のお母さん、知ってるの……? 来たことあるって……」



「知ってるの、ずぅっと見てたから」



 耳に滑り込んでくる……ぬるりとした声音。

 その言葉には、なにか暗い響きが入っていた。

 メリーさんは洗いものをしたまま、張り付いたような薄笑いを浮かべている。



(知ってたって、ウソ……だって、おかしいよ)


 混乱する頭の中、私はあることに気付く。

 この家は、お母さんが結婚してから建った一軒家だ。

 メリーさんとお母さんが会ってたとして、出会ったのはお母さんが中学生の頃……なのにこの家を知ってるとしたら。



「ず、ずっとって……もしかして、お母さんが卒業してからも、ずっと?」


「そうなのよ、だって、わたしのお友達だったから。るーるーが本当の名前を隠したことも、他のことを隠したことも……全部知ってるの」



 私の隠しごと、全部知ってたんだ。

 でも……ずっと?

 そんな前から、お母さんが死ぬ前から知ってたの?

 それなら私だって、聞かなきゃいけない事がある。



「なら、なんでメリーさんは、お母さんの前に姿を現してくれなかったの?」



 それにメリーさんはくすりと笑う。

 少ない洗い物を馴れた手付きで洗いながら、手に持つスポンジで茶碗の汚れを落としていく。

 その姿には先程までの嫌な空気は微塵もなくて……ガラス細工のように繊細で透明な色が感じとれた。



「いたけどひとりぼっちと同じなの。見えなかった、聞こえなかったのよ。だけど、それでも良かったの……」



 メリーさんは食器を濯ぎながら、唄うように、静かに心情を吐露していく。



「わたしが近くにいるって、思ってくれていたなら」



 懐かしむような声だった……。

 愛おしさを感じさせる声だった……。

 そして同時に、過ぎてしまった悲しみを見送る……儚い声だった。


 私の知る限り、お母さんはメリーさんの話をしてくれていないし、書き残してくれたメリーさんとの思い出にも、卒業の後にメリーさんが近くにいた……とは書かれていない。

 メリーさんが悲しんでいるのは、それなんだろう。

 きっとメリーさんにとって、見られないことよりも、話しかけられないことよりも……いないと思われたことが、悲しいんだ。



「私は……」



 私の口が……思わず動いた。

 洗い終えた食器を戻そうとするメリーさんの手首を掴む。

 意味なんてない、ただ、私の存在を伝えたかった。



「私はずっと思ってるから、近くにいるって」



 メリーさんの手は冷たかった。

 冷えた陶器のような、無機質な冷たさだ。 

 動揺することもなく、私の顔に目を向けたメリーさんは……ふふ、と、嘲るように笑う。



「……出来ないのよ。きっと。人間は忘れるもの」

 冷たい目……諦めた声。

 メリーさんのその態度に、私は真っ直ぐ、自分の意思をぶつける。



「出来るよ」

 メリーさんはそんな私に、にやにやとした笑みを浮かべる。

 私の握っていたメリーさんの手首はいつの間にか消えていて……メリーさんの顔は……私の眼前にあった。



「わたし、約束破る人嫌いよ……? ね、約束……出来るの? るーるーはたくさんのものを抱えたのに? まだ持てるの?」


 本当に……?

 と、蒼い瞳が私の瞳を覗き込む。

 今度はまた……暗い色。

 だけど、疑心や、憎悪、怨み……暗く淀んだ、そんな負の感情の中に……。



 軋みをあげた、壊れそうな心があるような気がして……。



「約束するよ、私。卒業しても、メリーさんはずっと近くにいてくれるって思ってるから」



 私は思わず、そう言葉にする。



「……そう」



 小さく返事をしたメリーさんは、そのまま俯く……帽子で顔が隠れてしまったから、表情は見えない。



 メリーさんはそのまま私の方を向くのをやめると、何も言わずにカチャカチャと残った食器を片付け始めた。

 私もそれに合わせ……同じように、食器や箸を乾燥機に入れていく。

 言葉はない……。

 無言のまま、二人で食器を片付ける。




 何も考えずに約束をしてしまった。

 もし約束を破ったら……どうなるかは分からない。

 メリーさんが人形だとするなら……都市伝説の通りなら……メリーさんは、持ち主である子供に捨てられた人形だから。

 捨てないでほしい、約束を破らないで欲しい……そう願うメリーさんの期待を裏切ることは、文字通りに死を意味するのかもしれない。


 だけど、放っておけなかったから。

 涙を流さなくても、メリーさんは泣いていた気がしたから。


 後悔をしないように。

 この約束が裏切りにならないように……必ず守ろう。

 カチャッと、無表情に最後のお皿をおいたメリーさんの横顔を見ながら……私はそう、心に誓った。


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