答えを。

「私があなたを、京師まで、連れていけるかもしれません」

 シスターレアが私にそういってから、一週間が過ぎた。未だ、ふとしたときに、あの言葉は何かの聞き間違いだったんじゃないかと、疑ってしまう。それほどまでに、彼女の言葉は突拍子もないようで、信じられないものだった。

「来週の休日ホリデイまでに、決めておきなさい。もし行けるとするなら、あなたはついてきますか」

 仕事は、旅費は、近所の方とかには。

 なんて、どうすれば。

「そのあたりは大丈夫です。なんていったってみどりちゃん、私はこの教会でもトップクラスの修道女ですよ」

 そういって、トゥニカの老婆は笑った。

 ──妹さんに、会いたいのなら。

 彼女は意味深長な微笑みを一瞬見せたかと思うと、その場を去っていってしまった。

 あとから思うと彼女は、いろいろ計算してこんな行動をとったのだろうとさえ思える。

 その後、私はピアノの部屋にひとりきりになったときに、もう一度ピアノを弾くこともできたのだろうけれど、しかし、私の意識はそれを許さなかった。

 許せなかった。触れることすら拒んだ。

 シスターレアに自分のピアノを聴いてもらったときに、やはりどうしても感じてしまったのだ。

 やっぱり私には・・・・・・・無理なんだ・・・・・

 久しぶりなのもあっただろう、根本的な練習量も違うだろう。

 けれども、やっぱり私は、妹みたいにはできなかった。

 私が特段下手くそなわけでもない。練習をサボるようなひどい性格だったわけでもない。手を怪我しているだとか、その他後天的な理由で状況が違うわけでも、なかった。

 そう、きいが。

 彼女こそが特段特別だっただけで。

 私は劣等感を、どうしても抱いてしまう。仕方ないほどに。



 約束の日がやってきた。

 教会に、村中の人がやってきている。

 安堵、楽しみ、幸福、満足。

 退屈、眠気さ、疲れ、凡庸。

 それぞれが自らを紹介するような表情を見せながら歩くその景色は、まるで平和で、面白味があった。

 自分は果たして、どんな表情なんだろうか。

 自分自身には、わからない。

 牧師の礼拝も終わり、毎週のように人々は、それぞれの友人と、家族と、また出逢った人と和やかな場を開始する。運動したり、世間話をしたり。楽器を奏でたりする人だっている。

 私は先週、シスターレアと出逢ったところに腰掛けて、彼女を待った。

 ピアノの音色は聞こえてきたけれど、先週のようにそれらを楽しむことは、できなかった。

 シスターレアを待つ間、私の脳内を実に多くの感情が渦巻いた。それらは互いに闘争しているように蠢き、轟き、そして私の心を荒らした。正直、どう答えるべきかがわからなかった。妹に会いにいきたいのは紛れもない事実で、私は心の底から妹を愛しく思っていた。しかし同時に、妹に会いに行かない理由もたくさん思い浮かんだ上に、正直会いに行かないといった方が容易い選択だった。妹ながら、彼女は私とは比べられない世界に羽ばたいている。こんなちっぽけな村の隅のほうで働いて暮らしている私からすると、想像さえも許されない領域に、彼女はいるのだ。

 考えはまとまらず、自分がどうしたいのかもはっきりしない。

 今の私は、主を失った羊のようだった。

 私の前方でピアノを弾く修道女たちは美しく、楽しげで、嬉しそうだった。彼女たちは、特別ピアノが上手いわけでもないのに、その顔はまるでたった今、世界一のピアニストだと認定されたような満面の笑みを浮かべていた。

 頭がいたくなる。

 私は、考え過ぎなんだろうか。

 いや、そういうわけじゃない、と自らに言い聞かせながら、私は静かに、シスターレアを待ち続けた。


 それからずっと時間が経って、ピアノを弾く修道女たちが解散し始めた頃。

 空は橙を見せて、鳥が遠くで鳴いているのが聞こえた。

 そんな中で、私の座っているところのすぐ隣に、人が座った音がするのが聞こえた。

 ぼーっとしていた私は慌ててその方向に向き、そして口を尖らせる。

「遅かったです」

 いつものトゥニカを羽織った老いた修道女は、まるで少女のするような悪戯っぽい笑みを見せると、少し詫びるように頭を下げ、そして、

「答えはでましたか」

 と私に言問うた。

 私は胸を張って答える。

「はい」

 シスターレアは刮目する。

「お願いします。私を京師に、連れていってください。私は黄に、会いにいきたいのです」

 どこかから子どもたちが、楽しそうに遊んでいる声がきこえた。

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