あなたも弾いてみたらいいのに

 休日ホリデイの午前中には、労働は禁じられている。だから、この日の午前中には、ほとんどの村の人が教会に集まる。

 ご婦人方は井戸端会議が如く世間話に興じ、男性陣は日々の仕事のストレスを晴らすようにスポーツをして遊んだり、青年たちは少し豪華な肉を食べたり、また子どもたちは近所の仲良しさんと教会の周りを走り回ったりする。なんでもこれが伝統らしく、私も物心つく前からこの景色を見てきた。

 そう、なんら変わりない、一週間のうちの一日。

 私は一人で礼拝を聴き、そして聖堂にあるピアノを弾く修道女を見ていた。

 そんな面白味のかけらもない私に、声がかかった。



「あなたも弾いてみたらいいのに」

 私は、聖堂の隅にある長椅子に腰掛けていた。ピアノまでは少し遠いけれど、しかしピアノのそばにはたくさんの村人が輪をつくって楽しそうにピアノを聴いている。その輪の中に私が入れるとは到底思えなかった。

「案外弾けるんじゃないかしら」

 もう一声かかって、やっと私はその声が私にかけられたものだということに気付いた。

「私ですか」

「そうよ」

 見ると、そこにはずいぶんと高齢の、トゥニカを羽織ったシスターが、私のすぐ隣りに座っていた。

「それで──あなたも弾いてみたらどうかしら」

 シスターはとてもゆっくりと、人を惹きつけるなにかを持った声でそういった。

「あなた、きっと案外上手いでしょう」

 シスターは私に微笑んで、首を傾げた。どこかで知り合った人なのかなと私は考えたが、しかし目の前のシスターと話したのはこれが初めてだった。

「あの、すみませんが、あなたは──」

 シスターは優しそうな瞳で答えた。その瞳はどこかで見たような気がした。

「この教会で過ごして四十年、修道女シスターのレアです」

「シスターレア、私、あなたと会ったことは──」

 シスターレアは声を上げて笑った。若そうな笑い声だった。

「あなたは私を知らないでしょう。しかし私はね、あなたを何年も見てきたのよ」

 驚く私に、シスターレアは説明する。

「別に、親戚だとかあなたの家族とか、ましてその関係者というわけじゃないわよ。ただね、あなたは──いや、あなたたちは、この村ではある意味・・・・、有名なのよ」

 私ははっとして俯く。

 親のいない私たち姉妹は、それはそれは浮いていたことだろう。あの頃からずっと、姉妹二人で生きて、そしてそのうちのひとりは、このうえない神童だったのだから。身分なんてものもない、貯金なんてものもない、けれど私たち姉妹は、間違いなくこの村で生きてきたのだから。

 それはそれは、有名なのだろう。

「そう、だから私は、あなたを知っている」

 シスターレアの言葉は少し厳しいように聞こえたけれど、でもその声には温かみが感じられた。

「そして、だから私は訊いたのよ。──あなたも弾いてみたらいいのに」

 私は妹──大好きなきいのことを思い出す。あんな妹を持ったんだから、私だっていろいろと練習してみたし、練習もさせられた。妹から教えてもらったりもした。けれど、けれど、私は妹とは根本的に違ったのだと、目の前のシスターに教えてあげたかった。言い返したくなった。

 けれど、目の前のシスターレアの瞳を見ると、そんな気はすっかりとなくなってしまって、逆に、自分ももう一度弾いてみたいという気持ちさえ生まれてしまった。

「です、よね」

 結局、私の口からはこんな言葉しか出てこず。

 シスターレアは情溢れる微笑みを私に向けた。

「私についておいで。ピアノを弾きましょう」

 立ち上がったシスターレアは私の目に勇ましく映り、彼女は振り返らずに歩いて行く。慌てて私は立ち上がり、シスターレアの後をつく。

 私は自然と口角が緩み、どこか懐かしい、温かいものが全身に染み渡るような感覚を覚えた。

 少し、ほんの少しだけ、緊張しているのか、震えた。

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