第17話 決戦前夜
金曜午前八時、僕は駅前東口改札に居た。
ベンチに座り、甲斐、和緒を待つ。
昨日の件もあり、どんな顔して二人に会えば良いのだろうか。
姫宮先生、登山先輩にはメールをもらってはいたが、返信出来ていない。
少し複雑な心境だ。
「おはよう、有太」
いつもの調子で甲斐が現れた。
「起きたばかり? 顔がより変になってるわよ」
和緒も相変わらずだ。
思うような返しも出来ず、僕は苦笑い。
電車に乗り、三人で美浦トレセンへ向かう。
茨城県にある美浦トレーニングセンターは、関東最大の規模を誇るトレセンだ。 関東で格付けの高いレースに出走する騎馬は、レース二日前からここに滞在する。
トレセンに着くと、早速携帯を預ける窓口へ。
電車内、届いていたメール全てに返信しようと思ったが、どんな文面で返そうか悩んでしまい、結局誰にも返信出来なかった。
未送信ボックスに文面を溜めこんだまま、僕は携帯を預けた。
時間は正午を過ぎ、これより外部との連絡は遮断される。
高校ごとに隔離された部屋が割り当てられる。
レースを控える僕たちには案内係が付き、隔離された部屋へ通される。
スキンヘッドに無表情な男性。
案内係というより、威圧感のある看守だ。
入室後、案内係が外に出ると同時に施錠。
僕たちは自由に部屋から出ることは出来ず、部屋から出るときは案内係同伴だ。
「さすが美浦トレセン、滞在する部屋も悪くないわね」
部屋に入ると、和緒が室内をチェックしている。
広い室内は八畳ほどのリビング、六畳の和室。
騎娘、騎馬のために三畳ほどではあるが寝室が三部屋ある。
シャワールーム、トイレ付。
男女別の大風呂は指定された入浴時間で利用可能だ。
小さなベランダからは霞ヶ浦を望む。
ほどなくして、部屋に昼食が届く。この二日間、全高校が同じ食事メニューだ。
午後からは軽めの調整でコースを走る。
レース前の練習、調整に関しても時間とコースが割り当てられ、同レース出走の騎馬同士が顔を合わせることがないよう管理される。
天音さんたちも美浦トレセンに到着しているのだろうが、顔を合わせるのはレース当日だ。
この状況、僕が獄中生活と言う意味も納得だろう。
昼食を食べ終えた僕は、昨日からのストレスや早起きからの電車移動の疲れもあり、和室で横になっていた。
「有太、三時からコースに出て練習だから、その時に声を掛けるよ」
かすかに聞こえる甲斐の声が耳に残る。
僕はしばしの眠りについた。
「…………。……太。ちょ、有太! いい加減起きなさいよね!」
眠りについたと思ったら、和緒の聞き慣れた声が耳を突く。
すっかり甲斐に起こされると思っていて、安心しきっていた。
「もう時間?」
僕は時計を見る。
「まだ二時じゃないか。調整は三時からでしょ?」
「持ってきた荷物の整理くらいしなさいよ。だらしないわね」
部屋に到着後、昼食を食べてそのまま和室へ。
僕は持ってきた荷物がリビングに置きっ放しだったことに気付く。
「確かにだらしないな、悪い。甲斐は?」
「明日のスケジュール確認をしに、案内係の人と管理室に向かったわ」
昨日、今日と僕はダメダメだな。気持ちをリセットしないと。これ以上迷惑はかけられない。
そう思いながら、寝室に荷物を置きに立ち上がる。
「有太、別に気にすることはないんだから。昨日のあれ、なかなか立派だったわよ。あんな恥ずかしいセリフ、私には口が裂けても言えないもの。サンライズなんとか、かしら? 英語なんて知ってたのね」
……。
和緒に痛いところを突かれているが、まったく痛くない。
和緒が凄く気を遣っているようにも感じる。
「あれ、朝日杯の杯と掛けて、勝って美酒で乾杯するって意味がポイントだよ」
僕は得意気に言った。
「言葉の数だけ意味が安くなるわね。だいたい未成年なのにお酒ネタなんて論外よ。あと、カンパイの語呂が良くないわ。それって負けだもの。沈黙こそ雄弁、黙りなさい」
相変わらず僕の上をいく和緒。
「誰にだって、知られたくないことや負い目はあるわ」
和緒の表情が一瞬曇ったように見えたが、自身を鼓舞するように笑顔を作った和緒。
「ありがとう、和緒」
和緒の曇った表情の意味が気になったが、ここは素直に感謝し、荷物を寝室で整理することにした。
三時、甲斐とブーツを履き、和緒を乗せてコースに出る。
予約していたウッドチップコースはレースで走る芝と違いクッション性に富んでおり、騎馬の負担が軽減される。
「今日はここでなるべく多くの動きを最終確認、明日の午前中は数本だけ芝で追い切りをする。それでレースに臨もう」
甲斐の提案にはいつも気持ち良く同調出来る。
信頼しているからこそ、駆ける足も力強く前に出すことが出来る。
和緒の繊細な手綱さばき、僕たち騎馬の動きも応える。
コーナーでの和緒の重心移動、ハンドルの引きに、甲斐と僕はお互いの身体を預けることで、騎馬のコーナー姿勢は大きく傾く。
遠心力に負けず、内ラチに沿って最短距離をスピードを維持して回る。
組手は力みすぎず。
鞍上の和緒が動いても、僕たちの組手が支えとなり騎馬姿勢はブレない。
和緒は安心して目を配ることも出来るし、校旗の奪い合いが起こった場合でも地に足が着いた感覚、冷静でいられるだろう。
直線コース、和緒が思い切りハンドルを動かす。鋭く、大きく足を伸ばす。
全力で駆けるスピード感には相変わらず慣れないが、恐怖心よりも楽しい気持ちが上回る。
甲斐と共に和緒を乗せて駆ける。
最高の気持ちだ。
スケジュールとしては強行日程となってしまったが、館森高校の騎馬としての仕上がりは今までで一番であると思われる。
笑顔でコースを引き上げることが出来た。
調整後、僕らは入浴を終えて夕飯の時間。
三人リビングで料理を囲んでいた。
「こなちゃんの料理が恋しいわね」
獄中生活初日にして、すっかり和緒の文句として定番であり、毎度僕も同感だ。
部屋にはテレビも無い。
甲斐と和緒、家だともっと会話しているのだろう。
僕が居ることで、やはり会話も弾まないのだろうか。
食事を終えると、和緒が退屈そうに和室へ。イヤホンを付け、音楽プレイヤー片手に横になっている。
「有太、朝日杯は緊張する?」
「いや、一番のヤマは越えた気持ちだよ。昨日のあれ見たろ? もう最悪だ。怖いものは無くなったよ。いや、次の登校日が怖い」
もう甲斐の気遣いは不要とばかり、僕は
「なら良かった。僕が少し緊張しているのかもしれない」
意外だった。甲斐の気持ちを聞いたことが、今まであまり無かったこともあるだろうが。
「甲斐でも緊張することあるの?」
きっと、こういった僕の気持ちもプレッシャーになるのだろう。
期待をされることは嬉しいことだが、甲斐ほど期待が集まると酷に思える。
「僕と組む時点で不可能から始まってるようなものじゃない? 朝日杯、出られるだけでも奇跡だって」
甲斐に余計なプレッシャーはかけたくない。
「有太は自信持って大丈夫だよ。その奇跡を可能にしたのは有太だから。僕は心から勝ちたいと思ってる。有太、和緒との騎馬で。緊張の出どころは良いはずだから頑張りたいね」
早起きに備え、僕たちは眠りについた。
翌朝土曜の午前八時、僕たちは騎馬の最終追い切りへ。
直線を数本走る。
レース前の最終追い切りは騎馬の状態を見極めるためのデータとして、テレビ用に録画される。
騎馬の走る姿、タイムなどを参考に、騎馬新聞、テレビの予想が立てられ、騎馬ファンの馬券購入へと繋がる。
僕たちがレース当日、パドックで確認出来る人気順が、ある程度各校の調子の良し悪しを判断する指標ともなる。
レースに勝つための最終調整が最終追い切りの目的なので、僕たちはタイムを気にすることなく、騎馬一体を意識して直線を駆けた。
昼食を部屋で食べ終え、僕たちは明日着る衣装などを確認する。
僕たち騎馬の装いは、ベイジュのボトムスに白い長袖のポロシャツ、今回は紺の蝶ネクタイが付く。
「紳士かっ! しかも今回は格式高めっ!?」
レース時の疑問、他校を前に我慢していた気持ちが身内の中で爆発。
これは気持ち良かった。
「うるさいわね、有太。紳士も何も、有太にこの衣装は豚に真珠よ。お兄ちゃんが似合うから、有太にも同じもの着させてあげてるの。感謝しなさい」
「そうなの?」
騎馬が着るものの基準がイマイチ分からないのだが、そんなことで決まっていたのか? 何より、今回も和緒はジャージなのか? 他校の騎娘みたいに、華やかな衣装を和緒は着ないのであろうか。
「和緒はまたジャージ着るの?」
「またなんて失礼ね。有太の予想通り”またジャージです”なんて言うと思った? 大舞台にふさわしいものを着るわ」
和緒は得意気に衣装を広げる。
鮮やかな緑地、両袖が黄色でラインの入る服。
競馬があった頃、騎手が着ていた勝負服だ。
「ちょっと女の子らしくないけど。スカート履くし、それなりにはなるでしょう」
今まで普通にジャージでレースに臨んでいた和緒、一応女の子らしさは気にしていたのか。
「裏地にはミホ先輩たちが書いてくれた寄せ書き、左胸には姫宮先生が付けてくれた館森高校騎馬部のワッペン。宿泊前、こなちゃんに聞いたラッキー占いはポニーテールと聞いてるし。負けなしの縁起物ね」
こなちゃんの占い、ただ和緒にポニーテールをお願いしているだけなんだが……。
和緒は素直に信じている。
「明日の準備は万端ね」
「ちょっと衣装にシワあるね。僕がアイロンかけるから。服貸して」
広井家の日常を垣間見た。
各々室内で時間を潰し、夕飯を終え、大風呂を予約する。
和緒はシャワーで良いらしいが、今夜はゆっくり湯船に浸かりたい。
僕と甲斐は一緒に大風呂に向かう。
「やっぱり冬は熱い風呂が一番だ」
僕は天井を仰ぐ。
「気持ち良いね。長く浸かっていたいけど、寝つきが悪くなるからね。そろそろ出よう」
甲斐の声掛けが無かったら、そのまま長風呂してしまいそうだった。
部屋に戻ると、和室で和緒がドライヤーで髪を乾かしながら、長い髪を櫛で整えている。
三人落ち着いたタイミング、リビングでレースの打ち合わせをする。
大舞台を前に確認することもない。
僕たちはやれることはやった。あとはレースを迎えるだけ。
十時には消灯となる。一人の時間も必要だ。
九時を過ぎる頃、僕たちは各々の寝室で時間を過ごす。
眠りにつこうと布団に入る。
リビングからかすかに聞こえる甲斐と和緒の会話。
「あの時、社ノ台を受ける自信が無くてお兄ちゃんには……」
和緒の涙声、ごめんなさいとありがとうの言葉。
僕にとっての騎馬があるように、兄弟にとっての騎馬もあるのだ。
高校に入るずっと前、いつからか抱いた夢に向かって努力してきた兄弟の時間に、僕は不要であろう。
意識的に何かを聞こうというのも、無意識的に聞こえるということも遠慮したい。
明日、全力で臨むだけだ。
僕は布団を頭の上まで被り眠りについた。
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