第1話 ボーイ ミーツ ガール

「お前、走り方気持ち悪い」


 小学校で校内一の俊足くんは、その一言で鈍足くんになってしまった。

 短距離走は個人、リレー共に運動会の花形、そんな時に目立つ者を良く思わない生徒の嫉妬が生んだ痛烈な一言だった。


 走ること――無我夢中で駆ければ良かったことなのに、姿勢、指先の握り、肘の曲げ、足の運び、全てが気持ち悪いの一言で気になってしまい、鈍足くんは自分を動かす何もかもが嫌いになってしまった。


 急にタイムが落ち、先生にはしっかり走れと怒られ、クックッと背後で漏れる笑い声が悔しかった。

 坂を転げ落ちるように、速く走ることが出来る長所が無くなると、鈍足くんは居場所が日向から日陰に移るのを感じた。

 長所を失うと、途端に短所が目立つようになる。

 短所とは、他人によって作られるものだ。


「お前、顔気持ち悪い」

 それを言ったのがいじめグループのリーダーだったりすると、容姿までもが口撃の対象になり、それは校内に広まり、鈍足くんは速く走ること以外の多くのものも失った。


 リセットだ。


 小学校卒業と共に環境が大きく変わった。

 いじめグループは学区別で散り散りとなり、個となった者たちは中学入学と同時に新たな友達作りに奔走、当面は自分のことで精一杯のようだった。

 目立たないことが一番、苦い経験を経た鈍足くんは、中学生になると努めて普通、風景に溶け込むようなモブ男となる。


「普通というか、悪く言ってしまうと何も無いね、君は」


 三者面談、モブ男は親の前で初めて悪口を言われてしまう。

 先生のせいで、普通でいることが何も無いという短所にすり替えられたのだ。

 少しくらい悪いことをしたり、失敗する生徒のほうが張り合いがあって可愛い、間違いは若いうちにしなさい、といった言葉を並べる先生にモブ男は唖然あぜんとした。

 間違いの矛先が己の場合、他人である先生に痛みなど分かるはずがない。


 不意に賞状を貰ってしまった。

 努めて普通でいたかったモブ男自身痛恨のミスだった。

 どんなことでも順位が付けば表彰するのが学校で、会話すらしたことのない校長先生からおめでとうを言われる違和感。

 壇上からは手を叩く先生、ヒソヒソと会話する生徒の姿。

 

 学校への足取りは重かったが、休んだら休んだで目立ってしまう。

 この目立ち方は先生、親を苛立たせることは知っていたし、自分のいない学校での存在が気になってしまう。

 今日も一日が長い、つまらない、お腹が痛い……。

…………。


 リセットだ。






 僕の名前は折出おりで有太ゆうた

 見慣れた景色を眺めながら、ついついぼんやりしてしまった。

 無意識に通り過ぎた交差点まで慌てて戻り、今日は左折ではなく直進であることを確認する。

 改めて見る交差点は分岐点のように思え、今日から始まる高校生活が今までと違った新しい場所を目指すものであると期待する。


 だが、繰り返されるいつもの朝――目覚ましで起床、朝ご飯は手短に、身支度を整え玄関を出る――を迎えたばかり。

 新しい通学路は交差点一つを直進するだけの変化だけ。

 制服が詰襟つめえりでなくブレザーに変わったが、ブレザーを着る憧れのない僕にはどうでも良いことであって……。


 交差点を過ぎ黙々と歩く。

 まっすぐな道が続いている。

 その変化のない道が、繰り返す日々は変わらないとでも言うように。

 僕はそんな道を重い足取りで歩くことしか出来ないのだろうか。


「あの、ハンカチ落としましたよ」


 背後から透き通った声が響く。

 後方を振り返る。

 誰もいない。


「朝からつまんねー顔すんな! 気分が台無しだぜ」


 強気な女の子の声。

 前方を向き直す。

 誰もいない。


 立ち止まり、思わず僕は吹き出してしまった。

 今日は高校の入学式という特別な日。

 偶然か必然か、そんな日はちょっとした出会いから新しい物語が始まることを僕は知っている。

 ラノベやアニメの冒頭に自分を重ねるように。

 そんな瞬間を期待して、よもや空耳を聞いてしまうとは。


 再び歩き出す。

 そうそう、何気ない瞬間から物語が動き出す主人公、僕はそんな存在に憧れていたのかもしれない。

 背伸びしてヒーローに憧れることもあったと思う。

 だが、そんな存在と僕は無縁なのだ。


 僕は自分の人生でさえ、僕の人生――人生の主人公だと思った瞬間何とも情けなくなる。

 ヒーローなんて、己の無力さを教えるだけの存在でしかない。

 僕はこうして歩くだけでも重さを感じている。

 苦しい場面に助けてくれるのがヒーローなら、ヒーローは僕じゃなくたって構わないのに。


 僕の物語には主人公、ヒーローは存在しない。

 それでは始まらない物語の中に居るのと一緒、そんな事を言われたことがある。

 それは違う。


 僕は、ある物語で兵士Aが身を盾にしてヒロインを救った場面が忘れられない。

 窮地を脱したヒロインを、ヒーロー面で迎えに来る主人公にはうんざりした。

 やがて主人公とヒロインが結ばれる物語、兵士Aの存在無くして成立しないではないか。

 ヒロインへの想いを内に秘め玉砕した兵士Aは心底カッコ良いやつだ。

 

 改めて思う。

 僕の物語には主人公、ヒーローは必要ない。

 ヒロインだけが必要だ。

 

 初登校という特別な時間を考え事に費やしてしまった。

 いつの間にか通学路には学生の姿が目立ち始め、近づく校門には入学おめでとうの声が響いている。

 先輩諸氏せんぱいしょし、腕を上げトンネルを作るように校門を埋め尽くす。


「新入生だね!」

 眼前、差し出された手のひらに思わず静止する。

 腕章を付けた生徒会風のお姉さんの姿。

 1つ2つ年齢が違うだけでお姉さん・・・・とは、高校生活でどんな変化があったのだろう。

 

 新入生は皆、フェルトで出来た桜の飾りを胸元に付け、校門のトンネルをくぐって行く。

 お姉さんに飾りを付けてもらえるものと緊張したが、背後から仲の良さそうな男子生徒が飾りを持って現れる。

 男子生徒からはお姉さんと同じ香水の香りがしたような気がして、淡い期待は見事に裏切られた。

 

 小さく、必要以上に身をかがめながらトンネルを抜けると、中央に時計を配した校舎を正面に捉える。

 これから三年間を過ごす校舎は今まで通ってきた学校そのもので、やはり変わらない日常が続くだけのようだ。


 校舎正面の桜並木は人で溢れ、なかなか前に進めない。

 甲高い声で話す女子生徒は華やかで、部活の勧誘であろうラガーシャツを着た熱血漢は青春を謳歌する象徴そのものに見える。

 その光景に、僕以外の新入生は目を輝かせている。


 僕にはどうして新しい季節を感じられないのだろう。

 毎年繰り返される季節に、新しさを期待するほうが酷だと知っているからだ。


 春風に花びらが舞う。

 枝葉を揺らし、桜が人々に花を咲かせている。

 僕は蚊帳かやの外で、芽吹く季節を眺めるだけだ。

 もう何も変わらない。


……。

 

 一片ひとひらの花びらが頭上を舞う。

 僕は本能的にこれを掴まなければいけないと思った。

 必死に追いかけ、花びらを掴もうとする手。


 空を切る。

 何も掴めないこの手は、ついには最後のチャンスを逃したのだ。

 大きな溜息を一つ。

 僕は桜の木にもたれ天を仰ぐ。


…………。


 ひらりひらり。

 陽光を背に桜の花が舞っている。

 眩しさに目を細める秒速の間、僕の時間はあまりにもゆっくりと流れる。


 ひらりひらり。

 一片の花びらは形を成して僕の元に降りてくる。

 いや、落ちてくる。


 長い髪を揺らし、驚いた表情を浮かべる女の子。

 目の合う一瞬、高鳴る鼓動に僕は息を吹き返す。


 新しい物語が始まる。

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