プロローグ 馬場園レポート

 平和の祭典に沸いた西暦二〇二〇年。

 世代、人種を超えた世界的協調の流れは加速した。

 分け隔てなく愛情をという風潮の高まりは、世界の平和が永遠に続くことを約束するように。


 祭典の成功以上の名声を得たホスト国である日本。

 過剰なまでの称賛は、まるで日本が世界をリードする地位に登りつめたかのような政府の慢心を生み、それは国民にも伝播、画期的国策を以て新時代へ向けての舵取りを主導しようという機運が高まる。


「分け隔てなく愛情を、それは人類に限らず」

 一国の宰相さいしょうが声高々に愛を叫び、名演説のごとく中継、配信され、世論は簡単に操作された。


新生類しんしょうるいあわれみの令”の施行である。


 一次産業カテゴリーである畜産業界への規制は段階的強化という方針の一方、ペット産業や動物園、娯楽分野においての規制は法令の進捗、実績を世界にアピールしたい政府、愛情先進国を自負したい国民の意図が一致、異常な熱を帯びる日本列島。


「お馬さんをむちで叩いて走らせるなんてかわいそう」

 SNS上、馬に触れる少女の後ろ姿の写真、言葉が添えられた投稿は瞬く間に拡散。

 子供の想いに大人が応えなくてどうする、そんな増長した正義感が蔓延する。


 向けられる厳しい視線。

 騎手が勝負所の合図で馬に鞭を入れる光景、競馬のレースにおけるゴールまでの最後の直線、歓声に交じって怒号が目立ち始めた。

 そして、歓声も怒号も消えた沈黙の日曜が訪れる。


 競馬において中距離の王者を決める天皇賞(秋)のレース中、圧倒的一番人気の競走馬が骨折により競走中止、安楽死の処置という悲劇が全国に生中継されたのだ。

 訃報は当日の報道番組、翌日の新聞紙面トップを駆け巡り、連日ワイドショーで取り上げられる内容に多くの国民が悲しみ涙した。

 国民的娯楽である競馬は、新生類憐れみの令が正すべき象徴として矢面に立たされるような状況となり消滅した。


 前述したSNS投稿の少女、実は国策を進めていく上で世論を操作するための仮想インフルエンサーであった可能性が高い。

 それは見事に偶像の役割となり国民の思想を統一、思いがけず人気競走馬の安楽死というトリガーが引かれた結果、世論、法令に則した妥協点を早急に見出したい競馬界関係者、成果を挙げ高い国民の支持を得たい政府機関との利害は一致。

 業界整理は一気に進んだ。


 そのスピード感は癒着、不正の横行を許す強権ゾンビ政治そのもの。

 だが、その真相を暴いたところで意味が無い。

 国民は競馬に成り代わった騎馬に夢中、もはや甲子園を上回る人気の学生競技に水を差す者はいないのだ。


 騎馬とは人が騎馬を組み、競走馬と同じ速度で走る高校生による競技である。

 騎馬戦の組手のような形、男子二人が騎馬となり、女子一人が騎馬にまたがり騎手——騎娘きむすめとなる格好だ。

 騎馬を競馬に代わる競技たるものにしたのは騎馬と騎手を繋ぐ鞍の開発、世紀の発明と言われる騎馬ブーツの登場である。


 元々は足腰にハンデを抱えた人へのサポート、パワーブーツとして開発されたものが騎馬ブーツのベースとなっている。

 自然な動きを実現するために動物の筋組織を培養、生み出された肉塊は人と同期することの出来るフレームと組み合わせることで歩行を助けるブーツとして完成した。


 そこに、競馬の代替でレースが出来る騎馬構想が浮上。

 迫力のあるレースを実現する騎馬ブーツの開発が急務となり、競走馬のDNAを宿した筋組織を培養、ブーツの実験は繰り返された。

 しなやかで強靭な肉塊は、まるで本物の競走馬の足が切除されたようなグロテスクさ、組み合う特殊フレームは肉塊の走る本能を拘束するような義体を思わせる。

 カタチを持たぬ命であれば、意にも介さない新生類憐れみの令という悪法の産物であろう。

 ついに騎馬ブーツは完成したのだ。


 私は騎馬を認めない。

 高校生が騎馬ブーツを履き、競走馬と同じ速度でレースを走ること自体非常に危険である。

 ただ順位を競うだけでなく、騎馬戦の要素を加えた校旗の奪い合いによる怪我のリスクもある中、騎馬に跨る騎娘の衣装は安全面よりも華やかさが重視されたコスプレのようになっていることも大問題だ。


 皆、鞍とブーツの安全装置を過信している。

 そして、レース——学生競技を賭け事にする大人の行為は到底許されるようなものではない。


 自身は熱狂的な競馬ファンを自負する。

 競馬は競走馬の進化、血脈の歴史という点で、新生類憐れみの令でむしろ守るべきものであったはずだ。

 問題の発端となった騎手が鞭を打つ行為は合図の一つ、馬の皮膚の厚い場所を選んで合図する上、見せ鞭という鞭を打たずして合図する手法もあり、それは人馬一体の信用の上に成り立っていると言っても過言ではない。

 人と競走馬の距離は離れてしまった。


 沈黙の日曜、あれは何もかも否定したくなる悲劇であったことは否めない。

 しかし、あの先の光景を駆ける競走馬にもう出会えないことが悲しいのだ。

 騎馬ブーツというただの肉塊が躍動し、高校生騎馬が競馬のレースを模倣した所で、あの熱狂と興奮は返ってはこないだろう。

 

 元競馬記者 馬場園


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