第15話 窮地ニモマケズ

 紅城さんたちが無敗で三冠を達成し、翌週の天皇賞(秋)は社ノ台三年生が優勝、業界の中で社ノ台の名がより圧倒的な存在として恐れられていく。

 十一月一週、天音さんたち一年生騎馬の出走する京王杯(GⅡ)であったが、社ノ台に勝てる見込みのないレースを回避したい高校が続出し、出走はたったの六校。

 言うまでもなく、天音さんたちは圧勝した。

 ここでまさかのシワ寄せだ。


「大変だ! 和緒、有太」

 甲斐が珍しく慌てた様子で調理室へやってきた。

「京王杯をキャンセルした高校が、僕たちの出走予定の東京スポーツ杯に続々エントリーして……」

 息を切らして話す甲斐を落ち着かせる。


「僕たちは新馬戦の一勝のみの実績、一戦一勝だ。各レースには格付けに応じてポイントが与えられるけど、新馬戦一勝のみのポイントだと、エントリーした騎馬の中でウチは獲得ポイントが低く、レース除外になる」

 焦った甲斐の話に和緒が続く。


「新馬戦勝利のポイントが五十ポイント、二着で三十ポイント、三着で十五ポイント。他のレースでも着順に応じてポイントが付与される。

私たち同様に新馬戦を勝った高校が、他のレースで勝たずともポイントを得ていたら、ウチよりもポイントを多く獲得しているわけね。

出走登録が殺到した場合、総獲得ポイントの順でエントリーが行われる」


 レースのエントリーは十六校までと決まっている。

 十六校を超えるエントリーがあった場合、各校の総獲得ポイント上位から優先的にエントリーされる。

 圧倒的に新馬戦を勝利した館森高校であっても、獲得ポイントは五十ポイント。


 一例として、新馬戦を三着(十五ポイント獲得)で未勝利戦を一着(四十ポイント獲得)で二戦一勝とした高校は、五十五ポイント獲得、数字上では館森高校よりも上の評価となる。


 そういった高校が京王杯を避け、東京スポーツ杯にエントリーすることで、館森高校は獲得ポイント下位で出走不可、窮地に陥った。

 このままではポイントが足らず、一年生騎馬の王者を決める朝日杯にも出られない。


「どうしよう…………」

 甲斐、和緒、僕たち三人沈黙する。

 僕はレースの番組表を見る。

「十二月二週開催の条件戦は? 朝日杯と同じ中山騎馬場の芝、距離千六百メートル、一着の獲得ポイントは九十ポイントだよ? これに勝てば翌週の朝日杯に間に合うし、良いシュミレーションじゃないかな?」

 我ながら良い提案だと思った。


「駄目だよ、有太。連闘れんとうじゃ騎馬の負担が大きすぎる。条件戦を勝っても、翌週の朝日杯はとてもじゃないけどベストな状態で臨めない」

「そうよ、有太。デビューを遅らせて、無理のないスケジュール組んだ理由分かるでしょ? 連闘は目に見えない疲労の蓄積であったり、騎馬の負担は大きいから。

残念だけど、大舞台はこの先も控えてる。我慢しましょう」

 いつになく弱気な和緒。


“無い頭で良く考えた提案ね”くらい言ってくれると思ったのに。

 僕は悔しくなった。

 力があるのにそれを大舞台で発揮出来ないなんて。

 僕はともかく、甲斐と和緒が一年生の王者を決める舞台に立てないことが腹立たしくもある。


「僕は無理したって出たい。悔しいじゃないか。天音さん、宇藤くん、栄士だって僕たちと勝負したいと思っているはず。朝日杯の舞台で」

 素直な気持ちを自分の言葉で話せたことがあっただろうか。これは断固たる僕の決意なんだと実感した。


「だ、駄目に決まってるじゃない。有太のくせに生意気よ! 怪我でもしたらどうするの……」

 語尾に力なく和緒が答える。何とも言えない気持ち、僕は唇を噛む。


 …………。


「分かった、それでいこう。有太、和緒」

 甲斐が微笑みながら話し始めた。

「スケジュールを組んだ僕のせいでこの状況だ。有太の提案で、僕はスケジュールのミスを挽回出来る。有太に一個借りだ。

十二月二週のレース、僕の出来得ること全てを駆使し、騎馬の負担を抑えながら走る。これは騎馬選抜試験一位を取った僕の実績、今まで培った自信と力だ。

和緒の危惧きぐしているような無理はしない。信頼して。

悪いけど、有太への借りはこれでチャラ、これで朝日杯は三人同じ気持ちで臨めるね」


 僕の気持ちを汲んでくれる時点で、それは僕の借りなのに。

 相変わらず甲斐は良いやつだ。

「ありがとう」

 僕は甲斐に感謝した。

「な、何勝手に話進めてるのよ!」

 不満そうな和緒。

「男同士の青春ってやつだよ」

 登山先輩の口調で、和緒をからかう甲斐であった。


 朝日杯への新たなスケジュール、姫宮先生には身体への負担の少ないプール等、設備の整った施設予約をしてもらう。

 登山先輩には“険しき朝日杯への道”と題された軽めかつ効率的な練習メニューを渡される。

 こなちゃんからは回復系アイテムリストと摂取が必要と色々調べてくれた食材でのお弁当を渡される。

 当初スケジュールとは大きく変わってしまったが、置かれた状況を俯瞰(ふかん)して見ることが出来る。


 十二月二週、この条件戦に出る一年生の中で、朝日杯に出たい、一年生の王者を目指す、といった騎馬はいない。

 来年以降、少しでもポイントを獲得して余裕を持っておきたいという高校ばかり。

 熊田高校の姿もあった。


「おい折出、新馬戦では騙されたけどな。あの後、未勝利戦は勝って、獲得ポイントはお前らよりも上だからな。わきまえろよ」

「あ、そう」

 言葉にもならない声が出た。相手にするのが馬鹿らしい。

 あの時甲斐が言っていた言葉、

「僕たちの相手はここにいない」

 その通りだ。


 僕が人を見下しているわけではない。

 少なくとも、今はあの時の僕ではないのだ。不快な響きはもう過去にしか響かない。

 僕はリラックスしていた。


 館森高校の新馬戦からしばらくレースは遠ざかっていたが、騎馬ファン、観衆は僕たちのことを忘れていない。

 単勝オッズ一・四倍、圧倒的一番人気でレースを迎えた。


「有太、今日はそのままリラックスしてて。スタート初速の後押しだけでもしてもらえれば十分、後は僕の足の運び、和緒のハンドルの動きに合わせていれば大丈夫」

「今日は作戦も何もない、普通に勝つだけよ」

 全騎馬の視線もまったく気にならない。僕たちのレースをする。

 それだけだった。


 スタート直後から先頭を奪う館森高校。

 前半の千メートルを平凡なタイムで通過、僕は力まず駆ける。

 甲斐の蹴り上げる一歩はこんなにも力強いのか。

 和緒のハンドルで、僕たち騎馬のストライドは大きく伸びがある。

 二人の凄さを実感する。


 気づけば最終コーナー、僕にも最低限やらなければいけないことはある。

 姿勢を傾け、出す足は斜め前に。

 組手を緩くし、甲斐、和緒とのコーナーで生じる軸のブレに対応する。

 遠心力に負けず、最短距離を全速力で回る。

 先頭の僕たちを捉えようと、最終コーナー手前から仕掛けに入る各騎馬。


 僕たちは既に仕掛けていた。

 とは言っても、他校を相手にするでもなく、和緒が勝ち時計として設定した一分三十四秒五のタイムに向かって走っているだけ。

 紅城さんが皐月賞で披露したような騎乗スキルを、和緒は意識的に習得したに違いない。

 最初から先頭、最後の直線三ハロンも出走騎馬中最速でゴール板を駆け抜けた館森高校。


「あぁ……一分三十四秒六、コンマ一ずれてたわね」

 一着でゴール板を駆け抜けた後、電光掲示板のタイムと自分の体内時計がコンマ一ずれていたことを悔しがる和緒。

 新馬戦ほどのインパクトはないにしろ、僕たちが圧勝で二戦目を終えたことに間違いはない。


 条件戦を勝ち上がり、朝日杯出走に必要なポイントを獲得した館森高校。

 今週末は連闘での大一番ということで、身体への負担を減らす、というよりもケアするためのメニューが登山先輩より渡される。

 週初めの放課後の部活動は、一時間ほどでメニューを終える。


 朝日杯への出走校が出揃ったので、これから調理室で各校のデータを見ながら作戦会議だ。

 朝日杯は一年生騎馬の王者を決める格付けの高いGⅠレース、出走してくる騎馬のレベルも高い。

 新馬戦、条件戦と勝ち上がってきた館森高校。

 勝ち方、走破時計共に優秀であるが、今までのように自由な展開で勝負に臨めるわけがない。


「僕たちが出られなかった東京スポーツ杯、勝った進栄しんえい学院は強いね。外国製のブーツ特有のスピード、パワーもある。同じく外国製のブーツを使用する大樹たいじゅ大学付属高校、夏の新潟ステークス(GⅢ、芝、距離千六百メートル)ではコースの特性もあるけど、一分三十三秒五という速いタイムで勝ってるし、マイラー(千六百メートルのレースを得意とする者を指す)の名門校だ。雨でも降って芝のコンディションが悪くなったら、この二校は社ノ台よりも驚異かもしれない」


 騎馬の走るコース、芝とダート(砂)に分かれるのだが、天候不良で芝がぬかるんだりすると、通常よりも走る際にパワーが必要だ。


「社ノ台は後方からの追い込み策、進栄学院は逃げ、先行策、大樹大学付属は先行策。各校の傾向を見ても、先行策を得意とする騎馬が多いから、レース全体のペースが速くなりそうね」


 逃げの作戦しかしてこなかった館森高校。

 朝日杯の顔ぶれを見ると、このレースで逃げの作戦はかなりハイペースでの展開が予想される。

 過去二戦と比較し、逃げの作戦としては同じでも、内容は全く別物だ。


「でも、ウチは今回も“逃げ”は譲らないわ」

 和緒が自信たっぷりだ。

「新馬戦、条件戦とウチらしく逃げ勝ったとは言えないものね」

 僕も同感だった。

 デビューした新馬戦、昨日の条件戦共に、今までの努力に値する勝利としての満足は得られただろうか。

 僕はまったく満足していない。


 あれだけ必死に駆けた社ノ台との模擬レースでは負けたのだ。

 部活動初日から打ちのめされた登山先輩の練習メニュー、一度として休んだことはない。

 今までギリギリのところで頑張ってきた。

 もっと必死に駆けてこそ、満足する勝利に辿り着けると思っていた。

 履くブーツでさえ、どちらかと言えば和緒にコントロールされた過去二戦、少し不満気に抵抗のある足の運びは否めなかった。


「絶好のスタートでハナを譲らず、内ラチギリギリで最短距離を進む。最終コーナーで私が仕掛けのタイミングを待つ。今回は冴に遅れを取らないし、中山騎馬場最後の坂は私たちに追い風ね。勝てるわ」

「和緒、有太と全力で駆けるのは社ノ台との模擬レース以来だね。短期間でも、あの時よりずいぶん成長したと思う。朝日杯で持ち得る全てを出せば、きっと僕たちは負けないよ」


“勝てる 負けない”

 同じ意味でも、双子の性格の違いが見事に現されていた。

 その言葉には確かな自信を感じさせる。

「僕たちの本気、朝日杯で見せてやるさ」

「何よ有太、そのセリフ気持ち悪いわね」

 一度は出走が危ぶまれた朝日杯、甲斐の言った通り三人同じ気持ちで臨む。

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