第12話 最初で最後

 八月三日、正午前。

 フェリーは苫小牧港に到着。

 荷物をまとめ車に乗り、苫小牧トレセンへと向かう。

 今日からいよいよ社ノ台との合宿だ。


「紅城さんたち、もうトレセンに着いているようね」

 携帯を見ながら和緒が嬉しそうに一言。既に車内からはトレセンが確認出来た。

 トレセンの駐車場に到着し、皆で荷台から荷物を降ろしていると、誰かが駆け寄ってくる音がした。


「甲斐~」

 甲高かんだかい声が響く。

 僕たちがその声に振り向くと同時、甲斐に抱きつく女の子の姿。

「ちょっと、ストーカー女! お兄ちゃんから離れなさいよ!」

「あら、ブラコンの和緒じゃない」

 不敵な笑みを浮かべ、和緒を見る女の子。


「天音さん、とりあえず離れてください」

「あら甲斐、私の名前覚えてくれてたの? でも、呼ぶなら冴で良いのよ」

 笑顔のまま、甲斐から離れる女の子。


「館森高校の皆様、初めまして。私は社ノ台一年、天音あまねさえです。お迎えに上がりました」

 動じる僕たちをよそに、平然と挨拶をする。


「天音さん、ご丁寧に有り難うございます。私は館森高校騎馬部顧問、姫宮です。お迎え有り難うございます」

「とんでもないです。さぁ皆様、まずはトレセン内の宿舎にご案内致します。荷物置きましたら食堂へ。昼食で社ノ台騎馬部との顔合わせをさせてもらいますね」


 明るくハキハキと話を進める天音さん。

 いきなり甲斐に抱きついた点を除けば、割と僕の印象は良いのだが。

 隣の和緒の殺気は凄まじいものがある。


 宿舎に着き荷物を置く。

「少ししたらまた呼びに来ますので」

 天音さんが場を離れる。

「和緒、あの子知り合いなの?」

 不満そうな和緒の表情に、僕はヤケドしそうな覚悟で質問した。


「お兄ちゃんのストーカーよ。中学の時から、勝手にお兄ちゃんと騎馬組む約束だとか、しまいには結婚の約束だとか……。有太にも当てはまるワードだけど、俗に言うイタイ子ね。お兄ちゃんが社ノ台に入ると思って、やっぱり社ノ台入学してたのね。とんでもない悪女だわ」

 僕は飛び火で済んだ。


「お兄ちゃんは私が守らないと」

 甲斐に近づく女の子は常に戦争だ。和緒がいる限り。

「昼食の準備が整いましたので、皆様食堂へご案内致します」

 天音さんが再びやって来た。


「ちょっと冴、お兄ちゃんから離れなさいよね」

「あら和緒、あなたに名前で呼ばれたくないわね」

 リズム良く口論し、二人並んで前を歩く和緒と天音さん。

 僕には友達同士にしか見えないのだが。


 食堂に着く。

 ドアを開けると紅城さん、男子四人の姿。

「遠路はるばる合宿参加有り難うございます。改めまして、紅城一羽です。三年生騎馬と顧問は関西遠征中のため、私が顧問代理を務めます」

「館森高校騎馬部顧問、姫宮咲です。紅城さん、私は初めてお会いしますね。宜しくお願い致します」


 そうか、姫宮先生は初対面だ。

 京都騎馬場で紅城さんと会った時、先生は僕たちとは離れ、ひたすら騎馬を観て興奮していた。


「自己紹介などはご飯でも食べながら。さ、皆様席にお着きください」

 天音さんがこの場をリードする。

「和緒さん、隣良い?」

「あ、紅城さん! それはもちろん!」

「甲斐の隣は私ね!」

 天音さんがタイミング良く甲斐の隣に座り、不満そうな和緒。


「俺は社ノ台一年の騎馬、宇藤うどういつきです」

「同じく一年生の日野ひの栄士えいじ、どうぞこちらへ」

 姫宮先生とこなちゃんが席に案内される。見事に席が埋まっていく中、僕は残り物のような。


「初めまして、折出くんだよね? 僕たちは紅城の騎馬、二年の真理尾まりおです。見ての通り双子、騎馬のマリオ兄弟とは僕たちのことだよ」

「名字がマリモならご当地の騎馬って感じなんだけどね。惜しい」

 同じ顔した二人が勢い良く話している。僕はマリオブラザーズで十分だと思ったが。

「ちなみに、どちらが兄でどちらが弟かは、戦略上秘密です。申し訳ない」

 正直どうでも良い。が、あれだけのレースをする騎馬。

 僕は真面目に耳を傾ける。


「広井くんが誰と騎馬を組むのか気になって、折出くんの情報を得ようと思ったけど。騎馬選抜試験を受けた形跡も無く」

「これは要チェックと思ったわけだよ。まさに秘密兵器」

「いえいえ、僕なんてまったくの騎馬初心者ですから」

 マリオ兄弟ほどの実力者にそんなことを言われると、仮病でも使って合宿を辞退したいくらいだ。


「否定してくるところが怪しい」

「うん、怪しい」

 同じ顔から受ける視線というものは強烈だ。

「有太は本当に高校から騎馬を始めたばかりなんですよ」

 甲斐がタイミング良く話に入る。


「半年足らずでこの場に至るのだから、それは秘密兵器として認識しておくよ。何しろ、学年上の僕たちと一緒にレースをするのは一年以上後だからね。今からチェック」

「はい、きっとレースでお会い出来るでしょう」

 久しぶりに甲斐の爽やかな笑顔。


「甲斐、久しぶりだな」

 振り返ると宇藤くん、日野くんの姿。

「試験じゃ負けたが、騎馬としては絶対負けないからな、甲斐。ほら、栄士も言ってやれよ」

「いや、僕なんて。広井くんが社ノ台辞退したからここに居るだけで」

「そんなんだから、中学の時はずっと三位だったんだよ。甲斐はともかく、俺に負けっぱなしじゃ社ノ台の騎馬は務まらん」


“甲斐はともかく”の言葉に、ライバルとして意識する中にも尊敬の念を感じる。

「君が折出有太でしょ? 真理尾先輩が色々調べてくれたけど、まったく情報が無くて。高校から騎馬とは驚いた。俺は宇藤だ。宜しく」

「折出くん、日野栄士です。同じ騎馬として宜しくね」


 同世代の騎馬、それも社ノ台。

 初対面でどうすれば良いのか不安であったが、いつの間にか緊張も取れていた。

 騎馬部に入って出会いが増えた。

 昔から人付き合いが苦手というのは、周りというよりやはり自身に問題があるようだ。


「昼食を終えたら、騎娘と騎馬で分かれてミーティングしたいと思っています。姫宮先生には騎馬側へ、小鳥遊さんには騎娘側へ分かれてもらう形でも宜しいでしょうか?」

 紅城さんの提案。

「お願いしますね」 「ご命令とあらば」

 快諾の先生とこなちゃん。

 昼食を終え、僕は騎馬のミーティングへ。


「館森高校はどんな練習を?」

「坂路がメインですね。騎馬同士での連携も高められるよう、トレセン以外でも組手をして走ってます」

 マリオ兄弟の質問に答える甲斐。


「新馬戦含め、一年生騎馬のレースは短距離が多いからね。加速、スピード増に繋がる坂路は有効だ。一年生は能力で差が出にくいから、騎馬一体を目指し連携を高めるのも良いね」

 僕の中でマリオ兄弟ブラザーズと意識してしまうのが失礼と思えるくらい、話をする真理尾兄弟にオーラが漂い出した。


「ふふ、館森校の機密情報を聞き出せたよ」

「簡単に吐いてしまったね、兄さん」

「馬鹿、どちらが兄かは秘密だろ!」

 やはりマリオ兄弟にしておこう。


「僕らのレースは秋以降だし、この合宿は紅城と話し、一年生のために使おうと決めていたからね。良いメニューがあるよ」

 マリオ兄弟が合宿のスケジュールを示す。


「プールですか?」

 僕はメニューを見て、馴染みの無い練習に思わず質問した。

「今回の合宿、主に騎馬ブーツを履いてこなすメニューが多い。普段は週末にトレセンでブーツを履いて練習するから、ブーツ履くのはせいぜい週一。毎日ブーツ履いて練習すると、平地に比べ身体に負荷がかかりすぎる。合間にプールで調整することで、身体への負荷を抑えることが出来る」

 なるほど。


「今日は合宿初日だから軽めにいこう。新馬戦を控える一年生にはレースで出遅れをしないよう、まずはゲートからのスタート練習だね」

 僕らはトレセン内、ゲートからスタート出来るコースに向かった。


 途中、和緒たちに遭遇。

「和緒たちは何するの?」

「もう、いきなり話し掛けないでよね! カウントがズレちゃうじゃない!」

 ストップウォッチを手にしている和緒。


「和緒さん、たとえ声を掛けられても、体内時計はきちんと刻まないと。レース中、騎娘は正確に騎馬のラップを把握しないとね」

「和緒は集中力無いわね~。はい、私はピッタリ一分計れてるわ」

「冴はどうせマグレよ!」

 騎娘の練習は既に始まっているようだ。


 僕らは騎馬ブーツを履きゲート前へ。

 サイレンスブーツを履くマリオ兄弟、やはりオーラが漂う。

「甲斐はサイレンスブーツだな。有太は珍しいの履いてるな」

 宇藤くんが僕らのブーツをチェックしている。


「俺はインパクトブーツ、栄士はゴールドブーツ、どちらもサイレンスブーツをベースにした社ノ台特注モデルだ」

 眼前の二人と甲斐、この三人が全国騎馬選抜試験のベストスリー……気持ちが委縮してしまう。

「騎馬でゲートに入り、スタートから一ハロンまでを全力で走る。まずは僕らがやってみるから見ていてくれ」

 マリオ兄弟がゲートに入る。


「!」

 黒い影が一瞬にして飛び出す。

 スタンドから観るスタート、眼前のスタート、全然違う。

「どうだった?」

 あっという間に一ハロン駆け抜け、笑顔で戻ってくるマリオ兄弟。

「これを繰り返しやってみよう」


 まずは甲斐と僕からゲートに入る。

 先ほどから萎縮した気持ちに加え、見られている緊張感。

「有太、これは練習だから。組手固定、深呼吸、スタートは重心を後ろから前の振り子イメージ、ゲートの開くタイミングで一気に飛び出そう」

 甲斐の声に冷静になれた。


 全神経を集中する。

 ゲートが開く瞬間の変化に身体が反射的に動き、僕は飛び出す。

「素晴らしい! とんでもないスタートだ!」

 ゲートが開いてから一ハロンまで、僕は集中することで精一杯、何も覚えていない。

 ハロン棒を駆け抜けた直後から、マリオ兄弟、宇藤くん、日野くんが驚きの表情と称賛の声。


「有太、凄い反射神経だ! 僕の初速を有太の反応が後押ししてくれた感じだよ!」

 珍しく興奮する甲斐。

 反射神経……そうか。

 僕は中学の頃、Eスポーツのけっこうな実力者だった。

 対戦相手の動きを見ながら、コンマの世界でいくつものコマンドを入れて必殺技を繰り出す。

 今はあまり振り返りたくない過去も、どうやら役に立ったようだ。


「やはり秘密兵器」

 声を揃えるマリオ兄弟。

 僕たちに負けじと、ゲートに入る宇藤くんと日野くん。

 合宿初日、思わぬ自分の力に安堵し、最高のスタートを切ることが出来た。


 合宿二日目、午前中は実戦形式だ。騎娘を乗せ、コーナー手前からスタート。

 コーナーを回り、傾斜のある三ハロンの直線を全力で走り切る。

「勝負ではないが、勝負だな」

 紅城さんの合図で社ノ台、館森の一年生騎馬同士が馬体を合わせ、走り出す。

「騎乗フォームは和緒さんのほうが上だな、冴」

「和緒さん、社ノ台の騎馬を意識しすぎだ。自分の騎馬と呼吸合わせて。周りより己に集中」

 紅城さんが鞍上の二人に無線で声を掛ける。


「樹、もっと栄士とタイミング合わせろ! 栄士も遠慮するな!」

「折出くん、力みすぎ! スタミナロスするよ! 広井くん、コーナーでの騎馬姿勢、もっと傾けて大丈夫!」

 揃った声が響き、マリオ兄弟がメガホンで修正ポイントを騎馬に伝える。

 こなちゃんの計るラップタイム、徐々に上がってきた。


「よし、最後の一本だ」

 紅城さんがマリオ兄弟を呼び、騎馬として僕たちの元へ。

「私たちがコースを五週走る。五週目の最終コーナーから一緒に走ろう。既に何本も走っている一年生には、ハンデとして平等ではないかもしれないがね」

 明らかに紅城さんたちが不利な設定だ。


 マリオ兄弟が駆け出す。

 紅城さんの美しい騎乗フォーム、動かすハンドルと一糸乱れぬマリオ兄弟の正確な動き。

 美しい、正確であるというのは、時に物足り無いものであるが、騎馬場で感じた静と動の存在を再確認した。

 正確な動きは単調ではなく、呼吸一つ一つに合わせ微妙に変化しながら躍動しているのだ。


「さぁ、お兄ちゃん、有太。紅城さんと騎馬を合わせるわ。全力でいきましょう」

 紅城さんを見つめながら、落ち着いた口調の和緒。

「和緒、私たちでさえ紅城先輩と合わせる機会なんて滅多にないんだから。先輩を失望させないよう、全力で」

 天音さんの声掛けに視線を合わせる和緒、練習の雰囲気が一変した。


「さぁ、行くわよっ!」

 紅城さんたちが五週目の最終コーナーに差し掛かると同時、僕たちは全力で駆け出した。


「可愛いもんだな、後輩とは。な、紅城?」

「レースに出れば競争相手にすぎないが、強いに越したことはない。あの子たちの 先輩として恥じぬよう。行くぞ、虎太郎こたろう龍太郎りゅうたろう!」

「僕たちの名前も戦略上秘密だぞ、紅城」


 和緒、並ぶ天音さんが必死にハンドルを動かす。

 鞍上の動きに呼応する僕たち騎馬、必死に直線の坂を駆け上がる。

 気配を感じた一瞬だった。

 騎馬を合わせる間もなく、紅城さんとマリオ兄弟が僕たちの前に躍り出る。


「こ、こんなにも速いの!?」

 ハンドルを動かしながら声をあげる和緒。

「先輩、まだまだぁ!」

 必死の形相の天音さん。

 感じたことのない足の運びの速さ、限界まで伸ばす足の動きに合わせることに精一杯だ。

 これは僕に限ったことではない。

 限界を超え始め、互いに倒れそうになる社ノ台、館森の一年生騎馬同士。

 いつの間にか騎馬を合わせ、支え合って前の騎馬に食らいつく。


 紅城さん、マリオ兄弟をひたすら追う。その差はまったく縮まらない。

 しかし、一度ひらいた差はそれ以上離れることもなく。

 ゴール板を駆け抜けた。

 和緒、天音さんを降ろした僕たち騎馬はその場で倒れ込んだ。


「紅城、もう少し手加減すれば良かったのでは?」

「あの子たち相手、手を抜いたら失礼だろう」

 紅城さんたちの会話が聞こえた。

「午後からはまた騎馬、騎娘で分かれての練習になります。午前の練習は終了です」


 僕たちは昼前、宿舎に戻った。

「マリオ兄弟の瞬発力凄かったな。並ぶことさえ出来ないなんて」

「本当に音も無く一瞬で抜き去られたね。“刹那の末脚”なんて聞いたこともあるけど納得だ。でも宇藤くん、日野くんに負けてなかった点は良かったね」

「紅城さん、本当にカッコ良かったわね。午後からまた頑張らないと」

「これを見て」

 姫宮先生が僕たちへ嬉しそうに声を掛ける。


「先ほどの直線、最後の一ハロンは紅城さんたちと同タイムよ」

 こなちゃんが自慢気に記録した分析データを示す。

「十一秒一、最後の一ハロンで今までの最速を出せたのか。コースの違い、社ノ台と騎馬を合わせた点も要因かもしれないけど、確かに最後は離されていなかった」

 甲斐が冷静に振り返る。

「有太、和緒、僕たちは強くなっているね」

 あまり自信を口にする甲斐ではないが、僕も同感だ。


 昼食の時間。

「このアイス、美味しい」

 日野くんが呟いた。

 僕は何となく、温和な日野くんと仲良くなりたいと思っていた。

「こなちゃんが作ってくれたんだよ。小鳥遊さんのことね。あの子、料理がとても上手なんだよ」

「教えてくれてありがとう、折出くん」

「有太で良いよ」

「みんな凄いよね」

「日野くんだって凄いよ。中学の時は騎馬選抜試験三位だし、今は社ノ台の騎馬だしさ」 

「社ノ台には広井くんの推薦入学辞退で入学出来たわけだし。どちらかと言えば、騎馬の力だって樹に引っ張られてる感じだしさ」


「まだそんなこと言ってるのかよ。そんなことじゃ、控えてる新馬戦も不安だぞ」

 宇藤くんが会話に加わる。

「ここの有太、騎馬の実績無いのに堂々してるじゃないか。しかも甲斐と立派に騎馬してる。お前は実績も力もあるのに、なんで俺と堂々騎馬出来ないんだよ」

 不満そうな宇藤くん。


「僕は堂々してるわけじゃないけどさ。甲斐に必死に食らいついてるだけ。いつかは甲斐に並びたいけどね」

「そういう表に出てくる熱だよね、熱。有太、栄士に教えてやってくれよ」

 苦笑いするだけの日野くん。


 昼食を終え、午後はプールで調整。

 肩まで浸かった中で全身を動かすような練習メニュー、流水の流れに逆らって歩いたり……動きの割に、身体が凄く疲れる。

 二日目もあっという間に過ぎた。


 三日目、全体練習は午後のみ、午前中は自由時間だ。

 自由時間といっても、トレセン周りは何もない。

 和緒とこなちゃん、姫宮先生は食堂でカニ料理の下準備、甲斐は宇藤くんにどこかへ連れていかれた。

 僕は宿舎でゴロゴロしている。


「お疲れさまぁっ!」

 宿舎のドアが開く音と同時、元気な声が響く。

「いやぁ~、北海道は広いねぇ~」

 驚いた。登山先輩の姿。

「先輩、どうやってここまで?」

「途中まで親父さんに乗せてきてもらい、歩いては休み、歩いては休み……。ヒッチハイクもしながらね。まさに、ひと夏の青春街道まっしぐらでやって来たわけだよ」


「大会どうでした?」

「順位を落とし、全体四位だったねぇ~。力及ばず」

「凄いじゃないですか、全国四位なんて」

「まだまだ上を向けるということだからね!」

 相変わらず熱い登山先輩だ。


「ところで皆は?」

「午前中は自由時間なので、各々時間潰してます」

「そうかそうか。ところで有太、君のブルボンブーツを見せてくれ。あれは親父さんの思い出の競走馬、フクツノブルボンを意識した作りだとか?」

 和緒から贈られていたストラップを掲げる。

 そういえば、登山先輩がトレセンに来るのは初めてだ。

「良いですよ。軽くコースで汗流したかったんで」

 登山先輩を連れ、練習コースへ向かう。


 コースでは日野くんがブーツを履き、一人でランニングしていた。

「これだけ近くで騎馬の走る姿を見ると迫力あるねぇ~」

 走る日野くんを見る登山先輩。

「君のブーツ、なんて名前だい?」

 休む日野くんに、登山先輩が声を掛ける。


「僕の履いてるブーツはゴールドブーツです」

「社ノ台の特注モデル、競走馬だったキープゴールド仕様のブーツだね」

 登山先輩が続ける。

「キープゴールドはその名前に反してシルバー、ブロンズコレクターとも言われた競走馬。大舞台での二着、三着が非常に多くて有名だった」

「僕みたいですね」

「僕みたい? そしたら君は、素晴らしい騎馬だね」

 不思議そうに話を聞く日野くん。


「キープゴールド、常に一着を目指し続けて結果は二着、三着ばかり。愛される脇役だ。だけど現役最後の引退レース、悲願のGⅠを制したドラマチックな競走馬だからね。青春騎馬にピッタリではないか! 一着を目指して努力すること、そのブーツに誓えれば輝き続けられる。二着だろうが、三着だろうがね。まさにキープゴールド」

 自分のブーツを見つめる日野くん。


「日野くんも良いブーツ履いてるね。でも、僕もブーツ自慢じゃ負けないよ」

 ブーツを履き、僕は日野くんの隣へ。

「それが類まれな精神力と努力を積み重ね、親父さんに一番の栄誉をくれた競走馬、フクツノブルボンのブーツ。懸命にターフを駆け、流れる汗で馬体は赤銅色の輝きを放つ……泣けるぜぇい!」

 登山先輩が大興奮だ。


「日野くん、僕なんて騎馬始めて人に期待されるようになったんだ。既に多くの人に期待される日野くんが自信持たずして、僕の立場なくなっちゃうよ」

 控えめな日野くんは好きだけど、何だか勿体ないし勇気付けたい。

 自然と僕は笑顔で話をしていた。

「ありがとう。上には上が居てさ。同じ舞台に立つと、僕の方が劣るんじゃないか、足を引っ張るんじゃないかと不安だったから」

「なんだ、僕と日野くんは同じ気持ちだ。けど、甲斐と組むことになった騎馬未経験の僕の気持ちを察してよ。相当ドMじゃないと耐えられないよ」


 日野くんが笑った。

 直感に間違いなく、僕は日野くんと友達になりたかったんだ。

「僕のことは栄士と呼んで、僕も有太と呼ぶ」

 このやり取り、甲斐ともあったっけな。


「うん、栄士。宜しくね。せっかくだから、一緒に練習しよう!」

「有太、ありがとう。改めて宜しくね!」

「これぞ騎馬にかける青春!」

 登山先輩の一言が、やけに恥ずかしくもあり嬉しいものに感じ、栄士と僕は駆け出した。


 合宿は順調に進む。

 二百、六百、千メートル地点までを決められたタイムで走る練習。

 突然の雨をも好機と言わんばかり、馬場コンディションの悪いインコースを走る練習。

 紅城さん、天音さん、和緒が交互に校旗を守りながら騎乗する練習。

 コーナーで馬群を避け、大外を強襲きょうしゅうする追い込み策の練習等、実戦を想定したメニューを次々こなすのであった。


 迎えた合宿最終日。

 再来週に新馬戦を控える社ノ台、その次に新馬戦を控える館森高校、一年同士、距離千八百メートルでの模擬レース。


「騎馬としてのデビューは、勝負の世界に入ること。デビューすれば、他校同士での模擬レースなど出来なくなる。敵同士だ。騎馬が公正公平を期するギャンブルである側面だ。おそらく最初で最後の模擬レース。高校における騎馬人生の糧になるよう、お互いが全力で」

 紅城さんの言葉に気持ちが引き締まる。


「お兄ちゃん、有太。社ノ台の瞬発力は驚異よ。並んだまま直線を迎えるのは不利。最後の直線まではなるべく距離を離し、迫ってくる直線を凌ぎ、最後の坂で粘り強くスピードを維持して勝利しましょう。ミホ先輩のメニューをやってきたんだから、坂では絶対負けないわ」


 和緒が冷静に作戦を立てる。

 僕たち騎馬の力を把握し、強みを活かして勝とうとしている。

 この合宿、和緒は騎娘として成長していた。


「有太、スタートの反応は有太に合わせる。その方が速い。頼む」

 甲斐から信頼されている。僕も少しは成長出来たのだろうか。

 ゲートに入り、意識を集中する。


「行くぞぉ!」

 足を出す一歩目、自然と僕は叫んだ。


「くそっ、館森! 相変わらずスタート速い!」

「樹、彼らの加速力は凄まじいよ! ここは無理せず、遅れても姿勢キープで追っていこう」

「焦るな樹、栄士! 勝負所は私に任せて」


 狙い通り、館森は絶好のスタートを切り、最初の一ハロンを三馬身ほどリード、 和緒はハンドルを絶妙に動かし、全速力でスタートした僕たち騎馬の動きを整える。

 後方社ノ台と距離を保ちつつ、ハイペースにならないようペースをコントロールする。


 若干、スタートで出遅れたようにも思えた社ノ台、天音さんが冷静にレースを運ぶ。

 後方の騎馬が“レースを運ぶ”とはおかしな話だ。

 通常、レースを運び、展開を生むのは先行する僕たち騎馬のほうなのだが、受けるプレッシャーがとてつもない。

 前だけを見ていたいが、見えない後方の動きが気になってしまう。


「有太、大丈夫。私が冴たちの動きを把握するから。もう少し耐えてちょうだい」

 最終コーナー手前、和緒の声。

「ありがとう、和緒。甲斐、少し組手緩くして良い? コーナー姿勢が窮屈になりそうだ」

「了解、コーナー入ったら身体は僕に預けて」

 騎馬一体とは言葉いらずであってこそだろうが、三人が言葉で一つになっていく。

 レースの緊張感で、言葉を発しないと不安になる気持ちも正直なところだ。


「もう少し、もう少し」

 和緒がハンドルを動かしながら、僕たちや自分に言い聞かせるように囁(ささや)く。

 これが仕掛けの勝負所、早すぎても遅すぎてもいけないもの。


 甲斐も僕も、和緒のハンドルに連動する足の動き、騎馬同士の動きが乱れないよう集中する。

 和緒の合図を待つ。

 ブーツの力を解放する前の溜めの感覚。


「今よ!」

 和緒がハンドルを鋭く動かした瞬間、ブーツの力が解放され、一気にスピードが上がる。

 その一瞬だった。

 僕たちを抜き去る社ノ台。


「和緒、悪いけど合宿で力をつけたのはウチのほうね!」

 合宿初日から宇藤くんに遠慮するように動いていた栄士だが、宇藤くんと見事なまでに騎馬として躍動する。

「なんて瞬発力……思っていた以上ね。ごめん、仕掛けが遅れたわ!」

「和緒、大丈夫。行くよ、有太!」


 いつも直線は全力で走ってばかりで余裕がない印象だが、今は体力に余裕がある。

 レース序盤、和緒が巧みな手綱さばきでペースをコントロールしてくれたからに違いない。

「余力十分、行こう甲斐、和緒!」

 僕たちはさらにスピードを上げる。


「い、いつの間にそんな“脚”を持っていたのっ!?」

 後方を振り返り、驚きの表情を浮かべる天音さん。

「冴、社ノ台騎馬はこっからだ!」

 僕たちが社ノ台に騎馬を合わせようとすると、さらに加速する社ノ台。

 勝負を決めるゴール前最後の直線、相手を一瞬で置き去りにする芸当こそが“末脚”だ。名門社ノ台の代名詞でもある。

 そんな末脚をお互いにぶつけ合う光景。


 末脚勝負では社ノ台がやや優勢、少しずつ離されていく館森。

 社ノ台が二馬身ほど前に出たところで、残り二百メートルの上り坂が続く。

「坂じゃ負けられないわ!」


 甲斐と僕は腰を落とし、坂の面に合わせて姿勢を傾ける。

 騎馬は前傾を保ち、和緒の動かすハンドルの先、面が地面に着きそうになる。

 地を這うような騎馬姿勢は、上り坂において強力な推進力を生む。

 登山先輩の練習メニューで欠かしたことのない坂での特訓、僕たちが得た独特な騎馬走法でもあった。

 一度は社ノ台に離された館森ではあるが、じりじりと社ノ台に迫る。


「しつこいわね、和緒たち。本当に今年から創部の騎馬? 嘘でしょ……」

「甲斐の実力は知ってるが。有太、高校からの騎馬だと……。俺たちは中学からやってきたんだ。絶対に負けられない。栄士、俺たちは甲斐が居たであろう社ノ台を超えるんだ!」

「広井くんよりも、僕と組んだ樹との騎馬のほうが強いんだ。有太にだって負けるもんかっ!」

 社ノ台が再び館森を突き放す。この力はプライドだ。


「強い…………」

 和緒、甲斐、僕が同じ言葉を口にした。

 名門校が強いのではない。

 そこに居る者が強いのだ。

 半馬身まで縮めた差が一馬身、二馬身……ゴール板を駆け抜けていく両校を見つめる紅城。


「記憶しておこう。私の糧になった」

 模擬レースとはいえ、負けて言葉も出ない僕たち三人。

 天音さんたちがやって来る。


「これが最初で最後の模擬レースで良かったわ。本当にしんどい」

「タイトルがかかってるわけじゃないのに、こんなレースご免だよ。な、栄士」

 その通りと言わんばかり頷く栄士、三人とも疲労の色を隠せない。

「次会う時が本当の勝負よ。今日勝ったと思ったら、次はあなたたちに負けると思う。だから次会う時は覚悟なさい。圧倒的に勝つわ」

 天音さんが僕たちに言い放つ。


「冴にしては謙虚ね。でも、正直今日は私たちの負けよ。だから次は絶対負けない。覚悟するのは冴ね」

 強気な女の子同士の会話であるが、口調や表情は爽やかだ。

「でも和緒、これで私と甲斐は付き合えるのよね? 和緒は負けを認めたわけだし」

「そ、そんな約束聞いてないわよ! 冴なんて絶対ダメに決まってるじゃない」

 どう見ても、友達同士な女の子だ。


「有太、次は負けられないな」

 不意に甲斐の声掛け。

「そうだな、甲斐も勝ち負けで色々言われるからな」

「宇藤くんにも、僕が負けたら和緒を紹介してくれなんて相談されたしね」


「……え」

 一瞬言葉が出なかった。

「ば、馬鹿だろ甲斐。甲斐から男の紹介なんてされたら和緒は怒るぞ」

 ごめんというその表情に、ちょっと意地悪な甲斐だと思った。

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