第11話 青春につき
九月第一週の日曜、新潟騎馬場にて行われる新馬線(芝、距離千八百メートル)が館森高校騎馬部のデビュー戦として決まった。
同時に、夏休みの騎馬部の合同合宿も決定、相手は北海道の社ノ台高校。
通常、他校との合宿などはレースの兼ね合いもあるので行われることはないのだが、騎馬部創設の初年度は研修の意味合い含め、強豪校との合宿が認められる。
とはいえ名門校との合宿、姫宮先生が上手く働きかけてくれた結果だ。
甲斐の社ノ台への推薦入学辞退の件も多少のしこりはあっただろうが、紅城さんと和緒の関係性が上回った形であると思われる。
合宿を控え、最近は和緒の機嫌が良すぎる。
僕としては少々物足りない気分だ。
朝練、放課後と有り余る練習量。
やはり僕に安息はないのだ。
騎馬部の練習メニューは、登山先輩が自身に課すハードな練習メニューから練り上げられたものだ。
“祝 陸上部 インターハイ出場 登山未歩”
校内にのぼりが掛けられる。
本業は陸上部、七種競技の全国区。
騎馬部の活動と合わない日、それはたいてい陸上競技大会だ。
彼女はいつも戦っている。
僕がキツイ練習に耐えられるのは、練習を課す人自身が己を追い込むからだ。
かといって、人の努力が見えるから共感出来るようになったとは言えない。
そこまで僕は出来てない。
いつも指導してくれる先生も、相当な準備をして授業に臨んでくれているのだろうが、やはりそこは比べられない。姫宮先生は別だが。
期末テスト、僕は相変わらず平均点だ。
可もなく不可もなく、この点は自身のキャラクターを見事なまでに演出している。
まわりくどい表現になってしまったが、僕は騎馬が好きなのだ。
一学期の終業式を終え、調理室へ。
今日は皆で騎馬部の合宿の打ち合わせだ。
「ミホ先輩、インターハイの応援行きますね!」
スケジュールを皆で出し合うと、和緒が勢い良く口火を切る。
北海道での社ノ台との合宿、日程は八月三日から九日までの一週間。
登山先輩の陸上インターハイ、出場する七種競技は八月二日、三日の二日間、宮城県の仙台市で行われる。
なるほど、北へ向かう道中、二日の陸上インターハイ初日だけでも応援というわけだ。
僕は調理室のドアが開く気がした。
「お疲れ様」
ゆっくりドアを開ける姫宮先生。
「夏合宿、私の運転で向かうけど宜しいかしら?」
相変わらずのタイミングの良さ。
「インターハイの登山さん、陸上部の手伝いをする広井くんのスケジュールを考えて、出発は八月一日を予定しています。合宿前、みんなで登山さんの応援しましょうね」
繰り返される出来すぎたこの展開、もう少し自然に描けないのだろうか。
僕はこの物語を描く人の想像力を疑う。
今までもこれからも、多少なりともこの物語を楽しんでもらえる部分があればこれ幸い……。
「ちょっと有太、聞いてるの?」
和緒の声で我に返る。
「合宿の持ち物多いし、有太だけは箱に詰めて北海道に送ってもらうと良いわ」
「やっぱり僕はみんなのお荷物だったのか!? せめて、送り先は初日から合流出来る仙台にしてくれ!」
久しぶりの和緒の
自分でも引いてしまった。
「と、とにかく。レンタカーで大型ワゴンの予約しますので。お荷物の件は大丈夫よ」
姫宮先生の“お荷物の件は大丈夫よ”が僕への皮肉と聞こえてしまうくらい、ねじ曲がった僕が居る。
ごめんなさい。
「給水所におけるスペシャルドリンキュ、本場仕込みの牛タャン、ジンギスキャンにキャニ退治にぃ……」
興奮のあまり、舌をカミカミで泡まで吹いてしまいそうなこなちゃん。
「タカナシ産のドリンク欲しさにフルマラソンしちゃおうかな!」
上手いことを言う登山先輩。僕への皮肉なのか?
「完敗です」
心情までも吐露した被せであったが複雑すぎたか。しばしの沈黙。
「祝杯は取っておこう」
僕のボケを回収した甲斐にも申し訳ない気持ちだ。
ごめんなさい。
騎馬部の登山先輩応援ツアーと社ノ台との夏合宿、八月の一日に始まる。
東北道をひたすら北へ。
相変わらずナビの到着予定時刻よりも早く、仙台市陸上競技場に到着した。
明日から登山先輩の七種競技が始まる。
予定として、二日は夕方まで登山先輩の応援を、三日の競技にも出場する登山先輩を残し、僕たちは仙台発のフェリーで北海道の苫小牧へ。
船中泊、苫小牧には三日の午前着。
北海道は騎馬のメッカでもあり、公認のトレセンはいくつも存在する。
社ノ台との合同合宿を行うのが苫小牧トレセンというわけだ。
競技場到着後、登山先輩の軽めのランニングに和緒が付き添い、姫宮先生は現地合流の陸上部顧問と打ち合わせ。
甲斐、こなちゃん、僕はテントの設営等、陸上部の人たちの大会準備を手伝う。
準備の合間に芝生で休憩していると、遠くで登山先輩、和緒が男性と話をしている。
強面の男性だ。
三人、こちらに向かってくる。
「有太、私の親父さんだ」
甲斐が教えてくれた“鬼の登山”と呼ばれた登山先輩の父、景虎の名が似合う。
「君が青春熱血騎馬戦士かい? 未歩から頑張っていることは聞いてるよ」
「ありがとうございます」
ツッコミたい所はあるのだが、下手なことを言うと怒られそうで怖い。
「頑張れるうちは、限界まで達していないということ。もっと越えていこう」
こ、怖すぎるっ!
「はは、冗談だよ。そんなスポ魂も過去の話、インターハイに出る未歩、一緒に練習する騎馬部の頑張りは認めるよ。ところで甲斐は?」
僕は甲斐の居る方向を見る。
既に甲斐はこちらに気付き、歩いてくる。
「登山さん、お久しぶりです」
「おう、甲斐。久しぶりだな。相変わらずイケメンだ。彼女出来たか?」
「ちょっと、お兄ちゃんに変なこと言わないでください」
和緒がすかさず甲斐と登山さんの間に入る。
「相変わらず甲斐にベッタリな和緒ちゃんだ」
二人の間でオドオドする和緒。
「親父は元気かい? 最近連絡取ってないけど」
「父は元気ですよ。深夜働いてますから、ちょっとすれ違いな生活になってますけどね」
苦笑いする甲斐。
「子供が成長するとそんなもんだ。俺も未歩とは久しぶりだ。トラックの運送で東北を回っていたからね。これからまた出ないといけないけど、明日、明後日と未歩の応援に寄るつもりだ」
「親父さんよ、大会期間中は娘の青春を堪能したまえ」
「未歩よ、簡単には泣かんぞ」
登山先輩の青春キャラ、少なからず親の影響もありそうだ。
またということで、登山先輩のお父さんと別れる。
陸上部のテント設営、大会準備を終え、僕たちは旅館へ。
仙台の宿泊先は陸上部と一緒なので随分と賑やかであったのだが、大会前ということもあり、迷惑はかけまいと騎馬部はあっさり消灯したのだ。
八月二日、登山先輩の七種競技の初日。
百メートルハードル、走り高跳び、砲丸投げ、二百メートルの四種目が行われる。
「先輩ファイト~」 「写真良いですか?」
「未歩ちゃ~ん」 「トヤマ~」
絶えない声掛けと声援に対し、一つ一つ元気いっぱいに応える登山先輩は素敵だと思った。
全国区の選手というだけで、これだけの人気者にはなれない。
同じ高校、部活だとなかなか気付けないことだ。
「人から好かれる子に育って良かった」
芝生に陣取った騎馬部の隣、既に大泣きの強面な男が立っていた。
競技の始まる前から簡単に泣いている。
僕の隣に座る。
「俺はどちらかというと、人付き合いが苦手だった。文句一つ言わず、懸命に走ってくれる競走馬が第一だったからね。放っておいても子は育つと言っても、娘の成長はやはりあんたらのおかげだよ」
「そんなことないです。僕こそ人付き合い苦手ですし、諦めも早い方だと思います。登山先輩の頑張りに助けられてますから」
「あまり泣かすんじゃないよ、坊主」
簡単に泣いてしまう。言葉尻が熱いのはやはり親子の証明だ。
「ミホ先輩頑張れ~」
登山先輩の大会が始まった。
「ハードルとは、傷つきながらも一つ一つの壁を乗り越えていく青春ストーリーそのもの」
勢い良くハードルが倒されていく。
「高跳び、一人では越えられなかった限界を、ライバルが越えさせてくれる友情」
自己ベストを更新していく選手たち。
「砲丸投げ、数センチの距離を伸ばすのは強いハートだ」
絶叫の登山先輩。
「二百メートル、走り切る時間は青春走馬燈のごとく」
登山先輩のコメント付きの活躍に、僕はもうお腹いっぱいだ。
なるほど、これも登山先輩の人気の理由。
隣で泣き続ける男性に、もはや景虎の名は似合わなかった。
登山劇場に沸く仙台陸上競技場、四種目を終えて登山先輩は全体で三位。
ここで去るのは惜しい。
男子の陸上競技を見つめる姫宮先生も、相当名残り惜しそうな様子。
登山先輩に今日の感動と明日へのエールを送り、騎馬部は競技場を後にする。
仙台港に到着、車ごとフェリーに乗り込む。
「今夜はこのまま船で一泊、明日からの合宿に備え、各自ゆっくり休んでね」
先生らしさを出す時、姫宮先生は得意気で可愛らしい。
僕は初めて船に乗る。
思った以上に揺れるものだと思っていたら、自然と身体に力が入る。
意識すればするほど、船の揺れは大きく感じる。
気分が段々と悪くなってきたが、ゆっくりと休める状況ではない。
「こ、こなちゃん、酔いに効く薬を……」
和緒も船酔いしたらしい。
「既に敵の術中にはまってしまった者を、助ける術なし」
珍しく言葉を噛まず、和緒に強気なこなちゃん。
表情から察するに、悪いキャラ設定ではないように思われるが、ここは本当に助けて欲しい場面だ。
「とりあえず、二人とも横になって」
甲斐に促されるまま、僕は大部屋で横になり眠りについた。
静寂の中で目を覚ます。
「!!!」
目の前にはスヤスヤと寝息を立てる和緒。
消灯で大部屋は暗くはなっていたが、ハッキリと表情が伺えるこの距離。
心臓の音がドクドクと大きく響く。
女の子に慣れていないのは確かだが、この気持ちはなんだろう。
そんなこと、僕が一番分かっているのだ。何を一人で焦っているのか。
目を閉じ、口元が緩む。
この気持ちこそ”青春”という一言で片付けておこう。
トイレに行こうと身体を起こす。
「有太、お腹空いた」
間の抜けた言葉に落ち着くものがある。
「和緒、起こしちゃった? 悪い。そういえば、和緒も僕も夕飯食べてなかったな。食堂行こう」
少し寝ぼけ、足元のおぼつかない和緒の手を引き食堂へ。
深夜の時間帯、食べられるものといえば自販機のカップ麺くらいなものだ。
「栄養管理してくれるこなちゃんには怒られそうだけど、今はカップ麺しかないからね」
カップにお湯を注ぎ、出来上がりを待つ。
船の揺れは落ち着いたようだ。
身体が少し慣れてきたということか。
「まだ少し気持ち悪いわね」
寝起きでボーっとしたままの和緒。
「少し風に当たろう」
食堂からすぐに出られるテラスへ和緒を連れ出す。
テラスのドアを開けると、静寂に包まれた船内とは一転、大きな海の音。
海の音とは表現として正解ではないと思うが、海のない群馬県民にとってこれは海の音。
船体にぶつかり、しぶきを上げて海にザァ~っと戻される波も海の音。
潮の香り、湿気を帯びた風が身体にまとわり付くようだ。
海を感じるこの感覚は、なんだか新鮮で心地よい。
黒と青の中間をした景色は、星や雲の存在を引き立てる。
暗闇に目が慣れてくると、どこまでも暗かった先に境界線が見える。
手すりに両肘を掛け、遠くを見つめる和緒。
「気持ち良いわね」
「そうだな。気分は?」
「もう平気」
「そう、良かった」
何気ない会話も、大海原を前にして少し色づく。
「ありがとう」
「え?」
不意に和緒から感謝の言葉、僕は動揺する。
「何よその顔。ここに連れてきてくれたことよ」
「あぁ、そんなこと。僕もお腹空いてたし、夜風に当たりたかったから」
「そういうことじゃ無いのだけれどね」
和緒が何となくではあるが、今までのことを僕に感謝しているのだと思った。
「僕こそ、ありがとう」
感謝したいのは僕のほうだ。ここに連れてきてくれたのは和緒だ。
手すりに背中を預け、僕は天を仰ぐ。
満天の星空が広がっている。
聞こえるのは海の音だけ。
その後、互いに言葉は発しなかった。
ただ、海の音だけ。
「ぐぅ~」
僕の腹の虫が不満気に鳴く。
「和緒、たぶんカップ麺伸びちゃったな」
「この状況にこれ以上贅沢は言えないわね。美味しく頂きましょう」
既に日付が変わり八月三日。
言葉を選び、発することで何か起こったのだろうか?
何か起こりそうで何も起こらなかったこの綺麗な夜を、僕は忘れることがないだろう。
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