第9話 僕たちのチカラ

 連休を終え、騎馬部の活動にも力が入る。

 姫宮先生は他の部活動の施設利用状況を確認しながら、体育館、校庭での練習場所の確保、細かな備品調達、和緒のトレーニング補助など、毎日を顧問として当然の役割と言わんばかり、一緒に過ごしてくれる。


 登山先輩は自分で出来ない練習メニューを人に課したりしない。

 自分自身を追い込みながら、騎馬部の練習メニューを次々と考案してくれる。二度とやりたくないハードな練習を毎日こなしている。

 気持ちも強くなる。


 こなちゃんは、トレーニング後に飲むプロテイン等、料理以外の面でも勉強してサポートしてくれる。

 間食、夜食しないよう、家での食生活の栄養管理に関しても厳しくなってきた。

 アスリート専属の料理人のようだ。


 和緒は騎馬部の練習に加え、紅城さんから騎娘としてやるべきことを細かく聞き、実践している。

 紅城さんからのメールを和緒から自慢半分で見せてもらったことがあるが、和緒の質問に対する回答はビッシリと書かれ、切磋琢磨して高みを目指す関係であることが伺える。


 僕はといえば、いつも先を行く甲斐に早く並びたい。

 簡単に追い越せる存在でないことは一緒に過ごし、共に汗を流す僕が一番良く分かっている。むしろ、追い越そうなんて気持ちにもなれない。

 とにかく甲斐に並び立ちたいのだ。

 いつも通り、甲斐には黄色い声援が似合う。


「今度の日曜、高崎トレセンでブーツ履いて走ろうか?」

 普段のトレーニングを地道にこなしてこそ、ブーツを履いた時に成長を感じるとは宋さんが教えてくれたこと。

 甲斐と僕はその言葉を大切にしている。

 甲斐から提案があるまでは、履きたいブーツのことは口にしないで僕は練習を積んできた。

 トレセンにずっと保管しているブーツ。

 ようやく、甲斐と二人で履ける日がきたのだ。

 騎馬として和緒を乗せて走る日も。


 日曜日。

 登山先輩は陸上部の大会があるので、姫宮先生、和緒、こなちゃん、甲斐、僕の五人で高崎トレセンに向かう。

 トレセン到着後、僕のブーツ、騎娘を乗せる鞍、トレセンの年間施設使用料の支払いへ。

 騎馬部設立初年度、日本中央騎馬会からの補助や特典なども多いようだ。

 スムーズに手続きを済ませる。


 甲斐と僕のブーツは決まっていたが、鞍は和緒の好みで選んだ。

 鞍にはブーツのように様々な種類があるわけでなく、世界共通のサイズ、型に統一されている。

 違いと言えば鞍のフレームの色、ハンドルの形、ハンドルの先についた面のデザインを選べることくらいだ。


 和緒は栗毛くりげ(黄褐色)の鞍を選び、ハンドルはずいぶんと短い真っ直ぐなもの。持ちにくそうだが、紅城さんに相談して決めたようだ。

 面には白いラインが入るデザイン。

 馬の鼻上にスラッと伸びる白い模様のことを“流星”と呼ぶようで、和緒はそんな馬が好きでこの面のデザインにしたようだ。


 ちなみに、紅城さんの鞍は青鹿毛あおかげ(藍色)、舞姫の鞍は芦毛あしげ(灰色)だ。鹿毛かげ(茶色)や黒鹿毛くろかげ(黒茶色)なども一般的だ。

 白毛しろげ(真っ白)は各騎馬をコースへ誘導する騎馬の鞍に頻繁に使われるイメージもあり、レースではあまり見かけない。


 基本的に、フレームの色は競走馬の毛色を意識したものが多い。

 鞍は競技用自転車のように無駄を省いたフレーム、中央部分に僕たち騎馬が組手をするスペースがある。

 直上に騎娘が跨がるサドル、騎娘の両足は騎馬の組手を通し固定する。

 フレーム前方は競走馬の首、頭のように形作られ、しなやかに前後するハンドルが付く。

 ハンドルが駆動する鞍のフレーム根元、騎馬のブーツには虹色に輝く玉が埋め込まれ、それが鞍とブーツの連動を可能にする重要な無線パーツということだ。


 鞍とブーツの連動、つまりリンクし合った状況では、騎娘がバランス良く鞍に跨がり、ブーツの運びにも連動するハンドルの動きをいかに上手くコントロール出来るか、騎娘の“手綱さばき”と言われる部分、一秒を争う勝負の世界では大切だ。


 騎娘、騎馬のリンクを保つことは“折り合い”と呼ばれ、折り合いは騎馬のスピードのスムーズな加減速、スタミナの消耗度など全てに関係する。

 折り合いがついている時、鞍、ブーツに埋め込まれた虹色に輝く玉は緑を示し、折り合いを欠くと赤へと変わるようだ。

 鞍を持ち上げた騎馬に騎娘が跨がると、競走馬と騎手さながらだ。


 いよいよ、甲斐と騎馬として走る時がやってきた。

 着替えようと騎馬の更衣室へ。

 練習の時に着るジャージ、いつも身に付けるものは緊張をほぐしてくれるものだ。


 甲斐と練習コース横の控え室へ。

 トレセンのスタッフが用意してくれた鞍と騎馬ブーツが綺麗に置かれている。

 漆黒のブーツと赤銅色のブーツ。

 各々ブーツを履きながら、目を合わせる。

「凄いな。僕が駆けたいのか、ブーツが駆けたいのか……力を感じる」

 甲斐が、初めてブーツを履いた時の僕と同じような気持ちを発する。


 僕のブルボンブーツ。

 宋さんが託してくれたブーツ。

 履いた瞬間感じる力。自信とも不安とも思える力。

 僕の力、これは僕のブーツだ。


「最高だ」

 甲斐の興奮に応える。

 二人で鞍を持ち、コース眼前でストレッチをしながら僕たちを待つ和緒の元へ。

「けっこう様になるのね」

 和緒が僕を見て一言。

 持っていた鞍に両腕を通し、鞍と騎馬を繋ぐストラップを固定、甲斐と組手をする。

 和緒を鞍に跨がせる。

 組手に両足を挟み、ハンドルを持つ和緒は緊張しているようだ。

 甲斐と僕はゆっくりと立ち上がる。


 鞍に付いた玉が虹色の輝きを放ち、ブーツの力が解放されていく感覚。

 やがて玉の色はターコイズブルーへ。

 組手を通して感じる騎娘、鞍の重さはあるが、騎馬で歩を進めることは普通に歩くような感覚だ。

 騎馬が歩を進めると、鞍のハンドルも前後に動き出した。

 ハンドルの前後で僕たち騎馬ブーツも連動する。駆けようと急いてくる。


 ブーツからのプレッシャーに心を落ち着かせ、甲斐と組手バランス確認、呼吸、足の動きを合わせる。

 騎馬として動きが合ってきたタイミング、和緒も合わせるようにハンドルを動かし始める。

 バンドの演奏で最初はドラムから始まり、音が段々と重なっていくような。

 騎娘、騎馬のリズムが合い、歩みが段々と早足となる。

 コースに出る。


「違和感はない?」

 初めて甲斐と僕で和緒を乗せた日。

 あの時の和緒は少し感情的であったが、今の和緒は至って冷静だ。そう努めているようにも感じる。

「鞍のおかげでバランスを保つのが楽だ。ブーツも凄くフィットしてる。甲斐は?」

「平地の練習の成果だね。ストレス無く和緒を乗せているし、足も軽い。むしろブーツの駆けたい気持ちなのかな? 力を抑える意識でいっぱいだよ」


 甲斐のサイレンスブーツ、騎馬の能力を引き出そうとする力は相当なものだろう。

「軽く走るわよ」

 和緒がハンドルを一瞬強く前に出す合図、僕たち騎馬の姿勢も後ろから前に。

 ブーツも呼応し、僕たちは力強く駆け出した。


 三人で騎馬として駆ける。

 一人で駆けた時とまったく違う。

 練習と同じように、甲斐とタイミングを合わせて足を運ぶ。

 地面を蹴り上げるパワー、スピードの伸びも段違いだ。


 和緒のハンドルの動きに足の運びが合うことで、騎馬の足の出し引きの動きがサポートされる。

 しかし、少しのタイミングのずれで和緒のハンドル、僕たちブーツへの負荷もかかる。

 騎娘、騎馬が折り合いを欠くと、負の連鎖で次々と問題が起こる。


 騎馬として動きが合わないと、ブーツを通した足の運びが急に重くなる。

 和緒の動かすハンドルも重くなるようで、和緒の上体がぶれる。

 騎娘のバランスが崩れると、走ることに加えバランスを保つ騎馬の負担が大きくなり、斜行しゃこう(真っ直ぐ走れないこと)の要因ともなる。斜行はレース時の進路妨害となるケースも多く、レース失格要因の一つだ。

 こんな状態ではスタミナも大きく消耗する。

 走り始めてしばらくすると、少しずつ僕たちの折り合いが悪くなってきた。


 まずは騎馬から。

 僕は慌てる気持ちを抑え、練習で培ったことを思い出す。

 状況を察してか、甲斐が僕の腕を力強く握る。

 甲斐と組手をしっかり固定する。

 騎馬の軸の安定は直進する力を高めると同時に、騎娘の騎乗フォームを安定させ、騎馬のエネルギーロスを少なくする。

 速度が上がる。


 サドルに腰掛けることなく、鞍上の和緒は中腰のまま騎馬の組手に両足を固定している。

 ハンドルが激しく前後しているが、和緒はひるむことなく、スムーズにハンドルを動かす。流れる景色の中、和緒は前傾姿勢となる。

 限界までハンドルを前に押し出すことで、騎馬の伸ばす足をサポートし、一歩一歩のストライドは大きくなる。

 地面に突っ込んでいくような騎乗姿勢、和緒は怖くないのだろうか?


「お兄ちゃん、有太、足の運びに問題はある?」

 和緒はしきりに僕たちを気遣う。

「和緒の騎乗姿勢が安定してるから、有太との組手も騎馬としての軸もブレてない。和緒のハンドルも、騎馬の足の運びに合っていてスムーズだ。見事な手綱さばき!」


 嬉しさと安堵半分、そんな和緒の表情。

 甲斐と僕はずっと練習してきた。何をすべきか迷った時も常に甲斐が居て、目の前の不安を少しずつ消しながら共に励んだ。

 和緒はずっと一人で練習してきたのだ。

 騎馬に跨がってみないと分からない騎娘としての自分の力量を、常に高めようとしながら。


 想像の先の見えない不安を払拭するため、どれほど努力したのだろうか。

 今でさえ不安でいる。だからずっと僕たち騎馬のことを気にかけてる。

 そんな気遣い、強い和緒には似合わない。


「和緒、思い切り乗って大丈夫だよ。甲斐と僕もたくさん練習した。和緒もだろ? 僕たちこんなもんじゃないだろ?」

「あ、当たり前よ! 有太のくせにずいぶん強気なのね。最後の直線、思い切り飛ばすわよ。覚悟なさい!」

 和緒は耳からかけたマイク無線でこなちゃんに声を掛ける。


「こなちゃん、最後の直線三ハロン(一ハロンは二百メートルなので六百メートル)をストップウォッチで計って!」

「了解、ご武運を。未来で待ってりゅ……」

 相変わらずのこなちゃんの返し。

 僕らは最後の直線へ。


 コースに沿って立つハロン棒に差し掛かる。

 和緒が上体を上げ、ハンドルを大きく引くことでブーツは次の一歩を出す溜めの状態、一瞬時が止まる感覚。

 ハンドルが一気に前に押し出されたと同時、凄まじい力で地面を蹴り上げる感覚。


 飛ぶように大きなストライド。

 僕の伸ばした足が宙に浮くタイミング、一方では甲斐が地面を蹴り上げる。走る時に右足を出せば左手が出るように。

 自然と騎馬として駆ける。

 見た目にも二人でなく一人、単騎で駆ける姿であろう。


 和緒は両腕を付けるようにハンドルを握り、空気抵抗を最大限減らすように身体を狭める。

 窮屈に思える姿勢の中、ハンドルの振りを最大幅に動かし、騎馬のストライドを助ける。

 自分の感覚で駆けていたブーツ、速度が上がるにつれて遠のく感覚。


 色が混ざるように、何かふくらはぎに巻き付くように……僕の足に、別の力が働き始める。

 禍々まがまがしく力を奪おうとするブーツの感覚、甲斐と騎馬一体となることで、ブーツの感覚も共有するのだと直感した。

 甲斐は平気なのか?

 僕は耐えるのがやっとの足の運び、感じたことのないスピードに恐怖感さえ覚える。

 やがて、埋め込まれた玉の色は夕焼けの空を映すように。


 ブーツに力を奪われる、支配されそうな感覚に陥る。

 瞬間、

「有太、落ち着いて! 練習通り、僕にタイミングを合わせるんだ!」

「有太、ブーツを制してこその騎馬よ! 履いて動かしてるのはあなたなんだからね!」

 甲斐も和緒も、自分の動きに集中しながら僕に声を掛ける。双子だから、和緒も甲斐も呼吸が合う。

 僕だけ合わせるのが難しくなるのは当然……。


 心の逃げ道はいつだってハッキリ見える。そんな自分が嫌になる。

 いつまでも僕は情けないな。

 自分の不甲斐なさにはいつも落ち込むだけであったが、今回は冷静に自分の力量を把握出来る。今までどれだけ練習したことか。

「大丈夫、行くぞ」

 強気な言葉に嘘はなかった。騎馬一体となり、直線を駆け抜けた。


“三十四秒ジャスト” 

 こなちゃんが計ってくれたストップウォッチのタイムを見る。

 甲斐と和緒は驚きの表情。

 僕にはそのタイムがどのくらい良いものか、悪いものかは分からない。二人の表情から察するに前者なのだろう。


「初めての騎馬で上がり三ハロン三十四秒ジャスト、多少の誤差があっても誇れる数字ね」

「皆で頑張った成果だな。凄いよ」

 甲斐と和緒、嬉しそうに話している。何よりだ。


「小鳥遊さんはいつも正確よ。調味料の分量はもちろん、ストップウォッチの計測もね。それほどタイムの誤差はないと思うわ」

 姫宮先生が僕たちの元へ。

 先生が差し出すストップウォッチにも三十四秒ジャストの表示。


「私のストップウォッチでも変わらないタイム、これが館森高校騎馬部の実力ね」

 一概には言えないが、三ハロンという距離はレース終盤で迎える最後の山場、勝利を決する場面として挙げられる。

 ある程度距離を走った上で、全力で走り切るこの三ハロンのタイムは、騎馬の強さを表す一つの指標である。

 三十四秒のタイムをデビュー前の騎馬が出せるようなことは滅多にないということだ。


 これは自信にしよう。

 今の力の自信ではなく、今までやってきたことへの自信に。明日から、また僕たちは頑張れるのだ。


 週始めの月曜、昨日のトレセンでの練習もあったので、今日の騎馬部の練習は休みだ。

 姫宮先生が撮ってくれていたトレセンでの練習風景、三ハロンのタイムなどの報告を登山先輩へ。


「こりゃ思った通り、努力の成果。まだまだ伸びるぞぉ! ビシバシいこう~」

 明日以降の練習が恐ろしい。

「どうだい有太、成長感じるかい?」

 ふいに登山先輩に声を掛けられる。

「まだまだだと思います」

 いつだって、僕は自分のことなど認めたくない。


「自分の成長を喜べないようでは、努力してもむなしいだけ。大丈夫、君は成長している。もっと堂々と青春したまえ!」

 嬉しい言葉をもらい、登山先輩と別れる。

 僕はやることもないので、調理室へと向かった。


 調理室では、こなちゃんが相変わらず料理を作っている。描かれた魔法陣を踏まぬよう進むと、こなちゃんの傍らに和緒の姿。

「お疲れさま。今日も二人で実験?」

「あら有太、ここに呼んだつもりはないのだけれど」

「すいません。暇すぎて呼ばれてもいないのに来てしまったよ」

小人閑居しょうじんかんきょして不善をなす……ここに来るなんて嫌がらせかしら?」


 ことわざの引用などされては返す言葉もない。

「ところで有太、今週日曜も暇でしょ? 騎馬部皆で紅城さ……こほんっ」

 和緒のわざとらしい咳払いだ。

「日本ダービー観に行きましょう」

 前に甲斐とも話していたことだが、日本ダービーは皆で観に行きたいと思っていた。

 紅城さんたちの走りが今の僕にどう映るのか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る