第7話 淀の舞姫
ゴールデンウィーク初日。
大きな旅行バッグを抱え、駅東口ベンチに腰掛ける。
「折出くん、おはようございます。来るの早いわね」
大きなあくびをしながら間抜け面の僕とは対照的に、早朝であっても姫宮先生には気品が漂っている。
「忘れ物はない? お荷物、トランクに入れてしまいましょう」
トランクに荷物を積んでいると登山先輩、続けて和緒、甲斐、こなちゃんがやってきた。
「姫宮先生、今日から宜しくお願いします」
皆で声を合わせ、姫宮先生の車に乗る。
一路、京都へ向かうのだった。
助手席に登山先輩、二列目に和緒、こなちゃん、三列目に甲斐と僕。
賑やかな車内。
創部から一ヶ月の騎馬部ではあるが、初めて僕の居場所だと思える場所だ。
「そういえば甲斐、甲斐のブーツってどんなものなの?」
甲斐がブーツを贈られて持っているのは聞いていたが、どんなブーツを使うのか気になっていた。
「トレセンに保管してるだけで使ったことはないけどね。僕のはサイレンスブーツだよ」
「そっか、サイレンスブーツか。ってマジ? 皐月賞で社ノ台の二年生騎馬が使っていた?」
「そうだよ。前に話を濁した感じで悪いと思ったけど、僕は全国騎馬選抜試験の成績が全国一位だったからね。この試験での成績上位者はブーツを贈られたり、騎馬の強豪校への推薦入学の権利を得られるんだ」
「ぜ、全国一位だって? おいおい、騎馬初心者の僕と全国一位の騎馬なんて成立しないだろ」
僕は混乱した。
「そう言うと思って黙ってた。けど、今日はゆっくり話す時間もあるだろうし、僕と同じ練習メニューをこなす有太は僕と何も変わらない。全国一位なんて過去のもの、僕は有太との騎馬で勝ちたいと思ってるからね」
甲斐はどこまでも良いやつだ。
「甲斐のそういうとこ、僕は助けられてばかりだよ。冷静に考えると、甲斐がサイレンスブーツを履く、凄く似合う。敵にならなくて良かったと思うし、一緒に走れることが心強い」
「ありがとう。僕にあのブーツを使いこなせるか不安だけどね。早く有太のブーツも揃えて、一緒にトレセンで走りたいな」
お昼を迎える頃には高速道路は混み始め、見える景色も都会的だ。
「京都に着いたら、私の実家に荷物を置いてご飯を食べて。夕飯までは自由時間にしましょうね」
ミラー越しに、皆の表情を確認する姫宮先生。
「明日は京都騎馬場で騎馬観戦、明後日は栗東トレーニングセンターで折出くんのブーツ選びね。今回は騎馬部の顧問らしく、みんなに同行出来て良かったわ」
姫宮先生は嬉しそうだ。
高速を降りて一般道を進む。
閑静な住宅街、ひと際大きな門構えの家の前で停車。
「思ったより早く着いちゃったから、両親不在かもしれないわ。門を開けてくるわね」
姫宮先生が車を降りる。
「何だか凄い家だな。姫宮先生ってやっぱりお嬢様だったんだね」
僕の言葉に皆が納得の表情だ。
大きな門が開く。
「お待たせしました。両親は不在だけど、お昼は用意してくれていたわ。荷物を中に入れて、みんなでご飯にしましょう」
僕たちは先生の案内でいくつもの部屋を横切りながら、奥の二部屋へと案内された。
男女分かれて部屋に入り、各々荷物を置く。
その後、案内された大きなリビングのテーブルには、綺麗に盛り付けされた料理が並んでいた。
「お口に合うかどうか。さぁ、みんなで頂きましょう」
「うみゃい。旬な食材も器も、和食ならではにゃチョイス。感服致す」
皆でお昼をご馳走になっていると、こなちゃんが興奮気味に料理を堪能していた。
「ご飯食べて少し休んだら、先生が京都を案内しようかしら? これから自由時間もらっても上手く京都を回れないかもしれないでしょうし。最終日にも時間は作るのでいかがかしら?」
「何から何まですいません。先生に案内してもらえると嬉しいですね」
甲斐が皆の意見をまとめる。
「分かったわ。ポイントを押さえて回るから、みなさん期待してくださいね」
先生の笑顔に癒され、食事も美味しく頂いた。
部屋で少し休んだ後、先生の声掛けで京都観光がスタート。
あまり時間はなかったが、教科書でしか見たことのない景色ばかりで驚いた。
スムーズな先生の案内で、道に迷うことなく名所を巡る。
清水の舞台、甲斐と僕が出店や市街地の眺望を楽しむ中、先生たちは縁結びで有名らしい場所に長居している。
生徒を前に出しておきながら、先生が一番はしゃいでいた。
朝日が差し込み目覚める。
今何時だろう? 早い起床だ。
隣で甲斐が寝ている。
昨日は京都観光を終え、姫宮先生の両親への挨拶をして夕飯をご馳走になった。
甲斐と風呂に入って、布団を敷いたまでは覚えているが……。
早起き、長旅の疲れがあったのか、僕は横になってすぐに眠ってしまったようだ。
顔を洗おうと洗面所に向かう。
「おはよう、騎馬戦士!」
朝一でも登山先輩は元気いっぱいだ。
「先輩おはようございます。昨日はいつの間にか寝てしまいましたよ」
「有太よ、もっと青春を謳歌したまえ。まぁ、君も甲斐も昨夜はすぐ寝ていたみたいだけど。合宿といえば仲間との思い出。アタシたちは夜な夜な女子トークで盛り上がり、正直私は寝不足だよ」
登山先輩はともかく、和緒とこなちゃんでどんな盛り上がり方をするのだろう。
京都旅行と位置づけた僕であったが、合宿と言う登山先輩のらしい一言が、なんだか久しぶりのように感じた。
それは、部室で聞いた時の合宿の響きとは若干異なるもの。
騎馬部の練習が無いことで感じる物足りなさに通じるものがある。
「今日は天皇賞! 長丁場だからこそ発揮される日頃の鍛錬の成果。楽しみだねぇい!」
サッと顔を流し、タオルでゴシゴシと顔を拭き、登山先輩は部屋へと戻っていった。
皆で朝食を済ませ、分担して洗い物、先生の家の掃除を手伝う。
「お客様なのに悪いわね。咲は良い生徒さんに恵まれているわ。ありがとう」
先生のお母さんも気品漂う感じだ。
こなちゃんを中心に、登山先輩と和緒が先生の両親にお昼ご飯、ついでに僕たちの弁当を作ってくれている。
甲斐と僕は、先生の父親に盆栽のあれこれの説明を受けながら、
「そろそろ出発の時間ね」
すっかり僕たちが先生の両親と打ち解けていると、姫宮先生がやってきた。
僕たちは京都騎馬場へと向かう。
地理を知り尽くした姫宮先生の運転は渋滞や信号こそ回避するものの、カーブ、直進の繰り返しのような運転で、まさに車に揺られながらの道中。
運転が落ち着いたと思えば、既に京都騎馬場の大駐車場に到着していた。
大駐車場から騎馬場へ。
競走馬の名を冠したゲートの先、立派な競走馬の銅像が僕たちを迎える。
辺りを見渡し、和緒がどこかに行きたいような素振り。
「馬頭観音碑にお祈り? 僕も行くよ」
何となく、和緒の気持ちが分かる。
「行動が読まれるなんて、私も墜ちたものね」
「馬頭……観音碑?」
僕が和緒に教えてもらった通りの説明を姫宮先生にすると、皆が同じ気持ちで馬頭観音碑に向かうのが分かった。
メインレース前の落ち着いた時間帯、持ってきた弁当を広げる。
場内の広さ、開放感、時折聞こえる歓声。騎馬場は気持ちの良い時間を与えてくれる。
「そろそろパドックに向かおうかしら?」
いよいよといった感じの姫宮先生、僕たちはパドックへ。
やはり、騎馬を見つめる姫宮先生の興奮ぶりは凄まじい。
先生から少し距離を置き、僕たちは天皇賞に出走する騎馬たちのパドックを見つめる。
「広井くんでは?」
後方から声がして、振り返るとどこかで見たような女性の姿。
「紅城さん、お久しぶりです」
どうやら甲斐の知り合いのようだ。紅城……
「騎馬の視察かい? 広井くんは相変わらず熱心だね。君がウチに来てくれればと何度も思ったわけだが」
「僕なんかに勿体ないお言葉ですよ」
最近見聞きした名、甲斐と話す女性の表情を捉えるなり全身が硬直した。
――皐月賞で見た、優勝した、社ノ台高校二年の騎娘だっ!
「君が社ノ台の推薦入学を蹴って、他校へ行ったことは聞いていたが。最近はまったく名前を聞いていなかったからね。騎馬場で会えて一安心だよ」
僕はパドックを見つめながら、二人の会話に耳を傾ける。
「騎馬選抜試験の全国一位、毎年社ノ台への推薦入学が通例となっていたが、今年だけそうはならなかった。学校関係者、騎馬関係者も一様に驚いたわけだが」
「その折はご迷惑をお掛けしました」
「ちょっと言い方が悪かったな。正直、君の入学を楽しみにしていた私のいじわるだよ。許してくれ。君を責める気はまったくない。推薦入学辞退の件含め、大人の事情で君が騎馬を続けていないのであれば、それは残念なことだと心配していた。
ここに居るということは、騎馬は続けているんだね?」
「はい。創部するところから始めた騎馬部ですが、仲間と頑張ってます」
「そうか、良かった」
紅城さんは僕たちのほうへ視線を送る。
「君たちは広井くんと一緒の騎馬部かい? 私は
鋭い眼差しだが
皆に手を差し伸べ握手をする。
輝かしい成績を残しながら、まったく偉ぶる素振りもない。カッコ良い女性だ。
「君が広井くんと騎馬を組むのかい?」
握手をする際、僕は声を掛けられた。
「は、はい。まったくの騎馬初心者ですが」
皐月賞の圧倒的なレースぶりに感じた遠い存在、各媒体でも特集されている人。
そんな人との会話が突然に訪れた状況に、緊張しないはずがない。
「広井くんと努力していれば良い騎馬になれる。いつか一緒に走ろう」
僕に一言残し、隣の和緒と握手をする。
「あ、あの。写真一緒に宜しいでしょうか?」
和緒が顔を真っ赤にして緊張した様子。
一緒に写真?
「紅城さん、僕の妹の和緒です。紅城さんに憧れていて。和緒と写真撮ってくれませんか?」
緊張する妹を気遣う兄。
「私なんかで良かったらいくらでも。和緒さん、双子なのか? 兄と同じ顔してるけど、女の子だからやっぱり可愛いね。さぁ、写真を一緒に撮ろう」
嬉しそうな和緒。なるほど、和緒が皐月賞に行きたかった理由もそういうことか。
社ノ台の皐月賞優勝時の写真にサインを貰っている。
常に写真を持ち歩いているであろうことから、和緒は紅城さんの熱狂的なファンだ。
「和緒さん、あなたは私と同じ騎娘だね。学校は違ってもお互い切磋琢磨しよう。何でも聞いてくれ。撮った写真もあとでちょうだいね」
和緒と連絡先を交換する紅城さん。
どこにでもいる女子校生だ。
「さて、そろそろ天皇賞の本馬場入場だ。先輩騎馬はもちろん、禰慈呂学園の騎馬、年末の有馬記念であたる可能性が高いからチェックしないとな」
紅城さんは真剣な表情。
「和緒さん、長丁場でのレースは学ぶことも多い。一緒に見ない?」
和緒は満面の笑みを浮かべた。
ファンファーレが鳴り響き、各馬ゲートイン。
静寂の後、ゲートが開く。
大歓声に包まれる京都騎馬場。
天皇賞(春)は三千二百メートルと長距離のレースのため、ゴール手前のスタンド前を二回通る。
短距離戦と違い、各騎馬で校旗を奪い合う場面も見られる。
騎馬同士が校旗を奪い合っている間、第三者が校旗を奪いにいくことは禁止のルールとなっている。
校旗の奪い合いは一対一。
社ノ台や禰慈呂学園ほどの有名校になると、徹底的に他校にマークされている。
一校、また一校と代わる代わる有力騎馬に襲いかかる騎娘と騎馬。
スタンド前、一週目の直線はその光景の繰り返しだ。
「長距離はレースより校旗の奪い合いで勝者が決まることもある。和緒さん、良く見て」
紅城さんが、禰慈呂学園の騎娘を指さしながら和緒に語りかける。
「禰慈呂学園“
僕も紅城さんが指さす方を見つめる。
芦毛の騎馬に跨がり、着物をまとった騎娘の姿。
舞姫の異名の意味がすぐ分かった。
他校の騎娘が禰慈呂学園の校旗を奪いにいくが、優雅に、そして軽やかに校旗を奪おうとする攻撃をかわしている。
「舞姫……校旗を奪わせない流動的な伝統演舞は修練だけでは受け継ぐことは出来ない。
紅城さんが続ける。
「舞姫の銀髪。厳しい稽古によるストレスだと陰口も聞かれるが、舞姫になりきることで髪の色すら変わる。事実、引退した舞姫の髪色は、卒業を迎える頃には元の髪色に戻る」
舞姫は鞍のハンドルから時折手を離すが、騎馬の動きに前後するハンドルの動きを妨げないよう、巧みにハンドルの持ち方も変える。
動きに一切の無駄がない。
姿勢はピンと保たれ、軸がブレない。騎馬への負担も少ないであろう。
何通りもの動きのパターン、型が刷り込まれているようにも見える。
着物の袖を揺らしながら、それはもう踊っているような立ち回り。
華麗な舞の終演と同時、他校の校旗を手にしている舞姫。
――舞姫、伝統演舞……GⅠにはこれほどの騎馬が出てくるのか。
禰慈呂学園の校旗を奪おうとする騎馬は、ことごとく校旗を奪われレース失格となっている。
レース中盤以降、校旗を奪われるのを恐れた騎馬は、禰慈呂学園に近づかなくなっていた。
「このレース、
舞姫を脅かす存在に唯一言及しているであろう言葉だった。
校旗の奪い合い――
舞姫という騎娘の存在感もさることながら、支える騎馬の安定感もまた脅威であると感じる。
騎馬同士のぶつかり合いにおいても全く体勢を崩すことなく舞姫を支え、一定のペースを刻み続ける先行力はまさに騎馬の役に入っているようだ。
社ノ台含め、このレースの有力校は校旗を奪われないよう各々が距離を保ち、位置取りを調整し、レースに集中している。
騎馬に対する騎娘の指示は細かい。
「あれだけ騎馬同士が接触して校旗の奪い合いをしながら、先頭の禰慈呂学園の走るペースは一定を刻んでいる。騎馬の持つ凄まじい先行力、スタミナだ」
僕の読みが外れていない実感に自身の成長を感じる。
隣で息を呑む和緒に、紅城さんが続ける。
「昨年の皐月賞、日本ダービーは私の先輩騎馬が優勝。だが、三冠を阻んで菊花賞を制したのが、舞姫を擁する禰慈呂学園。良いポジション、コース取りは他校も同様に目指すし、距離が伸びれば校旗の奪い合いも激しくなる。長距離における舞姫、芦毛の騎馬の存在感、圧倒的だ」
「先頭は禰慈呂学園! 最終コーナー、距離を取っていた騎馬も差を縮めにきたぞぉ!」
走る騎馬同様、レース中盤以降あまり動きの無かった実況席はここぞとばかり盛り上がる。
「昨年の二冠馬社ノ台、鞍上の
実況の興奮ぶりも当然だ。
最終コーナーを回った最後の直線、桁違いのスピード、瞬発力で禰慈呂学園を捉える社ノ台。
騎馬を互いに合わせる。
一気に社ノ台に並ばれた禰慈呂学園に突出したスピード、瞬発力は感じない。劣勢に見える。
だが、抜け出しそうな勢いの社ノ台に必死に食らいついている。
舞姫はいつの間にか着物の袖口を紐で結い、直線的なハンドルの動きに集中している。
騎馬は社ノ台に比べて足の運びは遅いように見えるが、出す一歩一歩の歩幅が大きい。
長い距離を走って迎える最後の直線で、大きなストライドを見せる。
「無尽蔵のスタミナと持続するスピード。長丁場で迎える最後の直線、一番の武器を禰慈呂学園は持っている。三神先輩は騎馬持ち前の瞬発力で禰慈呂学園を直線で置き去りにする算段だったか……。残念だが勝負ありだ」
表情は変えずとも、どこか悔しさを滲ませる紅城さん。
「ここで社ノ台が失速する! 半馬身、一馬身、禰慈呂学園が前に出たぁ!」
禰慈呂一色の大歓声は地元特有の熱を帯びている。
贔屓目な実況の声色には、卑しさを微塵も感じさせない誇りがある。
銀箔を纏いし芦毛の騎馬の鞍上、舞姫の終演が近づく。
朱い口元は微動だにせず、直視の黒い瞳にはゴール板が映っている。
淀の舞台とも言われる京都騎馬場、その舞台の主役はやはり舞姫なのだ。
「禰慈呂学園強い! やはり淀の舞台は舞姫のためにある!
紅城さんの視線の先、まだまだ強い騎馬はいるのだ。
「観れて良かったな」
紅城さんは僕たちに声を掛け、また会おうといった仕草で一つ手を振る。
「一つ言い忘れた」
スタンドを去ろうと僕たちに背を向けた直後、おもむろに立ち止まる。
「広井くんがウチに来なかった分、今年の社ノ台一年生は君の先をいこうと必死だよ。君が居たであろう社ノ台よりも強くあろうとね。今も練習している」
甲斐が微笑んだ。
「紅城さん、分かっていますよ。僕に対する過大な評価は恐縮ですが、なおさら負けるわけにはいきませんからね」
「やっぱり、君が後輩であったらと思う私の気持ちも仕方ないな。それじゃ、失礼するよ」
天皇賞の余韻冷めやらぬ中、紅城さんの後ろ姿を見つめる僕たちであった。
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