第6話 スタートライン
今日は月曜、早起きにも慣れた。
前までは憂鬱な週の始まりであったが、この高校生活で僕は少し変わった。
家を出て最初の交差点、いつも通り甲斐の姿。
「おはよう、甲斐。昨日の皐月賞観た? 甲斐の言った通り、社ノ台は本当に強かったな」
「有太おはよう。社ノ台、やっぱり強かったね。期待通り勝つ難しさもあるけど圧勝だった。次の日本ダービーは皆で観に行きたいね」
「そうだね、皆で観たい。ところで甲斐、二人でブーツ履いて鞍を持ち、和緒を乗せて走る練習はいつ出来るの? レース観たら、実際の騎馬の動きも確認したくて」
「レース観に行って正解だったね。鞍もブーツも基本的に個人、もしくは学校の持ち物だけど、不正改造防止であったりの観点から、日本中央騎馬会の管理下に置かれるからね。公認のトレーニングセンターに預けるんだ。略してトレセンね」
「トレセン?」
「そう。トレセンは各都道府県に一カ所は必ず設けられているけど、関東だと
「ブーツはいつ頃手に入るの?」
「一応、僕は中学の時の全国騎馬選抜試験の成績が良かったから、騎馬ブーツを贈られている。既にトレセンに預けてあるよ。有太も必要だね。ゴールデンウィークに入るから、予定合わせてブーツを買いに行こうよ」
そうか、もうゴールデンウィークか。
何をするでもない休日を待ち望む今までに比べ、最近の高校生活は充実している。
連休のことなどすっかり忘れていた。
「でも甲斐、ブーツって高いんだろ?」
「大丈夫、部費で購入するから。ウチの高校は今年から騎馬部創設だから、初年度の補助が日本中央騎馬会から相当額出るし、ブーツは有太の一足で済むしね」
「何だか、騎馬未経験の僕に部費だの補助だの……気が引けるんだが」
「何言ってるんだよ有太。お互いの競走能力が合わさって和緒の騎馬としての力になるんだ。妥協せず、有太のブーツを選ぼう。チームとして力になるものを選ぶ。楽しいだろ?」
相変わらずの甲斐だ。
「登山先輩の練習メニューには少しずつ慣れてきたし、力もついてきているはず。有太のブーツが手に入ったらトレセンで和緒を乗せて騎馬として走りたいね。放課後の練習が終わったら、調理室でブーツ買いに行く日を決めよう。皆を誘ってさ」
そんな話をしながら学校に着く。
今朝の校庭も甲斐への黄色い声援が止まない。
元気いっぱいの登山先輩の手には、相変わらずハードな調教メニューが並んでいる。
メニューにも甲斐にも負けじと僕は朝練をこなすのだった。
放課後の校庭。
甲斐、登山先輩はもちろん、珍しく和緒、こなちゃんの姿。
今日は全員が校庭で練習するようだ。
こなちゃんはストップウォッチを持っているが、和緒にもらったストラップを自慢気に見せつける。嬉しそうで何よりだ。
登山先輩と和緒、一緒に校庭を走っている。
「有太、今日は組手して走る練習だね」
ようやく騎馬らしい練習と思えた。
騎馬のレースを見終えた直後ということもあり気持ちが昂る。
甲斐と両腕を合わせる。
体育祭でやるような騎馬戦のような組み方、逆手でお互いの腕を支える。
「お、有太。初めてなのにスムーズだね」
昨日の騎馬観戦、僕は騎馬がどう走るのかを観てきた。
時折、お互いの進む方向が真っ直ぐ保てない時はガッチリ組手を固定、走る方向を合わせ修正する。
「甲斐、もう少し速く走っても良い?」
「もちろん。有太、地面を蹴るタイミングを合わせられるよう、もっと意識しよう。蹴るタイミングが合えば推進力も倍だ」
甲斐と僕、お互いが真剣であることが伝わる。
言葉を発しなくても、組手を通し伝わる。
黙々と組手をしながら走り続けて二時間、とっくに登山先輩の練習メニューを終えていた。
「騎馬戦士にはずいぶん余裕のメニューだったようだねぇ~」
甲斐と僕、組手を解き校庭に座り込んだ直後、登山先輩がやってきた。
「よしっ!」
登山先輩は思いついたかのように一言。
「和緒ちゃーん、ちょっと来て!」
練習メニューを終えていた和緒。
こなちゃんと談笑しているが、登山先輩の声掛けでこちらを見る。
「すっかり坂道メニュー忘れていたよ。普段より少ないけど坂道ダッシュ十本、和緒ちゃんを乗せて走るのだ!」
「え?」
甲斐との組手は今日が初めてだ。
まだ重りを持って走ってもいない。
鞍があってこそ騎娘を乗せてもバランスを保てるようなもので、和緒を乗せるのは時期尚早と思える。
「あの、登山先輩。まだ僕たちは組手に多少慣れてきた程度で……」
不安が口を突く。
「騎馬戦士たる者、出来るのに弱音はいけないのだよ。大丈夫。アタシが見る限り、有太と甲斐の騎馬なら鞍無しでも十分和緒ちゃんを乗せて走れる。さぁ!」
登山先輩の気迫に押され、甲斐と僕は再び組手をする。
和緒がやってくる。
「ちょ、ちょっと有太。変なところ触ったら承知しないんだからね」
ぶつぶつ言っている。
「重いとか言ったら許さないんだから」
ぶつぶつ言っている。
「さぁ、和緒。乗って」
甲斐の声掛けで、和緒が僕たちの組手に跨る。
甲斐と僕、スッと和緒を持ち上げる。
甲斐と持ち上げる和緒、軽いものだ。
鞍無しでもバランスを保てる和緒、大したものだ。
「どうだ、和緒。良い眺めか?」
甲斐の優しい口調、しばしの沈黙。
鼻をすする和緒、顔を両手で覆っている。
泣いているようだ。
「初めての騎馬が僕たちでちょっと怖いみたいだな。落とされそうで」
気遣う甲斐。
「そうだな。でも、思ったより軽くて安心だ」
僕も続く。
「……」
和緒は珍しく無言だ。
夕陽を背に三人の影が校庭に映っている。
僕らにはブーツも鞍も衣装さえないのだが、そのシルエットは甲斐と僕が組手をし、その上に和緒を乗せる騎馬がいるのだということを映している。
和緒の涙には、ここに至るまでの抱え込んできた感情さえも。
僕たちは、ついにスタートラインに立ったのだと思った。
「さぁ、和緒ちゃんを乗せた騎馬戦士諸君、坂道ダッシュ十五本! ゴー、ゴゴー!」
登山先輩の威勢の良い掛け声。五本増えてないか?
「一本十秒いにゃい……いにゃ、以内」
ストップウォッチを手にするこなちゃん、相変わらず噛み噛みだ。
職員室からの熱視線も感じる。
甲斐と組手をしている今日は、いつも以上に見られているような。
「さぁ、行くわよ!」
少し鼻にかかった和緒の掛け声と共に、甲斐と僕は駆け出した。
遅ればせながら、県立
坂道ダッシュを終えた後、しばらく校庭をぐるぐると回る。
和緒も甲斐も僕も、初めて組んだ騎馬を解くのが惜しい気持ちなのだろうか。
「ありがとう」
和緒が恥ずかしそうに言った。
「お礼はまだ早いよ。僕は騎馬としてもまだまだ、もっと練習する」
僕は照れ隠しの言葉を返す。
「お、お兄ちゃんに感謝してるのよ」
プイッとそっぽ向いた頬が赤く染まる。いつもの和緒だ。
甲斐と目を合わせ、ゆっくりと和緒を降ろす。
「さて、練習終わったし、調理室でゴールデンウィークの予定でも話そう。有太の騎馬ブーツをそろそろ決めていきたいし」
甲斐の声掛けで、僕たちは調理室に向かった。
調理室は仮の部室ではあるが、すっかり騎馬部の部室だ。
姫宮先生の配慮で、一番奥の食器棚は騎馬部のスペースとして空けてもらっている。
こなちゃんが持ってきてくれたであろう、ティーセットや作り置きのお菓子が並んでいる。
「騎馬ブーツってどうやって選べば良いんだ?」
皆で席に着くなり、僕はブーツの疑問を問いかけた。
話し合う内容に対し、まったく知識がないので皆の話を聞きたいと思ったのだ。
「例えば、凄まじいスピードを引き出せるブーツがあるとしても、基本のスピード、スタミナ、瞬発力が騎馬に備わっていないと、ブーツの良さもレース中で一瞬しか出せず、宝の持ち腐れになる」
甲斐が丁寧に説明し始めた。
「この前の皐月賞を制した社ノ台の二年生、騎馬は共にサイレンスブーツを使っているけど、高い能力があるからこそ扱える。さらにあの騎馬は双子だ。騎馬同士が抜群の相性だからこそ、サイレンスブーツの二足使いなんて禁じ手に近い組み合わせが出来る」
「禁じ手?」
「そう。同系のブーツ同士だと力の“濃さ”に騎馬が耐えられないことがあるんだ」
ふむふむ。
「ブーツと扱う騎馬の相性の良さ、騎馬同士のスムーズな連携、何より騎馬自身に能力が備わっていないとね。力を発揮しようとするブーツの勢いに負けて、スピードやスタミナなどがブーツに奪われていく感覚でレースをすることになる。まずは個々の能力に合わせてブーツは選ばないと」
甲斐の説明は分かりやすい。
「とにかく、ブーツを制してこその騎馬よ」
得意気に和緒が続く。
「スピードやスタミナ、練習により高められた能力を引き出し力に変えるブーツが主流。しかぁ~しっ! 気持ちの強さ、根性などがブーツと呼応し、力として現れるブーツもあるのだよ!」
登山先輩が熱い。
「騎娘のリボンはポニーテール萌えなんだ。和緒殿キボンヌ」
こなちゃんはアニメの影響が大きすぎる。
「どこに行けばブーツ見れるのかな?」
「トレセンで見て買えるけどね。関東はサイレンスブーツのように有名どころはもちろん、定番のブーツ、海外製は豊富だね」
「海外製とかあるの?」
「海外製のブーツを使うと、日本製とはひと味違うスピード、パワーを得られる。特に新馬戦以降、僕たち一年生がすぐに活躍しやすいブーツとされているし、海外のレースに挑戦する際はコースとの相性が良いとされている。ただ、海外製のブーツを使うと、国内で出られないレースも多かったりするよ」
日本製、海外製のブーツどちらかを選ぶことで、騎馬登録の内容も変わるようだ。
海外製ブーツは成果を早い段階からあげやすい反面、二年生騎馬の三冠レース(皐月賞、日本ダービー、菊花賞)には出走出来ない等、色々と条件があるらしい。
「関西は騎馬ブーツの名工が多いから、定番のブーツを騎馬規定に沿って改造した特殊なブーツが多い。例えば、京都の
甲斐は何でも知っている。
「特殊……何だか、関西のほうがブーツ選ぶの楽しそうだね。さすがに僕たちの住む群馬からだと遠いけど」
ノックの音がして、調理室のドアがゆっくり開く。
「ちょっと宜しいかしら?」
姫宮先生だ。
「来週、京都の実家に帰る用事があるのですが、予定が合えば天皇賞(春)の観覧を一緒にと思いまして」
皐月賞の時もそうだが、何とタイミングの良いことだろう。
「先生、観覧のついでといっては厚かましいですが、栗東トレーニングセンターにも連れて行って頂けませんか?」
僕は自分の履くブーツに妥協したくないので、関西のトレセンでブーツを選びたいと思った。
「もちろん大丈夫よ。連休に入りますし、もし皆の予定が合うようでしたら、騎馬部の親睦も兼ねて旅行でもどうかしら?」
皆が顔を合わせる。
どうやら予定を確認し合うまでもなさそうだ。
「先生の運転だし、私の実家に皆で宿泊出来ますので。準備と言えば、着替えくらいなものね」
「騎馬部の地獄合宿! 急いで調教メニュー作らなくちゃ!」
登山先輩の中で旅行が過酷な合宿に変換されているのはいただけないが、ゴールデンウィークは騎馬部の皆で京都へ向かうことに決まった。
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