第5話 漆黒の騎娘と青鹿毛の騎馬

 来た時よりもパドックは観客で賑わっている。

 姫宮先生は、パドック最前列で騎馬を見ながら相変わらず興奮している。

「先生のこと、皐月賞が終わるまでそっとしておきましょう」

 和緒の意見に同感だ。

 騎馬を前にした先生の姿、別人のようだ。


「見て、社ノ台よ」

 黄色地に黒の縦縞たてじま、青いラインの入った校旗が揺れている。

 社ノ台の文字、旗印はスタイリッシュな競走馬。

 漆黒の勝負服を着た騎娘。

 藍色のオーバーオールを纏う騎馬。


「伝統の校旗に青鹿毛あおかげの騎馬、何色にも染まらない意志をまとった騎娘。圧倒的存在感ね」

 和緒の言葉を聞いたからだろうか、素人目の僕にも社ノ台は別格に映る。

 いや、明らかに他の騎馬と違う。

 先ほど見た他校の騎馬が履くサイレンスブーツと杜ノ台騎馬が履くサイレンスブーツ、同型ブーツでさえ放つ威圧感がまるで違うのだ。


 ゆっくりと歩く姿、何かの拍子に暴走しかねない恐怖。

 サイレンスブーツを履く騎馬の温和な表情が完璧にブーツを制しているのだと安心させる一方で、ただの道具と見なせば主人にさえも噛みつかんとするブーツの威圧感。

 力の強大さと危うさを映している。

 

 跨る騎娘は黒一色の勝負服。

 他のどの騎娘よりも華の無い、地味でシンプルな装いが返って本物を思わせる。

 華やかさや人目を惹く衣装はまるで虚勢を張るかのように。

 上下動する鞍上で、姿勢を微動だにせず前を見据えている。

 

 パドックのスクリーンに映し出される社ノ台の競走能力を示すデータ、項目全てが赤くなっていて能力の高さを示している。

 単勝オッズ一・〇倍、これはいくらお金を賭けて杜ノ台の一着予想が当たっても、返ってくるお金が変わらないということ。

 社ノ台は一着確実、負けることなど有り得ないという騎馬ファンたちの予想の証明だ。

 皆が、連番でどの高校の騎馬が二着、三着になるのかを予想している感じだ。

 

 騎馬が周回を終えパドックを出る。

 いよいよスタート地点に向かう本馬場入場、レース開始が迫る。

 姫宮先生の姿はパドックにない。

 既にスタンド最前線に向かっている。

 和緒と僕がスタンドに着く頃、各騎馬の本馬場入場が始まっていた。


 高校名、レースに向け期待を込めたアナウンスと共に各校の騎馬がスタート地点へと駆けていく。

 僕は甲斐との組手を思い出しながらそこに鞍を持ち、和緒を乗せるイメージをする。

 履いたことのない騎馬ブーツで芝を踏み締め駆け出す。

 場内が大きな歓声に包まれる。

 イメージの先、大歓声を背に走ることはどれほど気持ちが良いものかと胸が高鳴る。


「宮本音大付属高校による演奏です」

 全騎馬がスタート地点に揃うと、場内アナウンスと共にファンファーレが鳴り響く。

 リズムに合わせて首を振る和緒。

「騎馬は高校生による競技だから、レース前の演奏も高校生がやるのよ。皐月賞はグレードワン(GⅠ)という最高位の格付けレースだから、演奏する高校生もコンクールの優勝校ね」


 騎馬場はファンファーレと共に手拍子が鳴り響き、演奏後の大歓声と共に場内の熱気も最高潮を迎えた。

 各騎馬のゲートイン。

 やがて静寂に包まれる。

 乾いたゲートの開く音と共に大歓声が上がり、レースの口火が切られた。


 勢い良く社ノ台が飛び出す。

 皐月賞、距離は二千メートルの中距離戦。

 各校が他校の校旗を奪おうと動く中、社ノ台は圧倒的な加速、スピードで他校を寄せ付けない。


 社ノ台の駆ける姿、それはまるで一頭の競走馬と騎手。

 二人で駆ける騎馬の動きは一つの生き物のように躍動し、動きに合わせハンドルを前後に動かす騎娘の動きは一切の乱れもない。

 息を呑む。

 静と動がそこに存在する。


「千メートルの通過が五十九秒ジャスト!」

 驚きの実況と共に観衆がどよめく。

 およそ一分の間、杜ノ台の姿に誰もが息を呑み沈黙、実況のアナウンスで我に返るような光景だ。


 騎馬新聞のレース展開予想では、皐月賞は例年通りのスローペース、中盤以降杜ノ台の仕掛けと共にレースが動くとあった。

 観衆もおそらくは中盤以降でレースが動き始めると思っただけに、単騎で、それもハイペースで杜ノ台が逃げの展開に持ち込むとは誰もが予想だにしなかった。


 速い騎馬が勝つと言われる皐月賞。

 そんな格言とは裏腹に、その速さを手玉に取るようなコース形状が三冠レースの一つ目を制する難しさかもしれない。

 スタート直後から続く緩やかな勾配に加速出来ず、それが例年のスローペースの要因。

 楕円に回るコーナーに沿っては下り坂が続き、外に膨れないよう慎重なペース配分が求められる。

 コーナーを抜けゴールまでの最後の直線は急坂が続き、騎馬が持つスピードの持続力と瞬発力を削る。

 ハイペースで逃げの展開、杜ノ台の走りは最も勝利から遠いように思える。


 スタンドがザワつき始めた。

 団子状態となる二番手以下の後続集団が、徐々に杜ノ台との差を詰めてくる。

 各校は校旗の奪い合いを止め、各々が一着でゴール板を駆け抜けることに集中している。

 自滅に向かうかのような杜ノ台の走りに、突如として全校に勝利の可能性が転がり込んだ格好だ。


 最終コーナー手前で各校がスパート、社ノ台と後続の差がどんどん詰まってくる。

「最終コーナーを回って最後の直線! 先頭は社ノ台だが馬群が一気に迫ってきたぁ!」

 社ノ台が差を縮められる最後の直線、観衆はまさかといった展開に驚いている。

 悲鳴にも似た歓声。

 その刹那、


「やはり社ノ台に死角なし! ここからさらにスパートだぁ!」

 社ノ台の騎娘、騎馬の姿勢が低くなり、明らかなギアチェンジからの加速。

 後続の騎馬が逆再生するような錯覚に陥る別次元の走り。


「社ノ台、恐ろしいまでの末脚すえあしが炸裂する! 四馬身、五馬身、一気に後続を突き放したぁ!」

 甲斐が教えてくれた最後の直線で迎える坂、確かにキツそうだ。

 ただ一校を除いて。


「やはり強い! 別格だ! 後続を大きく突き放す! 社ノ台、皐月の舞台は通過点に過ぎない! まずは一冠達成!」

 社ノ台がゴールした瞬間、騎馬ファンによる大歓声。

 僕の視線は社ノ台に釘付けとなった。

 ゴール板を駆け抜けた後、徐々にスピードを落とし、何事も無かったようにクールダウンする社ノ台、淡々とコースを引き上げる姿。

 圧倒だ。恐ろしいほどに。


「おい、勝ち時計見ろよ」

「一分五十八秒ジャスト……。確か、中山騎馬場の二千メートルのレコードタイムは一分五十七秒八だよな? それにコンマ二秒遅いだけなんて……」

「普通、春先の二年生騎馬が出せるタイムじゃないよ」

 騎馬通な男性二人の会話に耳を傾ける。


「同年代が出せないタイムで走れば皐月賞は勝てる。そんな計算で走ってたんじゃないか?」

「そうかもな。前後半の千メートルが共に五十九秒ってのも計算しているような気がするし。五十九秒+五十九秒=一分五十八秒」

「走りながら寸分の狂い無くタイムを合わせるなんて可能か?」

「杜ノ台史上最強と言われる騎馬なら可能だろう」

「騎娘の紅城あかぎ、騎馬の真理尾まりお兄弟」

「漆黒の騎娘と青鹿毛の騎馬」


 詳細は良く分からないが、杜ノ台は他校のことなど気にせず、一分五十八秒・・・・・・というタイムとの勝負をしていたという分析が衝撃だった。

 勝負とは相手がいて初めて成立するものと思っていたが、相手が越えられない壁を把握し、さらにその上を越えることで勝利を手にする手法。

 皐月賞という舞台に全十六校が揃っていたが、杜ノ台の舞台にはただ一校として上がっていないことになる。


 皐月賞、僕には立つことさえも想像がつかない大舞台。

 敗戦二着以下の騎馬の走りが、どれだけ高レベルなのかということも痛感している。

 この大舞台にあって、別の世界へ駆けていくような社ノ台の姿。


「和緒、社ノ台ってこんなにも…………」

 僕は初めて間近で騎馬のレースを観た。

 僕が騎馬として、何をすべきか何となく分かった。

 けれどなんだ? 何事にも争うことが絶望的とも思える存在を見せつけられた。

 隣の和緒に、言葉を発するのが精一杯だった。


「有太、戦意喪失した? それで良いのよ。まだ勝てるわけないんだから」

 和緒が微笑む。

「学年上とレースをするのは今から一年後、今日の気持ちを糧に頑張るの。何より、今年の夏以降は私たちの新馬戦、まずは同世代に負けないよう練習しないとね!」


 これだけのレースを見終えたばかりの和緒、やる気に満ちている。

「皐月賞は速い馬が勝つと言われてるけど、スピードの速さだけでなく完成度の早さのことも指してる。杜ノ台はデビュー時から三年生にも劣らぬ強さ。私たちに立ち止まってる暇なんて無いの」

 強者を前に逃げ出したくなった僕は和緒に助けられた。


「和緒、絶対勝とう」

 助けられておいて情けないが、相手が誰より先、前を向き続ける和緒を騎馬で勝たせたい気持ちで言葉が出た。

「当たり前よ。私たちが負けるわけないじゃない」

 いつも強気な和緒がこの瞬間も居てくれた。

「さぁ、姫宮先生を探さなくちゃね」


 皐月賞を見終え、スタンドを離れる。

 本日最終レースのパドック最前列、姫宮先生がこれまた興奮した様子で騎馬を見ている。

「私たちは先に電車で帰りましょう。先生に声掛けできる感じでもないし」

 騎馬場に着いてからの姫宮先生、これはちょっと恐ろしいまでの興奮ぶり。

 そっとしてあげるのが一番だ。

「先生には電車で帰る旨メールしておくわ。売店行きましょう」

 騎馬場内の売店へ。


「これよ、これ! こなちゃんが好きなアニメとのコラボ商品よ!」

“韋駄天 騎馬むすめ × 優駿”

 商品名から妙に親近感を覚える。

 それは置いておいてこのコラボ商品、アニメの各ヒロインが往年の名馬に跨がっているキーホルダーなのだ。


「中山騎馬場限定だしなぁ。やっぱり皐月賞を制し、この中山で奇跡の復活劇を見せたヒガシノコウテイバージョンかしら。でも、ゴールドアートも捨て難い」

 和緒が、本日の姫宮先生に匹敵する熱量でグッズを見つめている。

井澄いすみちゃんが声優やってる騎娘で選べば? 確か、こなちゃんが好きな声優さんだよ」

「有太はアニメ詳しいの? 良い趣味持ってるのね」

 和緒の意外な反応だ。


「井澄……あら、ジパングポート! シャドーロール可愛いし、こなちゃんにはこれね! ミホ先輩にはフクツノブルボンバージョンっと」

 選ぶのが楽しそうな和緒。

「和緒は何欲しいの? お弁当の件もあるし、和緒とこなちゃんのお土産は僕が買うよ」

「こなちゃんには私からプレゼントしてあげたいし。そうね、私の欲しいものは別にあるから大丈夫よ」

 和緒に何か買ってあげたい気持ちだったので、少し残念だ。

「よし、これで買うもの買ったし、家に帰りましょう」


 騎馬場はメインレースを終え、ずいぶんと観客も少なくなっていた。

 群衆の流れに身を任せ和緒と歩く。

 中山騎馬場前の駅に到着。

 タイミングが重なったのか、乗り始めは満員電車に揺られる。

 皆がそれぞれの岐路へ。


 電車を乗り換える。

 地元に近づく頃には人もまばらな電車内。

 ようやく椅子にも座れ、疲れていたのか和緒は僕の隣で眠っている。

 今日がもうすぐ終わる。

 皐月賞は僕にとって初めての騎馬観戦。

 和緒と一緒で本当に良かった。

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