第162話、三人で摂る朝食は良いものだ。

「松本さんは、私と同じイングリッシュブレックファーストでいいですよね?」


「あ、はい。それでよろしくお願いします」


 佐藤亜月と過ごすシェアハウス生活も、気づけばすっかり慣れてしまった。毎朝欠かさず朝食を用意してくれる彼女のおかげだろう。


「きっと素敵なお嫁さんになるんだろうなぁ」


「ん? 何か言いましたか?」


「あ、いえ。なにも」


 危ねぇ、危ねぇ、口に出てたらしい。聞かれてなくてよかった。


「なんでもないならいいですけど」


 ちょっと言葉尻が冷たい。どうやら、俺の部屋でバーニングさんと何かしていたであろうことを勘ぐっているらしい。もしかして、妬いているのだろうか。


「さ、佐藤さん」

「なんですか」


 こっちを向かずにお湯を沸かす彼女。そんな背中に向かって、俺は言葉を選びながら言った。


「今日、楽しみ……ですね」


 彼女はゆっくりと振り返る。手には熱々のヤカン。そして、優しく微笑んだ。


「松本さん、寝れなかったんですか?」


「な、なぜそれを!」


「うふふ、実は下まで聞こえてましたよ。バーニングさんが大声で起こしてる声が。バーニングさんもよっぽど楽しみだったんですね。凄く嬉しそうな声でした」


 その言葉を聞き、俺は思わず脱力する。なんだ、最初から分かっていたのか。


「あはは、実は俺、昨日マジで楽しみすぎて寝れなくて。危うく寝坊するところだったんですよ」


「妾が起こしてやったのじゃ。これは正しく、妾の功績と言って差し支えないな!」


「えぇ、バーニングさん。私もそう思います。バーニングさんが起こしてくれたお陰で、こうしてちゃんと三人揃って朝ご飯が食べれますから。それにしても松本さん、意外と子供っぽいところあるんですね。楽しみで眠れないなんて」


「あはは、いやぁ。俺もビックリしましたよ。全然夜寝付けないし、朝になっても眠過ぎて起きれないし……」


 そう答えると、佐藤亜月はクスクスと笑う。雰囲気もどこか朗らかに感じた。今なら聞けるかもしれない。


「でも佐藤さん、なんで俺の部屋を見てからちょっと不機嫌そうだったんですか。俺なにか気に触ることしたのかなって焦ったんですけど」


 冗談交じりといった喋り方で、最後にはははと笑い声まで追加した。しかし、その言葉を聞いた途端佐藤亜月の表情は一瞬だけ固くなり、真顔のままじっと俺の顔を見つめる。それから、慌てて目線を逸らしてこう言った。


「べ、別に。特に何も思ってませんよ。た、ただ松本さんをからかってみただけですから」


 ガラスのティーポットに注がれたお湯は、茶葉を巻き上げて茶色に染める。同時に紅茶の優しい香りが部屋を包み込んだ。


「バ、バーニングさんは緑茶でいいんですよね!」


「無論じゃ。妾は茶を欲するでな!」


 ドヤ顔を見せるバーニングの為に、佐藤亜月は急須の中へお湯を注ぐ。そんな彼女の態度を見ながら、俺はもしやと思った。

 もしかしてこの人、マジで嫉妬したんじゃないだろうか。

 もしかして俺の恋、脈アリなんじゃなかろうか。


「次は佐藤さんに起こして欲しいなぁ」


 彼女の方を見つめながら、そう呟いてみた。佐藤亜月は俺の言葉を耳にして、一瞬だけピクリと反応したように見える。しかし、表情は変わらない。丁寧にお湯を注ぐだけだ。


「自分で起きて欲しいですけどね」


 と言われてしまった。

 難しい。後で細柳に女の口説き方を教わらなくては。


「なんじゃ、お主妾のモーニングコールが不服と申すか!」

「あんたのはモーニングコールじゃないでしょ。モーニングプレスだっつーの!」


 ぺしっと頭にチョップ。


「痛い……」


 眉尻を下げて上目遣いでこちらを見てくるバーニングさんに、一瞬ドキッとしながらナイフとフォークを手に取った。


「今日も、美味しそうですね」


「うふふ、ありがとうございます。はい、お待たせしました。バーニングさんのお茶ですよ。さて、いただきましょうか」


「うぬ! いただこうぞ!」

「いただきます」


 三人で手を合わせて、俺たちは朝食を摂る。いい香りが寝ぼけた脳を刺激して、いい塩梅に腹が鳴る。相変わらずの美味しさを保証する佐藤亜月の朝食は、俺の腹を満たしてくれた。


「相変わらず……美味しすぎる」


 思わずこぼれ出た感想に、隣で箸を器用に扱うバーニングさんも同調する。


「美味い! 美味じゃ!」


 そして、紅茶を飲み干した佐藤亜月は優しく微笑んだ。


「そう言って貰えて、嬉しいです……ダーリン♡」


 彼女の髪の毛はみるみる黒く染っていく。美しい瞳からは生気が失われ、周囲の空間もまた歪でおどろおどろしい宝石に変化した。


「ダーリン、お久しぶり♡」


「……久しぶりだな、ガトーショコラ」


 俺は食器をそっとテーブルに置く。隣にいたバーニングさんが戦闘態勢に入ったのを感じたからだ。


「バーニングさん、落ち着いて」

「落ち着いてられるか。この娘、佐藤亜月の中に住まう悪魔であろう! なぜこのタイミングで出てきおった」

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