第161話、遊園地へ向かう日の朝。
遊園地に行く当日となった。ところが、俺は満足に眠ることが出来なかったようだ。眠い。目がシパシパする。
遊園地へ遊びに行く今日という日を楽しみにしすぎて、夜眠れなかったからだろうか。それとも、病室でしばらく寝たきりの生活だったせいだろうか。
ともかく、俺はあまりの眠さにベッドから起き上がれずにいた。
「松本ヒロシー!」
「グブッフェ!」
突然、俺の腹部辺りが重くなる。あまりの衝撃に目が覚めた。
「バーニングさん!? 何やってるんですか!」
見れば、俺を毛布の上から押し潰すような形でバーニングさんがのしかかっている。重い。
いや、女性に重いなんて表現は失礼か。
「ちょ、重い、どいて……」
失礼とか関係ない。苦しい。
「もう朝じゃぞ! はように起きんか! 妾は待ち遠しくてワクワクテカテカピッカピカじゃ!」
うるさい。耳元ではしゃぐ彼女の声で、鼓膜の奥がキンキンと音を立てた。めちゃくちゃうるさい。
「あぁ、分かりました、分かりましたから……どいて」
「どけじゃと? なんじゃその言い方は。殺されたいのか?」
「急に物騒だなおい!」
お前の殺すはシャレにならねぇんだよ! と彼女を無理やり突き飛ばす形で起き上がった俺は、肩で深く息をする。
なんか、朝から無性に疲れた。
「おぉ、目が覚めたようじゃな!」
目の前には、相も変わらず派手な赤い和装に身を包む女性がいる。
ベッドの上に四つん這いの姿勢、赤い髪をかきあげて笑う二十歳くらいの女性。
彼女の名前はバーニング。太陽神でもなければ、冥府の神でもない。ただの一人の、わがままな女性だ。
「バーニングさん、その起こし方やめてもらっていいですか?」
「なんじゃ? 妾のモーニングコールがお気に召さんと申すか?」
「ならせめてコールしてくれ。モーニングプレスは要らねぇよ」
額に目掛けて思わずチョップした。この人、見た目も実年齢も圧倒的に歳上なのだが、性格の問題かどうしても年上扱いができない。
「ぐすん、痛いではないか」
額を抑えて涙目をうかべる彼女の姿に、思わずドキッと胸が音を立てた。しかしそれとこれとは関係ない。
「もっと優しく起こしてくれたら許します」
俺はわざとらしく頬をふくらませてそう言った。目の前にいるオトナな女性は、その姿に似つかわしくない潤んだ瞳で俺を見つめる。赤い右目と黄色い左目の宝石みたいなオッドアイが揺らぐ。
彼女は、四つん這いのままゆっくりと俺に近づいてそっと唇を俺の前に突き出した。
和装がはだけて、中の大きな胸が揺れる。
「ちょ……」
目のやり場に困る。慌てて目線を外そうとしたが、白く柔らかなそれから目が離せない。
「ならば、接吻で起こしてやろうかえ?」
「……え?」
接吻……キスのことか。
驚いて顔を上げると、頬を赤くしたバーニングさんが意地悪な笑みを浮かべていた。
「妾はもう、ただの女。そうであろう」
彼女はゆっくりと俺の肩に手を回し、体重をかけてくる。俺も俺で、それに抗うことないまま枕に頭を落とした。
ふわっと甘い香りがしたかと思えば、バーニングさんの長い髪が頬に当たる。
俺の体はどうにかなってしまったのだろうか。ガチガチに固くなって動かない。俺は心に決めた人が、佐藤亜月という愛する人がいるのに。バーニングさんの誘いを断れずにいる。
「松本ヒロシ、目を瞑れ」
バーニングさんがそっと耳元で囁いた。その大人な雰囲気に、俺は思わずギュッと瞼を閉じる。ベッドと肌の擦れる音、頬にあたる長い髪、バーニングさんから漂う甘い香り、そして、近づく体温。
彼女の鼻息が俺の唇を撫でた。もう、あと数センチできっとキスしてしまう距離だ。
あぁ、俺のファーストキス。でも、不思議と嫌じゃない。バーニングさんは確かに死闘を繰り広げた相手だし、単調で短気な性格は気に触る。でも、それ以上に魅力的な女性だということは変わらない。
なるようになれ……。
「松本さーん、起きてますかぁ?」
突然、佐藤亜月の声が聞こえた。
「ウボッジュァァァッ! 起きてます!」
慌てて状態を起こす。
――ゴチンッ!
「痛ってぇぇ!」
「うぎゃぁぁぁ!」
俺とバーニングさんの額がすごい勢いでぶつかった。
「ちょ、松本さん? 大丈夫ですか!?」
ガチャリと音を立てて部屋のドアが開く。
そこには、エプロン姿の佐藤亜月が立っていた。
一方で俺はというと、額をぶつけたあまりの痛さに涙を堪えながら悶えているところだ。きっとバーニングさんも同じだろう。
「……二人とも、何してたんですか?」
佐藤さんの声がちょっとだけ冷たい。
「いえ……特に何も」
「マツモトキヨシの言う通りじゃ……」
「俺の名前は松本ヒロシだっつーの」
お互いに額を抑えながらそんな会話をする俺たちを見て、佐藤亜月はジト目のまま「ふーん」とだけ呟いた。
どうしよう、疑われている。
俺が好きなのはあなただけなんです、佐藤さん。
「まぁ、別にいいんですけど、そんなことより、朝ごはん出来ましたよ」
「あ……ありがとうございます」
「いつもいつも、感謝するぞ」
その日朝食を終えるまで、俺とバーニングさんは気まずさのあまりお互いの顔を見ることが出来なかった。
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