第155話、意外な看病人(上)

「松本さん、その、私……」


「佐藤さん?」


「……えっと」


 病室にゆっくり足を踏み入れながら、ただただ彼女はモジモジしていた。そんな佐藤亜月の肩を、ポンっと叩いて顔を見せたもう一人の女性が笑う。


「ガハハ、なにをモジモジとしておるか。彼を救ったのはお主であろうて」


 そこに立っていたのは、真っ赤な髪の毛を腰まで伸ばし、豪快な和装に身を包んだ女性。


「バーニングさん、どうしてここに」


 というか、鏡粉砕されて神通力的な力使いまくって、消えてなかったのか。てっきり俺は、彼女の存在が神様のコピー品と聞いた時点で覚悟はしていたのだ。鏡を割った結果、彼女自体が消えてしまうことを。ところが、今俺の目の前にいるバーニングさんは相も変わらず豪快な笑顔を見せていた。

 生命力が凄いと言うべきか、しぶといと言うべきか。非常に強力な敵であったことも相まって、バーニングさんが元気そうにしているのはどうも腑に落ちないところがあるが。もう少し申し訳なさそうに出てきて欲しかったものだ。

 いや、それ以上にルームメイトの彼女が元気そうな姿を見て、安心する気持ちも存在した。バーニングさんとまた、お話ができる。それは喜ばしい事じゃないか。


「妾もこの小娘に助けられた仲間よ、のぉ!」


 佐藤亜月は困った表情のまま小さく頷いて、ほんの少しだけ首を傾げた。


「わ、私、役に立ってました?」


「当たり前じゃ。そうであろうマツモトキヨシ!」


 バーニングさんは佐藤亜月の肩をがっしりと掴んだまま俺に話題を振る。まったく、相変わらずだ。


「バーニングさん、俺の名前は松本ヒロシですってば」


「おぉ、そうだったそうだった。妾としたことが、ははは、失敬失敬失敬続きのシッダールタじゃな!」


「そんな言葉は聞いたことねぇですって。それに、俺あの後気絶しちゃってて、ほとんど記憶ないんですよ。どうなったんですか?」


 そう問いかけた俺に、バーニングさんは少し驚いた表情を見せて頷いた。


「そうじゃそうじゃ、伝え忘れておったわ! この小娘が居らなんだら妾達大変な目にあっておってのぉ!」


 そこで話すつもりか? バーニングさんは声がでかい。今しがた、彼女の背後を看護婦さんが通って行った。恐らく別の病室を見に行くためだろう。その時の表情、それはまさに迷惑げだった。バーニングさんはよく喋る騒音おばさんだからな。仕方ない。


「立ち話もなんですし、ささ、どうぞこちらへ、でありますぞ!」


 細柳小枝のナイスアシストで、佐藤亜月は俺の枕元に備え付けてあるパイプ椅子に腰を下ろした。

 後からついてきたバーニングさんは、ソワソワした様子で病室を眺めては、なるほどなぁ、等と呟いている。壁にかかっている時計を見ては、オーバーリアクション。小型テレビのモニターを見ては、オーバーリアクション。何をしたって驚いている。この人、別に遊園地じゃなくても楽しめたのではないだろうか。


「これは非常食か、ふむふむ」


 ちげぇよ、無機質な病院の雰囲気を少しでも明るくしようという病院側の配慮で置かれてあるただのサボテンだ。

 ってかあの人は完全にここをアミューズメントパークかなんかだと勘違いしている。これは、無視するのが正解なのだろうか。


「あの、松本さん」


 不意に、佐藤亜月がそっと俺に耳打ちする。俺の注意は完全にバーニングさんへ向いていたことも相まって、思わず俺は身震いした。

 慌てて耳を抑えようとして、手が動かないことを悟り首だけ彼女に向ける。


「な、なんですか佐藤さん」


 彼女につられてか、なぜだか俺も声を潜めてしまう。そっと耳打ちした俺に、彼女は再び唇を近づけた。

 ドキドキする。顔が近い。透き通った白い肌に、黒く艶やかな瞳。潤んだ彼女の目には、若干俺の表情が映っていた。なんだ俺のこの顔は、真っ赤じゃないか。

 できるだけ平静を装って、俺は佐藤亜月に耳を傾けた。彼女は声を小さくして、耳打ちしてくれる。心地のいい声と、微かな彼女の息が耳にかかって、俺の胸が更にトクンと音を立てた。


「実は、私、何があったのかよく覚えていないんです。そ、その。どうして遊園地に居たのかとか、なんでみんな怪我してたのかとか……」


 なるほど、わけも分からず状況を呑み込めていなかったわけか。


「わ、私とっても驚いて。だって、目が覚めたら凄い廃墟みたいなところで寝てたし、目の前には細柳くんやバーニングさんが倒れてたし、なにより、松本さんは真っ黒焦げで、死んじゃったのかって思って、私、心配で心配で……」


 それもそうだろう。佐藤亜月が遊園地に来た時、彼女の体を支配していたのはガトーショコラだ。佐藤亜月は肉体が支配されているあいだの記憶が無い。紅茶を飲むと、それが引き金となってガトーショコラが現れる。その間の記憶を保持していない彼女からしてみれば、突然居場所が変わったように感じたのだろう。加えて目の前に広がる光景はさながら地獄絵図。恐怖心に支配されてもおかしくは無いはずだ。

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