第149話、冥府の鏡の正体。

「なぜ、妾を殺さなかった……?」


 バーニングさんはそう尋ねた。そんなこと、聞かなくてもわかっているだろうに。


「俺にとって、あなたはもうルームメイトだからですよ」


「敬語……」


「え?」


「その敬語を辞めてくれ」


 彼女はムスッとした表情でそう言った。


「どうして、ですか?」


 俺は腹に刺さった腕をガトーショコラに切断してもらい、アクアマリンの魔法で傷を塞いでもらいつつ首を傾げた。


「どうしてって……」


 バーニングさんは悲しそうな表情を浮かべたまま、ゆっくりと俯いて答える。


「距離を感じるのじゃ」


「距離……」


 傷口が塞がったのを確認した俺は、ガトーショコラにそっと感謝の言葉を耳打ちする。


「ありがとう、ガトーショコラ。助かったよ。それと、申し訳ないんだけど今一文無しでさ。ちょっとお金くれない?」


「えー♡ いいよぉ♡」


 彼女は気前よく小さなダイヤモンドを手渡してくれる。早速携帯端末に読み込ませると、手にしたダイヤは即座に消滅し、俺の銀行口座に金が振り込まれた。


「ありがと」


「えへへー♡ ダーリンのためだもん♡」


 そんな会話をしている俺たちの方をじっと見ながら、バーニングさんは続ける。


「妾は気づいた時から神であった。生まれた瞬間から神と呼ばれ、人々を見るのが仕事だった。常に人々を見守る必要があり、何があってもその役目は放棄できなかった。故に誰しもが妾のことを崇め奉り、神として扱い、距離を置いた」


 バーニングさんの言葉は淡々としていて、何だか他人事のようだった。


「それで、寂しかったんですか?」


 俺の問いかけに、彼女は頷く。そしてゆっくりと鏡を向けた。


「ある日、冥府の神たる伊邪那美命イザナミノミコトがこんな提案をしたのじゃ。神にも休息が必要ではないか、と。神々はそれに賛成した。無論妾もじゃ。それに唯一反対し、暴れ回ったのは馬鹿な弟であった。妾は当時多忙であった。日々神としての激務に終われ、心身ともに疲弊していた。その上で不出来な弟の後始末。もう、切羽詰まっておったのじゃ。故に、引きこもることにした。もう誰とも会いたくなくて、洞窟の中に一人閉じこもって、入口を大岩で塞いだ」


 細柳が話していた内容ともマッチする。この言葉から、バーニングさんの正体が神であることは間違いないのだろう。


「しかし、妾は……いや、天照大御神はそのことを未だに後悔しておるだろうな」


「どういう……ことですか」


 バーニングさんの持つ鏡には、未だにバーニングさんそっくりの女性が映し出されている。驚いた表情を浮かべたまま、じっとこちらを覗き見ている。


「冥府の神が伊斯許理度売命いしこりどめのみことに作らせたこの鏡は、神の光を取り込み、偽物を生み出すものだったのじゃ」


 そう言って笑ったバーニングさんの表情は、悲壮感に満ち溢れていた。


「つまりなぁ、妾は偽物なのじゃ。この鏡を見てしまった神々の後光を閉じ込めただけの紛い物。そして妾は、本物の天照大御神にかわってまつりごとを務め始めた」


「じゃあ、本物の天照大御神は?」


「妾を退治した須佐之男命すさのおのみこと達が、後で発見しておる。それより先は平和。妾は最初から、神々の力を奪い、彼らのふりをして冥府に住まいし魑魅魍魎を現世へ呼び出すことこそが仕事であった。最も危険で最も強い太陽の神が不在となった瞬間こそが、何よりもチャンスであったのじゃ」


 バーニングさんは鏡を優しく撫で回しながら、悲しそうな目を俺に向けた。


「鏡は陰と陽の二枚。陰の鏡は冥府の神たる母上が持ち、そして、陽の鏡は天照大御神の姿形を顕現させた偽物の妾が持つ。妾は神の力を。母上は魑魅魍魎を集め、再開した時に併せ鏡を作って力を解き放つ。それが妾の目的であった。それ以外に生きる理由など、何も無かった」


 鏡の中に映る天照大御神の表情は、あどけなさを残したままだ。バーニングさんに、とてもよく似ている。


「母上は死に、妾は長きに渡って封印された。冥府を従える者はもう居ない。妾は復活後も、その使命を放棄して人生を楽しもうとしてしまった。故にお主は呪いをかけられてしまい、沢山傷つけた。全て妾のせいじゃ。妾は、誰も傷つけたくはなかった」


 彼女の言葉は、本心なのだろう。クシャクシャに歪んだその表情を、俺は見捨てたくなかった。


「俺は傷ついてませんよ、バーニングさん」


「敬語――」


「――敬語もやめません。俺はあなたと、対等なルームメイトでいたい。この話し方はあなたを神として崇拝しているからじゃない。年上として、人生の先輩として尊敬しているからです。あなたがこれまで悩んできた全てを理解できるとは思えませんが、それでも俺は、あなたと家に帰りたい」


「松本ヒロシ……」


 俺は彼女に微笑むと、腰に手を当てた。


『トランス・オリオン』


 聞きなれた音声とともに、ベルトからアーマーが排出され俺の体を覆う。全身が硬化し、力がみなぎってくる。


「バーニングさん、最後に戦いましょうよ」


「どうして……」


「教えてあげます。俺は自分のことを神だと思い込んでいる馬鹿なルームメイトを殴れるくらい、強いんだってことを」


 拳を握りしめた俺の方を見て、バーニングさんは初めて嬉しそうに笑った。


「よく言った、それでこそ妾が認めた男じゃ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る