第146話、乙女座をもって冥府の女を制す。

 俺はバーニングさんの鏡を破壊したい旨を伝えた。だが、彼女は目を伏せたまま首を横に振る。


「どうして、ですか?」


 彼女は答えなかった。ただ、じっと黙り込んだまま鏡を強く握る。それでも、俺は彼女の回答を待つことにした。背後からは鋭い斬撃が放たれる音が響いている。時折結界内に構成された無数の宝石が砕け散るような音もする。魑魅魍魎の蠢く声や、魑君の怒りに満ちた怒号。それらをあざけ笑うガトーショコラの尻上がりな言葉。

 周囲の激しい騒音すら、いつの間にか気にならなくなった頃、ようやくバーニングさんは口を開いた。


「うぬには、分からぬよ。妾の気持ちなど」


「分かりませんよ、だから、教えてください。俺はどうやったらあなたを守れるんですか?」


「その! ……その言葉遣いを続けるお主などに、妾が救えるはずがなかろうがッ!」


 突然、凄まじい熱波が俺を襲った。

 何が起こったのか、一瞬全く分からなかった。髪や服がチリチリと焦げ、鼻の奥に肉のやける嫌な匂いが広がる。体はぶわりと宙に浮き、数センチ下がったところで尻もちを着いた。


「ダーリン!?」


 慌ててガトーショコラが駆け寄ってくる。しかし、俺は彼女を制した。


「大丈夫だガトーショコラ。バーニングさんは、俺がやる!」


「でも……今のって」


 ガトーショコラが眉を下げた。俺だって分かっている。今の攻撃は、恐らく宣戦布告。これ以上関わりを持とうとすれば、次は容赦しないぞという強い意思表示。

 どうしたものかと、距離を測りかねているところに、突然細柳小枝が声を張り上げた。


「松本くん! 天照大御神の本質は太陽神ですぞ! 場合によっては隠れることも大事であります!」


「うるせぇ! お前はさっさと逃げろよ!」


「そうもいかないであります! わ、我は月読命ツクヨミノミコトより命を託された身。そして恐らく、松本くん。君こそが天照大御神アマテラスオオミカミを鎮めるための役を携わった戦士、須佐之男命スサノオノミコト!」


 彼は本を広げて叫んだ。


「献上するであります! 仲直りの印を! かつて天照大御神に追放されし須佐之男命は、損ねた機嫌を取るために刀を献上したとされているであります! その時最も、最も天照大御神が求めているものを献上し、仲直りするのです。それだけで彼女は倒せ……グァァァ!」


 突然細柳の体から火柱が発生した。よく見れば、バーニングさんが彼のことをギロリと睨みつけている。その眼光から、灼熱の風が吹き荒れているらしい。


「細柳くんっ!」


 慌てて駆け出そうとする俺に、バーニングさんはそっと目線を移した。それとほぼ同時にえげつないほどの熱波。俺の衣服をチリチリと焦がし、全身の皮膚が緩やかに焼け始める。


「く、クソが……」


「今、たった今しがた、お主は妾のことを『クソ』と呼んだかえ?」


 何故だか一瞬だけ、バーニングさんが笑ったように見えた。しかし彼女は即座に表情を固くすると、鏡をこちらに向ける。ゴォウンゴォウンと冥府から吹き荒れる邪悪な風が、鏡を通して俺の頬を撫でた。


「マツモトキヨシ、お主のことを、殺す。そして妾は、今度こそ神として君臨する!」


「そうはさせませんよ、バーニングさん。俺が絶対に、絶対に止めます。俺が必ず止めてやります。その鏡を破壊して、あなたを助け出してやりますよ……ッ! 来い、乙女座……、変態ッ!」


 腰に手を当て立ち上がった俺は、力を解放する。


『トランス・ヴァーゴ』


 俺のベルトから放たれた乙女座の星は、線で繋がれアーマーとなる。乙女座の力は、分析能力。相手の弱点や行動パターンを解析し、次の一手を予測することが出来る。機動力、防御力、攻撃力、そのどれをとっても全フォルムの中で最弱。だが、能力に関しては最強なのだ。


「また再び面妖な姿になるか、妾に素顔を晒すまでもないと?」


「違う、これは俺が最も光り輝く瞬間の姿。俺の名は鬼龍院刹那。お前を……流れ星にする者だッ!」


「笑止千万! 妾の名は天照大御神。日本古来よりこの土地に立ちて、長きに渡り人類を見届けた太陽神。うぬに教えてやる。お天道様は常に見ていることをッ! そして断罪する。冥府の時は来たれり!」


 バーニングさんが熱波を発し、それに呼応するように鏡からは無限の魑魅魍魎が溢れ出す。灼熱と邪悪とを併せ持った強敵だが、俺の乙女座ヴァーゴにかかれば弱点も筒抜けだ。


「見えた、バーニングさん、覚悟をッ!」


『オリオンマッスル・エクスパッション』


 俺の狙いはたった一つ。彼女の弱点を突き、早急に戦闘不能にすることだ。痛みは全てを強制停止させる。彼女に激痛を与え、全てを終わらせてやる。


「何をするつもりじゃ、マツモトキヨシ!」


「俺の名前は、松本ヒロシだっつぅの!」


 腰のベルトを軽く叩くと、オリオン座の三つ星が開放される。その内一つの星が弾け飛び、俺の拳へ吸い込まれた。

 残る星の数は一つ。一日に三発打てる俺の必殺技も、これで本日二発目だ。


『セカンド・ウィークポイントクラッシュ』


 ベルトが技名を発し、俺の体が勝手に動き始めた。数字が無数に吹き出してきて、俺の身につけるアーマーがそれらを演算し始める。風の流れ、敵の弱点、筋肉の動き、表情から読み取れる次の行動、視覚から入る全ての情報を読み解き、最も的確な行動を行う。

 俺の体は無数に溢れ出てくる魑魅魍魎の一つ一つを、少しの動きで全てかわした。そしてたったの四歩でバーニングさんに歩み寄ると、ピンと伸ばした指先に力を入れる。


「終わりにしましょう、バーニングさん」


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