第145話、毒を以て毒を制す。

「さっきは、ありがとう。助かった」


 耳元でそう囁いてやると、ガトーショコラは嬉しそうに身をくねらせた。


「えへへ♡ ダーリンくすぐったいよぉ♡ でも、嬉しいな♡ ねぇねぇ♡ お礼してくれるなら、アタシの事も舐めてくれるのぉ?♡」


「な、舐めるだって?」


 一瞬何を言ってるのか理解出来ずたじろぐ俺の服をぎゅっと掴んで、ガトーショコラは真っ白な瞳をこちらへ向けた。まるで死んだ魚みたいに、無表情な瞳だ。


「だってダーリン、さっき気持ち悪い妖怪に舐められてたじゃん? アタシ本当に許せないんだけど♡ ダーリンはアタシのものなのにさぁ♡ だからダーリンのこと、アタシも舐めちゃった♡ でもねでもね♡ アタシもダーリンに……ペロってされたいなぁって♡」


「そんなこと出来るわけ……」


「えぇー?♡」


 彼女はそっと耳をこちらへ向ける。そして目線だけ俺の方を向いてニヤリと笑うのだ。


「出来ないの?♡」


 俺は心に決めた人がいる。佐藤亜月、彼女は俺が一目惚れした絶世の美女だ。彼女のためだったら何だってできる。そして、バーニングさんは彼女が認めたシェアハウスの一員。いわば家族みたいなものだ。救えなければ、ヒーロー失格じゃないか。

 俺の目の前で恍惚の表情を浮かべる黒髪の魔法少女、彼女の名前はガトーショコラ。この大都会K市に怪人フラワーをばら撒き続けている、佐藤亜月の中に潜む邪悪の権化。でも、何故か俺に好意を持ち、言うことを聞いてくれている。彼女を上手く扱いこなせば、きっと俺はさらに強くなれる。

 俺の中で、答えは決まった。


 俺はめいいっぱい声を作った。心を無にして、ただ怪物ガトーショコラを喜ばせるためだけに、そっと耳元へ息を吹きかける。


「あぁ、してあげる。だから、協力してくれないか。俺はバーニングさんを、魑魅魍魎から救い出したい」


 そう言って俺は、ガトーショコラの耳を唇で噛んだ。


「はわわわわわわわ♡」


 ガトーショコラは真っ白な肌をみるみる赤く染めていく。肉体的には佐藤亜月のものだから、俺は間接的に佐藤さんの耳を噛んだことになるのか……。そう思うと、俺も恥ずかしさと興奮で顔が熱くなる感覚がした。


「ダーリン♡ ダーリン♡ アタシダーリンのこと、本当に大好きだよ♡ 愛してるんだからねッ!」


 ガトーショコラは嬉しそうに俺の顔を見ながらそう言うと、抱きついたまま詠唱を始めた。


「アクアマリン、私の問いに答えよ。その名に刻まれた永遠の誓いを今ここに示せ、変身トランス


 彼女の体が淡い水色に包まれ、光を放って変化していく。明るい音楽が流れ、彼女がみにつけていたものは光となって弾け飛んだ。そんな彼女の体を包むように、光のドレスが出現する。

 光の弾けるポップな音ともに具現化されていくロリータドレスは、まるで浅瀬を彷彿とさせる淡い水色の少女を生み出した。


「聡明な聖女、アクアショコラ!」


 彼女はウィンクを放ち、同時に魔法を発動させる。


天使藍玉エンジェルアクアマリン


 正直俺はガトーショコラを見た瞬間から、この技を期待していた。俺のために、彼女はきっとこの魔法を使ってくれるはずだと。そして案の定、彼女のステッキからは巨大なシャボン玉が生み出された。

 シャボンは俺の体を包み込み、淡い光で癒しを与える。切断された俺の腕も、不思議な魔力で接合し、まるで何事も無かったかのように再生した。もう痛くは無い。


「……ありがとう、ガトーショコラ」


「お礼はちゅーがいいなぁ♡」


「あはは、それは戦いが終わってから、な?」


 俺がポンポンと彼女の頭を叩くと、魔法少女は嬉しそうに顔を隠して黄色い声を零した。


「さて、ガトーショコラ、やれるか?」


「アタシ、ダーリンより強いんですけど♡」


 俺たちが二人揃って魑君の方を見やると、彼はさらに複数の魑魅魍魎を従えてこちらを睨みつけていた。


「ダーリン、アタシがあのヒツジやっつけちゃうから、ダーリンはおばさん助けてあげて♡」


「おっけー。頼んだぞッ!」


 俺が走り出すと同時に、ガトーショコラの魔法が炸裂する音が聞こえてきた。鋭い斬撃が放たれる音だ。彼女の放つ攻撃魔法『水の刃』は、無数の斬撃を飛ばす魔法。その性質は水であるため、刃を奪って投げ返すことすら出来ない。

 さらに、彼女の持つ空間魔法『冷静沈着藍玉カームアクアマリン』はもっと強力だ。随時発動され続けているこの魔法は、彼女の作りだした空間内で怒りを抱いた対象を溺れさせる。


「グッボゴゴォグッ……ドゴッボ!」


 案の定、魑君が泡を吹いた。それもそうだろう。魑魅魍魎を使ってようやく俺を追い詰めることに成功したというのに、突然現れた謎の魔法少女が邪魔してきて、更に切断した俺の腕は回復した。加えて遠距離から無数の斬撃だ。腹が立たない方がおかしい。


「マジで、味方だと最強かよ。ガトーショコラッ!」


 俺は振り返ることなく背後の全てを彼女に任せることにして、バーニングさんの前に立った。


「マツモト……キヨシ……」


 和装を身にまとった美人は、いつもと対称的に全く元気がなかった。俺に目を合わせようともせずに、ただ鏡を持って立っている。暗い表情に憂いを浮かべたまま、眉をひそめて、目に涙を浮かべて。


「バーニングさん、その鏡、壊していいですよね?」


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