第137話、魑魅が二人、背水の陣。

「魅皇……ッ!」


 声のした方を振り返ると、薄暗い廊下に見覚えのある女が立っていた。彼女はビスマス鉱石に似た鱗をキラキラと光らせながら、悪い表情を浮かべている。


「よく会うでありんすねぇ、愛しの旦那様」


 魅皇が俺に向けて微笑むと、その背後から白髪の老人がにゅっと顔を出した。彼の表情はまるで火傷跡のように赤黒くただれており、歪んだ口角を一切動かさないまま言葉を発する。


「何をつまらない会話をしておるか。朕を苛立たせるのはもう辞めていただきたいのだが?」


 老人だと思っていたが、違った。彼は白髪こそ生えているもののむしろ若く、俺や細柳と同い年くらいに見えた。しかし、左目から下にかけてがひどく焼け爛れており、頭には一本の大きな角が生えている。そしてなにより、こんな暑い時期にもかかわらず毛皮を身に纏っていた。


「お前は……いったい」


 俺が小さく言葉を零すと、彼はギロっと鋭い眼光をこちらに向ける。そっと胸元から扇子を取り出し、表情を一切変えないままそれを開いた。


「君が我らが神への情報共有を断ったとする暴君か。会いたかったぞ」


 恐らく天照大御神への伝言を断ったことに関して言っているのだろう。


「あぁ、そうだ。お前らはここで何を企んでいるんだ? 場合によっては、俺が許さんぞ」


「ははっ、笑止千万」


 突然白髪の男が両手を広げて地面を蹴った。慌てて腰に手を当て力を込める。しかし、俺が変態トランスするよりももっと早く、彼は宙を蹴って細柳の隣に舞い降りた。


「神に抗いし少年よ、まず朕は貴様の処分を言い渡す」


「な、どういう!?」


 困惑する俺の目に映るのは、扇子をゆっくり仰ぐ男の姿と、恐怖に震える細柳小枝だった。


「ま、松本くん、き、君には中々言い出すタイミングがなくて……いや、根拠がなくて話せなかったでありますが……我、実は……」


「余計なことを口走る男は先に死ぬ。君は覚悟があるようだなぁ」


 男が扇子の先をそっと細柳の喉元に当てる。この状況から、俺は自らの勘違いを理解した。細柳小枝は彼らの求めていた神ではないらしい。むしろ、彼らが警戒していた人物であることが分かる。


「わっちは君に感謝しているでありんすよ」


 いつの間にか俺の肩に腕を組み全体重を預けながら魅皇は耳元で囁く。


「君が細柳小枝の名を出さなければ、その存在にすら気づけなかったのでありんすから」


「それは……どういう」


「あの男、わっち達の計画を全て台無しにしようとしていたでありんす。許せませんこと、死罪が妥当でありんせんかえ?」


「然り。故に今この場で朕が処す」


 細柳小枝は、天照大御神の手による世界支配と魑魅魍魎の解放を邪魔しようとしていたということらしい。となれば、俺がやることは一つしかない。


「ごめんよ細柳くん、俺は君のことを疑っていた……変態ッ!」


『トランス・オリオン』


 聞きなれた電子音と共に俺の全身から力がみなぎってくる。


「今すぐ細柳小枝を解放しろッ!」


「ま、松本くんっ!」


 細柳の情けない声が聞こえる。だが、あの魅皇が警戒するほどだ。きっとなにか重要なことを知っていて、大きなことをしようとしていたのだろう。ヒーロー協会にも警察にも通報せず、ましてや俺にさえ黙っていた。なにか大切なことを。それを本人から聞き出すまでは、傷一つ付けさせない。


「どけ!」


 俺は魅皇を強く突き飛ばすと、全速力で男の元へ駆け出した。拳に力を込めて、全体重を乗せて殴り抜ける。

 その瞬間だった。男の体がふわりと宙を舞い、俺の拳はかすりもしなかった。


「な、何が!」


「ま、松本くん!」


 男は俺から距離を取りつつもニヤリと笑う。彼の手には、先程細柳が叩き壊そうとしていた鏡が握られていた。


「ごめんなさい、松本くん。我はてっきり、松本くんが魑魅すだまの一人かと思って、言い出せなかったのであります」


「細柳……」


 俺の目線と拳は男に向けたまま、耳を友人に傾ける。いや、俺も謝らないといけないはずだ。


「俺の方こそすまない。俺はてっきり、お前が魑魅魍魎の主だとばかり思っていた。魑魅魍魎との遭遇率が高いことや、知識が豊富なことなんかが相まって、まさかって思っていたんだ」


「そう思うのも無理はありますまい。だって我は……」


 ふと背後に殺気を感じ、反射的に蹴りを放つ。そこには爪を立てた魅皇が立っていた。


「くっ、わっちの攻撃をこうも簡単にッ!」


「細柳! 続けてくれ!」


 細柳は大きく頷くと、いつも大事そうに抱えていた本を取り出した。


「実はこの本、過去に天照大御神を封印した月読命という方が後世に残した本であります。冥府の王と成り下がった天照大御神が、もし仮に復活する日があればこの本に書かれたことと場所に注意せよと、そういう物語で……」


「半信半疑だったが実際に魑魅魍魎が溢れ出したから、それを信じることにしたと?」


 俺の問いかけに彼は頷く。なるほど、彼が敵について詳しかった理由は腑に落ちる。


「それで、月読命って誰なんだよ」


「過去に存在した神の一人であります。曰く、天照大御神はある日薄暗い洞窟の中に閉じこもった。そこから引きずり出すために幾人もの神が祭りを開き、天照大御神を引きずり出した。しかし、その神々の中に冥府の存在が混じっていたとのことであります」


 細柳が説明している間にも、魅皇は俺の事を狙って霧と具現化を繰り返しながら攻撃してくる。また、隙を見て細柳を殺そうと、扇子男も宙を舞って接近してくる。俺はいつにも増して出費をフル回転させながら戦った。


 細柳小枝の話を最後まで聞くために。

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