第136話、出部太田の目的やいかに。

「やはり、これは……間違いありませんぞッ!」


 薄暗いお化け屋敷の裏側で細柳小枝は独り言を発した。そこは、細い電気コードが幾重にも絡まり、時折壁の向こうから悲鳴が聞こえてくるような場所だった。きっとこの壁の奥にはセンサーで人の出入りを感知し起動するお化けの人形でも置かれているのだろう。人間が仮装して脅かすようなタイプでは無いらしい。白い煙をふきあげて赤く光る鬼や、首を伸ばすろくろ首なんかが展示されている簡素なお化け屋敷だ。

 子供の頃はこういうちょっとした造りにも驚き叫んだものだが、本物の化け物と戦っている今なら、きっと微塵も恐怖を感じないことだろう。

 それよりも俺にとって恐ろしかったのは、魑魅魍魎を集めて世界を滅ぼそうと企んでいる魅皇の存在。そして彼女が向かったこのお化け屋敷に、なぜか細柳小枝が居たということ。

 以前魅皇と話した内容から推察するに、細柳小枝こそが天照大御神であることは間違いないだろう。この街に無数の魑魅魍魎を跋扈ばっこさせ、その力を用いて世界を支配しようとしている。そんなこと、ヒーローたるこの俺が見過ごす訳にはいかなかった。


「これは……全て魑魅魍魎でありますか」


 ふと、細柳小枝が決定的なことを口にした。あぁ。間違いなく彼は今魑魅魍魎の名を口にした。この場所で何かよからぬ事をしているというのは間違いじゃないらしい。

 俺は物音を立てないようにそっと首を伸ばした。配線の隙間から、薄明かりに照らされるブヨブヨの男を見る。

 どうやら彼の手にはなにか輝くものが握られていた。


「この中に……なるほど、集めていたのでありますな」


 細柳小枝は手に持ったそれを大事そうに抱えたまましゃがみ込んだ。どうやら背負っていたリュックサックを下ろすためらしい。

 おかげで、彼の前に何があるのか見える。そこにはニスの禿げたボロボロの鳥居と小さな祭壇が備え付けてあった。まるで簡易的に作られた神社である。

 どうしてこんな所に、と息を飲む俺だったが、細柳はそんなことなど露知らずといった様子でバッグからハンマーを取りだした。


「これで上手くいくかは……分かりませんが」


 彼の強く握り締めたハンマーが、今にも振り下ろされようとしているその先。そこには丸い形をした鏡があった。それを見た俺は、魅皇の言葉を思い出した。天照大御神に魑魅魍魎が揃ったことを伝えた時、天照大御神は何をするのか。


『常日頃からお持ちになられている八咫鏡やたのかがみを使って、霊力を現世に流していただくのですよ。そうすればわっちら魑魅魍魎が、あの方の代わりにこの世の生きとし生ける全てを抹消し、世界を手中に収めてくれるのでありんす。鬼龍院刹那、お主もきっと特別な存在として神の座を与えられるはずでありんすよ』


 魅皇は確かにそう言った。あの鏡こそが、八咫鏡だろうか。だとしたら止めなくては。


「おい!」


 俺は腰に手を当てたまま立ち上がり声を張り上げた。それに驚いたのだろう。体をビクッと震わせた細柳は、ハンマーを振りかぶったまま俺の方に目線を向ける。体が震えているのが遠目からでもわかった。


「ま、ままままっ、まっ、松本ヒロシくんッ!? ど、どどど、どうしてここに!」


 彼の動揺っぷりは異常だ。全身から汗を吹き出しているのだろう。フットライトに照らされた表情は橙色に反射してヌルヌルに見えた。


「それは俺のセリフだ。なぁ、細柳小枝。どうしてただ遊びに来ただけのはずのお前が、お化け屋敷の裏側に居るんだ? その手に持っているものはなんだ? ほら、言ってみろよ」


 俺は言葉にトゲを込めて精一杯の圧を放つ。しかし、動揺した素振りを見せていた彼は逃げも隠れもしないまま、その場でゆっくりと体を俺の方に向けて笑う。


「松本くん、ようやく我の名前を覚えてくれましたな……」


 彼はそのままゆっくりと立ち上がると、鏡を俺の方へ向けた。


「何をする気だ、細柳。質問に答えろ」


 細柳小枝はどこか安心した様子で微笑みを浮かべながら、ハンマーを強く握り直して言う。


「よく見てくだされ松本くん。この鏡の中を」


 言われた通り、俺は警戒心を剥き出しにしたまま鏡に目を落とす。その瞬間、背筋が凍る感覚というものを味わった。


「これは……?」


 鏡、だよな? と聞きたい言葉が出てこなかった。鏡に映っていたのは確かにこの部屋の風景、そして俺の姿。だが、それだけじゃなかった。無数のドス黒い何かが蠢き、鏡の中に映る俺の体を撫で回していた。


「恐らく、ついかがみの片方でありますな」


 細柳はそう答える。


「対の鏡?」


「えぇ。八咫鏡は二枚あるのですぞ。そしてこれはその一部。松本くん、君がここに来たということは、おそらく君もまた運命の人なのでありましょう」


 彼はそう言うと、振りかざしたハンマーを鏡に向けて思いっきり振り下ろした。


「ま、待ってくれ細柳小枝! 言っている意味が分からん!」


 俺は彼の動きを止めようと慌てて走り出した。もし彼が鏡を割ったらどうなるのだろうか。中に閉じ込められていた魑魅魍魎が一気に溢れかえるのではなかろうか。もしそうだとしたら、大変なことになる。魅皇の計画が執行されてしまう。

 しかし、俺と彼の距離は絶妙に遠かった。今から彼に飛びかかったとしても、鏡は割られてしまうだろう。止められない。間に合わない。


 そう思った瞬間だった。聞き馴染みのある、嫌な女の声がした。


「わっち、気が早い男はあまり好きではありんせん」

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