第129話、浮気者の最低な頼みに女は。

 バーニングさんの声が部屋いっぱいに広がった。思わず口に含んだお茶が気管に入り、噎せてしまう。

 今せっかく佐藤さんの誤解が解けそうだったのに、何故あの女はちょうどいいタイミングで邪魔してくるんだ。

 狙ってるのか? わざとなのか?


 酷く動揺する俺を不思議そうに見つめた佐藤亜月は、目をシパシパとさせながら首を傾げた。


「もういいって……今日何かあるんですか?」


「あ、いや、なんでしょうねぇ。あはは、あれじゃないですか? 今日の朝食いらないとか、そういう意味じゃないですかね?」


 くっそ、バーニングめ。せっかく今、俺とバーニングの関係が他人であることを伝えたばかりだと言うのに。

 ややこしいタイミングでややこしい事をしやがって。


「んー、じゃあバーニングさんの朝食は冷蔵庫に入れておきましょうか?」


 そう言いつつ食器を下げようとする佐藤亜月を手で制止しつつ、俺は立ち上がった。


「ちょ、ちょっとどういう意味か聞いてきます!」


 これで実は朝食食べる気満々だったりしたら大変だ。二階から降りてきて「妾の飯はどこじゃ? 探してもナッシングおじさんピーポピーポ」とか言われたら一溜りもない。

 即座に佐藤さんが「あれ、さっきもういいって言ってませんでした?」なんて流れになるだろう。

 そうなれば、自然とバーニングさんの説明ターンになる。

 今日、俺とバーニングさんが遊園地デートをする予定で、ちょうど今しがた家を出る支度が終わったのだと、そんなことを言い出すだろう。


 そうなれば俺は終わりだ。

 つい先程佐藤さんに告白紛いなことを仕出かし、加えてバーニングさんとは恋仲じゃないと明言したくせに、今からデートに行くことがバレてしまう。

 とんだスケコマシじゃないか。

 イタリア人顔負けの軽い男になってしまう。

 佐藤さんの株を下げてしまえば、俺が彼女に好意を寄せることすら許されなくなってしまう。


 嫌われたくはないッ!


 俺は即座に踵を返し、階段を駆け上がりバーニングさんの部屋を開けた。


「ちょっとバーニングさん、静かにして貰えます?」


「な、なぜじゃ!?」


「佐藤さんには今日のこと内緒にしたいんですよ! お願いします」


 我ながら最低な頼みだ。今日のデートについて、好きな人には悟られたくないから黙っててくれなんて。とんだ浮気者発言だ。


「ふむ、秘密にか……」


 バーニングさんは眉をひそめて腕を組んだ。

 当然だろう。彼女からすれば、俺が手紙で彼女をデートに誘ったのだ。そんな男が、好きな女にはデートがバレたくないと言い出している。

 嫌われても仕方ない。だが、例えバーニングさんに嫌われたとしても、佐藤さんにだけは嫌われたくないのだ。

 いや、俺めちゃくちゃクズ男なのではなかろうか?


「いや、バーニングさんには申し訳ないですけど、お願いします。こっそり、こっそり行きましょう?」


 両手を合わせて頼み込む仕草。それを見た彼女は、少し考えてから頷いた。


「そうじゃな。無駄な心配をかける必要もあるまい。これは妾とお主だけの秘密ということにしようぞ」


 別に心配はかからないと思うが、それでも納得してくれたらしい。思わずホッとした俺は、自らの胸を撫で下ろして額を拭った。なんてこったい。今のひと時でかなりの汗をかいてしまったらしい。

 それにしても、バーニングさんは案外話の分かる人だな。これで佐藤さんに変な誤解もされずに済むだろう。


「ところで、もう行くんですか?」


「とうとう当然当たり前フィバーであろう。チケットを見てみよ。朝9時から開園と書いておろうに」


「まだ7時ですよ?」


「お主さては、行列を知らぬな?」


 バーニングは、俺を見下ろすようにしてニヤリとする。


「行列……だと!?」


 話には聞いたことがある。人々が目当てのもののために列をなし、何十分も何時間も当然のように待ち続けるという謎の現象。

 そんなもの、俺が住んでいた村には存在しなかった。

 というか、都市伝説じゃないのか?

 昔iPhoneを買うために猛者が開店前から待っていたなんて都市伝説を耳にしたことはあるが、正直半信半疑である。


「妾はこの世に来てから幾度か経験しておる。行列はとても辛いものじゃ」


 な、なんてこった。バーニングさんは行列を経験済みだったのか。

 今この瞬間を持って、俺が都市伝説だと思い込んでいた行列がこの世に実在することを知ってしまった。


「な、なるほど。だから早く行くんですね。分かりました。でもどこでそんな列に並んだことがあるんですか?」


「お主はまだ立ち入れぬ、パチンコという場所じゃ」


 ただのパチンカスじゃねぇか。


「……」

「……?」


「コホン……。ところで、朝食は食べないんですか?」


「当然であろう。食事は現地調達で良い」


「分かりました。んじゃ俺も飯食ったら向かうんで、バーニングさんは先に並んでてください」


「あいわかった」


 という事で、俺は彼女の部屋を後にした。

 なんだかんだで上手くいったな。

 これでバーニングさんは今日のデートについて佐藤さんに話すことは無い。加えて家を出るタイミングも違うので、佐藤さんに悟られる心配もない。

 俺はいつも通り朝食を済ませ、服を着替え、ヒーロー活動のパトロールをする体で家を出るだけだ。


「あ、松本さん。おかえりなさい。バーニングさんはなんと?」


「やっぱり、朝食はいらないみたいです。そういう意味だったみたいですよ」


 無事に全てをごまかせた。


 そうほっとして腰を落ち着けた瞬間だった。玄関から大声が鳴り響く。


「今日のでいとをいざ楽しもう! マツモトキヨシ!」


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